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『公爵令嬢様、距離感が近すぎます! 〜伯爵子息は今日もツッコミが追いつかない〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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66/81

第66話 公爵令嬢様、青い薔薇を一輪選ぶだけで未来まで飾ろうとします


 皆さん、こんにちは!!


 アルフレッド・シェルザートです。


 王城の春の親睦夜会まで、あと七日。


 ついに、一週間である。


 十日後。


 九日後。


 八日後。


 そうやって一日ずつ減ってきた数字が、とうとう片手では数えきれない最後のところまで来た。


 いや、七なら片手では無理だ。


 何を言っているのだろう。


 とにかく、一週間だ。


 この一週間を越えた先に、王城の大広間がある。


 深い青のドレスをまとったリリスがいる。


 濃紺の礼装に青の刺繍を入れた俺がいる。


 第一控え廊下。


 十八時十五分。


 扉の前の一拍。


 王族への礼。


 第一舞踏。


 別行動。


 戻る合図。


 嫉妬にも半歩。


 褒められた後も夜会は続く。


 数え始めれば、これまで学んだことは本当に多い。


 だが昨日。


 俺たちは、立つことでも、歩くことでも、踊ることでもない練習をした。


 座る。


 休む。


 必要な時に、場から逃げたと思わず椅子を使う。


 リリスは、右の踵を夜会用靴で少し擦った。


 赤みはあったが、傷にはなっていない。


 そのため、昨日の礼法授業では座位を中心に参加した。


 最初のリリスは、ずっと申し訳なさそうだった。


 皆が立っているのに。


 自分だけ座っている。


 一緒に練習できない。


 遅れている。


 迷惑をかけている。


 そんな顔だった。


 けれど、先生は教室全体へ聞いた。


「アマリリスさんが座っていることで、授業を妨げられる者は?」


 誰も手を挙げなかった。


 あの沈黙は、俺も覚えている。


 冷たい沈黙ではない。


 誰も困っていない。


 リリスがそこにいてもいい。


 座っていても、同じ授業の中にいる。


 それを言葉にせず示した、温かな沈黙だった。


 リリスは、座ったまま会話した。


 魔法を使った。


 友人と笑った。


 食堂まで歩いた。


 そして、休んでいても自分の居場所はなくならないと知った。


 俺も学んだ。


 差し出す手は、相手を無理に引き上げるためのものではない。


 本人が自分で立つ時の支点。


 助けることと、代わりにやることは違う。


 守ることと、言葉を奪うことは近い。


 俺たちは、まだまだ完成前だ。


 だが、完成前だから直せる。


 靴も。


 言葉も。


 距離も。


 そして今日。


 修正された夜会用靴の短い試し履き。


 さらに。


 夜会用の髪飾り候補を確認する日である。


 ブルーローズ。


 青い薔薇。


 リリスが普段から身につけている髪飾りと同じ意匠を、本番用に整えるらしい。


 深い青のドレス。


 少し上げた金の髪。


 銀の耳飾り。


 そこへ、青い薔薇。


 ……危険だ。


 想像するだけで、すでに危険だ。


 昨日の夜、ライズが髪飾りの話をした瞬間、俺は思わず黙った。


 その沈黙を見たライズは、静かに言った。


「若様、本番前に感情を使い切られませんように」


 まったくその通りだった。


 朝。


 食堂へ入ると、俺の夜会用靴が箱ごと机の横へ置かれていた。


 修正済み。


 濃紺の革。


 銀の留め具。


 底には正式な滑り止め。


 踵の内側には柔らかな革が加えられている。


 母上は、食卓の上にいくつかの小さな布袋を並べていた。


「おはようございます」


「おはよう、アル」


「おはよう」


 父上は新聞を畳む。


 母上は布袋を一つ手に取った。


「朝食後、靴を十分だけ履きます」


「はい」


「歩くのは廊下を二往復。階段は一度だけ」


「はい」


「違和感がなければ、それで終了」


「ダンス姿勢は?」


「今日はしません」


「でも、本番まで七日」


「だからこそ、全部を一日に詰め込まない」


「……はい」


 今日は今日。


 朝の十分は、靴のため。


 ダンスは別の日。


 母上は布袋を開いた。


 中から、小さな銀の飾りが出てくる。


 青い石が一粒。


「これは?」


「あなたの礼装用の予備留め具」


「予備?」


「胸元の青い刺繍近くへ使うものよ。今の留め具で問題ないけれど、本番前に破損した時のために」


「そこまで用意するんですか」


「王城へ着いてから壊れて慌てるよりよいでしょう?」


「はい」


 父上が言う。


「装飾品は小さいほど見失う」


「はい」


「予備は必要だ」


「リリスの髪飾りにも?」


「もちろん」


 母上が答える。


「本番用のブルーローズは、同じ意匠で二つ用意するそうよ」


「二つ」


「一つは本番用。もう一つは予備」


「同じものを?」


「完全に同じではないけれど、離れて見れば分からない程度に」


「なるほど」


 リリスが選ぶ青い薔薇。


 その予備まである。


 少し安心する。


 髪飾りが壊れたからといって夜会が終わるわけではない。


 だが、リリスにとってブルーローズは、ただの飾りではない。


 温室。


 青い薔薇。


 最初に距離が近すぎた日々。


 俺たちの間に何度も現れた色。


 それが本番にもある。


「アル」


 母上が俺を見る。


「何を考えているの?」


「ブルーローズのことを」


「リリス様に似合う?」


「はい」


「まだ見ていないのに?」


「普段も見ています」


「本番用は少し違うわ」


「それでも似合うと思います」


 母上が微笑む。


 父上も少し笑った。


「今日、本人へ言え」


「何をですか」


「似合うと思う、と」


「まだ候補確認ですよ」


「候補だから言うのだろう」


「……はい」


「ただし、全部似合うと言って選択を増やすな」


 父上の言葉に、俺は止まった。


「全部似合う可能性も」


「あるだろうな」


「なら」


「選ぶための感想を言え」


「感想」


「似合う、だけでは決まらない」


 たしかに。


 青い薔薇が三種類あったとして。


 全部似合う。


 どれも綺麗。


 それだけでは、リリスが選べない。


 大きい方が華やか。


 小さい方が本人の表情を隠さない。


 銀が多い方がドレスに合う。


 花弁の青が深い方が落ち着く。


 具体的に見る必要がある。


「褒めることと、選ぶ手伝いは違う」


 父上が言う。


「はい」


「本人の好みを聞け」


「はい」


「お前が決めるな」


「はい」


「だが、何でもよいとも言うな」


「難しいですね」


「だから会話する」


 簡単に返された。


 人と一緒にいることは難しい。


 昨日、母上にも言われた。


 だからこそ、話す。


 ライズは鞄を整えながら、静かに口を開いた。


「若様、本日のハンカチは三十一枚でございます」


「予告通り」


「修正靴試着および髪飾り候補確認日でございますので」


「靴と髪飾りで三十一枚」


「昨日、座位礼法で予備まで使用されましたので、余裕を持たせております」


「リリスが三十一枚使ったのか」


「はい」


「今日は超えないといいな」


「髪飾りの内容次第でございます」


「不穏だな」


 ライズは指を折ることなく、淡々と続ける。


「想定される涙は、修正靴開封涙、痛みが軽減した安心涙、若様の靴も無事と知った相互安心涙、ブルーローズ候補を見た本番実感涙、髪へ一輪当てた際の装い完成接近涙、若様から具体的な感想を受けた選択支援感動涙でございます」


「最後は長い」


「重要事項でございます」


「他には?」


「ガロウ公爵閣下が髪飾りを見て、娘の幼少期から現在までを一度に想起される可能性」


「絶対に泣く」


「レオナルド様が、一輪は大きすぎる、小さすぎる、と複数回確認される可能性」


「兄も参加するんだな」


「セレスティア様は、最終的にお嬢様ご本人へ選ばせる予定とのことです」


「それがいいと思う」


「はい」


「今日の心の札は?」


 ライズは一拍置いた。


「『飾りが決めるのではなく、本人が選ぶ』でございます」


 俺は少し考えた。


 髪飾りがリリスを作るのではない。


 ドレスがリリスを公爵令嬢にするのでもない。


 リリスが選ぶ。


 深い青を。


 ブルーローズを。


 自分で。


「受け取る」


「よろしいかと」


 朝食後。


 俺は修正された夜会用靴を履いた。


 昨日より、踵の内側が柔らかい。


 足首の固定は変わらない。


 つま先にも余裕がある。


 立つ。


「痛みは?」


 母上が聞く。


「ありません」


「違和感は?」


「踵に触れている感覚はあります。でも、硬さは減りました」


「歩いて」


 廊下へ。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 踵の音。


 昨日より自然だ。


 右足の外側へ逃げていた重心も、少し戻る。


 廊下を往復。


 止まる。


「痛みは?」


「ありません」


「違和感は?」


「ありません」


「もう一往復」


 歩く。


 今度は少しだけ速度を変える。


 急がない。


 通常の入場歩幅。


 止まる。


 礼。


 肩。


 足元。


 問題ない。


「階段」


 母上と父上が見ている。


 屋敷の小階段。


 三段ではない。


 もっとある。


 今日は最初の四段だけ。


 一段。


 二段。


 三段。


 四段。


 止まる。


 方向転換はしない。


 そのまま下りる。


 一段。


 二段。


 三段。


 四段。


「どう?」


「問題ありません」


「本当に?」


「はい」


「少しなら?」


「何もありません」


 母上が頷く。


「今日は終了」


「もう?」


「十分です」


「まだ数分では」


「本番前に確認できた。それでよいの」


 俺は靴を脱ぐ。


 少し物足りない。


 だが、物足りないくらいで止める。


 痛みが出るまで試す必要はない。


 父上が俺の顔を見て言う。


「続けたい顔だな」


「少し」


「止められたか」


「はい」


「ならよい」


 本番へ向かう時、練習を続ける勇気だけでなく、終える判断も必要らしい。


 学園へ向かう馬車の中。


 俺は、今日リリスの修正靴がどうだったかを考えた。


 朝の時点で試し履きする予定だと言っていた。


 痛みは。


 違和感は。


 赤みは。


 聞きたい。


 だが、正門で会った瞬間に質問を重ねないよう気をつける。


 一度聞く。


 待つ。


 本人に言わせる。


 できるだろうか。


 正門前。


 リリスはいつもの場所にいた。


 制服。


 ブルーローズ。


 学園用の柔らかな靴。


 右足の立ち方は、昨日より自然だ。


 俺を見つける。


 微笑む。


 今日は、彼女から歩き出した。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 昨日より滑らか。


 ただし、急がない。


 俺も歩く。


 途中で合流する。


「アル、ご機嫌よう」


「ご機嫌よう、リリス」


「今日も走りませんでした」


「はい」


 一拍。


「足の状態を聞いても?」


「はい」


 リリスは自分で考える。


「朝起きた時、痛みはありませんでした」


「はい」


「赤みも、ほとんど消えています」


「はい」


「修正された靴を五分だけ履きました」


「五分」


「屋敷の廊下を一往復しました」


「痛みは?」


「ありません」


「違和感は?」


「踵に柔らかな布が触れる感覚はあります。でも、擦れる感じはありませんでした」


「ありがとうございます」


「言えました」


「はい」


 俺はそれ以上聞かなかった。


 リリスが少し待つ。


 そして笑う。


「アル」


「はい」


「何度も聞きませんでした」


「努力しました」


「でも、聞いてくださいました」


「はい」


「嬉しいです」


 目が潤む。


「朝一回目ですか?」


「家で四回です」


「今日は多いですね」


「靴が痛くなかったので一回」


「はい」


「お父様が座ったまま見守ってくださったので一回」


「まだ椅子と仲良くしているんですね」


「今日は名前をつけずに、お礼だけ言っていました」


「椅子に?」


「はい」


「公爵」


「もう一回は、お母様が髪飾りの箱を開けた時です」


「はい」


「最後は、お兄様が候補を見て全部大きすぎると言った時です」


「全部?」


「三つとも」


「レオナルド先輩」


「お母様に、兄の感想は参考程度にすると言われていました」


「正しいと思います」


 リリスが少し笑う。


「アル」


「はい」


「髪飾り、今日の放課後に最終候補を選びます」


「はい」


「学園にも、見本を一つ持ってきました」


「え」


 リリスがミラを見る。


 ミラは、小さな箱を持っている。


 白い箱。


 青い細紐。


 俺の心臓が一度強く鳴った。


「今、見ますか?」


 リリスが聞く。


「今?」


「はい」


「正門で?」


「はい」


 登校する生徒たち。


 朝の校門。


 人が多い。


 箱を開ければ、目立つ。


 俺は周囲を見る。


 リリスも気づいたらしい。


「場所が」


「はい」


「教室で」


「休み時間にしましょう」


「はい」


 リリスの目が少し潤む。


「楽しみにしてくださいますか?」


「はい」


「強いです」


「見せたいんですよね」


「はい」


「なら、ちゃんと見ます」


 涙が一粒落ちた。


 俺はハンカチを渡す。


「本日五回目。候補閲覧確約涙でございます」


 ミラが記録する。


「まだ見ていないのに」


「約束も感情へ作用いたします」


 教室へ向かう。


 リリスの足取りは、昨日より軽い。


 だが、俺たちは昨日と同じ速度を少し残した。


 急に元へ戻さない。


 体は大丈夫でも、慎重に。


 途中、ユリウスとエレナ嬢が合流する。


「おはよう」


「ご機嫌よう」


「ご機嫌よう」


 エレナ嬢が足元を見る。


「アマリリス様、お加減は?」


 リリスが説明する。


「痛みはありません。赤みもほとんど消えました。修正靴を五分履きましたが、擦れる感じはありませんでした」


「よかったですわ」


「ありがとうございます」


 ユリウスが言う。


「僕のつま先も直ったよ」


「履きましたか?」


「十分」


「痛みは?」


「なし。違和感もなし」


「よかったですね」


 リリスが微笑む。


 ユリウスも嬉しそうだ。


 誰か一人の問題ではない。


 皆、自分の靴を直している。


「ところで」


 ユリウスの視線が、ミラの箱へ向く。


「それ、髪飾り?」


「はい」


 リリスが少し箱を抱える。


「見せて」


「休み時間です」


「なぜ?」


「アルに最初に見ていただく約束をしました」


 教室へ向かう廊下の空気が止まった。


 少なくとも、俺の周りは。


 ユリウスが俺を見る。


 にやっとする。


「へえ」


「その顔をやめてください」


「最初に」


「候補の感想を聞くためです」


 リリスが真面目に説明する。


「婚約者として並ぶ装いですので」


「うん」


「礼法上も必要で」


「うん」


「実用面です」


「見たいからではなく?」


 リリスの顔が真っ赤になる。


「見ていただきたいです」


 正直に言った。


 俺の心臓が危ない。


 ユリウスまで一瞬黙った。


 エレナ嬢が穏やかに微笑む。


「よいと思いますわ」


「エレナ様」


「ご本人が選ぶために、婚約者の感想を聞きたい。それは自然ですもの」


「はい」


「ただし、最終的に選ぶのはアマリリス様です」


「はい」


 リリスは箱を抱き直した。


「自分で選びます」


「その通りですわ」


 ユリウスが俺へ小声で言う。


「全部似合うって言ったら駄目だよ」


「父上にも言われました」


「似た助言だね」


「不本意です」


「何で?」


 エレナ嬢が笑った。


 教室へ入る。


 今日は、昨日の小さな円形の椅子配置が一部残っている。


 さらに、教室の前方には鏡が三枚用意されていた。


 全身鏡。


 横顔用の小さな鏡。


 後ろ姿確認用。


 髪飾り。


 装飾品。


 姿勢。


 今日の礼法内容が見える。


 教室のあちこちで、生徒たちが小箱を持っていた。


 ブローチ。


 髪留め。


 家紋飾り。


 カフス。


 扇。


 手袋。


 夜会が、さらに具体的な姿へ近づいている。


 ニールは、小さな銀の留め具を机に置いて困っていた。


「どうしました?」


 俺が聞く。


「母と姉が、どちらを使うか決められなくて」


 二つある。


 一つは楕円。


 一つは四角。


 どちらも銀。


「ニール様は、どちらが好きですか?」


 リリスが聞く。


 ニールが止まる。


「僕?」


「はい」


「母と姉が決めるものでは?」


「身につけるのは、バートン様です」


 ニールは二つを見る。


 今まで、自分が選ぶという発想がなかった顔だ。


「四角の方が」


「はい」


「少し、落ち着いて見えます」


「では、その感想をご家族へ伝えてみては?」


「でも、母は楕円が」


「お母様のお好みも聞きながら、ご自分の好みも」


「……はい」


 ニールは四角い留め具を手に取った。


「僕は、こちらが好きです」


「似合うと思います」


 リリスが言う。


 ニールの目が少し潤む。


「褒められた後も?」


「授業はまだです」


 ニールが言った。


 教室が笑う。


 クラリス嬢は、夜会へ参加しないが、装飾品を見るために早く来ていた。


「アマリリス様、箱の中はブルーローズですか?」


「はい」


「楽しみです」


「休み時間に」


「はい。アルフレッド様が最初ですね」


 また言われた。


 リリスの顔が赤くなる。


 俺も。


「必要な確認です」


 俺が言う。


「分かっています」


 クラリス嬢は本当に分かっている顔で微笑んだ。


 一時間目。


 礼法。


 ベイル先生は、教室の前方に置かれた鏡を確認した後、黒板へ向かった。


『装飾品を選ぶ礼』


 先生は振り返る。


「本日は、夜会で使用する装飾品の確認を行います」


 生徒たちの視線が、自分の箱へ向く。


「装飾品は、家格、装い、年齢、夜会の目的に合わせます」


 先生は黒板へ書く。


『本人を隠さない』


『動きを妨げない』


『意味を持たせすぎない』


 最後。


 意味を持たせすぎない。


 リリスが少し反応した。


 俺も。


「家紋」


 先生が言う。


「婚約の証」


「家族から受け継いだ宝飾」


「思い出の花」


「これらには意味があります」


「はい」


「しかし、一つの装飾品へ未来のすべてを背負わせないこと」


 胸に刺さる。


「髪飾りが壊れたから、不吉だ」


「宝石が外れたから、婚約が揺らぐ」


「扇を落としたから、夜会が失敗した」


「そのように考えないこと」


 リリスの指が、箱の上で止まる。


 ブルーローズ。


 思い出。


 俺たちの距離。


 温室。


 たくさんの意味がある。


 だが、飾りは飾り。


 壊れることもある。


 予備もある。


 それで、俺たちまで壊れるわけではない。


「装飾品へ意味を込めることは悪くありません」


 先生は続ける。


「ただし、本人より重くしないこと」


 ライズの札と同じだ。


 飾りが決めるのではなく、本人が選ぶ。


「また、家族や婚約者の意見を聞く場合もあります」


 先生の視線が、俺たちへ来る。


「意見を求められた者は、何でも似合うと答えて終わらせないこと」


 父上。


 ユリウス。


 先生。


 全員同じ。


 俺は小さく頷いた。


「具体的に伝える」


 先生は例を示す。


「大きい飾りは華やかですが、本人の表情より目立つ」


「小さい飾りは控えめですが、髪型によっては見えない」


「銀が多いものは礼装と合うが、冷たく見える場合がある」


「青が濃いものは落ち着くが、ドレスと同化することもある」


「はい」


「ただし、最終的に選ぶのは本人です」


 教室が静まる。


「家族が選んだものを、本人が嫌だと言えず身につける。それは望ましくありません」


 ニールが四角い留め具を見る。


 リリスも箱を見る。


「本人が、自分で選ぶ」


「はい」


「そして、選んだ結果を他者のせいにしない」


「はい」


 選ぶ。


 簡単ではない。


 誰かに決めてもらえば、責任は軽い。


 だが、自分の装い。


 自分の夜会。


 自分で選ぶ。


「まず、候補を三つまでに絞ります」


 先生が言う。


「多すぎると決められません」


 生徒たちが箱を開け始める。


 リリスは、持ってきた一つの箱をまだ開けない。


 俺との約束。


 先生が気づく。


「アマリリスさん」


「はい」


「それは候補ですか?」


「三つのうち、一つです」


「なぜ開けないのです?」


 リリスの顔が赤くなる。


「シェルザート様に、最初に見ていただく約束を」


 教室の視線が集まる。


 ユリウスは楽しそう。


 エレナ嬢は穏やか。


 ニールは純粋に興味を持っている。


 先生は俺を見る。


「シェルザートさん」


「はい」


「意見を求められていますか?」


「はい」


「選びますか?」


「いいえ。感想を伝えます」


「よろしい」


 先生は頷く。


「では、休み時間ではなく授業内で行いましょう」


「え」


 俺とリリスの声が重なった。


 教室に小さな笑い。


「実例になります」


 先生は平然としている。


「前へ」


「はい」


 逃げられない。


 いや、逃げる必要はない。


 俺とリリスは教室前方へ出る。


 鏡の前。


 リリスは椅子へ座る。


 右足はもう痛くないが、長く立たせない配慮だろう。


 俺は少し離れた位置。


 先生が言う。


「箱を」


 ミラが前へ来て、リリスへ渡す。


 白い箱。


 青い細紐。


 リリスの指が、少し震える。


「痛みは?」


 先生が聞く。


「ありません」


「緊張は?」


「あります」


「よろしい。隠さず続けなさい」


「はい」


 リリスは紐を解く。


 一度。


 指が止まる。


 深呼吸。


 蓋を開ける。


 中にあったのは、青い薔薇。


 小さな髪飾り。


 普段のブルーローズより、少し華やか。


 花弁は深い青。


 外側へ行くほど、わずかに明るい。


 中央には小さな銀。


 葉の部分は、細い銀線で作られている。


 大きすぎない。


 だが、普段より存在感がある。


 綺麗だ。


 リリスの金の髪へ置かれた姿が、すぐ想像できる。


 俺は黙った。


 まただ。


 まだ髪につけていない。


 箱の中を見ただけ。


 なのに、言葉を失いかけた。


 先生の視線。


 沈黙の終わり。


「……綺麗です」


 俺は言った。


 リリスの目が潤む。


「まだ、箱の中です」


「はい」


「それでも?」


「はい。ただ」


「ただ?」


 具体的に。


 何でも似合うで終わらせない。


 俺は飾りをよく見る。


「銀が少し多く見えます」


 リリスが瞬きをする。


 教室も静か。


「悪いという意味ではありません」


「はい」


「礼装の銀とは合うと思います」


「はい」


「でも、深い青のドレスと、リリスの金の髪なら、もう少し花の青が見えた方が柔らかい気がします」


 言えた。


 リリスは箱の中を見る。


「銀が多い」


「俺には、そう見えます」


「似合わないですか?」


「似合うと思います」


「はい」


「でも、俺が今まで見たリリスのブルーローズより、少し硬く見えます」


 正直に。


 相手を否定せず。


 選ぶための感想。


 リリスは少し考え込む。


「私も」


「はい」


「箱で見た時、少し冷たい気がしました」


「なら」


「でも、お母様は王城の灯りなら銀が映えると」


「それも正しいと思います」


「はい」


「リリスは、どうしたいですか?」


 教室が静かになった。


 先生も何も言わない。


 リリスが選ぶ。


 飾りではない。


 母でもない。


 俺でもない。


 リリス。


「私は」


 指先が、青い花弁へ触れる。


「青い薔薇が、先に見える方が好きです」


「はい」


「銀は、近づいた時に分かるくらいが」


「俺も、その方がリリスらしいと思います」


 涙が一粒落ちる。


「アル」


「はい」


「決めてくださらず、聞いてくださいました」


「リリスが身につけるものです」


「はい」


「でも、感想は言いました」


「はい」


「嫌ではありませんでしたか?」


「いいえ」


「選ぶのが怖くありませんか?」


「少し怖いです」


「それでも?」


「自分で選びたいです」


 先生が頷いた。


「よろしい」


 短い。


 でも重い。


「ミラさん、髪へ仮に当ててください」


「承知いたしました」


 ミラが飾りを持つ。


 リリスの後ろへ。


 普段の髪型。


 まだ夜会用に上げていない。


 それでも、左側の少し高い位置へ青い薔薇を当てる。


 鏡の中。


 金の髪。


 青い薔薇。


 銀。


 俺は。


 また言葉を失った。


 今度は、長くならないようにする。


「やはり、似合います」


 リリスの目から涙が落ちる。


「銀は?」


「髪へ当てると、箱の中より柔らかく見えます」


「では、このままでも?」


「リリスが好きなら」


「アルは?」


 聞かれた。


 俺の好み。


 一拍。


「俺は」


「はい」


「花弁の青を、もう少しだけ増やした方が好きです」


 教室がざわついた。


 言った。


 かなり個人的な言葉だ。


 リリスの顔が真っ赤になる。


「アルのお好み」


「聞いたのはリリスです」


「はい」


「でも、強いです」


「感想です」


「はい」


「決めるのはリリスです」


「……はい」


 リリスは鏡を見る。


 青い薔薇。


 金の髪。


 自分の顔。


 涙。


 しばらく、沈黙。


 先生は急かさない。


 教室も静か。


 やがてリリスが言った。


「この形をもとに」


「はい」


「銀を少し減らし、青い花弁を一枚増やしていただきます」


「はい」


「大きさは、このまま」


「はい」


「左側へ一輪」


「はい」


「私は、それを選びます」


 言えた。


 教室から拍手が起きた。


 温かい。


 リリスの涙が増える。


 だが、椅子に座ったまま背筋を伸ばしている。


「褒められた後も?」


 先生が聞く。


「授業は続きます」


「選んだ後も?」


「夜会の準備は続きます」


「よろしい」


 先生が俺を見る。


「シェルザートさん」


「はい」


「意見を伝えながら、選択を奪いませんでした」


「ありがとうございます」


「ただし」


「はい」


「『俺はその方が好きです』は、公的な場では強い言葉です」


 顔が熱くなる。


「はい」


 教室から小さな笑い。


「今日は婚約者同士の相談でしたので問題ありません」


「はい」


 ユリウスが肩を震わせている。


 後で絶対に言う。


「アマリリスさん」


「はい」


「他者の感想を聞きながら、自分の好みを言えました」


「ありがとうございます」


「装飾品へ未来のすべてを背負わせないこと」


「はい」


「壊れた時は?」


 リリスが少しだけ迷う。


「予備を使います」


「それでも駄目なら?」


「別の髪飾りを使います」


「夜会は?」


「続きます」


「婚約は?」


 教室が静かになる。


 先生は、わざと聞いたのだろう。


 リリスは青い薔薇を見る。


 それから俺を見る。


「変わりません」


「よろしい」


 俺の胸が熱くなる。


 ブルーローズが壊れても。


 夜会で外れても。


 俺たちは変わらない。


 意味はある。


 大切。


 でも、すべてではない。


 授業は続いた。


 他の生徒たちも、自分の候補を見せる。


 ニールは、四角い銀の留め具と楕円の留め具。


 先生が聞く。


「本人の好みは?」


「四角です」


 ニールが言う。


 声は少し震えた。


「理由は?」


「落ち着いて見えるからです」


「家族は?」


「母は楕円が好きです」


「では、どうしますか?」


「母へ、自分は四角が好きだと話します」


「よろしい」


 ニールが嬉しそうに四角を選ぶ。


 リリスが拍手する。


 エレナ嬢は、淡い藤色のドレスに合わせる髪飾りを二つ。


 一つは白い花。


 一つは小さな銀の葉。


「私は銀の葉にします」


 迷いが少ない。


「理由は?」


「花ですと、ドレスの柔らかさと重なりすぎます。銀の葉で少し輪郭を置きたいです」


 先生が頷く。


 ユリウスは、胸元の飾りを二つ。


 一つは家紋を大きく示すもの。


 一つは小さな銀の線。


「小さい方」


 即答。


「理由は?」


「大きいと、僕の軽さまで大きく見えそうだから」


 教室が笑う。


 先生も少し口元を緩めた。


「自覚を装いへ使えております」


「ありがとうございます」


 クラリス嬢は夜会参加者ではないが、普段使いの髪留めを持ってきていた。


 青。


 白。


 二つ。


「私は、青にします」


「なぜ?」


 先生が聞く。


「アマリリス様のブルーローズを見て、私も青を選んでみたくなりました」


 リリスの目が潤む。


「クラリス様」


「でも、同じ形ではありません」


「はい」


「私の好きな小さな鳥の形です」


「とても素敵です」


 クラリス嬢が笑う。


「ありがとうございます」


 同じ青。


 でも同じではない。


 影響を受ける。


 真似をするのではなく、自分の形にする。


 教室全体が、少しずつ自分で選んでいく。


 授業の終わり。


 先生は黒板に最後の言葉を書いた。


『選ぶことは、他者を拒むことではない』


「家族の意見を聞く」


「婚約者の感想を聞く」


「友人の言葉を受け取る」


「それでも最後に、自分で決める」


 先生は振り返る。


「自分で選ぶことは、他者の好意を否定することではありません」


 リリスが真剣に聞く。


「また、他者と違うものを選んだからといって、関係が壊れるわけでもありません」


「はい」


「半歩です」


 正式採用。


「受け取りすぎず」


「拒みすぎず」


「選ぶ」


 リリスが小さく繰り返す。


「はい」


 休み時間。


 リリスは自分の席へ戻り、箱を大切に机へ置いた。


 髪飾りは、放課後にフルーラ家へ持ち帰り、青い花弁を一枚増やすよう職人へ伝える。


 銀は少し減らす。


 形はそのまま。


 リリスが選んだ。


「アル」


「はい」


「ありがとうございました」


「感想を言っただけです」


「それが欲しかったです」


「はい」


「全部似合う、で終わらせないでくださって」


「父上に言われました」


「シェルザート伯爵様へも、お礼を」


「伝えます」


「でも」


「はい」


「アルが、青い花弁が多い方が好きだと言ってくださったのが」


 顔が赤い。


「はい」


「嬉しかったです」


「聞かれたので」


「分かっています」


「強かったですか?」


「とても」


「すみません」


「謝らないでください」


「はい」


 リリスは箱へ指先を置く。


「私は、アルのお好みだけで選んだのではありません」


「はい」


「自分でも、青い薔薇が先に見える方が好きです」


「はい」


「でも、アルと同じだったことが嬉しいです」


 俺は一拍置く。


「俺もです」


 涙が一粒。


「小声版です」


「今日は何枚目ですか?」


 ミラが答える。


「現時点で十三枚でございます」


「授業一つでかなり」


「髪飾り選択日でございますので」


 エレナ嬢が近づいてきた。


「アマリリス様、とても良い選び方でしたわ」


「ありがとうございます」


「アルフレッド様も、具体的にお伝えできていました」


「ありがとうございます」


 ユリウスも来る。


「青い花弁が多い方が好き」


「言わないでください」


「いや、良かったよ」


「笑っています」


「少し」


「軽さを半歩」


「はい」


 ユリウスが座る。


「でも、ちゃんとアマリリス様が選んだのが良いね」


「はい」


 リリスが頷く。


「私が選びました」


 その言い方は、少し誇らしそうだった。


 ニールも四角い留め具を持ってくる。


「僕も、母に言います」


「はい」


「僕は四角が好きです、と」


「頑張ってください」


「嫌な顔をされたら?」


 ニールが不安そうになる。


 リリスは一拍置いた。


「お母様のお好みも聞きます」


「はい」


「でも、自分の好みも変えなくてよいと思います」


「はい」


「話し合って、どちらかを選ぶ。あるいは、別の形を探すこともできます」


「別の形」


「二つから必ず選ばなくてもよいのでは?」


 ニールの目が大きくなる。


「なるほど」


 選択肢が二つしかないと思い込んでいた。


 第三の形。


 中間。


 新しいもの。


 半歩。


 昼休み。


 食堂へ向かう前。


 リリスは自分から足の状態を伝えた。


「痛みはありません」


「はい」


「違和感もありません」


「はい」


「今日は通常の速度で歩いてみたいです」


「はい」


「ただし、急ぎません」


「分かりました」


 昨日より少し速い。


 でも、以前とまったく同じではない。


 足の感覚を確かめる。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 俺は隣。


 手は貸さない。


 必要な距離。


「アル」


「はい」


「普通に歩けます」


「はい」


「嬉しいです」


「はい」


 目が潤む。


「歩きながら泣くと危ないです」


「はい」


 深呼吸。


 涙を戻す。


「食堂まで取っておきます」


「涙を?」


「はい」


 取っておけるのか。


 食堂。


 今日は、髪飾りの話題で賑やかだった。


 招待者たちは、授業で選んだものを見せ合っている。


 リリスの箱は、すでに注目されていた。


「見てもよろしいですか?」


 別の侯爵令嬢が聞く。


 リリスは箱を開ける。


 青い薔薇。


「まあ」


「素敵」


「深い青ですね」


「銀も綺麗」


 褒め言葉が続く。


 リリスの目が潤む。


 一拍。


「ありがとうございます」


「この形をもとに、銀を少し減らし、青い花弁を一枚増やす予定です」


「ご自分で?」


「はい。皆さまの感想を受け取りながら、私が選びました」


 言えた。


 周囲の令嬢たちが微笑む。


「とてもよいと思います」


「完成が楽しみですわ」


「深い青のドレスにも合いそうです」


 リリスは泣きそう。


 でも会話を続ける。


「皆さまの装飾品も、後ほど拝見してよろしいでしょうか」


「もちろんです」


 輪が広がる。


 俺は少し離れた席から見る。


 リリスが、自分で選んだものを自分の言葉で説明している。


 公爵令嬢として。


 でも、ただ家に決められたのではない。


 自分で。


 誇らしい。


 また泣きそうになる。


 俺が。


 ユリウスが隣から言う。


「顔が婚約者」


「どういう顔ですか」


「誇らしい顔」


「悪いですか」


「いや」


 ユリウスは少し真面目に笑った。


「良いと思うよ」


 俺は一拍置く。


「ありがとうございます」


「褒められた後も?」


「食事は続きます」


「はい」


 午後の魔法基礎。


 教師は、青い薔薇の髪飾り候補を見たらしい。


 教壇の上には、三つの小さな光が浮かんでいた。


 一つ目は大きく華やか。


 二つ目は小さく控えめ。


 三つ目は、その中間。


「本日は、選択の魔力です」


 もう何でも魔法になる。


 リリスは少し笑った。


「三つの光があります」


 教師が言う。


「大きい」


「小さい」


「中間」


「正解はありません」


「はい」


「自分が今、必要だと思うものを選びます」


 リリスは三つを見る。


「他者の意見を聞いてもよいですか?」


「よいです」


「でも最後は?」


「自分で」


「はい」


 教師が俺を見る。


「シェルザートさん、感想を」


 また俺。


 俺は三つの光を見る。


「大きい光は、教室全体が明るくなります」


「はい」


「小さい光は、近くの人へ落ち着きます」


「はい」


「中間は、その両方を少し持っています」


「どれを選びますか?」


「俺ではなく、リリスが」


「よろしい」


 教師が頷く。


 リリスは目を閉じる。


 そして、中間の光へ手を伸ばした。


「理由は?」


「遠くの方にも見えて」


「はい」


「でも、近くの方の顔も見失わないからです」


「よろしい」


 光が、リリスの手のひらへ移る。


 深い青。


 大きすぎない。


 小さすぎない。


 周囲を照らす。


「選んだ後、他の光を否定しますか?」


「いいえ」


「なぜ?」


「違う場面では、必要になるかもしれないからです」


「よろしい」


 選ばなかったものを、悪いものにしない。


 今日はこれ。


 自分に合う。


 ただそれだけ。


 教師が言った。


「選択とは、他の可能性を憎むことではありません」


「はい」


「今の自分へ一つを置くことです」


 リリスの表情が落ち着く。


 青い光が、手のひらに残る。


 放課後。


 レオナルド先輩は、いつもの場所で待っていた。


 今日は椅子を持っていない。


 立っている。


「リリス」


「お兄様」


「足は?」


 リリスが自分で説明する。


「痛みも違和感もありません。朝、修正靴を五分履きました。校内も通常に近い速度で歩けました」


「よい」


「靴は?」


「明日、十分。問題なければ明後日に階段を短く確認します」


「正しい」


 レオナルド先輩の視線が、ミラの箱へ移る。


「髪飾り」


「はい」


「決めたか」


「この形をもとに、銀を少し減らし、青い花弁を一枚増やします」


「大きさは?」


「このままです」


「一輪?」


「はい」


 レオナルド先輩は箱を開ける。


 青い薔薇を見る。


 真剣。


「まだ大きい」


「お兄様」


「少し」


「私は、この大きさにします」


 リリスが言った。


 はっきり。


 レオナルド先輩が顔を上げる。


 沈黙。


 兄と妹。


 リリスは目を逸らさない。


「理由は?」


 レオナルド先輩が聞く。


「夜会用として、普段より少し華やかさが必要です」


「はい」


「ですが、これ以上大きいと、私の顔より目立ちます」


「はい」


「小さくすると、上げた髪の中で見えにくくなります」


「はい」


「私は、この大きさが好きです」


 レオナルド先輩は、もう一度飾りを見る。


 そして。


「分かった」


 それだけ。


 リリスの目が潤む。


「反対しませんか?」


「意見は言った」


「はい」


「決めるのは君だ」


 兄も学んでいる。


「ありがとうございます」


「ただし、留め具は二重にしろ」


「はい」


「予備も」


「あります」


「ならよい」


 リリスが笑う。


 レオナルド先輩は俺を見る。


「アルフレッド」


「はい」


「君は何と言った」


「銀を少し減らし、青い花弁を増やした方が好きだと」


 レオナルド先輩の目が少し鋭くなる。


「好きだと?」


「感想を聞かれたので」


「お兄様」


 リリスがすぐに入る。


「私が聞きました」


「分かっている」


「アルは、私に決めさせてくださいました」


「分かっている」


「怒っていませんか?」


「怒っていない」


 顔は少し怖い。


 でも怒っていないらしい。


「よい感想だったと思う」


 意外な言葉。


 俺は少し驚く。


「ありがとうございます」


「ただし、本番で何度も髪飾りを褒めるな」


「なぜですか」


「リリスが泣く」


「それは確かに」


 リリスが頬を膨らませる。


「お兄様」


「事実だ」


「否定できません」


「一度で伝えろ」


「はい」


 レオナルド先輩は腕を組む。


「父上には、すでに髪飾りの候補を見せた」


「どうでした?」


 俺が聞く。


「箱を見て泣いた」


「まだ開ける前」


「ああ」


「開けたら?」


「立った」


「はい」


「母上が札を出した」


「何ですか?」


 リリスが聞く。


「『青い薔薇で過去へ走らない』」


「過去へ?」


「リリスが幼い頃、花を髪へ挿したことを思い出したらしい」


「私、覚えていません」


「三歳だ」


「それは覚えていません」


「父上は、昨日のことのように語った」


「泣きましたか?」


「かなり」


「他の札は?」


「『一輪で結婚式まで想像しない』」


「まだ夜会です!!」


 俺の声が大きくなる。


 リリスの顔が真っ赤になる。


「お父様……」


「父上は、未来を想像しただけだと言った」


「未来が遠すぎます」


「母上もそう言った」


「最後は?」


「『選ぶのはリリス』」


 リリスが静かになる。


「お父様は?」


「三つとも自分が選びたいと言った」


「お父様」


「だが、札を見て、君が選ぶまで黙った」


「本当に?」


「ああ」


「私が選んだと伝えたら?」


「座ったまま、よく選んだと言った」


 リリスの目から涙が落ちた。


「お父様も」


「ああ」


「選ばせてくださいました」


「母上に止められながらだが」


「それでも」


 リリスは箱を胸元へ抱える。


「帰ったら、お礼を言います」


「泣くぞ」


「私も泣きます」


「分かっている」


 正門。


 夕方。


 夜会まで七日。


 一週間前の一日が終わる。


 リリスの足は大丈夫だった。


 髪飾りも、自分で選べた。


 青い薔薇。


 銀を少し減らす。


 花弁を一枚増やす。


 大きさはそのまま。


 左側へ一輪。


「アル」


「はい」


「今日は、自分で選べました」


「はい」


「お母様のお考えも」


「はい」


「お兄様のご意見も」


「はい」


「アルのお好みも」


「はい」


「皆さまの言葉を聞きました」


「はい」


「でも、最後は私が選びました」


「はい」


 リリスの声には、小さな誇らしさがあった。


「今日の宝物名は」


「はい」


「皆さまの言葉を受け取りながら、自分の青い薔薇を選べた日の宝物です」


「良い名前です」


「あと」


「はい」


「アルが、青い花弁が多い方が好きだと言ってくださった日の宝物です」


「そこも入りますか」


「大切です」


「はい」


「でも、アルに合わせただけではありません」


「分かっています」


「本当に?」


「はい。リリス自身が、先に青が見える方が好きだと言いました」


 リリスの表情が柔らかくなる。


「覚えていてくださいます」


「聞いていましたから」


「強いです」


「普通です」


「私には強いです」


 目が潤む。


 俺はハンカチを渡す。


「リリス」


「はい」


「髪飾りが壊れても」


「はい」


「俺たちは変わりません」


 リリスの涙が一気に増えた。


「アル」


「今日、先生に聞かれました」


「はい」


「予備がなくても、別の髪飾りでも、夜会は続く」


「はい」


「だから、ブルーローズを怖がりすぎず、大切にしてください」


「はい」


「大切だけど、すべてではない」


「はい」


「リリス自身の方が大切です」


 言った瞬間。


 完全に決壊した。


 リリスはハンカチで顔を覆う。


 肩が揺れる。


 ミラが二枚目を用意。


「アル」


「はい」


「今のは、本日一番強いです」


「でも必要だと思ったので」


「はい」


「髪飾りより、私」


「はい」


「ドレスより」


「はい」


「夜会より?」


「はい」


「全部より?」


 一拍。


「全部とは比較できません」


 俺は正直に答えた。


 リリスがハンカチから顔を上げる。


「家族や友人まで全部より、と言うのは違うと思います」


「はい」


「でも、髪飾りやドレスよりは、確実にリリスです」


 リリスは泣きながら笑った。


「正直です」


「嘘は言いたくありません」


「嬉しいです」


「受け取ってください」


「はい」


 しばらく、言葉がなかった。


 夕方の風。


 校門。


 馬車の音。


 リリスの手の中に、青い薔薇の箱。


 未来のすべてではない。


 でも、今日自分で選んだ大切な一輪。


「また明日、アル」


「また明日、リリス」


 馬車が遠ざかる。


 俺は、最後まで見送る。


 青い薔薇は箱の中。


 まだ完成していない。


 でも、リリスが選んだ。


 それが嬉しかった。


 屋敷へ帰ると、父上と母上が待っていた。


「靴は?」


 母上が最初に聞く。


「痛み、違和感ともになし。廊下二往復、階段四段」


「よろしい」


「リリス様は?」


「痛みも違和感もなし。朝五分。学園内も通常に近い速度で歩きました」


「よかったわ」


 父上が言う。


「髪飾りは?」


「自分で選びました」


「どれだ」


「持ってきた候補をもとに、銀を少し減らし、青い花弁を一枚増やします」


「お前の意見は?」


「青い花弁が多い方が好きだと」


 母上が少し目を見開く。


 父上は笑う。


「言えたな」


「聞かれましたから」


「全部似合うで終わらせなかった」


「はい」


「決めなかった」


「はい」


「本人が選んだ」


「はい」


「よし」


 父上は満足そうに頷いた。


「ありがとうございます」


「礼を言われるほどではない」


「でも、朝の助言が役立ちました」


「なら受け取る」


 この家も、受け取りが自然になっている。


 母上が言う。


「アル」


「はい」


「リリス様が、あなたと違うものを選んでも大丈夫?」


 突然。


 俺は少し考える。


「寂しいことはあるかもしれません」


「はい」


「でも、大丈夫です」


「なぜ?」


「違うものを選んでも、俺を否定したわけではないからです」


 今日の先生の言葉。


 選ぶことは、他者を拒むことではない。


「よろしい」


 母上が微笑む。


「あなたも、自分で選ぶ時に覚えておきなさい」


「はい」


 夕食。


 今日は、父上が若い頃に初めて自分で選んだ剣帯の話をした。


 祖父は黒を勧めた。


 父上は茶を選んだ。


「怒られませんでしたか?」


「少し不満そうだった」


「はい」


「だが、最後は好きにしろと言われた」


「今も使っていますか?」


「修理しながらな」


「大切なんですね」


「ああ。自分で選んだから、というだけではない」


「では?」


「選んだ後も、使い続ける中で大切になった」


 選んだ瞬間に、すべての意味が決まるわけではない。


 使う。


 思い出が増える。


 傷がつく。


 直す。


 そうして大切になる。


 リリスのブルーローズも、本番で身につける。


 その後も、きっと思い出になる。


 夜会で泣いた。


 踊った。


 笑った。


 壊れずに帰った。


 あるいは、少し壊れて直した。


 そのすべてが。


 その夜。


 フルーラ家から、いつもの三通が届いた。


 一通目。


『リリスが髪飾りを選んだ。青い薔薇だ。私は箱を見て泣いた。開けて立った。三歳のリリスが庭の青い花を髪へ挿した日を思い出した。セレスティアに「青い薔薇で過去へ走らない」「一輪で結婚式まで想像しな

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