第39話 公爵令嬢様、身内リハーサルで本番より泣きます
皆さん、こんにちは!!
アルフレッド・シェルザートです。
リリスの自由研究は、いよいよ発表本番に近づいてきた。
中心は、半歩。
小声版は、感情を静かに伝えるための合図。
ハンカチの橋は、支えられた経験を誰かを支えるためにつなげること。
そして具体例は、最初の半歩。
俺がリリスに言った、
「あと半歩だけ下がりましょう」
である。
……恥ずかしい。
何度思い出しても恥ずかしい。
だが、発表としてはかなり整ってきた。
昨日、先生や友人たちの意見を受けて、リリスの言葉はかなり聞きやすくなった。
個人的な出来事を、そのまま甘い思い出として語るのではなく、礼法として聞き手に届く形へ整える。
それができ始めている。
そして今日。
先生から言われた。
「アマリリスさん。発表本番前に、少人数で一度通してみるとよいでしょう」
少人数。
つまり、身内リハーサルである。
教室全体の前ではなく、気心の知れた相手の前で、最初から最後まで発表してみる。
止まらずに。
途中で泣きそうになっても。
最後まで。
……最後まで。
この言葉が出ると、どうしてもガロウ公爵の札を思い出す。
『最後まで聞く』
効果は未知数。
しかも発表本番では、ガロウ公爵の席順が後方かつ出口から遠い場所に調整される可能性が高いらしい。
もう発表会なのか護送計画なのか分からない。
ただ、今日の身内リハーサルにガロウ公爵はいない。
それだけで、かなり平和である。
朝。
屋敷の食堂で今日の予定を話すと、父上は楽しそうに笑った。
「身内リハーサルか。良いじゃないか」
「はい。リリスはかなり緊張すると思います」
「するだろうな」
「でも、いきなり本番よりはいいと思います」
「その通りだ」
父上は頷いた。
「発表は、一度通すとかなり変わる。頭の中では言えると思っていても、実際に声に出すと詰まるところが分かる」
「はい」
「リリス嬢の場合は、詰まるというより泣くところが分かるかもしれんが」
「否定できません」
母上がくすくす笑う。
「でも、それも大切よ」
「泣くところが分かることがですか?」
「ええ。どの言葉で自分の感情が動くのか分かれば、本番で備えられるでしょう?」
「確かに」
「小声版や半歩は、そういうためのものでもあるのではなくて?」
「そうですね」
母上の言葉は、また本質を突いてくる。
リリスがどこで泣きそうになるのか。
それを知る。
避けるのではなく、備える。
それは、彼女の研究そのものだ。
ライズは鞄を整えながら、いつものように言った。
「若様、本日のハンカチは十枚でございます」
「増えたな!」
「身内リハーサルでございますので」
「本番より泣く想定か?」
「はい」
「即答」
「身内の前では安心から涙が増えます」
「それはありそう」
「想定される涙は、発表前緊張涙、アルフレッド様を前にした最初の半歩説明涙、エレナ様からの温かな講評涙、クラリス様とのハンカチの橋再確認涙、ユリウス様の軽い茶化しによる照れ涙、ニール様の純粋な感想による感動涙でございます」
「全部ありそう」
「さらに、発表を最後まで通せた後の達成涙」
「それが一番大きそうだな」
「はい。最大警戒です」
最大警戒。
発表リハーサルなのに、涙警戒度が高い。
だが、間違っていない。
「若様」
「何だ」
「本日は、途中で止めすぎないことも大切です」
「止めすぎない?」
「アマリリス様が泣きそうになるたびに助けすぎると、最後まで通す練習になりません」
「……なるほど」
「ただし、完全に放置すると崩れます」
「難しい」
「半歩でございます」
「本当に全部それだな」
ライズは静かに一礼した。
「若様ならできます」
「その一言も、最近わりと強いな」
「若様にも効きますか?」
「少し」
「では成功でございます」
俺は思わず笑った。
ライズも少しだけ口元を緩めた気がした。
学園へ向かう馬車の中、俺は今日のリハーサルのメンバーを考えていた。
俺。
リリス。
エレナ嬢。
ユリウス。
ニール。
クラリス嬢。
場所は、図書棟近くの談話室。
以前、クラリス嬢とお茶をした場所に近い。
人目はあるが、騒がしくない。
発表を通すにはちょうどいい。
先生も、少しだけ様子を見に来るかもしれない。
リリスにとっては、安心できる相手ばかりだ。
だからこそ、泣く可能性も高い。
安心涙。
ライズの言葉が頭に残る。
正門前。
リリスはいつもの場所にいた。
今日も制服姿。
ブルーローズの髪飾り。
ただ、今日の彼女は明らかに緊張していた。
背筋は伸びている。
姿勢は完璧。
だが、目がすでに潤んでいる。
まだ何も始まっていない。
俺を見つけると、リリスはほっとしたように笑い、ゆっくり歩いてきた。
「アル、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、リリス」
「今日も走りませんでした」
「はい。今日はかなり慎重でした」
「リハーサルのことを考えていたら、一歩ずつ確認したくなって」
「緊張していますか?」
「はい」
即答。
リリスは胸元で指を握る。
「教室での発表練習より、今日の方が緊張しています」
「どうしてですか?」
「皆さまが、私のために聞いてくださるからです」
リリスらしい理由だ。
「応援してくださる方の前だからこそ、ちゃんと話したいと思ってしまって」
「はい」
「それで、余計に泣きそうです」
「小声版ですか?」
「はい。朝一回目です」
「深呼吸しましょう」
「はい」
リリスは目を閉じ、深呼吸した。
一度。
二度。
涙は落ちなかった。
「戻りました」
「はい」
「アル」
「はい」
「もし今日、途中で泣きそうになっても、最後まで通したいです」
「分かりました」
「でも、完全に放っておかれると、たぶん崩れます」
「分かります」
「なので」
「半歩ですね」
リリスは目を丸くして、それから笑った。
「はい。半歩です」
「今日は、助けすぎず、離れすぎずにします」
「ありがとうございます」
「ただ、必要な時はハンカチを出します」
「はい」
リリスの目がまた潤む。
「すでに安心です」
「早いですね」
「はい」
ミラが後ろで静かに言った。
「本日一回目、未遂。二回目、接近中でございます」
「ミラ、実況しないでください」
「記録の精度向上です」
「精度」
もうフルーラ家の記録は論文にできるのではないか。
教室へ向かう途中、ユリウスとエレナ嬢が合流した。
ユリウスはリリスの顔を見るなり、すぐに言った。
「今日はもう泣きそうだね」
「はい」
リリスが素直に答える。
「でも、最後まで通したいです」
「いいね」
ユリウスは珍しく茶化さず、軽く頷いた。
「途中で詰まっても、僕たちは待つよ」
「ありがとうございます」
「ただ、僕が笑ったらごめん」
「ユリウス様」
「いや、最初の半歩のところで二人が照れたら、たぶん無理」
「今から予告しないでください」
俺が言うと、ユリウスは肩を竦める。
「正直でしょ?」
「正直すぎます」
エレナ嬢は穏やかに微笑んだ。
「アマリリス様、今日は発表を成功させるためではなく、どこで呼吸を入れるかを知るための日ですわ」
「呼吸を入れる場所」
「はい。緊張するところ、嬉しくなるところ、泣きそうになるところ。それが分かれば、本番で落ち着けます」
「……はい」
「ですから、泣きそうになることも、今日の学びです」
リリスの目が潤む。
「エレナ様、優しいです」
「本当のことですわ」
「小声版です」
「深呼吸ですわ」
「はい」
リリスは深呼吸した。
朝から何度も戻っている。
今日の練習はすでに始まっているようなものだった。
教室に入ると、ニールが緊張したように近づいてきた。
「アマリリス様、今日、放課後にリハーサルですよね」
「はい」
「僕も聞いていいと言われたんですが、本当にいいんでしょうか」
「もちろんです」
リリスはすぐに答えた。
「バートン様の感想、とても参考になります」
「そ、そうですか」
「はい。昨日の友人との距離の話も、とても良かったので」
ニールの顔が赤くなる。
「ありがとうございます」
今度はニールが照れる。
リリスは嬉しそうだ。
クラリス嬢も来た。
「アマリリス様、私も本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「ハンカチは多めに持ってきました」
「クラリス様」
リリスの目が潤む。
俺は即座に言った。
「クラリス嬢、その言葉は強いです」
「あっ、申し訳ありません」
「いえ、とても嬉しいです」
リリスは深呼吸した。
「今日は、ハンカチの橋も準備万端です」
クラリス嬢が柔らかく笑った。
一時間目は礼法だった。
ベイル先生は黒板にこう書いた。
『本番前の練習における礼』
今日も完全に俺たち向けである。
だが、もはや教室全体が当然のように受け入れている。
「発表や茶会、面談の前に、身近な相手の前で練習することはとても有効です」
先生は淡々と話し始めた。
「ただし、聞く側にも礼があります」
聞く側。
俺たちのことだ。
「練習中に何度も口を挟みすぎないこと。相手が言葉に詰まった時、すぐに答えを与えないこと。最後まで聞いてから、良かった点と一つの改善点を伝えること」
最後まで聞く。
またガロウ公爵の札を思い出してしまう。
俺は笑いを堪えた。
リリスも少し唇を震わせている。
たぶん同じことを考えている。
先生は続ける。
「特に、感情を扱う発表では、話し手自身が揺れることがあります。その時、聞き手が慌てすぎると、話し手も慌てます」
刺さる。
かなり刺さる。
「静かに待つ。必要なら水やハンカチを差し出す。けれど、発表そのものを奪わない。それが大切です」
ライズと同じことを言っている。
今日の俺に必要な授業だ。
授業では、簡単な聞き手練習も行った。
一人が短く話し、聞き手が良かった点と改善点を一つずつ伝える。
俺はニールの発表を聞いた。
内容は算術と商取引。
俺は言った。
「価格が変わる理由の説明が分かりやすかったです。改善点としては、最初に何を調べているのかをもう少し短く言うと、聞きやすいと思います」
ニールは嬉しそうに頷いた。
「ありがとうございます。参考になります」
逆に、俺も発表して、ニールから感想をもらった。
「領地の話は分かりやすかったです。でも、商人側の視点をもう少し入れると、もっと伝わりそうです」
「ありがとうございます」
良い。
こういうやり取りができると、発表は確かに磨かれる。
リリスはエレナ嬢と練習していた。
エレナ嬢が短く手紙の季節表現について話し、リリスが感想を言う。
「季節の言葉が、ただ美しいだけでなく、相手への気遣いになっていることが分かりやすかったです」
リリスは少し考え、続けた。
「改善点は……ええと」
悩む。
エレナ嬢は静かに待つ。
「最初に、季節表現とは何かを一文で説明していただけると、さらに分かりやすいと思いました」
「ありがとうございます。とても良い意見ですわ」
リリスの目が潤む。
「受け取ります」
泣かない。
よし。
先生が頷いていた。
「皆さん、よく聞けています。今日の放課後に練習する者は、今の姿勢を忘れないように」
やはり把握済み。
もう驚かない。
二時間目は自由研究準備。
リリスは発表文をもう一度整えていた。
今日のリハーサル用に、少し短く書き直している。
俺も自分の研究を進めながら、時々リリスの横顔を見る。
真剣だ。
頬は少し赤い。
だが、目は前を向いている。
昨日よりも、発表することへの覚悟がある。
先生がリリスのノートを確認し、言った。
「アマリリスさん、今日のリハーサルでは、泣かないことを目標にしないでください」
「泣かないことを、目標にしない」
「はい。最後まで通すことを目標にしましょう」
「はい」
「途中で泣きそうになったら、小声版。必要なら一拍。ですが、できるだけ話の流れへ戻る練習をしましょう」
「分かりました」
「あなたならできます」
リリスの目が潤む。
「……先生」
「これは強かったですか?」
「強いです」
「では、深呼吸です」
「はい」
リリスは深呼吸した。
俺はその様子を見て思う。
先生も、もう完全にリリスの扱いを心得ている。
ありがたい。
休み時間。
リリスの周りに、今日の聞き手たちが自然と集まった。
ユリウス、エレナ嬢、ニール、クラリス嬢、俺。
小さな作戦会議だ。
「今日のリハーサル、発表の途中では止めない方がいいですよね」
ニールが言う。
「はい。最後まで聞いてから感想を言いましょう」
エレナ嬢が答える。
「でも、アマリリス様が完全に止まったら?」
クラリス嬢が不安そうに聞く。
ユリウスが言う。
「その時は、アルフレッドが頷く」
「俺ですか」
「一番効くでしょ」
全員が頷いた。
なぜ全員。
リリスまで頷いている。
「アルが頷いてくださると、戻れます」
「分かりました」
「ただし」
リリスは真剣に言う。
「強すぎる言葉は、最後まで終わってからでお願いします」
「了解しました」
全員が笑った。
本人から強すぎる言葉禁止が出た。
これは重要だ。
昼休み。
食堂では、リリスは思ったよりしっかり食べていた。
緊張しているが、朝より落ち着いている。
「リリス、今日は食べられていますね」
「はい。お母様に、話す日は食べなさいと言われました」
「セレスティア様は本当に正しい」
「お父様は、私が発表リハーサルをすると聞いて泣いたそうです」
「でしょうね」
「札が増えたそうです」
「またですか」
「『最後まで聞く』に加えて、『途中で立たない』」
「具体的」
ユリウスが笑う。
「もう完全に観客マナーだね」
「父上……いや、ガロウ公爵には必要そうです」
俺が言うと、リリスは少し恥ずかしそうに頷いた。
「お母様が、発表本番ではお父様用の札係を置くかもしれないと」
「札係!?」
「はい」
「誰が?」
「お兄様です」
「レオナルド先輩……」
兄が札を出す姿を想像してしまった。
『座る』
『深呼吸』
『途中で立たない』
それを無表情で父に掲げるレオナルド先輩。
駄目だ。
笑う。
リリスも笑っている。
緊張がまた少し和らいだ。
午後の授業は、いつもより長く感じた。
放課後にリハーサルがあると思うと、時間がゆっくり進む。
リリスも同じようで、何度かノートを見ては、深呼吸していた。
魔法基礎では、少し光が揺れた。
だが、すぐに戻る。
教師が言う。
「アマリリスさん、今日は発表前の揺れですね」
「はい」
「戻せています。問題ありません」
「ありがとうございます」
「本番前に揺れを知るのは良いことです」
「はい」
リリスは受け取った。
泣かなかった。
そして放課後。
いよいよ、身内リハーサルの時間になった。
場所は図書棟近くの談話室。
窓から夕方の光が入り、木のテーブルが柔らかく照らされている。
前にクラリス嬢とお茶をした時より、少し机を整えた。
リリスが立つ場所を一つ作り、その前に椅子を並べる。
聞き手は五人。
俺、エレナ嬢、ユリウス、ニール、クラリス嬢。
少し離れた場所にミラが控えている。
先生は最初だけ様子を見に来て、
「最後まで聞くこと」
と言って去った。
ガロウ公爵の札みたいだ。
いや、先生は真面目だ。
リリスは前に立った。
手には小さなメモ。
だが、読み上げるのではなく、確認用だ。
リリスは俺を見る。
俺は小さく頷く。
エレナ嬢も微笑む。
ユリウスは軽く手を振る。
ニールは真剣。
クラリス嬢はハンカチを準備済み。
リリスは息を吸った。
そして始めた。
「私の研究は、礼法における感情表現と周囲の配慮についてです」
声は少し震えている。
だが、はっきり聞こえる。
「私は、感情が動きやすく、人前で泣きそうになることがあります」
一拍。
リリスの目が少し潤む。
だが、続ける。
「以前は、それをただ恥ずかしいことだと思っていました。ですが、学園で過ごす中で、感情を隠すだけではなく、どう整え、周囲とどう支え合うかを考えるようになりました」
良い。
ちゃんと話せている。
「その中心となる考えが、半歩です」
リリスは少し視線を落とし、また上げる。
「感情が強くなると、相手との距離が近くなりすぎることがあります。そんな時、『あと半歩だけ下がりましょう』と言ってもらったことで、私は拒絶ではなく、戻る場所を示してもらえたのだと感じました」
ここで少し止まった。
目が潤む。
俺を見る。
俺は頷く。
リリスは深呼吸した。
続けた。
「そこから、感情や距離を否定せず、相手と自分がどちらも息をできる場所を探すことを、半歩と考えるようになりました」
言えた。
大丈夫だ。
「半歩は、近すぎる時に下がるだけではありません。遠すぎる時には、半歩近づくこともあります」
王子殿下との茶会で出た考え。
リリスの声が少し強くなる。
「大切なのは、自分だけが楽になることでも、相手だけに合わせることでもなく、互いに息ができる場所を探すことです」
エレナ嬢が小さく頷いた。
ニールも真剣に聞いている。
「小声版は、自分の感情が大きく動いていることを、周囲へ静かに伝える合図です。突然泣いて周囲を驚かせるのではなく、今、自分は揺れているのだと伝えることで、自分も周囲も落ち着くことができます」
リリスは少しだけ笑った。
「まだ、うまくできない時もあります」
ここでユリウスが少し笑いそうになったが、堪えた。
偉い。
「ハンカチの橋は、支えられた経験を、誰かを支えるためにつなげることです」
クラリス嬢の目が潤む。
リリスも気づきそうになるが、前を向いたまま続ける。
「私は、たくさんの方にハンカチを差し出していただきました。その経験があったからこそ、泣きそうな方に気づいた時、自分も差し出すことができました」
一拍。
「支えられた経験は、誰かを支えるための橋になるのだと思います」
良い。
とても良い。
「私はまだ、感情を整えることが上手ではありません。ですが、半歩ずつ、自分と周囲が落ち着いて向き合える方法を学んでいきたいと思っています」
最後。
リリスの声が少し震えた。
「そして、いつか、私が受け取った優しさを、誰かへ返せるようになりたいです」
終わった。
リリスは一礼した。
談話室は静かだった。
誰もすぐに拍手しなかった。
それは、失敗したからではない。
全員が、受け取っていたからだ。
最初に拍手したのは、エレナ嬢だった。
次に俺。
ユリウス。
ニール。
クラリス嬢。
小さな談話室に、温かい拍手が広がる。
リリスは顔を上げた。
目が潤んでいる。
でも、笑っている。
「……最後まで、言えました」
小さな声だった。
俺は立ち上がりたくなった。
すぐに褒めたくなった。
だが、今日は最後まで聞く。
そして感想は順番に。
俺は一拍置いた。
「リリス」
「はい」
「最後まで聞いてから、感想を言います」
リリスの目がさらに潤む。
「それだけで泣きそうです」
「まだです」
「はい」
皆が少し笑った。
まずエレナ嬢が言った。
「アマリリス様、とてもよく届きました。特に、互いに息ができる場所を探す、という言葉が印象的でした」
「ありがとうございます」
「改善点を一つだけ言うなら、最後の『優しさを返せるようになりたい』の前に、少し間を置くと、もっと届くと思いますわ」
「間」
「はい。大切な言葉ですから」
リリスは真剣に頷く。
「ありがとうございます」
次にユリウス。
「全体の流れはかなりいい。半歩が中心だって分かりやすかった」
「ありがとうございます」
「改善点は、小声版の説明が少し長いかな。半歩を中心にするなら、小声版はもう一文短くてもいい」
「分かりました」
ニールが続く。
「僕は、友人との距離にも使えると思いました。だから、聞く人が自分のこととして考えやすい発表だと思います」
「ありがとうございます」
「改善点は……えっと、最初に『半歩』という言葉が出る前に、少しだけ『距離』という言葉を入れると分かりやすいかもしれません」
「なるほど」
クラリス嬢は涙を拭きながら言った。
「ハンカチの橋のところ、とても嬉しかったです」
「クラリス様」
「でも、泣きそうになったので、聞き手もハンカチが必要かもしれません」
「それは改善点ですか?」
ユリウスが笑う。
クラリス嬢も笑った。
「いえ、感想です」
リリスも笑う。
そして俺の番。
リリスが俺を見る。
少し緊張している。
俺は言葉を選んだ。
「最後まで話せていました」
まず一言。
リリスの目が揺れる。
「最初の半歩のところも、照れはありましたが、ちゃんと言葉になっていました」
「……はい」
「特に、戻る場所という言葉から、相手と自分がどちらも息をできる場所へつながる流れが、とても良かったです」
リリスの涙が落ちた。
でも、まだ聞いている。
「改善点を一つだけ言うなら」
「はい」
「最後の言葉の前に、エレナ嬢が言ったように、一拍置くといいと思います」
「はい」
「それと」
「一つだけでは?」
ユリウスがすかさず言う。
「あ、そうでした」
危ない。
俺は笑った。
「続きは、褒め言葉なので後で」
「アル」
リリスの涙が増えた。
「それは、今言わなくても強いです」
「すみません」
談話室に笑いが起きた。
リリスはハンカチで涙を拭いた。
そして、深呼吸する。
「皆さま、本当にありがとうございます」
声は震えていた。
「最後まで聞いていただけて、嬉しかったです」
クラリス嬢がまた泣きそうになる。
ハンカチの橋が危険だ。
エレナ嬢が水を差し出す。
ユリウスが軽く言う。
「本番、かなりいけると思うよ」
「本当ですか?」
「うん。ただし、最後で泣く可能性は高い」
「はい」
「でも、それも込みでアマリリス様の発表だと思う」
リリスは目を丸くした。
「泣いても?」
「うん。止まらなければ」
「止まらなければ」
「今日みたいに、深呼吸して戻れれば大丈夫」
リリスは深く頷いた。
「はい」
その後、俺たちは具体的な修正を行った。
小声版の説明を一文短くする。
最後の言葉の前に一拍置く。
冒頭で「距離」という言葉を入れる。
ハンカチの橋は、長くなりすぎない。
最初の半歩のところでは、恥ずかしくても早口にならない。
リリスは一つずつメモを取った。
その姿は、本当に真剣だった。
談話室の窓の外は、夕方の色になっていた。
光が少し橙色に変わり、テーブルの上のメモを柔らかく照らす。
リリスは最後にもう一度、修正版の最後だけを読んだ。
「私はまだ、感情を整えることが上手ではありません。ですが、半歩ずつ、自分と周囲が落ち着いて向き合える方法を学んでいきたいと思っています」
一拍。
リリスは息を吸う。
「そして、いつか、私が受け取った優しさを、誰かへ返せるようになりたいです」
静かだった。
今度は、間があった。
言葉が、ちゃんと置かれた。
エレナ嬢が小さく頷く。
「とても良いですわ」
リリスの目が潤む。
「ありがとうございます」
俺も頷いた。
「本番でも、その間でいいと思います」
「はい」
「リリスの言葉が、ちゃんと届く間です」
言ってしまった。
強い言葉。
リリスは泣いた。
今日一番泣いた。
「アル……」
「すみません。最後なので」
「嬉しいです」
俺はハンカチを渡した。
リリスは涙を拭きながら、笑った。
リハーサルは、無事に終わった。
終わった後、談話室を出ると、廊下にレオナルド先輩がいた。
当然のように。
「お兄様」
「終わったか」
「はい」
「最後まで言えたか?」
「はい」
リリスの声には少し誇らしさがあった。
レオナルド先輩の表情が柔らかくなる。
「よくやった」
リリスの目が潤む。
「お兄様、それは」
「今日は泣いていい」
「はい」
兄は即許可。
俺はもう驚かない。
レオナルド先輩は俺を見る。
「アルフレッド」
「はい」
「支えすぎなかったか?」
「たぶん」
「ならよい」
「先生にも、最後まで聞くよう言われました」
「父上にも聞かせたい言葉だ」
「札ですね」
「増えた」
「またですか」
「『最後まで聞く』『途中で立たない』に加え、『拍手は最後』だ」
「拍手は最後」
「途中で拍手して立つ可能性がある」
「ありそうで怖い」
リリスが笑った。
身内リハーサル後の緊張が、また少しほどける。
正門で別れる時、リリスは疲れていた。
だが、今日の疲れは良い疲れだった。
「アル」
「はい」
「最後まで、言えました」
「はい」
「途中で泣きそうになりました」
「はい」
「でも、戻れました」
「はい」
「皆さまが、最後まで聞いてくださいました」
「はい」
「今日の宝物名は」
「はい」
「身内リハーサルで最後まで言えた日の宝物です」
「良い名前です」
「あと」
「はい」
「皆さまの拍手と助言が橋になった日の宝物です」
「とても良いです」
リリスは微笑んだ。
「アル」
「はい」
「本番、少し怖いです」
「はい」
「でも、今日より少しだけ、楽しみになりました」
「それは大きな半歩ですね」
「はい」
リリスは涙を一粒だけ落とした。
でも、すぐに笑った。
「また明日、アル」
「また明日、リリス」
馬車が遠ざかる。
俺はそれを見送りながら、深く息を吐いた。
身内リハーサルは成功だった。
完璧ではない。
泣いた。
詰まった。
照れた。
でも最後まで言えた。
それで十分だ。
その夜。
屋敷に帰ると、父上が待っていた。
「どうだった?」
「最後まで言えました」
「よし」
「泣きました」
「だろうな」
「でも、戻れました」
「なら大成功だ」
母上も微笑む。
「リリス様、本当に頑張っているわね」
「はい」
その後、フルーラ家から書状が届いた。
一通目、ガロウ公爵。
『娘が身内リハーサルで最後まで発表できたと聞いた。泣いた。私が。途中で泣きそうになっても戻れたらしい。さらに泣いた。札に「拍手は最後」が追加された。私は最後に拍手する父でありたい。たぶん途中で拍手したくなる。 ガロウ』
二通目、レオナルド先輩。
『リリスは最後まで言えた。よくやった。君も支えすぎずに聞けたようだな。本番が見えてきた。父上には「拍手は最後」を追加したが、本人が不安を申告している。母上と対策中。 レオナルド』
三通目、セレスティア夫人。
『アルフレッド様。本日、リリスが身内リハーサルで最後まで発表できたと聞きました。途中で揺れても戻れること。それこそ、あの子が学んできた半歩なのだと思います。聞き手の皆さまにも感謝を。夫には「拍手は最後」の札を追加しましたが、本人も途中拍手の危険を自覚しております。継続が大切です。 セレスティア』
俺は三通を読み、静かに天井を見上げた。
途中拍手の危険を自覚。
ガロウ公爵、そこは自覚できるのか。
父上は腹を抱えて笑った。
リーマスは「拍手を待つ愛もまた試練でございます」と頷いた。
ライズは静かに親指を立てた。
俺は深く息を吸い、今日も心の底から叫んだ。
公爵令嬢様!!
身内リハーサル、最後までよく言えました!!
でも、お父様は拍手を最後まで待てるか怪しいです!!




