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『公爵令嬢様、距離感が近すぎます! 〜伯爵子息は今日もツッコミが追いつかない〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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20/84

第20話 公爵令嬢様、面談前日に支えようとして近すぎます



 皆さん、こんにちは!!


 アルフレッド・シェルザートです。


 ついに明日である。


 何が明日なのか。


 セレスティア・フルーラ公爵夫人とのお茶会である。


 リリスの母君。


 ガロウ公爵を微笑み一つで止める人。


 レオナルド先輩を姿勢よく歩かせる人。


 リリスが「優しいけれど、少し笑顔が怖い」と言う人。


 そして手紙だけで、俺の胃をきゅっとさせる人。


 そのセレスティア夫人と、明日、学園内の貴賓用応接室で会う。


 逃げ道はない。


 なぜなら、ご本人が手紙にそう書いているからだ。


 逃げ道はございません。


 変わらずございません。


 ……丁寧な言葉なのに、どうしてこんなに怖いのか。


 俺は朝、自室の机の上に置かれた三通の手紙を見ていた。


 ガロウ公爵。


 レオナルド先輩。


 セレスティア夫人。


 ここ最近、フルーラ家からの手紙はほぼ日課になっている。


 もう来ない日の方が不安になるかもしれない。


 いや、ならない。


 ならないぞ。


 俺はまだ正常だ。


 たぶん。


 ライズが制服の上着を整えながら言った。


「若様、本日はいよいよ前日でございます」


「言わなくても分かっている」


「セレスティア様とのお茶会前日」


「繰り返すな」


「面談前日」


「面談と言うな」


「逃げ道確認日」


「逃げ道はないんだよ!!」


 朝から声が出た。


 ライズは真顔で一礼する。


「その通りでございます」


「確認するな」


「若様、声量の調整を」


「お前が煽るからだ」


「失礼いたしました」


 絶対に失礼と思っていない。


 最近のライズは、真顔で俺の精神を削ってくる。


 有能な従者とは、主人を整える存在ではなかったのか。


 いや、整えてはくれている。


 方向性が少しおかしいだけで。


「本日の持ち物でございます」


 ライズは鞄の中身を確認しながら続けた。


「教本、筆記具、研究用ノート」


「ああ」


「ハンカチ六枚」


「昨日と同じだな」


「追加で一枚」


「増えた」


「面談前日の緊張によるアマリリス様用でございます」


「用途が具体的すぎる」


「さらに、若様用の胃薬……ではなく、胃に優しい香草茶の小袋を」


「今、胃薬と言いかけたな」


「学園に薬を持ち込むには許可が必要ですので」


「理由が現実的」


「香草茶なら問題ございません」


「ありがとう。使いたくはないけど」


「念のためです」


 ライズは真面目だった。


 俺もありがたく受け取った。


 使いたくはない。


 ないが、心強いのは確かだ。


 朝食の席では、父上が俺を見るなり笑った。


「顔が硬いな、アルフレッド」


「明日ですから」


「セレスティアは取って食ったりしない」


「それは分かっています」


「ただ、じっと見る」


「それが怖いんです」


「核心を聞く」


「それも怖いんです」


「逃げ道は塞ぐ」


「やっぱり怖いじゃないですか!!」


 父上は笑った。


 母上は穏やかに紅茶を注いでくれる。


「アル、大丈夫よ」


「母上」


「昨日までにちゃんと考えたでしょう?」


「はい」


「リリス様にも伝えた」


「はい」


「なら、明日も同じでいいの」


「同じ」


「ええ。あなたがリリス様を大切に思っていることは、もう十分伝わっているわ。あとは、それをセレスティア様の前でも隠さないこと」


「……はい」


「照れてもいいのよ」


「照れると思います」


「たぶん、リリス様も泣くわね」


「でしょうね」


「その時は、ハンカチ」


「持っています」


「よろしい」


 完全に準備が定着している。


 婚約者の母との面談準備で、まずハンカチ確認。


 普通なのか?


 いや、普通ではない。


 でも俺たちには必要だ。


 父上が少し真面目な声になった。


「アルフレッド」


「はい」


「明日、セレスティアが何を聞いてきても、リリス嬢を守るための嘘はつくな」


「はい」


「きれいな言葉で誤魔化すな」


「はい」


「お前がまだ未熟なら、未熟だと言えばいい」


「はい」


「だが、逃げるな」


「分かっています」


 父上の言葉が胸に沈む。


 逃げるな。


 セレスティア夫人の手紙とは違う意味で、重い。


 俺はまだ完璧な婚約者ではない。


 リリスをいつでも支えられるほど強いわけでもない。


 むしろ毎日ツッコミで精一杯だ。


 でも、逃げるつもりはない。


 それだけは、ちゃんと言える。


 学園へ向かう馬車の中、俺は窓の外を眺めていた。


 王都の街並みはいつも通り。


 店先には人が立ち、馬車が行き交い、空には柔らかな春の光が広がっている。


 世界は普通に動いている。


 俺だけが、明日の面談で胃を痛めている。


 いや、リリスも緊張しているはずだ。


 彼女は母親を尊敬している。


 大好きでもある。


 だからこそ、自分の婚約者である俺がどう見られるか、不安なのだろう。


 今日は、俺が不安がってばかりでは駄目だ。


 そう思った。


 学園の正門前に着くと、リリスはいつもの場所にいた。


 今日も制服姿。


 ブルーローズの髪飾り。


 ただ、いつもより明らかに落ち着かない。


 俺を見つけると笑顔になる。


 そして歩き出す。


 走らない。


 そこはもう安定している。


 だが、歩きながら少し手元を気にしている。


 胸の前で指をぎゅっと握っている。


「アル、ご機嫌よう」


「ご機嫌よう、リリス」


「今日も走りませんでした」


「はい。今日も自然でした」


「……自然、継続三日目です」


「順調ですね」


「はい」


 リリスは嬉しそうに頷いた。


 しかしすぐに、不安そうに目を伏せる。


「明日、ですね」


「はい」


「お母様とのお茶会」


「はい」


「アル、緊張していますか?」


「しています」


「私もです」


「一緒ですね」


 リリスの表情が少し緩んだ。


「一緒」


「はい」


「その言葉、落ち着きます」


「ならよかったです」


「泣きそうです……小声版です」


「前日一回目ですね」


「数えないでください」


「すみません」


 ミラが後ろでハンカチを用意しかけたが、リリスは深呼吸して止めた。


「大丈夫です」


「偉いです」


「危険です」


「分かっています」


 もうこの流れも自然だ。


 しかし今日は、リリスがいつもより俺を見ている気がする。


 俺を心配しているような目。


「リリス?」


「はい」


「どうしました?」


「今日は、アルを支えたいと思っています」


「俺を?」


「はい」


 リリスは真剣だった。


「いつも、私はアルに支えていただいています」


「そうでしょうか」


「はい。泣きそうな時も、不安な時も、距離が近すぎた時も」


「最後」


「でも、明日はアルも緊張されています」


「はい」


「だから今日は、私がアルを支えます」


 胸が少し温かくなった。


 リリスは本当に一生懸命だ。


 俺を支えたい。


 その気持ちは嬉しい。


 嬉しいのだが。


 リリスは一歩近づいた。


 近い。


「リリス」


「はい」


「支えようとして、距離が近いです」


「……支えるには近い方がよいかと」


「物理的に支えなくて大丈夫です」


「そうなのですか?」


「はい」


「でも、もしアルが倒れそうになったら」


「倒れません」


「胃が痛くなったら」


「なぜ知っているんですか」


「ライズ様から、香草茶を持たせたと聞きました」


「ライズ!!」


 いない従者にツッコんだ。


 リリスは心配そうに俺を見る。


「アル、胃が痛いのですか?」


「痛くはありません」


「本当ですか?」


「はい」


「無理していませんか?」


「少し緊張しているだけです」


「では、私が」


「近いです」


「……はい」


 リリスは一歩下がった。


 でも、まだ少し近い。


 支えたい気持ちが距離に出ている。


 これはこれで可愛い。


 いや、可愛いが、廊下では危険だ。


 教室へ向かう途中、ユリウスとエレナ嬢が合流した。


「おはよう、二人とも」


「おはようございます」


「ご機嫌よう」


 ユリウスは俺たちを見るなり笑った。


「今日はアマリリス様の方が支える側?」


「なぜ分かるんですか」


「距離がいつもと違う」


「分かるようになっているのが怖い」


 エレナ嬢も微笑んだ。


「アマリリス様、今日はアルフレッド様を心配されているのですね」


「はい」


 リリスは真剣に頷いた。


「アルが緊張されていますので」


「なるほど」


「私が支えます」


「素敵ですわ」


「ただ、物理的に近くなります」


「そこはほどほどにしましょうね」


「はい」


 エレナ嬢の言葉はリリスに届く。


 ありがたい。


 ユリウスが俺の肩を軽く叩いた。


「アルフレッド、前日だしね」


「はい」


「緊張して当然だよ」


「そう言われると少し楽です」


「でも、君なら大丈夫」


「ありがとうございます」


「失敗しても面白いし」


「台無しです」


「冗談だよ」


 ユリウスは笑った。


 その軽さに、少し救われることもある。


 教室に入ると、クラスメイトたちの視線がいつもより少し優しかった。


 たぶん、明日の面談のことが広まっている。


 もう何も隠せない。


 ニールが控えめに近づいてきた。


「シェルザート君」


「おはようございます、バートン君」


「明日、フルーラ公爵夫人とお会いするって聞いたんだけど」


「はい」


「その……頑張って」


「ありがとうございます」


 ニールは少し照れたように笑った。


「僕だったら緊張で倒れると思うから」


「俺も少し近いです」


「倒れないでね」


「はい」


 リリスがすぐに反応した。


「アルは倒れません」


「リリス」


「でも、もし倒れたら私が支えます」


「物理的支援に戻らないでください」


 ニールが笑った。


 教室の数人もくすくす笑う。


 空気が柔らかくなる。


 一時間目は礼法だった。


 今日の内容は、上位貴族との茶会作法。


 絶対に狙っている。


 ベイル先生はいつも通り淡々と始めた。


「本日は、上位貴族との茶会における受け答えについて確認します」


 俺を見るな。


 いや、見ていない。


 たぶん。


「相手が上位者であっても、必要以上に怯える必要はありません。ただし、軽さは禁物です」


 刺さる。


「質問を受けた時は、すぐに飾った答えを返そうとせず、一拍置き、自分の言葉で答えること」


 昨日も言われた。


 今日も言われた。


 きっと明日も必要になる。


「沈黙を恐れないこと。考える時間は、誠実さの一部です」


 沈黙を恐れない。


 俺はノートに書いた。


 リリスも前の席で真剣に書いている。


 その後、実際に受け答えの練習があった。


 二人一組。


 上位者役と招かれた側役を交代で行う。


 俺の相手はユリウス。


 リリスはエレナ嬢。


 ユリウスが妙に楽しそうに言う。


「では、僕が上位者役を」


「似合いそうですね」


「アルフレッド・シェルザート君」


「はい」


「君はアマリリス嬢をどう思っているのかな?」


「いきなり本番想定!?」


 小声でツッコんだ。


 ユリウスは笑っている。


「練習だよ」


「もっと普通の質問にしてください」


「普通だと思うけど」


「普通ではない」


 ベイル先生がこちらを見る。


「シェルザートさん」


「はい」


「今の質問に答えてみなさい」


「先生まで!?」


 教室が少しざわつく。


 リリスが固まった。


 エレナ嬢がハンカチを準備しかける。


 早い。


 俺は深く息を吸った。


 沈黙を恐れない。


 一拍置く。


 自分の言葉で。


「……アマリリス様は、私にとって大切な婚約者です」


 リリスの肩が震えた。


 だが俺は続けた。


「とても感情が豊かで、時々距離感が近くて、驚かされることも多いですが」


 教室の数人が笑いを堪える。


「それでも、いつも一生懸命で、相手を大切にしようとする方です。私は、そういうところを尊重したいと思っています」


 言い終えた。


 顔が熱い。


 リリスは完全に涙目。


 でも声は出さない。


 ベイル先生は静かに頷いた。


「よろしい。少し率直すぎる部分もありますが、誠実です」


「ありがとうございます」


「ただし、茶会本番では『距離感が近い』は表現を整えなさい」


「はい」


 教室が少し笑った。


 リリスが震える声で言う。


「泣きそうです……小声版です」


 エレナ嬢がハンカチを出す。


 ユリウスが水を差し出す。


 俺は深呼吸を促す。


 ベイル先生は「落ち着いてからで構いません」と言った。


 もう完全に授業内に組み込まれている。


 休み時間、リリスは俺の席に来た。


「アル」


「はい」


「先ほどの言葉、本番でも」


「言い方は整えます」


「距離感が近い、は」


「少し控えます」


「でも、本当です」


「はい」


「私は、距離感が近いです」


「自覚がある」


「はい」


「成長ですね」


「……危険です」


「またですね」


 リリスは深呼吸した。


 今日は泣く回数を少し抑えようとしているのが分かる。


 俺を支えるつもりだからだろうか。


 可愛いし、健気だ。


 二時間目は文学。


 今日の詩は「旅立ち前夜」。


 面談前日の俺に刺さる。


 教師、狙っているのか。


 詩の中で、旅人が不安を抱えながらも、大切な人の言葉を胸に進む場面があった。


 リリスが静かに聞いている。


 俺も聞いた。


 不安でも進む。


 逃げ道がなくても、いや、逃げ道がないからこそ、前に進む。


 昼休み。


 食堂では、いつもの四人で座った。


 今日はリリスが俺の皿を見つめていた。


「リリス」


「はい」


「食べたいものが?」


「いえ」


「では?」


「アルがちゃんと食べているか確認しています」


「俺の体調管理?」


「はい。明日に備えて」


「支えようとしてくれているのは分かりますが、食事監視は近いです」


「監視ではありません。見守りです」


「言い方」


 ユリウスが笑う。


「アマリリス様、今日は完全にアルフレッド保護者だね」


「保護者ではありません。婚約者です」


「強い」


 エレナ嬢が微笑む。


「でも、アルフレッド様も今日は少し緊張されていますものね」


「顔に出ていますか?」


「少し」


「やはり」


 リリスが心配そうに身を乗り出す。


「アル、香草茶を飲みますか?」


「なぜ知っているんですか」


「ライズ様が、昼食後に飲むとよいと」


「ライズ!!」


 またいない従者にツッコむ。


 食堂で声が出た。


 周囲が少し笑う。


 リリスは鞄から小さな包みを出した。


「ミラが淹れられるように準備してくれています」


「ミラ殿まで」


「皆、アルを心配しています」


 リリスは真剣だった。


 俺はその包みを見て、少し肩の力が抜けた。


 皆に心配されている。


 少し恥ずかしい。


 でも、ありがたい。


「では、少しだけいただきます」


「はい」


 リリスの顔が明るくなる。


「アルが受け取ってくださいました」


「そんなに嬉しいですか」


「はい。支えられた気がします」


 俺は笑った。


「ありがとうございます、リリス」


「……っ」


「小声版?」


「嬉しいですが、今日は支える側なので耐えます」


「無理しないでくださいね」


「はい」


 昼食後、ミラが用意してくれた香草茶を少し飲んだ。


 温かく、穏やかな香り。


 確かに胃に優しい。


 リリスは俺の様子をじっと見ていた。


「リリス」


「はい」


「見すぎです」


「効いているか気になります」


「薬ではありません」


「でも、少し落ち着きましたか?」


「はい。落ち着きました」


「よかったです」


 リリスは心から安心した顔をした。


 その表情を見ると、俺も本当に少し落ち着いた。


 午後は自由研究。


 リリスは礼法の本を読みながら、自分の経験をどう一般化するか考えている。


 俺も領地経営の資料を読んでいたが、明日のことが気になって集中が途切れる。


 すると、リリスが小さな紙を差し出してきた。


「アル」


「はい」


「これを」


 紙には、綺麗な字で短く書かれていた。


『アルは、ちゃんとアルのままで大丈夫です』


 俺はしばらくその文字を見つめた。


「リリス」


「はい」


「ありがとうございます」


「口で言うと泣きそうになるので、書きました」


「自分が?」


「はい」


「支え方が上手くなっていますね」


「本当ですか?」


「はい」


「……危険です」


「でも、本当です」


 リリスは少し目を潤ませたが、泣かなかった。


 俺はその紙を丁寧に畳み、ノートに挟んだ。


「持っていても?」


「はい」


「明日も持っていきます」


「……っ」


「小声版?」


「小声版です」


 結局、少し泣いた。


 だが、嬉しそうだった。


 放課後、廊下でレオナルド先輩に会った。


 もう待っていたと言っていい。


「アルフレッド」


「はい」


「明日だな」


「はい」


「顔が硬い」


「皆に言われます」


「母上は、君を取って食わない」


「父上にも言われました」


「ただし、核心は聞く」


「それも言われました」


「なら大丈夫だ」


「大丈夫の基準が分かりません」


 レオナルド先輩は少しだけ笑った。


「リリス」


「はい、お兄様」


「君も緊張しているな」


「はい」


「だが、母上は君が選んだ相手を見たいだけだ」


「はい」


「君が自信を持って隣に立ちなさい」


「……はい」


 リリスは真剣に頷いた。


 兄らしい言葉だった。


 過保護で、圧も強いが、こういう時は頼もしい。


「アルフレッド」


「はい」


「明日、もし困ったら」


「はい」


「正直に困っていると言え」


「それでいいんですか?」


「母上には誤魔化すよりましだ」


「なるほど」


「それと、父上は明日来ない」


「よかった」


「来ようとしたが、母上が止めた」


「やはり」


「僕も同席しない」


「そうなのですか?」


「母上が、若い二人と話したいと言った」


「……なるほど」


 つまり明日は、セレスティア夫人、リリス、俺。


 三人。


 逃げ道なし。


 圧は減ったのか増えたのか分からない。


 正門で別れる時、リリスはいつもより少しだけ近かった。


 でも今日は俺も何も言わなかった。


 支えたい気持ちが伝わっていたから。


「アル」


「はい」


「明日、一緒に頑張りましょう」


「はい」


「私は、アルの隣にいます」


「はい」


「アルも、私の隣にいてくださいますか?」


「もちろんです」


 リリスの目が潤む。


「泣きそうです……小声版です」


「今日は我慢しなくてもいいですよ」


「でも、明日に備えて」


「少しなら」


「……では、少しだけ」


 俺はハンカチを差し出した。


 リリスは受け取り、一粒だけ涙を拭いた。


「今日の宝物名は?」


「アルを支える前日の宝物です」


「長いですね」


「大切です」


「はい」


「また明日、アル」


「また明日、リリス」


 馬車が遠ざかる。


 俺はそれを見送り、空を見上げた。


 明日。


 ついにセレスティア夫人と会う。


 怖い。


 緊張する。


 でも、逃げない。


 リリスが隣にいる。


 それだけで、少しだけ前を向ける。


 その夜。


 屋敷に帰ると、父上と母上が待っていた。


「いよいよ明日だな」


「はい」


「覚悟は?」


「少しだけ」


「十分だ」


 母上が微笑む。


「アル、今日は早く休みなさい」


「はい」


「明日は、綺麗な言葉より、ちゃんとした心で」


「はい」


 その後、フルーラ家から書状が届いた。


 一通目、ガロウ公爵。


『明日、私は行かない。行かないぞ。セレスティアに止められたわけではない。いや、止められた。娘を頼む。説明は後で聞く。 ガロウ』


 二通目、レオナルド先輩。


『明日、僕も同席しない。母上がそう決めた。逃げるな。困ったら正直に困れ。リリスを頼む。 レオナルド』


 三通目、セレスティア夫人。


『アルフレッド様。明日、お会いできることを楽しみにしております。どうぞ肩の力を抜いていらしてくださいませ。逃げ道はございませんが、扉はきちんと開けてお待ちしております。 セレスティア』


 俺は三通を読み、静かに天井を見上げた。


 扉は開いている。


 でも逃げ道はない。


 どういうことですか、公爵夫人様。


 父上は笑った。


 母上も楽しそうだった。


 リーマスは「扉を開けて逃げ道を塞ぐ、見事でございます」と頷いた。


 ライズは親指を立てた。


 俺は深く息を吸い、今日も心の底から叫んだ。


 公爵令嬢様!!


 明日ついにお母様と対面なのに!!


 前日からもう胃が痛いです!!

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