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『公爵令嬢様、距離感が近すぎます! 〜伯爵子息は今日もツッコミが追いつかない〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第55話 公爵令嬢様、入場練習だけで夜会本番みたいに泣きます


 皆さん、こんにちは!!


 アルフレッド・シェルザートです。


 リリスの夜会用ドレスは、深い青が有力になった。


 昨日の色合わせの授業で、先生からも、エレナ嬢からも、レオナルド先輩からも、深い青が似合うと言われた。


 俺も言った。


「深い青が似合うと思います」


 言った瞬間、リリスは泣いた。


 分かっていた。


 分かっていたが、あれは言わなければならなかった。


 だって似合うと思ったのだ。


 淡い青も似合う。


 銀がかった青も似合う。


 だが、王城の夜会で、灯りの下に立つリリスを想像した時、俺の中では深い青が一番しっくりきた。


 ブルーローズのような落ち着き。


 公爵令嬢としての気品。


 金の髪と碧い瞳を引き立てる色。


 ……危ない。


 想像するとまた危ない。


 そして俺の礼装にも、青を入れることになった。


 濃紺を基調に、控えめな青の刺繍。


 胸元には白か銀を少し。


 リリスの深い青のドレスと並んだ時、不自然にならないように。


 目立ちすぎず、沈みすぎず。


 装いにも半歩。


 父上も母上も、先生も、同じようなことを言った。


 礼装にも半歩。


 立ち位置にも半歩。


 言葉にも半歩。


 怒りにも半歩。


 魂にも戻り版。


 最後だけおかしい。


 だが、フルーラ家では実際に必要らしい。


 ガロウ公爵は、深い青の布見本を見て立った。


 セレスティア夫人に、


『深い青で深く崩れない』


 の札を出され、座って泣いた。


 さらに俺の礼装に青が入ると聞き、


『婚約者だ』


 と思って泣いたらしい。


 いや、婚約者なのだが。


 泣きながら受け入れ中とのことだった。


 そんな翌日。


 今日の学園での礼法は、夜会当日の入場練習になるらしい。


 王城へ到着した後、どのように広間へ入り、どこで礼をし、誰に挨拶し、婚約者としてどう並ぶか。


 つまり、夜会の始まりの練習だ。


 ここまで来ると、もう本番が目の前にあるように感じる。


 朝。


 屋敷の食堂で、父上は俺の礼装案を見ながら頷いていた。


「濃紺を基調にするのは悪くない」


「はい」


「青の刺繍は控えめに。だが、見えなさすぎても意味がない」


「はい」


「胸元に白か銀を入れるなら、リリス嬢の深い青を引き立てる形にする」


「はい」


「逃げるなよ」


「礼装でですか?」


「そうだ」


 父上は真面目な顔だった。


「地味にして隠れようとするな。お前はリリス嬢の隣に立つ」


「……はい」


「リリス嬢だけを目立たせて、自分は影に入ればいいなどと思うな。それは支えではなく逃げだ」


 胸に刺さった。


 俺は、たぶん少し考えていた。


 リリスが綺麗に見えればそれでいい。


 俺は目立たない方がいい。


 伯爵家の子息だし、公爵令嬢の隣で出しゃばる必要はない。


 そう思う方が楽だった。


 けれど父上は、それを逃げだと言った。


 母上も静かに頷く。


「アル、隣に立つとは、相手を輝かせるだけではないわ」


「はい」


「あなたも、あなたの場所で立つこと」


「はい」


「リリス様は、あなたが隣で小さくなることを望まないと思うわ」


 それは、分かる。


 昨日リリスは言った。


 アルがご自分を下げると、私は悲しいです、と。


 私が選んだ方です、と。


 その言葉を、俺は受け取ったはずだ。


「分かりました」


 俺は頷いた。


「逃げない礼装にします」


 父上が満足そうに笑った。


「よし」


 ライズが鞄を整えながら言った。


「若様、本日のハンカチは二十枚でございます」


「ついに二十枚」


「入場練習日でございますので」


「入場だけで?」


「はい。想定される涙は、婚約者として並ぶ実感涙、若様が逃げない礼装を選ばれたことへの感動涙、王城広間を想像した緊張涙、入場練習で視線を受ける再現涙、若様が『隣に立ちます』と仰った際の決壊涙でございます」


「決壊、久しぶりに聞いたな」


「高確率でございます」


「隣に立ちます、は言いそうだ」


「はい」


「言わない方がいいか?」


「必要な場面では言うべきかと」


「泣くぞ」


「泣かれます」


「分かった」


 もう、泣くかどうかではない。


 必要な言葉かどうかだ。


 ライズはさらに言った。


「本日の心の札は、『隣で逃げない』でございます」


「隣で逃げない」


「はい」


 俺はそれを心に刻んだ。


 正門前。


 リリスはいつもの場所にいた。


 今日も制服姿。


 ブルーローズの髪飾り。


 だが、昨日とは少し違う。


 どこか、深い青をまとった後の自分を想像しているような、少し大人びた緊張がある。


 俺を見つけると、リリスは嬉しそうに笑い、すぐに顔を赤くした。


 歩いてくる。


 走らない。


 一、二、三の拍はない。


 今日は、礼法の入場を意識したような歩き方だった。


「アル、ご機嫌よう」


「ご機嫌よう、リリス」


「今日も走りませんでした」


「はい。今日は入場の歩き方でしたね」


「分かりましたか?」


「はい」


 リリスは少し恥ずかしそうに笑った。


「お母様に、王城へ入る日の歩き方は、朝の一歩から始まりますと言われました」


「セレスティア様らしいですね」


「はい」


「うちでは、礼装の話をしました」


「アルの礼装」


 リリスの目がすぐ潤む。


「濃紺を基調に、青の刺繍が入るかもしれません」


「……小声版です」


「まだ朝です」


「アルの礼装に青が入るのは強いです」


「はい」


「私のドレスと」


「はい」


「並ぶのですね」


「はい」


 リリスの涙が一粒落ちた。


 俺はハンカチを渡す。


「リリス」


「はい」


「俺、隣で小さくならないようにします」


 リリスが顔を上げた。


「アル?」


「父上に言われました。リリスを引き立てることと、自分が隠れることは違うと」


「……はい」


「俺は、リリスの隣に立ちます。逃げずに」


 リリスの涙が完全にこぼれた。


「アル」


「強かったですね」


「強いです」


「でも、言っておきたかった」


「はい」


 リリスはハンカチで目元を押さえた。


「嬉しいです」


「はい」


「私、アルが隣で小さくなってしまったら、悲しいです」


「はい」


「だから、今の言葉、とても嬉しいです」


「受け取ります」


「……受け取ってくださいました」


 また泣く。


 朝から危険すぎる。


 ミラが後ろで静かに言った。


「本日二回目、発生でございます」


「一回目は?」


「お嬢様が深い青の布見本と、若様の礼装に入る青の刺繍糸候補を並べてご覧になった時です」


「刺繍糸候補まで」


「はい」


 リリスが真っ赤になった。


「お母様が、参考にと」


「セレスティア様、準備が早すぎます」


「はい」


 教室へ向かう途中、ユリウスとエレナ嬢が合流した。


 ユリウスは俺を見るなり言った。


「今日は顔が礼装だね」


「どういう意味ですか」


「逃げないって決めた顔」


 鋭い。


 なぜ分かる。


 エレナ嬢が微笑んだ。


「アルフレッド様、礼装の方向性が決まったのですか?」


「濃紺に青の刺繍を控えめに入れる形になりそうです」


「素敵ですわ」


 リリスがすぐ潤む。


「エレナ様」


「アマリリス様の深い青と、きっとよく合います」


「……はい」


 ユリウスが笑う。


「アルフレッドは地味に逃げようとしない方がいいよ」


「父上にも言われました」


「だろうね。隣に立つなら、ちゃんと立たないと」


「はい」


 リリスが小さく言った。


「アルは、隣に立つと言ってくださいました」


「おお」


 ユリウスがにやっと笑う。


「それは泣くね」


「泣きました」


「だろうね」


 エレナ嬢は優しく言った。


「とても大切な言葉ですわ」


「はい」


 リリスはまたハンカチを握った。


「今日は、入場練習ですよね」


「おそらく」


 俺が答える。


「王城の広間に、アルと入る練習」


「はい」


「……小声版です」


「まだ廊下です」


「はい。耐えます」


 耐えた。


 偉い。


 教室に入ると、机の配置がいつもと少し違っていた。


 中央には道のような空間が作られている。


 前方には、王城の広間入口に見立てた場所。


 奥には、王族や高位貴族へ挨拶する位置に見立てた机。


 今日の礼法が入場練習であることは明らかだった。


 ニールが緊張していた。


「シェルザート君、今日は歩くんですよね」


「たぶん」


「歩くだけなのに緊張します」


「王城を想定すると、歩くだけでも緊張しますね」


 リリスが真剣に頷いた。


「歩くことも、礼です」


「はい」


 ニールはメモしそうな顔になった。


 クラリス嬢は見学席で微笑んでいる。


「アマリリス様、今日も応援しております」


「ありがとうございます」


「入場練習、きっと綺麗でしょうね」


「……小声版です」


「ごめんなさい」


「いえ、嬉しいです」


 一時間目。


 礼法。


 ベイル先生は黒板にこう書いた。


『夜会入場の礼』


 教室が静まる。


「本日は、夜会当日の入場から最初の挨拶までを確認します」


 先生の声はいつも以上に落ち着いていた。


「夜会は、広間へ入る前から始まっています。招待状を受け取った時から、馬車を降りる時、廊下を歩く時、扉の前で待つ時、すべてが礼です」


 リリスの背筋が伸びる。


 俺も。


「入場時に重要なのは、急がないこと。立ち止まりすぎないこと。視線を落としすぎないこと。隣の相手を忘れないこと」


 隣の相手。


 俺とリリスは、自然と互いを見た。


 先生は見逃さない。


「今のように確認するのは良いですが、王城では見つめすぎないように」


「はい」


 同時に答える。


 教室に小さな笑いが起きた。


 温かい笑いだ。


「では、婚約者として入場する練習を行います。シェルザートさん、アマリリスさん」


「はい」


 俺たちは前へ出た。


 先生が入口に見立てた位置を示す。


「まず、扉の前に立ちます。二人の距離」


 リリスが自然と少し寄った。


 先生が即座に言う。


「王城用半歩」


「はい」


 リリスが下がる。


 俺は下がりすぎた。


「シェルザートさん、戻り版」


「はい」


 俺が少し近づく。


「よろしい。扉が開いたら、まず一拍置く」


 一拍。


 ここでも一拍。


「すぐ歩き出さない。中の空気を受け取る。視線は正面、少し先。隣の相手は、視界の端で感じる」


 視界の端で感じる。


 難しい。


 だが、ダンスで学んだ戻る視線に似ている。


「では、歩きます」


 先生の合図で、俺たちは歩き出した。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 ダンスの拍とは違う。


 もっとゆっくり。


 広間へ入る想定の歩き方。


 リリスの姿勢は美しい。


 さすがだ。


 俺は隣で、それに合わせる。


 早すぎない。


 遅すぎない。


 小さくならない。


 逃げない。


 隣に立つ。


 中央で一度止まり、礼。


 リリスの礼は完璧。


 俺も丁寧に礼をする。


 先生が言う。


「よろしい。シェルザートさん、今の礼は少し控えめすぎます」


「はい」


「謙虚と遠慮しすぎは違います」


「はい」


 刺さる。


 先生にも見抜かれた。


「アマリリスさん、今の礼は良いです。ただ、シェルザートさんが控えめになった時、少し心配して視線が動きました」


「はい」


「王城では、相手を信じること」


「はい」


 昨日までのダンスと同じだ。


 支えすぎない。


 心配しすぎない。


 もう一度。


 扉前。


 一拍。


 歩く。


 中央で礼。


 今度は、俺も少しだけ堂々と礼をした。


 自分を大きく見せるのではない。


 ただ、逃げない。


 先生が頷く。


「今の方がよいです」


「ありがとうございます」


 リリスの目が潤む。


「アマリリスさん」


「はい」


「泣く前に深呼吸」


「はい」


 先生が完全に把握している。


 次に、最初の挨拶。


 王族や高位貴族に挨拶する想定だ。


 先生が王族役になる。


 俺とリリスは並んで進み、一定の距離で止まる。


「近づきすぎない。遠すぎない」


「はい」


「礼」


 俺たちは礼をする。


 先生が言う。


「シェルザートさん、あなたから先に名乗ります」


「はい」


 俺は一拍置いて言う。


「シェルザート伯爵家長男、アルフレッド・シェルザートでございます。本日はお招きいただき、誠に光栄に存じます」


 先生が頷く。


「アマリリスさん」


「フルーラ公爵家長女、アマリリス・フルーラでございます。本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」


 さすが。


 完璧だ。


 声の震えもない。


 先生が言う。


「よろしい。ただし、お二人が並んで名乗る時、シェルザートさんが少し先に出すぎました」


「俺が?」


「はい。緊張で前へ出ています」


「すみません」


「アマリリスさんは?」


「少し、後ろへ下がりすぎました」


「その通りです」


 二人ともずれていた。


 緊張の出方が逆。


 俺は前に出てしまい、リリスは遠慮して下がった。


 先生は言った。


「ここで必要なのは、立ち位置の半歩です」


 また出た。


「シェルザートさんは半歩控える。アマリリスさんは戻り版」


「はい」


 俺が少し下がり、リリスが少し前へ。


 隣に並ぶ。


 先生が頷く。


「よろしい」


 リリスと目が合う。


 リリスが少し笑った。


 俺も小さく頷く。


「見つめすぎない」


「はい」


 先生、厳しい。


 だがありがたい。


 授業では、その後も何度も入場練習をした。


 扉前で一拍。


 歩く。


 止まる。


 礼。


 名乗る。


 挨拶を受ける。


 横へ移動する。


 壁際に下がりすぎない。


 中央へ出すぎない。


 リリスは基本的に美しいが、俺と一緒だと少し揺れる。


 俺も、リリスと一緒だと、時々無意識に遠慮したり、逆に前へ出すぎたりする。


 それを先生が一つずつ直していく。


 休み時間には、二人ともかなり疲れていた。


「アル」


「はい」


「入場だけで、こんなに難しいのですね」


「はい」


「でも、アルが逃げない礼をしてくださいました」


「まだ少し控えめでした」


「でも、二回目は」


「はい」


「隣に立ってくださいました」


「……はい」


 リリスの目が潤む。


「小声版です」


「今日は何度目ですかね」


「数えるのはミラだけで十分です」


「そうですね」


 俺はハンカチを渡した。


 リリスは涙を拭いた。


 エレナ嬢が近づいてきた。


「お二人とも、とても良くなっていましたわ」


「ありがとうございます」


「最初は少しずれていましたが、最後は本当に並んで見えました」


「並んで」


 リリスが反応する。


「はい。婚約者として自然でしたわ」


「……エレナ様、強いです」


「本当ですもの」


 ユリウスも来た。


「アルフレッド、二回目からよくなったよ。最初、ちょっと小さくなろうとしてた」


「やっぱり分かりましたか」


「分かるよ。でも戻った」


「戻り版です」


「自分にも使えるね」


 確かに。


 俺も戻り版が必要だ。


 昼休み。


 食堂では、入場練習の話になった。


 ニールは相変わらず緊張していたが、扉前で一拍置くのが良かったらしい。


「一拍置くと、少し落ち着きます」


「分かります」


 俺が言うと、ニールは頷いた。


「シェルザート君とアマリリス様は、最後すごく自然でした」


 リリスの目が潤む。


「バートン様」


「本当です」


「ありがとうございます」


 クラリス嬢も言った。


「私も見学していて、王城の広間が少し想像できました」


「クラリス様」


「アマリリス様とシェルザート様が並んで入るところ、とても素敵だと思います」


 リリスは完全に小声版になった。


「今日は、皆さまの言葉が強いです」


「入場練習日だからですね」


 俺が言うと、リリスは頷いた。


 午後の魔法基礎では、入場の一拍が魔力にも応用された。


 教師が言う。


「扉の前で一拍置くように、魔力を出す前にも一拍置きましょう」


「はい」


 リリスは目を閉じる。


 一拍。


 光が静かに広がる。


 深い青を思わせる落ち着いた光。


 教師が頷いた。


「良いです。昨日より落ち着いた青ですね」


「ありがとうございます」


「自分の色と、立つ場所が少し結びついてきたのでしょう」


「立つ場所」


「はい」


 リリスは静かに頷いた。


 放課後。


 レオナルド先輩が待っていた。


 今日は、いつもより少しだけ穏やかだ。


「リリス」


「お兄様」


「入場練習だったな」


「はい」


「並べたか?」


「最初は少しずれました」


「最後は?」


「並べました」


「よくやった」


 リリスの目が潤む。


「ありがとうございます」


 レオナルド先輩は俺を見る。


「アルフレッド」


「はい」


「最初、小さくなろうとしたそうだな」


「……はい」


「最後は戻ったか」


「はい」


「ならよい」


「ありがとうございます」


「リリスの隣で逃げるな」


「はい」


 まっすぐな言葉だった。


 俺は受け取った。


「父上には、入場練習の話をした」


「どうでした?」


「扉前で一拍、という話で泣いた」


「そこで?」


「リリスが王城の扉前に立つ想像をしたらしい」


「なるほど」


「アルフレッドと並ぶと伝えた」


「はい」


「座った」


「おお」


「泣いた」


「やはり」


「新札が増えた」


「何ですか?」


「『扉で崩れない』」


「ついに扉でも」


「あと、『入場で走らない』」


「王城では走らないと被ってません?」


「念のためだ」


 念のため。


 必要なのだろう。


 正門で別れる時、リリスは少し疲れていた。


 でも、目は明るい。


「アル」


「はい」


「今日は、入場の練習をしました」


「はい」


「最初はずれました」


「はい」


「でも、最後は並べました」


「はい」


「アルが、戻ってくださいました」


「リリスも戻りました」


「はい」


 リリスは微笑む。


「今日の宝物名は」


「はい」


「王城の扉を想像して、アルと並ぶ練習をした日の宝物です」


「良い名前です」


「あと」


「はい」


「アルが隣で逃げないと決めてくださった日の宝物です」


「……俺にとっても大切な日です」


 リリスの涙が落ちた。


「強いです」


「でも本当に」


「はい」


 俺はハンカチを渡した。


 リリスは涙を拭き、笑った。


「また明日、アル」


「また明日、リリス」


 馬車が遠ざかる。


 俺は見送りながら、王城の扉を想像した。


 開く扉。


 一拍。


 隣にリリス。


 深い青のドレス。


 濃紺の礼装。


 青の刺繍。


 逃げない俺。


 泣きそうなリリス。


 いや、泣かせすぎないようにしないと。


 その夜。


 屋敷に帰ると、父上と母上が待っていた。


「入場練習は?」


「最初は少し逃げました」


「正直でよい」


「最後は戻りました」


「ならよい」


 母上が微笑む。


「隣で逃げない礼、少し分かった?」


「はい」


「本番まで覚えておきなさい」


「はい」


 その後、フルーラ家から書状が届いた。


 一通目、ガロウ公爵。


『リリスが王城の扉前に立つ練習をしたと聞いた。泣いた。私が。アルフレッド殿と並ぶと聞いた。座った。泣いた。走らなかった。セレスティアに「扉で崩れない」「入場で走らない」の札を出された。扉は強い。努力する。 ガロウ』


 二通目、レオナルド先輩。


『入場練習は重要だ。リリスは最後に並べた。君も最初は控えすぎたが戻れたようだな。よい。リリスの隣で逃げるな。父上は扉で泣いた。「扉で崩れない」「入場で走らない」を導入。効果観察中。 レオナルド』


 三通目、セレスティア夫人。


『アルフレッド様。本日は入場練習だったそうですね。夜会は扉の前の一拍から始まります。隣に立つ者として、目立ちすぎず、沈みすぎず、逃げずに並ぶこと。それが装いにも所作にも表れます。リリスも、あなたが隣に立つと仰ったことを大切に受け取っておりました。夫には「扉で崩れない」「入場で走らない」の札を出しました。座りました。泣きました。継続が大切です。 セレスティア』


 俺は三通を読み、静かに天井を見上げた。


 扉は強い。


 たしかに強い。


 王城の扉前に立つだけで、たぶん俺も緊張する。


 父上は腹を抱えて笑った。


 母上は俺の礼装案に青い刺繍の位置を書き込んでいる。


 リーマスは「扉の前の一拍こそ、心の礼でございます」と頷いた。


 ライズは静かに親指を立てた。


 俺は深く息を吸い、今日も心の底から叫んだ。


 公爵令嬢様!!


 王城の扉を想像して、ちゃんと隣に並ぶ練習ができました!!


 でも、お父様は扉だけで崩れないでください!!

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