21 スヴェンの正体
フェルトの長剣が、カランと音を立てて広間の大理石の床を転がっていく。
彼の頬には、一筋の傷がついていた。
ただの盲目の楽師だと高を括っていたのだろう。頬の傷に手を当て、スヴェンを見つめるフェルトの表情から余裕が消えている。
「その目……まさか、おまえは……」
アリシアの盾になるように立っていたスヴェンが、わずかに動いた。肩にかかる金髪が揺れ、隠れていた横顔が露わになる。彼は目を開いていた。
そこにあるのは光を失い濁った瞳ではない、まばゆいばかりの金の虹彩だった。
金髪金眼。陽光を表す、この吉兆色の組み合わせは……。
「そうですよ。あなたに追放されたダリアンです、フェルト大神官」
「やはり、ダリアン……おまえか!」
フェルトはスヴェンを睨みつけ、自分の後ろの神官たちの存在を忘れたかのように、激情をぶつける。
「体よく辺境に追いやってやったのに、なぜ戻ってきた。まさか私を恨んでいるのではなかろうな? あれは、おまえが悪いのだよ。私の言うことだけ大人しく聞いていればよかったものを、呪い子に味方するような真似をするから……!」
ダリ……アン?
二人の会話を聞いても、アリシアはまだ半信半疑だった。
けれど、最初に感じたとおり、確かに似ている。柔らかな金髪も、神秘的な金の瞳も、穏やかなその表情も。
この場にいる神官の中には、スヴェンを見て懐かしそうに目を細める者もいる。彼は皆に好かれていた……。
「私はただ、前任者である乳母の悪行を調べようとしていただけですよ。ああ……なるほど、だから別れを告げる機会すら与えられず、突然追い出されたわけですか」
「黙れ! いい加減なことを言うな」
スヴェンの挑発的な言葉に、フェルトは声を荒げた。
しかし、噂好きの貴婦人たちがコソコソと「そういえば、ホート子爵と夫人が失脚しましたわよね?」「ええ、横領の罪で爵位と財産を取り上げられたとか。まさか猊下が黒幕……」と話すのを、周りの貴族や神官が聞き耳を立てている。そのため広間には、少しずつフェルトに対する疑念の色が広がり始めた。
「残念ながら、あなたへの私怨で戻ってきたわけではありません。私は辺境へ赴いたのち、ソレニア帝国へ亡命して正教へ改宗しました。先代大神官ニコラウス様の遺志を継ぎ『終末の極夜』の真実とアリシア様を救う方法を調べるために」
「亡命だと!? 邪教に身を落としたのか……!」
「邪教、ですか? 果たしてそうでしょうか」
「何!?」
怒りを露わにするフェルトに対し、スヴェンはあくまで冷静に語りかけた。そのよく通る美しい声に、周囲の者たちも黙って耳を傾ける。
「正教において、夜は不吉なものではなく、私たちに安息をもたらす癒しの時間とされています。あなた方が『終末の極夜』と恐れているものは、実は『神の聖夢』と呼ばれる神の祝福なのです。働きすぎる太陽神ソルテスへ、母である夜の女神ノクティアが、三百年に一度与える三十年の休息なのですよ。そして、息子がいない間、世界が一日の半分を昼、半分を夜として保てるよう、母と息子の神力を分け与え調整役として地上に遣わされるのが黒髪赤眼の聖女です」
「聖女だと……? な、何を戯言を……!?」
「戯言? 実際に、今こうして夜が明けているではありませんか。ソルテスを唯一神と崇めるために分派した初代ギルデンローゼンは、聖典から女神ノクティアの名を削り、真実を捻じ曲げました。そして、己の権力のために、聖女を呪い子と偽り利用したのです」
ざわっ……と、神官や貴族たちの間に大きな動揺が走る。
その隙にアリシアは、スヴェンが着ているローブの端を引っ張った。
「本当に……ダリアンなの? 声も背丈も、全然違うじゃない……」
小さな声で尋ねると、スヴェンは振り向き、可笑しそうに笑った。
「あれから八年も経っているんですよ? 普通は背が伸びて、声変わりするものなんです」
「こ、声変わりくらい知ってるわよっ。それより、自分から離宮を去ったんじゃなかったの? 私、てっきりあなたに見捨てられたのだと……」
「まさか、あり得ません。……追放されたとはいえ、長い間おそばを離れてしまい、申し訳ありませんでした。ですが、もう大丈夫ですよ。髪の毛一本たりとも、アリシア様を傷つけさせやしません」
アリシアは頷き、フェルトに視線を移す。
「フェルト……私はずっと、あなたに騙されていたのね」
「くっ……私は認めないぞ。カレド、おまえは呪い子だ。でなければ、姉上の今までの苦労はなんだったのだ……。聖女など所詮、異端者の妄言ではないか、証拠もないくせに」
フェルトは憎々しげにアリシアに向かって吐き捨てると、付き従っている兵士たちに命じた。
「その異端者と呪い子を捕らえよ! 」
その声に応じ、兵士たちが玉座に向かって一歩踏み出す。しかし、頭上から聞こえてくる風を切り裂くような甲高い咆哮により、その動きを止めた。
キュルルルルル……!
窓の外には、いつの間にか翼を広げた飛竜たちが王宮の空を旋回していたのだ。
「な、何ごとだっ!?」
フェルトと兵士たちは戦慄し、何十頭もの竜が空を行き来する様子を凝視した。
ハヴィルンドには竜が生息していないので、アリシアも実物を見るのは初めてだ。貴婦人たちの噂によると、小型種の飛竜は調教すれば馬のように人を乗せることができるのだという。
どういうことなのか、スヴェンに尋ねようと口を開きかけた瞬間、広間の扉から顔面蒼白になった兵士が駆け込んできた。
「報告! 庭園に竜が降り立ちました。正教の聖騎士を名乗る軍勢により、あっという間に王宮を包囲、制圧されていきます」
「何……聖騎士だと?」
兵士の報告に、広間が騒然となった。
アリシアは、再びスヴェンのローブを引っ張る。
「もしかして……神官を辞めて騎士になったの?」
「はい。聖騎士は法王直轄の部隊です。もう一度、貴女様に会うために頑張ったのですよ」
「だから鍛えられた身体だったんだ……」
「そんなにこの身体がお気に召したのなら何よりです」
「こ、こんな時に、変なこと言わないでよっ」
そうこうするうちに、白い騎士服を纏った聖騎士たちが正面扉から一気に突入してきた。彼らは、無抵抗な神官や貴族たちを傷つけないように配慮しながらも、アリシアたちを捕らえようとしていた兵士たちの動きを次々に封じていく。あっけなくフェルトも取り押さえられた。
圧倒的な実力差を見せつける聖騎士たちの後ろから、イヴァルとかつてスヴェンを献上した辺境の領主が入ってくる。その傍らには、アリシアの執務室に置きっぱなしになっていた金庫型の禁書庫を抱える聖騎士の姿があった。
「イヴァル! 今までどこにいたの?」
レーヴ領にいるブラントへ帰還の通達をするため執務室を出て行ってから、彼は戻ってきていなかった。
「それが……ブラント将軍へ通達を出したあとに、届いたのです。あの……例の物が……」
さすがに禁書と口に出すのは憚れたのか、イヴァルは少しばつの悪そうな表情を浮かべて辺境領主の浅黒い顔に視線を向けた。
領主はにっこりとした笑顔で、腕に分厚い羊皮紙の本を抱えている。おそらく、それが正教の原典の写しなのだろう。
「厳密には、物だけでなく人も、でございます。私はその聖騎士の方々に保護されておりました」
「は? その領主が聖騎士を連れて来たというの?」
イヴァルの説明にあ然とするアリシアに、スヴェンはそっと耳打ちをする。
「彼は我々の協力者なんです。帝国から竜を飛ばすには目立ちすぎますからね。交易特権を与えてくださって助かりました。……おや、まさか行き倒れの楽師だなんて、本気で信じていたんですか?」
信じていた、とは言えずに、アリシアはそっぽを向く。
自分の性格を知り尽くすこの男は、最初から計算ずくで正教の原典の話をしたのだ。聖騎士を国内に招き入れ、飛竜ごと男の領地に潜ませるために。
まったく、可愛げのない……。
アリシアが苦虫を噛み潰したように顔をしかめていると、イヴァルに付き添っていた聖騎士の一人がスヴェンの前へ進み出た。
「報告いたします! 正門、裏門及び城内の制圧、すべて完了いたしました」
ピシッと足を揃え、右手を胸に当てて敬礼する。
「見事だ。すべて計画通りだな」
スヴェンも敬礼を返し、ゆっくりとアリシアの方へと向き直る。その顔はさっきまでの人を揶揄うような悪戯っぽい笑みではなく、騎士らしい凛々しい表情へと変わっていた。
「ソルテス正教聖騎士団長、スヴェン・レナトゥス・フォン・ヴァルハイト。法王フォルシウス猊下の勅命により、聖女様をお迎えにまいりました」
凛とした声が広間に高く響き渡った。




