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『公爵令嬢様、距離感が近すぎます! 〜伯爵子息は今日もツッコミが追いつかない〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第26話 公爵令嬢様、噂には半歩だけでは足りません



 皆さん、こんにちは!!


 アルフレッド・シェルザートです。


 最近の俺たちの周囲には、半歩という言葉が定着してきた。


 近すぎたら半歩下がる。


 感情が近づきすぎたら半歩引く。


 相手を拒絶するのではなく、戻る場所を示す。


 最初はただの距離調整だったはずなのに、気づけばリリスの自由研究に組み込まれ、魔法基礎にも応用され、フルーラ家ではガロウ公爵の暴走を止めるために十歩まで発展した。


 十歩。


 もはや半歩の面影がない。


 しかもガロウ公爵は十歩下がったあと六歩戻ったらしい。


 実質四歩。


 娘への愛が歩数を縮める。


 リーマスがそう言っていた。


 名言っぽいが、たぶん違う。


 そんな半歩生活の中で、少しだけ不穏なものが見え始めていた。


 噂である。


 オスカー・ベルク。


 王子殿下の周囲にいる侯爵家の子息。


 彼は以前のように真正面からリリスへ言葉を投げてこなくなった。


 セレスティア夫人が俺を認めたという話が広まったからだろう。


 だが、その代わり、周囲を使って探るような動きが出ている。


 母公認で調子に乗っている。


 公爵家に取り入った。


 伯爵家の子息が公爵家の令嬢を利用している。


 そんな噂が出る可能性がある、とユリウスは言った。


 俺は、それを聞いた時、思った。


 噂は剣より厄介だ。


 剣なら受けられる。


 言葉なら返せる。


 だが噂は、どこから来るか分からない。


 誰の口から出たのかも曖昧になる。


 曖昧なのに、気づけば人の中に残る。


 リリスが、せっかく学園を好きになり始めた。


 友人ができた。


 自分の涙を学びに変えようとしている。


 半歩で整えることを覚えた。


 その途中で、悪意のある噂に傷つけられるのは嫌だった。


 とはいえ、焦って動けば逆に噂を大きくする。


 父上も言っていた。


「噂は、力任せに叩くと飛び散る」


 と。


 朝食の席で父上に相談すると、父上は珍しく真剣な顔で頷いた。


「オスカー・ベルクか」


「はい」


「直接来なくなったのは、セレスティアの影響だろうな」


「やはり」


「だが、向こうも完全に退くわけにはいかない。王子殿下の周囲にいる者として、立場がある」


「面倒ですね」


「貴族は面倒なものだ」


 父上は何度も言っている。


 そして、そのたびに俺は少しずつ理解している。


 貴族は剣や魔法だけで動くわけではない。


 空気。


 噂。


 立場。


 面子。


 そういう見えないものが人を動かす。


「アルフレッド」


「はい」


「リリス嬢を庇うのは大切だ」


「はい」


「だが、庇いすぎて前に出すぎるな」


「……はい」


「彼女自身が言える場面では、彼女に言わせることも大切だ」


 俺は少し黙った。


 守ること。


 前に立つこと。


 それは簡単に思える。


 でも、リリスが自分で立とうとしている時に、俺が全部遮ってしまえば、彼女の成長を奪うことになるのかもしれない。


「隣に立て」


 父上は言った。


「前でも後ろでもなく、隣だ」


「……はい」


 母上も静かに微笑んだ。


「アル、リリス様はもうただ守られるだけの方ではないわ」


「分かっています」


「でも、傷つかないわけではない」


「はい」


「だから、倒れそうな時に支えられる距離にいなさい」


「半歩ですか?」


 俺がそう言うと、母上はくすりと笑った。


「そうね。心の半歩かしら」


「心の半歩」


「リリス様が言いそうでしょう?」


「言いそうです」


 父上が笑った。


「また増えたな」


「増やさないでください」


 ライズは背後で鞄を確認しながら、いつもの調子で言った。


「若様、本日の心得でございます」


「聞こう」


「噂への対処は、即時反応ではなく観察を第一に」


「はい」


「アマリリス様が不安定になられた場合、小声版、半歩、深呼吸を状況に応じて」


「はい」


「ただし、悲しい涙の場合、嬉し涙と同じ対応では不足する可能性がございます」


 俺はライズを見る。


 彼は真顔だった。


 だが、その言葉は冗談ではなかった。


「……そうだな」


「はい」


「嬉しい涙なら待てばいい。悲しい涙なら、理由を聞く必要がある」


「その通りでございます」


「今日はハンカチ何枚だ?」


「七枚でございます」


「増えたな」


「噂対応日ですので」


「……ありがとう」


 今回はツッコまなかった。


 必要かもしれないと思ったからだ。


 学園へ向かう馬車の中、俺は窓の外を見ていた。


 春の光は柔らかい。


 道沿いの木々には新しい葉が揺れている。


 街は平和に見える。


 けれど、学園へ向かうほど、胸の奥が少し重くなる。


 今日は何かあるかもしれない。


 そういう予感がした。


 正門前。


 リリスはいつもの場所にいた。


 今日も制服姿。


 ブルーローズの髪飾り。


 俺を見つけると、嬉しそうに笑う。


 走らない。


 歩いてくる。


 距離は、最初からかなり整っていた。


「アル、ご機嫌よう」


「ご機嫌よう、リリス」


「今日も走りませんでした」


「はい。今日は歩く速さもかなり落ち着いていました」


「本当ですか?」


「はい」


 リリスは嬉しそうに頷いた。


 少し目が潤む。


 だが深呼吸。


「感情の半歩です」


「できています」


「はい」


 リリスは今日も頑張っている。


 そのことが分かる。


 俺は少し声を落とした。


「リリス」


「はい」


「今日は、少し周囲の空気に気をつけましょう」


 リリスの表情が少し引き締まる。


「噂のことですか?」


「はい」


「ユリウス様が仰っていた」


「まだ大きくはありません。でも、何か聞こえたら一人で抱え込まないでください」


「はい」


「感情の半歩で整えられるならそれでいい。でも、半歩だけで足りない時は言ってください」


 リリスは俺を見た。


 いつもより真剣な目だった。


「アル」


「はい」


「私は、強くなりたいです」


「はい」


「でも、一人で強くなれるとは思っていません」


「はい」


「だから、半歩で足りない時は、アルに言います」


「必ず」


「はい」


 その声はしっかりしていた。


 リリスは泣かなかった。


 嬉し涙でも、不安の涙でもなく、ただ前を向いていた。


 教室へ向かう途中、ユリウスとエレナ嬢が合流した。


「おはよう」


「おはようございます」


「ご機嫌よう」


 ユリウスは俺たちを見て、すぐに空気を読んだのか、今日はからかわなかった。


「今日は、少し注意した方がよさそうだね」


「やはり?」


「うん。朝、廊下で少し妙な話を聞いた」


 リリスの肩がぴくりと動く。


 エレナ嬢がさりげなく彼女の隣に立った。


「どんな話ですか?」


 俺が聞くと、ユリウスは声を落とした。


「『フルーラ公爵夫人に気に入られたなら、伯爵家でも安泰だな』みたいな」


 俺は息を止めた。


 露骨ではない。


 だが、嫌な言い方だ。


 俺がフルーラ家を利用しているような響きがある。


 リリスは少しだけ俯いた。


「リリス」


「はい」


「今は?」


「……感情の半歩をします」


 リリスは深呼吸した。


 一度。


 二度。


 そして顔を上げた。


「大丈夫です」


「本当に?」


「少し、嫌でした」


 正直な言葉だった。


「でも、私はアルがそんな方ではないと知っています」


「……はい」


「だから、大丈夫です」


 強い。


 でも、その強さの奥に少し痛みがあるのが分かった。


 エレナ嬢が静かに言う。


「アマリリス様、無理はなさらないでくださいね」


「はい」


「嫌だったと言えたことは、大切ですわ」


「はい」


 ユリウスも頷く。


「噂は、今日は様子を見る。でも発信源が分かれば潰せる」


「頼もしいですが、物騒ですね」


「言葉の話だよ」


「分かっています」


 教室に入ると、いつもより少しざわついていた。


 俺たちが入った瞬間、いくつかの会話が止まる。


 露骨だ。


 嫌な感じがする。


 ニールがすぐにこちらを見て、少し困ったように眉を下げた。


 何か知っているのだろう。


 リリスは姿勢を正した。


 公爵令嬢の顔。


 その横に俺も立つ。


 半歩。


 いや、今日は隣に立つ。


 席に着く前、女子生徒の一人が小声で言った。


「……でも、伯爵家でしょう?」


 聞こえた。


 はっきりではない。


 でも聞こえた。


 教室の空気が一瞬固まる。


 リリスの指が震えた。


 俺の胸の奥が熱くなる。


 反射的に言い返しそうになった。


 だが、父上の言葉がよぎる。


 彼女自身が言える場面では、彼女に言わせることも大切だ。


 俺はリリスを見た。


 リリスも俺を見た。


 彼女は小さく頷いた。


 そして、ゆっくりその女子生徒の方へ向いた。


「家格の話でしょうか」


 声は静かだった。


 震えていない。


 女子生徒がはっとする。


「い、いえ、その」


 リリスは怒っていなかった。


 だが、逃がさない空気がある。


 セレスティア夫人に少し似ている。


「シェルザート伯爵家は、誠実な家です」


 リリスは言った。


「私は、アルフレッド・シェルザート様を婚約者として誇りに思っています」


 教室が静まり返った。


 俺は言葉を失った。


 リリスは続ける。


「家格の差があることは承知しております。ですが、それを理由にアルを軽んじる言葉は、私は好みません」


 アル。


 愛称。


 でも、今は甘さではない。


 意思だ。


「もし私の態度が誤解を招いているのであれば、私も改めます。ですが、アルがフルーラ家に取り入ったというような言い方は、事実ではありません」


 女子生徒は顔を青くして俯いた。


「も、申し訳ございません」


 リリスは一拍置き、頷いた。


「私も、強く言いすぎたなら申し訳ありません」


「い、いえ……」


 空気が重い。


 俺はようやく口を開いた。


「リリス」


「はい」


「ありがとうございます」


 リリスの肩が少し揺れた。


 その瞬間、彼女の強さの裏にあった緊張が見えた。


「……小声版では、足りないかもしれません」


「はい」


 俺はすぐにハンカチを出した。


 リリスは受け取る。


 でも、涙はすぐには落ちなかった。


 彼女は深呼吸した。


 周囲は騒がない。


 エレナ嬢が静かに隣へ立つ。


 ユリウスが教室全体へ軽く視線を向け、これ以上誰も騒がない空気を作る。


 ニールが小さく言った。


「アマリリス様、今の言葉、とても立派でした」


 リリスの目から、一粒だけ涙が落ちた。


「ありがとうございます」


 小さな声。


 でも、ちゃんと受け取った声だった。


 一時間目の礼法は、奇妙なほど静かだった。


 ベイル先生は教室に入ると、すぐに空気を察したようだった。


 だが、何も問いたださない。


 ただ、今日の授業内容を黒板に書いた。


『噂と礼』


 絶対に知っている。


 いや、この先生は本当に、必要なところを突いてくる。


「本日は、噂に対する礼ある対応を学びます」


 先生の声は落ち着いていた。


「噂とは、しばしば本人のいない場所で広がります。すべてに反応する必要はありません。ですが、明らかに相手の名誉を傷つける内容であれば、静かに、しかし明確に訂正する必要があります」


 リリスは真剣に聞いている。


 俺もノートを取った。


「この時、怒鳴る必要はありません。相手を必要以上に貶める必要もありません。ただ、事実ではないことを事実ではないと言う。その姿勢が大切です」


 まさに、今朝のリリスだ。


 先生は誰かを指名することはしなかった。


 ただ、授業として全員に伝えている。


「また、噂を聞いた者にも礼があります。不確かな話を面白がって広げないこと。本人の前であれ陰であれ、言葉には責任があります」


 教室の何人かが俯いた。


 朝の女子生徒も。


 リリスは静かに前を向いている。


 授業が終わると、ベイル先生がリリスに近づいた。


「アマリリスさん」


「はい」


「今日のあなたは、よく言葉を整えていました」


「……ありがとうございます」


「ただ、疲れたでしょう」


「少し」


「感情の半歩で足りない時は、座って休みなさい」


「はい」


 先生は俺へ視線を向ける。


「シェルザートさん」


「はい」


「隣に立てていましたね」


「……はい」


「よろしい」


 それだけ。


 でも、少し救われた。


 休み時間、リリスは席で静かにしていた。


 俺は近づきすぎないよう、でも離れすぎない距離に立つ。


「リリス」


「はい」


「疲れましたか?」


「少し」


「座ったままで大丈夫です」


「はい」


「さっきの言葉、嬉しかったです」


「……アルを、軽んじられるのは嫌でした」


「はい」


「でも、少し怖かったです」


「そうでしょうね」


「言った後に、手が震えました」


「見えていました」


「アル」


「はい」


「今は、半歩では足りません」


 俺は頷いた。


「では、どうしたいですか?」


 リリスは少し考えた。


「少しだけ、隣にいてください」


「はい」


 俺は彼女の隣に立った。


 近すぎない。


 でも、離れない。


 彼女が求めた距離。


 エレナ嬢が静かに反対側へ立つ。


 ユリウスは少し離れて、周囲と何気ない会話を始めた。


 クラスの空気を戻してくれている。


 ニールも、普段通り算術の教本を開いて友人に話しかけていた。


 皆が、それぞれのやり方で支えていた。


 リリスは小さく息を吐いた。


「ありがとうございます」


「はい」


「泣きそうです」


「嬉しい涙ですか?」


「安心です」


「分かりました」


 ハンカチを渡す。


 リリスは目元を押さえた。


 涙は少し多めだった。


 でも、声は出さない。


 悲しい涙ではない。


 怖さが抜けて、安心して出た涙。


 俺は黙って待った。


 昼休み。


 食堂へ行くか迷ったが、リリスが行くと言った。


「逃げたと思われたくありません」


 その言葉は静かだが強かった。


 俺は頷いた。


「分かりました。でも無理はしすぎないでください」


「はい」


 食堂では、やはり視線があった。


 朝の件は広まり始めているのだろう。


 だが、空気は少し変わっていた。


 リリスがはっきり言った。


 それが伝わっている。


 オスカー・ベルクもこちらを見ていた。


 彼の表情は読みづらい。


 だが、以前のような余裕は少し薄い気がした。


 俺たちはいつもの席につく。


 ユリウスが低い声で言った。


「朝の件、すぐ広まる」


「でしょうね」


「でも悪い広まり方じゃない。アマリリス様が毅然と言った、という形になると思う」


「そうですか」


「少なくとも、こちらの弱さにはならない」


 リリスは静かに頷いた。


「でも、あの方を必要以上に傷つけたくはありません」


「それも大丈夫だと思う」


 エレナ嬢が言った。


「アマリリス様は、謝罪もされました。あれ以上責める言い方ではありませんでしたわ」


「はい」


 リリスは少し安心したようだった。


 俺はスープを一口飲んだ。


 リリスがそれを見て、小さく笑う。


「アルが、ちゃんと食べています」


「今日は俺の体調確認ですか」


「はい。でも、見守りです」


「監視ではなく?」


「見守りです」


「分かりました」


 少し笑えた。


 それだけで、空気が軽くなる。


 午後の魔法基礎では、リリスの魔力が少し揺れた。


 当然だ。


 朝のことがあった。


 教師もそれに気づいたが、叱らなかった。


「アマリリスさん、今日は無理に抑え込まず、少しずつ戻しましょう」


「はい」


 リリスは深呼吸した。


 光が揺れる。


 青白い光が少し強くなり、弱くなり、また整う。


 俺は少し離れた場所で見ていた。


 リリスが一瞬こちらを見る。


 俺は小さく頷いた。


 大丈夫。


 彼女も頷き返す。


 光が落ち着いた。


 教師が頷く。


「よろしい。揺れた後に戻せることが大切です」


「はい」


 リリスの声は少し疲れていたが、しっかりしていた。


 放課後。


 レオナルド先輩が待っていた。


 今日はいつもより表情が険しい。


「リリス」


「お兄様」


「朝の件は聞いた」


「はい」


「よく言った」


 リリスの目が揺れる。


「お兄様」


「ただし、無理はするな」


「はい」


 レオナルド先輩は俺を見る。


「アルフレッド」


「はい」


「君も、よく前に出すぎず待った」


「……父上に言われていたので」


「いい判断だ」


「ありがとうございます」


「噂の流れは僕が見ておく。ユリウスにも少し頼む」


「はい」


「父上には」


「伝えたのですか?」


「母上が伝えた」


「大丈夫ですか?」


「現在、十歩下がっている」


「十歩で足りますか?」


「母上が横にいる」


「なら大丈夫ですね」


 リリスが少し笑った。


 レオナルド先輩はその笑顔を見て、少しだけ表情を和らげた。


「リリス、今日は早めに帰って休め」


「はい」


「泣いてもいい」


「お兄様」


「今日は嬉しい涙だけではないだろう」


 兄はちゃんと見ていた。


 リリスは少しだけ唇を震わせた。


「……はい」


「なら、泣いて休め。明日また半歩で立てばいい」


「はい」


 俺は少し驚いた。


 レオナルド先輩が、半歩という言葉をとても自然に使った。


 からかいではなく、支えとして。


 リリスもそれが嬉しかったのだろう。


 涙を一粒こぼした。


 正門で別れる時、リリスはいつもより静かだった。


「アル」


「はい」


「今日は、少し怖かったです」


「はい」


「でも、言えました」


「はい。とても立派でした」


「……それは、嬉しいです」


「今日は小声版じゃなくてもいいです」


「はい」


 俺はハンカチを差し出した。


 リリスは受け取り、目元を押さえる。


「今日の宝物名は?」


 少し迷ったが、いつも通り聞いた。


 リリスは涙の中で小さく笑った。


「半歩だけでは足りなかった日の宝物です」


「……はい」


「でも、アルが隣にいてくれた日の宝物でもあります」


「はい」


「また明日、アル」


「また明日、リリス」


 馬車が遠ざかる。


 俺は見送りながら、胸の奥が少し重かった。


 リリスは強かった。


 でも、傷つかなかったわけではない。


 半歩だけでは足りない日もある。


 その時に隣に立てるかどうか。


 今日は、少しだけできた気がする。


 その夜。


 屋敷に帰ると、父上が待っていた。


 すでに知っている顔だった。


「聞いた」


「はい」


「リリス嬢はよく言ったな」


「はい」


「お前も、よく待った」


「……はい」


 父上は静かに頷いた。


「今日はそれでいい」


 その後、フルーラ家から書状が届いた。


 一通目、ガロウ公爵。


『娘が泣いた。嬉し涙だけではないと聞いた。剣は持っていない。セレスティアが横にいる。十歩下がっている。だが心は近い。アルフレッド殿、今日の娘の隣にいてくれて感謝する。説明は明日でいい。 ガロウ』


 二通目、レオナルド先輩。


『本日の件、リリスはよく言った。君も前に出すぎなかった。評価する。噂の流れはこちらでも確認する。父上は十歩下がっているが、心は前のめりだ。母上が制御中。 レオナルド』


 三通目、セレスティア夫人。


『アルフレッド様。今日はリリスにとって少し苦い日だったようです。それでも、あの子が自分の言葉で立てたことを、母として誇りに思います。あなたが前に出すぎず、隣にいてくださったことにも感謝いたします。半歩だけでは足りない日もあります。そんな日は、どうか隣で待ってあげてくださいませ。 セレスティア』


 俺は三通を読み、静かに天井を見上げた。


 半歩だけでは足りない日。


 今日がそうだった。


 父上は笑わなかった。


 母上も静かに頷いていた。


 リーマスは目を伏せ、ライズは親指を立てなかった。


 ただ、静かに一礼した。


 俺は深く息を吸い、今日だけは心の中で小さく呟いた。


 公爵令嬢様。


 今日は、よく頑張りました。


 明日も、ちゃんと隣にいます。

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