第57話 公爵令嬢様、別行動の練習で戻り版を握りしめます
皆さん、こんにちは!!
アルフレッド・シェルザートです。
昨日、俺とリリスは王族への挨拶練習をした。
王族用半歩。
親しさと礼の半歩。
敬意は低さではない。
共に学ぶ。
また新しい言葉がいくつも増えた。
もうこの作品は、半歩辞典でも作るべきなのではないかと思い始めている。
ただ、昨日の練習は本当に大切だった。
エドワード殿下は、俺たちに好意的だ。
半歩の研究にも関心を持ってくださっている。
発表後にも言葉をくださった。
けれど、王城の夜会では、茶会のようにゆっくり話すわけにはいかない。
周囲の視線がある。
王族と貴族子息令嬢という立場がある。
親しさだけで近づきすぎてはいけない。
しかし、遠ざかりすぎても、殿下の厚意を無視することになる。
その距離を学ぶのが、王族用半歩だった。
リリスは、練習の中で言った。
「シェルザート様と、共に学んでおります」
俺も言った。
「支えるというより、共に学んでいるという方が近いかもしれません」
あの言葉は、俺にとっても大きかった。
支えるだけではない。
支えられるだけでもない。
隣で、共に学ぶ。
それが、俺たちらしい形なのかもしれない。
……と、少し良い感じにまとまったところで、今日の課題である。
別行動。
そう。
夜会では、ずっと二人で一緒にいるわけにはいかない。
これが今日の問題だ。
婚約者として入場する。
挨拶をする。
踊る。
会話する。
そこまでは二人で練習してきた。
しかし、実際の夜会では、俺だけが父上や他家の男性陣に呼ばれることもある。
リリスだけが公爵令嬢として、上位貴族の令嬢方や夫人方に挨拶することもある。
殿下やオスカーに俺が声をかけられ、リリスがエレナ嬢たちと話す場面もあるだろう。
逆に、リリスがセレスティア夫人や王妃様に近い場へ呼ばれ、俺が少し離れた場所で待つこともあるかもしれない。
ずっと隣にいるのは、不自然だ。
だが、離れすぎるのも危険だ。
主に、リリスの涙腺が。
いや、俺も不安になると思う。
リリスが別の場所で棘のある言葉を受けたらどうする。
リリスが一人で泣きそうになったらどうする。
リリスが公爵令嬢として完璧に振る舞っていて、俺が逆に置いていかれた気持ちになったらどうする。
……最後は俺の問題だ。
朝。
屋敷の食堂で父上は、いつもより少し厳しい顔で言った。
「夜会では、別行動が必ずある」
「はい」
「婚約者だからといって、常に隣に張りついているのはよくない」
「分かっています」
「リリス嬢にはリリス嬢の社交がある。お前にはお前の社交がある」
「はい」
「お互いに戻る場所でありながら、相手を縛らないこと」
戻る場所。
縛らない。
父上の言葉は、今日も真っ直ぐ刺さる。
母上も静かに続けた。
「アル、離れることは悪いことではないわ」
「はい」
「でも、離れたままにしないこと。戻る合図を決めておくといいわね」
「戻る合図」
「ええ。視線でも、手の位置でも、立つ場所でも。夜会では大きな声で呼べないでしょう?」
「はい」
「だからこそ、事前に決めておくの」
なるほど。
王城用戻り版。
別行動用。
また増える。
でも必要だ。
ライズは鞄を整えながら、当然のように言った。
「若様、本日のハンカチは二十二枚でございます」
「増えるなあ」
「別行動練習日でございますので」
「でしょうね」
「想定される涙は、離れる想像涙、戻る合図決定涙、若様が『離れても戻ります』と仰った際の安心涙、アマリリス様が一人で挨拶できた達成涙、若様が別の相手と会話する想定での少々複雑涙でございます」
「最後、リリスが?」
「はい」
「俺が他の相手と話すだけで?」
「可能性はございます」
「でも夜会なら普通だぞ」
「理屈と感情は別でございます」
「それはそう」
ライズは静かに言った。
「若様ご自身も、アマリリス様が他の令息と会話する場面で心が揺れる可能性がございます」
「……あるかもしれない」
「本日の心の札は、『離れても戻る』でございます」
「離れても戻る」
「はい」
俺は頷いた。
今日は、離れる練習。
きっとリリスにとっても、俺にとっても難しい日になる。
正門前。
リリスはいつもの場所にいた。
今日も制服姿。
ブルーローズの髪飾り。
昨日の王族挨拶練習を越えたせいか、立ち姿には少し落ち着きがある。
だが、目元は不安げだった。
きっとフルーラ家でも、別行動の話をされたのだろう。
俺を見つけると、リリスはほっとしたように笑った。
歩いてくる。
走らない。
けれど、今日はいつもより半歩近い。
不安になると近づく。
分かりやすい。
「アル、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、リリス」
「今日も走りませんでした」
「はい。ただ、少し近いです」
「あっ」
リリスがすぐに止まる。
「すみません。今朝、お母様から別行動の話を聞いて」
「うちでも聞きました」
「やはり」
リリスの目が潤む。
「アル」
「はい」
「夜会では、ずっと隣にはいられないのですね」
「はい」
「分かっています」
「はい」
「公爵令嬢として、挨拶しなければならない方々がいます」
「はい」
「アルにも、アルのご挨拶があります」
「はい」
「でも」
リリスは胸元で指を握った。
「離れると思うと、少し怖いです」
「俺もです」
リリスが顔を上げる。
「アルも?」
「はい」
「一緒ですか?」
「はい」
リリスの目が一気に潤む。
「小声版です」
「朝一回目ですね」
俺はハンカチを渡した。
リリスは目元を押さえる。
「リリス」
「はい」
「離れても戻ります」
言った瞬間、リリスの涙が増えた。
「強いです」
「今日、必要な言葉です」
「はい」
「俺も、リリスが離れても戻ってくると分かれば安心します」
「戻ります」
リリスはすぐに言った。
「私も、アルのところへ戻ります」
「はい」
「戻り版です」
「夜会用戻り版ですね」
「はい」
ミラが後ろで静かに言った。
「本日二回目、発生。夜会用戻り版、記録いたしました」
「記録が早い」
「セレスティア様へ共有いたします」
「共有されるんですね」
もう何でも共有される。
教室へ向かう途中、ユリウスとエレナ嬢が合流した。
ユリウスは今日も察しが早かった。
「おはよう。今日は別行動練習だね」
「はい」
リリスが少し不安そうに答える。
「まあ、夜会では絶対あるからね。ずっと一緒にいたら、それはそれで目立つし」
「はい」
エレナ嬢が優しく言う。
「アマリリス様、別行動は離別ではありませんわ」
「離別」
「ええ。役目を果たして、また戻るための時間です」
「戻るための時間」
「はい」
リリスの目が潤む。
「エレナ様、それは強いです」
「でも、本当ですわ」
ユリウスが軽く言う。
「戻る場所を決めておくといいよ。例えば、広間の東側の柱の近く、とか。まあ本番の配置によるけど」
「戻る場所」
俺は頷いた。
「母上も、合図を決めるといいと言っていました」
「いいね。視線だけだと人が多いと難しいし」
エレナ嬢が続ける。
「扇やハンカチの持ち方でも、簡単な合図にできますわ」
「ハンカチ」
リリスが反応する。
「ハンカチの橋ですね」
「夜会用ハンカチの橋ですわね」
また増えた。
でも、これは良い。
「例えば、少し離れた場所から戻りたい時に、ハンカチを左手に持ち替えるとか」
エレナ嬢が提案する。
「あるいは、無理に戻らず大丈夫な時は、扇を閉じたまま持つなど」
「なるほど」
リリスは真剣に聞いていた。
「私、ハンカチなら自然に持てます」
「リリスの場合は必須ですからね」
俺が言うと、リリスは少し頬を膨らませた。
「アル」
「すみません。でも本当に」
「否定できません」
ユリウスが笑った。
教室に入ると、机は昨日とまた違う配置になっていた。
いくつかの小さな集まりを示すように、椅子が場所ごとに分かれている。
中央には広間に見立てた空間。
端には、控えの場所。
今日の練習内容は明らかだった。
別行動。
戻る場所。
相手が別の相手と会話している時の待ち方。
ニールが不安そうに言った。
「今日は別行動って聞きました」
「はい」
「僕、一人で話しかけられたら、たぶん固まります」
「バートン様、一拍です」
リリスが優しく言う。
「それから、戻る場所を決めておけば大丈夫です」
「戻る場所」
「はい。誰かが待っていると思うと、少し安心できます」
ニールは頷いた。
「確かに」
クラリス嬢も見学席から言った。
「アマリリス様、私も戻る場所があると安心します」
「クラリス様」
「今日は、見学しながら学ばせていただきますね」
「はい」
一時間目。
礼法。
ベイル先生は黒板にこう書いた。
『夜会における別行動と戻る礼』
戻る礼。
良い言葉だ。
「本日は、夜会中の別行動を練習します」
先生は淡々と話し始めた。
「婚約者であっても、夜会中ずっと隣にいるわけではありません。家同士の挨拶、同性同士の会話、王族や高位貴族からの声かけ、親族との確認。別々に動く場面は必ずあります」
リリスの表情が少し硬くなる。
「大切なのは、離れることを不安だけで捉えないことです」
先生は黒板に書く。
『離れる=戻るための役目』
エレナ嬢と同じ考えだ。
「相手を信じ、役目を果たし、戻る。これも礼です」
リリスが小さく頷く。
「ただし、戻る場所や合図を決めておくことは有効です」
先生は続けた。
「本日は、三つの練習をします。一つ目、婚約者と一度離れる。二つ目、それぞれ別の相手と短く会話する。三つ目、合図を確認して戻る」
実戦的だ。
かなり実戦的だ。
「シェルザートさん、アマリリスさん」
「はい」
やはり最初に呼ばれた。
俺とリリスは前へ出る。
中央に並ぶ。
「まず、二人で入場した後、シェルザートさんが男性側の挨拶へ呼ばれる想定です。アマリリスさんはエレナさんのいる令嬢方の輪へ」
「はい」
リリスの手が少し震える。
先生が言う。
「離れる前に、一拍。視線で確認」
俺はリリスを見る。
リリスも俺を見る。
一拍。
「戻ります」
俺が小さく言う。
「戻ります」
リリスも返す。
先生が頷く。
「よろしい。では、離れてください」
たった数歩。
なのに、妙に遠い。
俺はユリウスとニールのいる男性側の輪へ行く。
リリスはエレナ嬢とクラリス嬢のいる令嬢側の輪へ。
距離は教室の中。
本当に少し。
だが、リリスの視線が一瞬こちらへ来る。
俺も見そうになる。
「見すぎない」
先生の声。
「はい」
俺はユリウスへ向き直る。
ユリウスが男性側の貴族子息役で言った。
「シェルザート様、先ほどのご入場、落ち着いていらっしゃいましたね」
一拍。
「ありがとうございます。まだ学ぶことは多いですが、そう見えたのであれば幸いです」
「アマリリス様と離れても大丈夫ですか?」
ユリウス。
攻めてくるな。
俺は一拍置く。
「はい。アマリリス様にはアマリリス様のご挨拶がございます。私も、自分の役目を果たして戻るつもりです」
言えた。
戻るつもり。
少し強い。
視線を向けたい。
だが、今は会話中。
一方、リリスの方では、エレナ嬢が声をかけていた。
「アマリリス様、シェルザート様と離れるのはご不安では?」
リリスの声が聞こえる。
一拍。
「不安がないと言えば、嘘になります」
正直だ。
「ですが、シェルザート様にもご挨拶がありますし、私にも公爵令嬢としての役目があります。役目を果たして、また戻ります」
俺の胸が熱くなる。
リリス、言えた。
先生が頷いている。
「よろしい。では、合図」
合図。
リリスはハンカチを左手に持ち替えた。
戻りたい合図。
俺はそれを見る。
軽く頷く。
こちらも胸元の青いリボンに触れる仕草をする。
戻る確認。
先生が言う。
「戻ってください」
俺とリリスは、互いの輪から自然に離れ、中央へ戻る。
近づきすぎない。
遠すぎない。
隣に戻る。
リリスの目が潤んでいる。
「アマリリスさん」
「はい」
「泣く前に深呼吸」
「はい」
リリスは深呼吸した。
「今の一連はよろしい。離れる前に確認し、離れている間に役目を果たし、合図で戻れました」
「ありがとうございます」
俺も礼をする。
次は、逆。
リリスが夫人方の挨拶へ呼ばれ、俺が少し離れて待つ。
今度は俺が待つ側だ。
これが意外と難しかった。
リリスがエレナ嬢と先生の作った輪へ入る。
俺はニールと少し話しながら待つ。
リリスは公爵令嬢として美しく礼をしている。
声も落ち着いている。
完璧に見える。
その姿を見て、俺の胸に少し不思議な感情が生まれた。
誇らしい。
でも少し遠い。
リリスは、本当に公爵令嬢なのだ。
俺といる時は泣き虫で、距離感が近くて、小声版で忙しいリリス。
でも社交の場では、こんなにも美しく立てる。
その横に、俺は本当に立てるのか。
……まただ。
自分を下げそうになっている。
俺は心の札を思い出した。
離れても戻る。
隣で逃げない。
俺も自分の役目を果たす。
ニールが小声で言う。
「シェルザート君、大丈夫ですか?」
「あ、はい」
「少し遠い顔をしていました」
「……すみません」
ニールは真剣に言った。
「戻り版ですね」
まさかニールに言われるとは。
俺は思わず笑った。
「そうですね。戻り版です」
その時、リリスがハンカチを左手に持ち替えた。
戻りたい合図。
俺は胸元に触れて返す。
リリスが微笑む。
戻ってくる。
たったそれだけで、胸の奥が少し落ち着いた。
先生が言う。
「シェルザートさん、今、少し自分の中で離れすぎましたね」
「はい」
「戻れましたか?」
「はい」
「よろしい」
先生には全部見えている。
怖いくらいだ。
休み時間。
リリスは席に座るなり、ハンカチを握った。
「アル」
「はい」
「離れました」
「はい」
「戻れました」
「はい」
「でも、離れている間、少し怖かったです」
「俺もです」
「アルも?」
「はい。リリスが公爵令嬢として立っている姿を見て、少し遠く感じました」
リリスが目を見開いた。
「私が?」
「はい」
「遠かったですか?」
「少し。でも、戻りました」
リリスの目が潤む。
「アルも戻り版だったのですね」
「はい」
「一緒です」
「はい」
「小声版です」
「でしょうね」
俺はハンカチを渡す。
リリスは涙を拭いた。
「アル」
「はい」
「私は公爵令嬢ですが、アルの隣に戻ります」
強い。
不意打ち。
俺は一拍置いた。
「俺も、伯爵子息としての役目を果たして、リリスの隣に戻ります」
リリスは泣いた。
分かっていた。
ユリウスが遠くで「強いな」と呟いていた。
昼休み。
食堂では、別行動練習の話題になった。
ニールは、俺に戻り版を言えたことを少し誇らしそうにしていた。
「僕、シェルザート君に戻り版って言えました」
「助かりました」
「本当ですか?」
「はい。本当に」
ニールは嬉しそうだった。
リリスもにこにこしている。
「バートン様の半歩も育っていますね」
「ありがとうございます」
エレナ嬢は静かに言った。
「アマリリス様、別行動の練習、とても良かったですわ」
「ありがとうございます」
「戻る合図も自然でした」
「ハンカチが役に立ちました」
「ハンカチの橋、夜会版ですわね」
「はい」
ユリウスが言う。
「本番では、広間がもっと広いからね。合図は分かりやすく、でも目立ちすぎないのが大事」
「はい」
俺は頷いた。
「胸元の青に触れるのはどうでしょう」
「いいと思う。アルフレッドの礼装に青が入るなら自然だし」
リリスが反応する。
「アルの青が、戻る合図」
目が潤む。
「小声版です」
「今日も忙しいですね」
「はい。でも嬉しいです」
午後の魔法基礎では、別行動の余韻が魔力に出た。
教師が言う。
「アマリリスさん、今日は離れて戻る流れを魔力でやってみましょう」
「はい」
光を少し離す。
細い糸のように伸ばす。
そして戻す。
最初は不安定だった。
光が離れる時、リリスの眉が少し寄る。
戻す時、ほっとする。
教師が言った。
「離れることを怖がりすぎると、光が切れます。戻ることを信じると、細い線が残ります」
「細い線」
「はい。つながりは、常に近いことだけではありません」
リリスは静かに頷いた。
「離れても戻る」
「そうです」
光が少し離れ、また戻る。
今度は綺麗だった。
放課後。
レオナルド先輩が待っていた。
今日は少し心配そうだった。
「リリス」
「お兄様」
「別行動練習だったな」
「はい」
「戻れたか?」
「はい」
「怖かったか?」
「はい」
「よく戻った」
リリスの目が潤む。
「ありがとうございます」
レオナルド先輩は俺を見る。
「アルフレッド」
「はい」
「君も少し遠くなったそうだな」
「はい」
「戻ったか」
「はい」
「ならよい」
「ありがとうございます」
「夜会では、リリスが公爵令嬢として立つ場面も多い。そこで君が小さくなるな」
「はい」
「戻る場所は、互いに作るものだ」
「はい」
重い。
でもありがたい。
「父上には、別行動の話を伝えた」
「どうでした?」
「離れると聞いて立った」
「でしょうね」
「母上が札を出した」
「何ですか?」
「『別行動で走らない』」
「もう何でも走らない」
「必要だ」
「はい」
「戻る合図があると伝えた」
「はい」
「座った」
「おお」
「泣いた」
「いつも通り」
「新札が増えた」
「何ですか?」
「『戻るまで生きる』」
「また生存系!!」
リリスが顔を覆った。
「お父様……」
「父上にとっては重要だ」
レオナルド先輩は真顔だった。
正門で別れる時、リリスは朝より落ち着いていた。
怖さはまだある。
でも、戻る合図ができたことが大きいのだろう。
「アル」
「はい」
「今日は、離れる練習をしました」
「はい」
「怖かったです」
「はい」
「でも、戻れました」
「はい」
「ハンカチの合図も、できました」
「はい」
「アルの青が、戻る合図になりました」
「はい」
リリスは微笑んだ。
「今日の宝物名は」
「はい」
「離れても戻れると知った日の宝物です」
「良い名前です」
「あと」
「はい」
「アルの青が戻る合図になった日の宝物です」
「……大切にします」
リリスの目が潤む。
「強いです」
「でも本当に」
「はい」
俺はハンカチを渡した。
リリスは涙を拭き、笑った。
「また明日、アル」
「また明日、リリス」
馬車が遠ざかる。
俺は胸元に触れる仕草をしてみた。
まだ礼装は着ていない。
青の刺繍もない。
でも、そこに戻る合図があると思うだけで、不思議と落ち着いた。
その夜。
屋敷に帰ると、父上と母上が待っていた。
「別行動だったか」
「はい」
「どうだった?」
「難しかったです」
「戻れたか?」
「はい」
「ならよい」
母上が微笑む。
「戻る合図は決まった?」
「リリスはハンカチを左手に。俺は胸元の青に触れることに」
「良いわね」
「はい」
その後、フルーラ家から書状が届いた。
一通目、ガロウ公爵。
『リリスとアルフレッド殿が別行動の練習をしたと聞いた。泣いた。私が。離れると聞いて立った。セレスティアに「別行動で走らない」の札を出された。座った。泣いた。戻る合図があると聞いた。泣いた。「戻るまで生きる」の札が増えた。生きる。 ガロウ』
二通目、レオナルド先輩。
『別行動練習は必要だ。リリスは怖がりながらも戻れた。君も遠くなりかけたが戻れた。よい。戻る場所は互いに作るものだ。父上は「別行動で走らない」「戻るまで生きる」を導入。効果観察中。 レオナルド』
三通目、セレスティア夫人。
『アルフレッド様。本日は別行動の練習だったそうですね。夜会では、常に隣にいることだけが支えではありません。互いの役目を果たし、戻る合図を持ち、また並ぶこと。それも婚約者として大切な形です。リリスのハンカチと、あなたの胸元の青。良い合図だと思います。夫には「別行動で走らない」「戻るまで生きる」の札を出しました。座りました。泣きました。継続が大切です。 セレスティア』
俺は三通を読み、静かに天井を見上げた。
戻るまで生きる。
また生存目標が増えた。
だが、今日の練習を思い返すと、少し分かる気もする。
離れても戻る。
それは簡単そうで、とても大切なことだった。
父上は腹を抱えて笑った。
母上は青い刺繍の位置をまた少し調整していた。
リーマスは「戻る場所があるからこそ、人は役目へ向かえるのでございます」と頷いた。
ライズは静かに親指を立てた。
俺は深く息を吸い、今日も心の底から叫んだ。
公爵令嬢様!!
離れても、ちゃんと戻る練習ができました!!
でも、お父様は戻るまで生きてください!!




