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『公爵令嬢様、距離感が近すぎます! 〜伯爵子息は今日もツッコミが追いつかない〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第32話 公爵令嬢様、王子殿下の前で言えたことを思い出して泣く



 皆さん、こんにちは!!


 アルフレッド・シェルザートです。


 昨日、俺たちは王子殿下と直接話した。


 エドワード殿下。


 この国、アプル王国の第一王子。


 以前、リリスに縁談が来ていた相手。


 その本人が、食堂で俺たちに声をかけた。


 自由研究の話。


 小声版。


 半歩。


 ハンカチの橋。


 そして、俺がリリスの隣に立つ理由。


 殿下は穏やかに尋ねてきた。


 俺たちは礼を尽くして答えた。


 リリスは言った。


 私は、アルを信頼しています。


 アルの婚約者であることを誇りに思っています。


 王子殿下の前で。


 食堂中が見ている前で。


 俺の愛称を呼んで。


 ……思い出すだけで、胸の奥が少し熱くなる。


 そして俺も言った。


 リリスを泣かせすぎないように、と殿下に言われた時。


 俺は、


「嬉しい涙まで止めるつもりはございません」


 と答えた。


 言ってしまった。


 いや、後悔はしていない。


 むしろ、かなり本心だった。


 リリスはよく泣く。


 嬉しくても、安心しても、褒められても、誰かに優しくされても泣く。


 最初はそれに慌てた。


 今も慌てる時はある。


 でも、嬉しい涙まで全部止める必要はない。


 泣くこと自体を悪いことにしたくはない。


 リリスがリリスらしく、でも周囲に配慮しながら立てるように。


 俺は隣にいたい。


 そう思ったから出た言葉だった。


 その結果、ガロウ公爵は泣いた。


 かなり泣いたらしい。


 セレスティア夫人に、心も体も二十歩ほど下げられたらしい。


 それでも涙で五歩進んだらしい。


 もはや歩数とは何なのか。


 愛の距離か。


 リーマスがそんなことを言っていた。


 やめてほしい。


 朝食の席で昨日のことを話すと、父上はいつもより真面目だった。


「殿下は笑ったのだな」


「はい」


「それは悪くない」


「そうなのですか?」


「ああ。怒らせたわけではなく、興味を持たせた」


「興味」


「王子殿下に興味を持たれるというのは、良くも悪くも意味がある」


「……はい」


「次にまた話すと言ったのだろう?」


「はい」


「なら、昨日で終わりではない」


「分かっています」


 父上は俺をじっと見た。


「アルフレッド、昨日はよく答えた」


「ありがとうございます」


「だが、次からはさらに言葉を選べ」


「はい」


「殿下は昨日、お前たちを試した。次は、もう少し踏み込むかもしれない」


「リリスのことですか?」


「リリス嬢のことでもあり、お前の覚悟のことでもある」


 覚悟。


 その言葉が重く胸に落ちた。


 婚約者としての覚悟。


 公爵令嬢の隣に立つ覚悟。


 王子殿下の前でも引かない覚悟。


 まだ十五歳の俺には、重すぎる気もする。


 でも、逃げるわけにはいかない。


 母上は静かに微笑んだ。


「アル、今日はリリス様も揺れるでしょうね」


「昨日のことを思い出して?」


「ええ」


「たぶん泣きますね」


「きっとね」


「嬉しい涙でしょうか」


「誇らしさと、安心と、少しの不安。全部かもしれないわ」


「……はい」


「その涙は、急いで止めなくていいのよ」


 母上の言葉は優しかった。


 俺は頷いた。


 今日のリリスは、きっと昨日の余韻を抱えて来る。


 王子殿下の前で言えたこと。


 俺が隣にいたこと。


 周囲に見られたこと。


 その全部が、彼女の中で揺れるだろう。


 今日も、隣に立つ。


 ライズは鞄を整えながら言った。


「若様、本日のハンカチは七枚でございます」


「増えたな」


「昨日の余韻対応日でございます」


「余韻対応日」


「想定される涙は、誇り涙、思い出し涙、殿下の前で言えたことへの安堵涙、若様の発言を思い出したことによる強烈な嬉し涙」


「最後が危険すぎる」


「はい。最重要です」


「俺、今日あまり強いこと言わない方がいいか?」


「言うべき時には言うべきかと」


「難しい」


「半歩でございます」


「言葉の半歩か」


「はい」


 本当に便利すぎる。


 学園へ向かう馬車の中、俺は昨日の食堂を思い出していた。


 殿下の微笑み。


 食堂中の視線。


 リリスの震える指。


 それでもまっすぐ言い切った声。


 そして、殿下の「また、改めて話そう」という言葉。


 次がある。


 いつかは分からない。


 今日かもしれない。


 明日かもしれない。


 だが、次がある。


 正門前に着くと、リリスはいつもの場所にいた。


 今日も制服姿。


 ブルーローズの髪飾り。


 しかし、今日のリリスは遠目にも少し分かりやすかった。


 顔が赤い。


 そして、目元がうっすら潤んでいる。


 まだ何もしていない。


 俺を見ただけである。


 リリスは歩いてくる。


 走らない。


 だが、少し足元がふわふわしている。


「アル、ご機嫌よう」


「ご機嫌よう、リリス」


「今日も走りませんでした」


「はい。少しふわふわしていましたが」


「昨日のことを思い出してしまって」


「はい」


「殿下の前で」


「はい」


「アルを信頼していると、言えました」


「はい」


「婚約者であることを誇りに思っていると、言えました」


「はい」


「そして、アルが」


「はい」


「嬉しい涙まで止めるつもりはない、と」


「……言いましたね」


 リリスの目から、一粒落ちた。


 早い。


 朝の正門前。


 だが、これは想定内だ。


「小声版ではありませんね」


「はい」


「嬉しい涙ですか?」


「はい。あと、思い出し涙です」


「分かりました」


 俺はハンカチを出した。


 リリスは受け取り、目元を押さえる。


「アル」


「はい」


「昨日の私は、ちゃんと立てていましたか?」


「立てていました」


 リリスの肩が震える。


「王子殿下の前でも?」


「はい」


「アルの隣に?」


「はい」


「……よかったです」


 リリスは小さく息を吐いた。


 ミラが後ろで静かに言う。


「お嬢様、昨夜は何度も同じことを確認されておりました」


「ミラ」


「大切なことですので」


「何を確認していたんですか?」


 俺が尋ねると、リリスは頬を赤くした。


「私、ちゃんと言えたでしょうか、と」


「はい」


「アルに恥をかかせていないでしょうか、と」


「そんなこと、まったくありません」


「……っ」


「しまった。強いですね」


「強いです。でも、嬉しいです」


 リリスは再びハンカチを目元へ当てた。


 今日は朝から涙が多い。


 でも、昨日のような苦い涙ではない。


 安心と誇りの涙だ。


 教室へ向かう途中、ユリウスとエレナ嬢が合流した。


 ユリウスはリリスの目元を見て、すぐに察した。


「昨日の余韻?」


「はい」


 リリスが素直に答える。


「殿下の前で言えたことを思い出して」


「そりゃ泣くよね」


「ユリウス様」


「いや、昨日のアマリリス様は本当に立派だったよ」


「……っ」


「危険」


 俺が即座に言うと、ユリウスは慌てて口を押さえた。


「ごめん、強かった」


「強いです」


 エレナ嬢が微笑む。


「でも、本当に立派でしたわ」


「エレナ様まで」


「これは受け取ってくださいませ」


「……はい」


 リリスは深呼吸する。


「ありがとうございます。そう言っていただけて、嬉しいです」


 涙は出なかった。


 出そうだったが、耐えた。


 エレナ嬢が嬉しそうに頷く。


「上手ですわ」


「危険です」


「ふふ」


 ユリウスが俺に小声で言った。


「食堂の空気、昨日すごかったね」


「はい」


「殿下はかなり興味を持ったと思う」


「良い意味で?」


「少なくとも悪い意味だけではない」


「だけではない、ですか」


「王族の興味は複雑だからね」


 朝から重い。


 だが、ユリウスの言葉は正しいのだろう。


 教室に入ると、昨日のことがすでに広まっているのが分かった。


 視線が多い。


 だが、以前の噂のような嫌なものではない。


 驚き、関心、少しの尊敬。


 そんな空気が混じっている。


 ニールがすぐに近づいてきた。


「シェルザート君、アマリリス様」


「おはようございます」


「おはようございます、バートン様」


「昨日、殿下と話したって」


「はい」


「すごかったって聞いたよ」


 リリスの頬が赤くなる。


「すごい、というほどでは」


「いや、皆言ってた。アマリリス様が、自分の研究のことをちゃんと説明していたって」


「……はい」


「あと、シェルザート君も」


「俺も?」


「嬉しい涙は止めない、って」


「広まっている」


 俺は思わず頭を抱えそうになった。


 ニールは素直に笑った。


「でも、良い言葉だと思う」


「ありがとうございます」


「アマリリス様、嬉しかったんじゃないかなって」


「……とても」


 リリスが小さく答えた。


 ニールは優しく頷いた。


「よかったです」


 リリスの目が潤む。


「小声版です」


 俺はすぐハンカチを出した。


 ニールが「あ、ごめんなさい」と慌てる。


 リリスは首を振った。


「嬉しいので、大丈夫です」


 教室が少し和む。


 一時間目は礼法だった。


 ベイル先生は教室に入ると、いつも通り黒板に文字を書いた。


『注目を受けた後の礼』


 もう驚かない。


 いや、驚く。


 先生、本当にすごい。


「昨日、学園内で多くの視線を受ける場面があった者もいるでしょう」


 クラスの何人かがこちらを見る。


 先生は名前を出さない。


「注目を受けた後、人は二つの方向に揺れます。一つは、得意になること。もう一つは、怖くなることです」


 リリスが真剣に聞いている。


 俺も。


「どちらも自然な反応です。しかし大切なのは、注目された事実を、自分の価値そのものと混同しないこと」


 難しい。


 しかし、今の俺たちには必要な言葉だった。


「褒められたから偉いのではありません。注目されたから特別なのでもありません。昨日まで積み重ねてきたものが、たまたま人の目に触れただけです」


 リリスの肩が少し緩む。


「ですから、浮かれすぎず、怯えすぎず、いつも通りに戻る礼が必要です」


 いつも通り。


 それが今日のテーマだ。


 授業では、注目を浴びた後の挨拶や会話の練習をした。


 俺の相手はユリウス。


 リリスはエレナ嬢。


 ユリウスが王子殿下役をしたがったので、即座に止めた。


「やめてください」


「練習になるよ」


「心臓に悪い」


「じゃあ、昨日すごかったね、と声をかける役」


「それなら」


 ユリウスがにこにこしながら言う。


「シェルザート君、昨日の発言、素晴らしかったね」


「ありがとうございます。ですが、まだ学ぶことばかりです」


「硬い」


「礼法です」


「もう少し自然に」


「……ありがとうございます。リリスがちゃんと立てたことが、何よりよかったと思っています」


 ユリウスが目を細める。


「うん、それは君らしい」


「そうですか?」


「うん」


 一方、リリスとエレナ嬢。


「アマリリス様、昨日はとても素敵でしたわ」


 エレナ嬢が言う。


 リリスは深呼吸した。


「ありがとうございます。まだ緊張も残っていますが、自分の言葉で話せたことは嬉しく思っています」


 言えた。


 ベイル先生が静かに頷く。


「よろしい。注目を受けたことを誇りすぎず、しかし自分の努力を否定してもいません」


「ありがとうございます」


「受け取りも上手くなっていますね」


「……小声版です」


「では深呼吸を」


 先生の対応も自然。


 クラスの誰も笑わない。


 ただ見守る。


 それが、この教室の日常になりつつある。


 休み時間、リリスは少し疲れたように俺の席へ来た。


「アル」


「はい」


「注目を受けた後の礼、難しいです」


「俺も難しいです」


「アルも?」


「はい。昨日の発言が広まっていると聞くと、正直恥ずかしいです」


「……私もです」


「一緒ですね」


「一緒」


 リリスはその言葉に少しだけ笑った。


「それは落ち着きます」


「ならよかったです」


「アル」


「はい」


「昨日の言葉、広まっているのは恥ずかしいですが」


「はい」


「でも、私は嬉しいです」


「……はい」


「嬉しい涙まで止めないと、アルが言ってくださったこと」


「はい」


「私は、ずっと覚えていると思います」


 胸が熱くなった。


「……俺も、リリスが信頼していると言ってくれたことを覚えています」


 リリスの目が一瞬で潤む。


「アル」


「強すぎましたね」


「はい」


「でも本当です」


「……小声版では足りません」


「教室です」


「では、小声版で足りるように頑張ります」


「無理はしなくていいです」


 結局、一粒だけ涙が落ちた。


 俺はハンカチを渡した。


 リリスはそれを受け取り、少し笑った。


 二時間目は魔法基礎。


 昨日の殿下との対話が影響しているのか、リリスの魔力は少し揺れやすかった。


 だが、乱れたままにはならない。


 深呼吸。


 半歩。


 戻す。


 その繰り返し。


 教師はそれを見て言った。


「アマリリスさん、今日は揺れていますが、戻せていますね」


「はい。昨日のことを思い出すと、少し」


「大きな出来事の後は、魔力も心も揺れます。それ自体は悪いことではありません」


「はい」


「戻し方を知っているなら大丈夫です」


「ありがとうございます」


 リリスは頷いた。


 俺も少し安心した。


 昼休み。


 食堂へ向かう時、廊下の空気が少し変わった。


 昨日の件があったからか、俺たちを見る生徒が多い。


 中には小声で何か言う者もいる。


 だが、悪意は薄い。


「昨日、殿下が笑ってた」


「アマリリス様、すごかったね」


「半歩って本当に研究なんだ」


「シェルザート様も意外と肝が据わってる」


 聞こえる。


 全部聞こえる。


 俺は顔が熱くなる。


 リリスも耳が赤い。


「リリス」


「はい」


「注目を受けた後の礼です」


「はい」


「いつも通り」


「はい」


 リリスは深呼吸した。


 食堂へ入ると、今日は王子殿下の姿はなかった。


 少し安心した。


 だが、オスカー・ベルクはいた。


 彼は俺たちを見た。


 昨日とは違う視線だった。


 警戒だけではなく、少し考え込むような。


 ユリウスが小声で言う。


「ベルクもやりづらそうだね」


「でしょうね」


「殿下が笑って、また話そうと言った。これで周囲が勝手に攻撃するのは難しい」


「なるほど」


「でも、殿下が興味を持った以上、ベルクは逆に観察役に回るかもしれない」


「面倒ですね」


「本当にね」


 リリスは落ち着いて食事を始めた。


 今日は俺の皿を見つめすぎない。


 自分の食事もちゃんと食べている。


 エレナ嬢が微笑む。


「アマリリス様、今日はしっかり召し上がっていますね」


「はい。昨日、お母様に、食べることも半歩の支えだと言われました」


「セレスティア様らしいですわ」


「お父様は泣いていました」


「なぜそこで?」


「私が食事をきちんと取ると、成長したと」


 俺は思わず言った。


「ガロウ公爵、成長判定が広すぎます」


 リリスがくすっと笑う。


「はい」


 その笑顔が自然で、俺は少しほっとした。


 午後の歴史では、王家と四公爵家の関係について触れられた。


 偶然だろうか。


 いや、授業内容は予定通りなのだろう。


 だが、今の俺たちには刺さる。


 教師が言う。


「王家と公爵家の関係は、単なる上下関係ではありません。王家は国を導き、公爵家はその柱として支えます。時に近く、時に距離を取る。その均衡が国を安定させてきました」


 距離。


 また距離。


 リリスが少し反応した。


 俺も。


 王家と公爵家にも距離がある。


 リリスと王子殿下の縁談話。


 それを断って俺を選んだこと。


 その意味は、家同士にも影響する。


 授業後、リリスが静かに言った。


「アル」


「はい」


「私は、王家を軽んじているわけではありません」


「分かっています」


「でも、私が選んだのは、アルです」


「……はい」


「そこは、半歩下がりません」


 昨日も言っていた言葉。


 でも、今日はさらに強く聞こえた。


「俺も、そこから逃げません」


 リリスの目が潤む。


「アル、それは」


「強い?」


「はい」


「今日は仕方ありません」


「はい」


 ハンカチを渡す。


 リリスは涙を一粒だけ拭いた。


 放課後。


 レオナルド先輩が待っていた。


 今日は少しだけ口元が緩んでいる。


「リリス」


「お兄様」


「昨日の余韻で泣いたか?」


「朝に少し」


「そうか」


「でも、今日は受け取る練習もできました」


「よし」


 レオナルド先輩は俺を見る。


「アルフレッド」


「はい」


「殿下は今日、直接は来なかったな」


「はい」


「昨日の反応を見ているのだろう」


「次は?」


「おそらく、少し場を整えてから来る」


「場を整える?」


「偶然を装うより、正式に話す場を作る可能性がある」


「……なるほど」


 リリスが少し不安そうに兄を見る。


「お兄様」


「大丈夫だ。母上も見ている」


「お母様が」


「父上は二十歩下がっている」


「まだ?」


「今日は十八歩まで戻った」


「戻っていますね」


「母上が二十五歩にした」


「遠い!!」


 思わずツッコんだ。


 リリスが笑った。


 レオナルド先輩も少しだけ笑う。


 王子殿下の話で重くなった空気が、ガロウ公爵の歩数で少し軽くなる。


 どういう仕組みだ。


 正門で別れる時、リリスは昨日よりずっと落ち着いていた。


「アル」


「はい」


「今日は、昨日のことを思い出して何度も泣きそうになりました」


「はい」


「でも、少しずつ受け取れました」


「はい。できていました」


「殿下の前で言えたことが、少し自信になりました」


「よかったです」


「でも、まだ怖いです」


「それでいいと思います」


「はい」


「怖くても、隣にいます」


「……それは、やっぱり強いです」


「今日は泣いていいです」


「はい」


 俺はハンカチを差し出した。


 リリスは受け取り、目元を押さえた。


「今日の宝物名は?」


「昨日の言葉を受け取れた日の宝物です」


「良い名前です」


「はい」


「また明日、アル」


「また明日、リリス」


 馬車が遠ざかる。


 俺はそれを見送りながら、少しだけ息を吐いた。


 昨日、王子殿下と話した。


 今日は、その余韻を受け取る日だった。


 そして、次はおそらく、さらに踏み込んだ場になる。


 その夜。


 屋敷に帰ると、父上が待っていた。


「今日は殿下は来なかったか」


「はい」


「なら、次を整えているな」


「やはり」


「焦るな」


「はい」


「リリス嬢は?」


「昨日のことを思い出して泣いていましたが、受け取れていました」


「そうか」


 父上は少し笑った。


「よく育っている」


「はい」


 その後、フルーラ家から書状が届いた。


 一通目、ガロウ公爵。


『娘が「昨日の言葉を受け取れました」と言った。泣いた。私が。アルフレッド殿の言葉も、娘の言葉も、よいものだった。私は二十五歩下げられた。遠い。だが娘の成長が見えるので耐える。 ガロウ』


 二通目、レオナルド先輩。


『殿下は今日は動かなかった。次は場を整える可能性が高い。リリスは昨日の余韻を受け取れたようだ。君も平常を保て。父上は二十五歩地点から十二歩まで戻った。母上が追加制御中。 レオナルド』


 三通目、セレスティア夫人。


『アルフレッド様。今日はリリスが、昨日の言葉を何度も思い出しながら、それでも穏やかに受け取ろうとしておりました。大きな出来事の後に平常へ戻ることも、大切な礼です。あなたが隣にいてくださること、感謝しております。なお、夫は二十五歩地点から十二歩まで戻りましたので、現在は三十歩です。継続が大切です。 セレスティア』


 俺は三通を読み、静かに天井を見上げた。


 三十歩。


 ついに三十歩。


 それでも戻るガロウ公爵。


 父上は笑った。


 リーマスは「愛とは距離を無効化する力でございます」と頷いた。


 ライズは静かに親指を立てた。


 俺は深く息を吸い、今日も心の中で呟いた。


 公爵令嬢様。


 昨日の言葉を、ちゃんと受け取れましたね。


 でも、お父様は三十歩でも戻ってきます。

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