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『公爵令嬢様、距離感が近すぎます! 〜伯爵子息は今日もツッコミが追いつかない〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第37話 公爵令嬢様、褒められた反省会でまた泣きます



 皆さん、こんにちは!!


 アルフレッド・シェルザートです。


 昨日、リリスは自由研究の発表練習をした。


 題名は、礼法における感情表現と周囲の配慮。


 内容は、小声版、半歩、ハンカチの橋。


 最初は少し声が震えていた。


 途中で目も潤んだ。


 それでもリリスは、自分の言葉で話した。


 私は、感情が動きやすく、人前で泣きそうになることがあります。


 以前は、それをただ恥ずかしいことだと思っていました。


 ですが、学園で過ごす中で、感情を隠すだけではなく、どう整え、周囲とどう支え合うかを考えるようになりました。


 その言葉は、ちゃんと教室に届いていた。


 ニールが拍手し、クラリス嬢が続き、エレナ嬢、ユリウス、そしてクラス全体へ拍手が広がった。


 リリスは泣いた。


 嬉しい涙だった。


 先生にも褒められた。


 そして俺は、つい言ってしまった。


「リリスの言葉で話せていました」


 結果、リリスは完全に泣いた。


 分かっていた。


 分かっていたが、あれは言わないといけない言葉だった。


 ライズにも言われていた。


 必要な場面がある、と。


 昨日はその必要な場面だったのだと思う。


 ただし、今日の朝になって、俺は少し反省している。


 強い言葉は効く。


 リリスにとって、俺の言葉はかなり強い。


 だから、言う時は覚悟がいる。


 昨日のように必要な時はいい。


 しかし、毎回不意打ちのように言っていたら、リリスの涙腺がもたない。


 いや、たぶん今ももっていない。


 今朝、屋敷の食堂で父上に昨日の話をすると、父上は腹を抱えて笑った。


「自分の言葉で話せていました、か。そりゃ泣くだろう」


「ですよね」


「だが、いい言葉だ」


「そうですか?」


「ああ。リリス嬢にとっては、何より欲しかった言葉だろう」


「……そうかもしれません」


 父上は紅茶を飲みながら続けた。


「人前で話すことは、誰でも緊張する。ましてや、自分の弱さや感情について話すならなおさらだ」


「はい」


「そこで、綺麗だったとか立派だったではなく、自分の言葉で話せていた、と言われるのは大きい」


「大きい」


「見た目や作法ではなく、中身が届いたと言っているようなものだからな」


 そう言われると、ますます恥ずかしくなった。


 俺はそこまで考えていたわけではない。


 ただ、本当にそう思ったから言っただけだ。


 だが、リリスにとっては、それがとても大きかったのだろう。


 母上が微笑んだ。


「アル、今日は昨日の反省会になるのではない?」


「たぶん、そうです」


「リリス様は、褒められたことを思い出して泣くかもしれないわね」


「間違いなく」


「でも、反省会は大切よ」


「はい」


「褒められたところ、直すところ、次に意識するところ。それを落ち着いて見られると、発表はもっとよくなるわ」


「分かりました」


「それと、リリス様が自分を責めすぎたら止めてあげなさい」


「はい」


「でも、できているところを押しつけすぎても泣くわね」


「難しいですね」


「ええ。半歩ね」


 また半歩。


 本当に何にでも使える。


 ライズは鞄を整えながら、いつものように言った。


「若様、本日のハンカチは七枚でございます」


「昨日より一枚減ったな」


「発表本番ではなく反省会ですので」


「反省会でも七枚」


「はい。想定される涙は、昨日の拍手思い出し涙、先生の講評再確認涙、クラリス様からの感謝涙、若様の褒め言葉再発涙、改稿中に自分の成長へ気づいた涙でございます」


「種類が多い」


「アマリリス様ですので」


「便利な説明」


「また、本日は若様が『直すところもあります』と伝える必要がある可能性がございます」


「そうだな」


「その際、まずできている点を伝え、その後に一つだけ改善点を添えるのがよろしいかと」


「一つだけ」


「はい。多く伝えると、アマリリス様が自分は駄目だったのだと受け取る可能性がございます」


「ありそう」


「逆に褒めすぎると泣きます」


「詰んでないか?」


「半歩でございます」


「またそれ」


 ライズは真顔で一礼した。


 今日は、リリスの発表をどう磨くか。


 それが中心になる。


 発表本番がいつになるかはまだ分からないが、王子殿下も楽しみにしていると言った。


 注目はある。


 だからこそ、リリスが自分の言葉を失わず、でも伝わりやすくできるようにする必要がある。


 学園へ向かう馬車の中、俺は昨日の発表を思い出していた。


 内容は良かった。


 ただ、少し項目が多い。


 小声版、半歩、ハンカチの橋。


 どれも大事だが、先生が言ったように、中心は半歩にした方が伝わりやすい。


 小声版は、自分の状態を伝えるための入口。


 半歩は、心や距離を整える中心。


 ハンカチの橋は、支え合いの例。


 そう整理すると、流れが見える。


 リリスがそれを受け取れるか。


 それとも、自分が話したいことを削るのが寂しくなるか。


 たぶん、両方だ。


 正門前。


 リリスはいつもの場所に立っていた。


 制服姿。


 ブルーローズの髪飾り。


 今日の彼女は、昨日より少し落ち着いている。


 だが、俺を見つけた瞬間、顔が赤くなった。


 昨日の発表を思い出したのだろう。


 歩いてくる。


 走らない。


 ただし、また少しふわふわしている。


「アル、ご機嫌よう」


「ご機嫌よう、リリス」


「今日も走りませんでした」


「はい。今日は少し昨日の余韻がありましたね」


「はい……」


 リリスは両手を胸元で握る。


「昨日、私、発表しました」


「はい」


「皆さまが拍手してくださいました」


「はい」


「先生が、よく話せたと」


「はい」


「アルが、自分の言葉で話せていたと」


「言いましたね」


 リリスの目が潤む。


「思い出し小声版です」


「朝一回目ですね」


「はい」


「深呼吸を」


「はい」


 リリスは深呼吸した。


 涙は出ない。


「今日は、昨日の反省会になりそうですね」


「はい。先生に、半歩を中心にした方がよいと言われました」


「その方が分かりやすいと思います」


「アルもそう思いますか?」


「はい」


 リリスは少しだけ寂しそうな顔をした。


「小声版やハンカチの橋を削るのは、少し寂しいです」


「削るというより、支える形にするんです」


「支える形」


「はい。半歩を中心にして、小声版とハンカチの橋が周りにある、という形です」


 リリスは少し考えた。


「橋の真ん中が半歩で、両側に小声版とハンカチがあるような」


「リリスらしいですね」


「分かりやすいです」


「それなら良かったです」


 リリスの顔が少し明るくなる。


「アルが、橋にしてくださいました」


「今のはリリスが言いました」


「でも、アルが整えてくださいました」


「整えただけです」


「それが嬉しいです」


 また目が潤む。


「今日は忙しくなりそうですね」


「はい」


 ミラが後ろで静かに言った。


「本日一回目、未遂でございます」


「ミラ」


「反省会日は涙の波が多いと予想しております」


「ミラもライズみたいなことを」


「共有しておりますので」


「共有してるんですね!?」


 ライズとミラ。


 いつの間にか情報交換しているらしい。


 怖い。


 教室へ向かう途中、ユリウスとエレナ嬢が合流した。


「おはよう。昨日の発表、改稿するんだよね?」


「はい」


 リリスが答える。


「先生に、半歩を中心にするとよいと言われました」


「いいと思う」


 ユリウスは即答した。


「小声版とハンカチの橋もいいけど、初めて聞く人には情報量が多いからね」


「やはり、そうですか」


「うん。半歩を軸にして、他の二つは例として使うと分かりやすい」


 エレナ嬢も頷く。


「私もそう思いますわ。小声版は、半歩を始める前の合図。ハンカチの橋は、半歩の先にある支え合い。そうすると流れが綺麗です」


 リリスの目が潤む。


「皆さまが、私の研究を考えてくださっています」


「小声版?」


「はい。でも受け取ります」


 リリスは深呼吸した。


「ありがとうございます。とても嬉しいです」


 エレナ嬢が微笑む。


「一緒に磨きましょう」


「……っ」


「強かったですか?」


「強いです」


 ユリウスが笑った。


「今日は何回泣くかな」


「数えないでください」


 リリスが少し困った顔で言う。


 俺は即座に言った。


「ユリウス様、数えるのはミラだけで十分です」


「ミラ殿、数えてるんだ」


「はい」


 ミラが即答した。


 ユリウスが楽しそうに笑う。


 朝から賑やかだ。


 教室に入ると、昨日の発表の話題がまだ残っていた。


 ニールがすぐに近づいてくる。


「アマリリス様、昨日の発表、本当に分かりやすかったです」


「ありがとうございます」


「特に半歩のところが、僕は好きでした」


「半歩」


「はい。近すぎる時だけじゃなく、遠すぎる時も半歩近づくっていうのが、いいなって」


 リリスの表情が柔らかくなる。


「ありがとうございます。そこは、昨日の王子殿下との茶会で考えたことでもあります」


「そうなんですね」


「はい」


 ニールは少し考えた。


「発表では、半歩を中心にした方が分かりやすいかもしれません」


「バートン様もそう思われますか?」


「はい。僕みたいに、初めて聞く人でも覚えやすいので」


 リリスは少し嬉しそうに頷いた。


「ありがとうございます。受け取ります」


 クラリス嬢も来た。


「アマリリス様」


「はい」


「ハンカチの橋のお話、私はとても嬉しかったです」


「ありがとうございます」


「でも、発表としては、半歩を中心にして、その中でハンカチの橋をお話しされると、もっと伝わる気がします」


 クラリス嬢が意見を言った。


 少し前の彼女なら、こんなふうに言えなかったかもしれない。


 リリスもそれに気づいたのか、目を見開いた。


「クラリス様、ありがとうございます」


「いえ」


「とても参考になります」


 クラリス嬢の顔が赤くなる。


「お役に立てたなら嬉しいです」


 今度はクラリス嬢が泣きそうになった。


 リリスはすぐにハンカチを差し出した。


「どうぞ」


 クラリス嬢は驚いて、それから笑った。


「ありがとうございます」


 朝からハンカチの橋発動。


 教室の空気は温かい。


 一時間目は自由研究準備。


 先生は、昨日発表練習をした生徒たちに、今日は自分の発表を一度整理し直す時間だと告げた。


「昨日話してみて、分かったことがあるはずです」


 先生は黒板に書く。


『伝えたいこと』


『伝わったこと』


『伝わりにくかったこと』


『削ること』


『残すこと』


「発表は、全部話す場ではありません」


 先生の声は落ち着いている。


「大切なことを伝えるために、あえて削ることも必要です」


 リリスが少し反応した。


 削る。


 彼女にとっては、少し寂しい言葉だろう。


 先生は続けた。


「削るとは、捨てることではありません。聞き手が受け取りやすい形へ整えることです」


 リリスの肩が少し下がった。


 安心したようだ。


「特にアマリリスさん」


「はい」


「あなたの研究は、とても良い要素が多いです」


「ありがとうございます」


「だからこそ、中心を決めましょう」


「はい」


「半歩です」


 はっきり言った。


 リリスは一拍置き、頷く。


「はい」


「小声版は、半歩へ入る前の合図。ハンカチの橋は、半歩で整えた先の支え合い。そう考えると、発表の流れが見えます」


「分かりました」


 先生は微笑む。


「昨日のままでも良い発表でした。今日の修正で、さらに伝わる発表になります」


 リリスの目が潤む。


「小声版です」


「では、深呼吸を」


「はい」


 先生も慣れている。


 リリスは深呼吸し、泣かなかった。


 俺は自分の研究を整理しながらも、リリスのノートが少し気になっていた。


 彼女は新しい構成を書いている。


 一、私は感情が動きやすい。


 二、それを隠すだけではなく整えたい。


 三、その中心が半歩。


 四、小声版は、半歩を始めるための合図。


 五、ハンカチの橋は、半歩の先にある支え合い。


 六、相手と自分がどちらも息をできる場所を探す。


 かなり良い。


 俺は思わず見入ってしまった。


 リリスが気づく。


「アル」


「はい」


「どうでしょうか」


「とても分かりやすくなっています」


「本当ですか?」


「はい。昨日より流れが見えます」


「……っ」


「泣きそうですか?」


「はい。でも、これは受け取ります」


 リリスは深呼吸した。


「ありがとうございます。嬉しいです」


 泣かなかった。


 本当に、受け取りが上手くなっている。


 授業中盤、先生が数人を呼んで、短く改稿後の説明をさせた。


 リリスもその一人になった。


 昨日ほど長い発表ではない。


 今日は椅子に座ったまま、構成だけを説明する形だ。


 リリスは立ち上がる。


「昨日は、小声版、半歩、ハンカチの橋を同じくらいの重さで話しました」


 声は昨日より落ち着いている。


「ですが、今日の反省で、半歩を中心にすることにしました」


 先生が頷く。


 リリスは続ける。


「小声版は、自分が泣きそうであることを伝え、半歩へ入るための合図です。ハンカチの橋は、半歩で整えた先にある支え合いです」


 クラスが静かに聞いている。


「私が一番伝えたいことは、感情を否定するのではなく、自分と相手がどちらも息をできる場所を探すことです」


 良い。


 昨日より、さらに芯がはっきりしている。


 リリスは言い切って、軽く礼をした。


 先生が拍手した。


 今度は自然に、クラスも拍手する。


 リリスは少し泣きそうになったが、深呼吸で耐えた。


「昨日より、ずっと整理されています」


 先生が言う。


「ありがとうございます」


「中心が見えましたね」


「はい」


「次は、具体例を一つ選びましょう」


「はい」


 リリスは席に座った。


 俺を見る。


 俺は小さく頷いた。


 リリスは小さく笑った。


 泣かない。


 届いている。


 休み時間。


 リリスの周りには、自然と何人かが集まった。


 ニール、クラリス嬢、エレナ嬢、ユリウス。


 俺も少し近くにいる。


 いつの間にか、小さな反省会のようになっていた。


「具体例はどれがいいと思いますか?」


 リリスが尋ねる。


 ニールが少し考えて言う。


「僕は、半歩の最初の話がいいと思います。近すぎた時に、あと半歩だけ下がりましょうって言われた話」


 リリスの顔が赤くなる。


「それは、少し恥ずかしいです」


「でも分かりやすいです」


 クラリス嬢も頷く。


「私もそう思います。そこから、拒絶ではなく戻る場所だと分かった、という流れが一番伝わる気がします」


 エレナ嬢が続ける。


「ハンカチの橋は、最後に短く添えると印象に残りますわ」


 ユリウスは少し笑って言う。


「小声版は冒頭で軽く入れると、一気にアマリリス様らしさが出るね」


「私らしさ」


「うん。弱点紹介じゃなくて、研究の出発点として」


 リリスは真剣に聞いている。


 俺は少し考えてから言った。


「俺も、最初の半歩の話がいいと思います」


 リリスが俺を見る。


「アルも?」


「はい。あれは、リリスの中で半歩が戻る場所になった最初の出来事ですから」


 リリスの目が潤む。


「……アル」


「強かったですね」


「はい。でも、大切です」


「はい」


 リリスはノートへ書き込んだ。


『具体例:あと半歩だけ下がりましょう』


 書いた瞬間、顔が赤くなった。


「恥ずかしいです」


「俺も少し恥ずかしいです」


「アルも?」


「はい。俺の言葉なので」


「……嬉しいです」


「また泣きそうですね」


「はい」


 皆が笑った。


 温かい笑いだった。


 昼休み。


 食堂では、反省会の続きのような会話になった。


 リリスは今日はしっかり食べている。


 発表練習の翌日で疲れてはいるが、昨日より安定していた。


「半歩の具体例を話す時、アルの名前はどうしましょう」


 リリスが真剣に言った。


「出さない方がいいと思います」


 俺は即答した。


「なぜですか?」


「恥ずかしいからです」


「でも、アルの言葉です」


「婚約者、でいいのでは?」


 エレナ嬢が提案する。


「婚約者から、あと半歩だけ下がりましょうと言われた、という形ですわ」


「それはそれで恥ずかしいです」


 ユリウスが笑う。


「でも、個人名より発表向きだね」


「婚約者」


 リリスが小さく繰り返す。


 顔が赤くなる。


「……強いです」


「自分で言いましたね」


「はい」


 ニールが控えめに言った。


「相手、でもいいかもしれません。信頼できる相手から、とか」


「信頼できる相手」


 リリスが考え込む。


「それなら、発表として自然ですね」


「はい」


「でも、私の中ではアルです」


「リリス、食堂です」


「はい」


 ユリウスが肩を震わせている。


 エレナ嬢は微笑んでいる。


 クラリス嬢は少し赤くなっている。


 ニールは照れたように視線を逸らした。


 食堂で何を言っているのか。


 しかし、リリスは真剣だ。


「発表では、信頼できる相手、と言います」


「それがいいです」


「でも、心の中ではアルです」


「追撃しないでください」


「はい」


 午後の魔法基礎では、リリスの魔力は昨日より安定していた。


 発表の構成が整理されて、心も少し落ち着いたのだろう。


 教師が言った。


「アマリリスさん、今日は光が落ち着いていますね」


「ありがとうございます。発表の内容が少し整ったので」


「感情が整理されると、魔力も整理されます」


「はい」


「良い傾向です」


 リリスは深呼吸した。


「受け取ります」


 泣かなかった。


 俺は少し離れた場所でそれを見て、静かに嬉しくなった。


 放課後。


 レオナルド先輩がいつもの場所で待っていた。


 今日は少しだけ機嫌が良さそうだ。


「リリス」


「お兄様」


「発表を改稿したそうだな」


「はい」


「半歩中心になったと聞いた」


「はい。小声版は合図、ハンカチの橋は支え合いとして、半歩を中心にしました」


 リリスが説明する。


 レオナルド先輩は真剣に聞いていた。


「分かりやすい」


「本当ですか?」


「ああ」


 リリスの目が潤む。


「お兄様に、分かりやすいと言われました」


「事実だ」


「小声版です」


「深呼吸しろ」


「はい」


 兄妹のやり取りも、自然に半歩が馴染んでいる。


 レオナルド先輩は俺を見る。


「アルフレッド」


「はい」


「具体例は?」


「最初の半歩の話になりそうです」


「あと半歩だけ下がりましょう、か」


「はい」


「良い」


「そうですか?」


「あれがなければ、リリスの半歩は始まっていない」


 リリスがまた潤む。


「お兄様」


「泣くなとは言わないが、今は廊下だ」


「はい」


 レオナルド先輩は少しだけ笑った。


「父上に伝えたら泣くだろう」


「でしょうね」


「現在、『座る』『深呼吸』『走らない』の札に加え、『話を聞く』が追加された」


「話を聞く」


「リリスの発表内容を聞いて走らないためだ」


「なるほど」


「効果は薄い」


「薄いんですね」


「泣いて立ち上がる」


「駄目じゃないですか」


 リリスがくすっと笑った。


 今日も、父の札制御は大変らしい。


 正門で別れる時、リリスは朝よりずっと落ち着いていた。


 ノートを大切そうに抱えている。


「アル」


「はい」


「今日は、発表が少し分かりやすくなりました」


「はい」


「皆さまが意見をくださいました」


「はい」


「半歩を中心にするのは、少し寂しかったですが」


「はい」


「でも、捨てるのではなく、整えるのだと分かりました」


「はい」


「今日の宝物名は」


「はい」


「発表を半歩で整えた日の宝物です」


「とても良い名前です」


「あと」


「はい」


「皆さまの意見が橋になった日の宝物です」


「リリスらしいですね」


「はい」


 リリスは微笑んだ。


「アル」


「はい」


「発表本番、怖いですが、少し楽しみになりました」


「それは、とても大きなことですね」


「……強いです」


「すみません」


「でも、泣きません」


 リリスは深呼吸した。


 涙は出なかった。


「また明日、アル」


「また明日、リリス」


 馬車が遠ざかる。


 俺はそれを見送りながら、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。


 リリスは昨日、自分の言葉で話した。


 今日は、それを整えた。


 全部を抱え込むのではなく、大切なものを伝えるために半歩で整えた。


 これは、きっと大きな成長だ。


 その夜。


 屋敷に帰ると、父上が待っていた。


「今日はどうだった?」


「リリスの発表が改稿されました」


「中心は?」


「半歩です」


「よいな」


「小声版は合図、ハンカチの橋は支え合いとして入れる形です」


「分かりやすい」


「レオナルド先輩にも言われました」


「なら間違いないだろう」


 母上も微笑む。


「リリス様、少し楽しみになったのね」


「はい」


「素敵ね」


 その後、フルーラ家から書状が届いた。


 一通目、ガロウ公爵。


『娘の発表が半歩中心になったと聞いた。泣いた。私が。あと半歩だけ下がりましょう、から始まったらしい。泣いた。さらに私のために札が増えた。「話を聞く」。私は話を聞く父でありたい。泣いた。 ガロウ』


 二通目、レオナルド先輩。


『リリスの発表構成は良くなった。半歩を中心に、小声版とハンカチの橋を支える形にするのは分かりやすい。君の最初の半歩が具体例になるようだ。覚悟しておけ。父上には「話を聞く」の札を追加したが、泣いて立つ。改善が必要。 レオナルド』


 三通目、セレスティア夫人。


『アルフレッド様。本日、リリスは発表を半歩中心に整えられたようです。大切なものを削るのではなく、伝わる形に整える。これは礼法にも通じる大切な学びです。あなたやご友人の皆さまが意見をくださったことにも感謝しております。夫には「話を聞く」の札を追加しましたが、感動して立ち上がります。継続が大切です。 セレスティア』


 俺は三通を読み、静かに天井を見上げた。


 話を聞く札で泣いて立つ。


 話を聞くどころではない。


 父上は腹を抱えて笑った。


 リーマスは「聞く愛、立ち上がる愛、どちらも愛でございます」と頷いた。


 ライズは静かに親指を立てた。


 俺は深く息を吸い、今日も心の底から叫んだ。


 公爵令嬢様!!


 発表を半歩で整えられました!!


 でも、お父様は『話を聞く』札でも立ち上がります!!

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