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真昼の夜空 ~呪い子のはずが、実は世界の愛され聖女だった!? 一途な彼に救われ幸せになります~  作者: ぷよ猫


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   17 洗脳と忠誠

 乳母の断罪を終えたアリシアは、執務机の前で羽根ペンを手に持ったまま、ぼんやりとしていた。

 ぽとりと一滴、ペン先からインクが落ちて書面が黒くにじむ。我に返り慌てて羽根ペンを置いたものの、先ほどからこの調子で、机上の書類はまだ一枚も捌けていない。

 乳母に養育費の横領を唆していたのは、叔父であり大神官のフェルトだった。

 彼は、そうまでして過酷な境遇に追いやるほど、自分を嫌悪している。

 ロニー、エッペ、マルク……食事係の神官見習いたちの態度がぞんざいだったのも、単に呪い子というだけではなく、フェルトの指示であったならば納得がいく。


「なら、どうして……?」


 彼の駒だったはずのダリアンは、なぜ自分に優しくしてくれたのだろう。

 フェルトは、呪い子の機嫌を取って『神の蝕』の進行を止めるためだと言っていた。けれど、文字を教えたり、離宮の外を散歩までさせる必要はあったのか……。

 そのことばかりが、ずっと頭の中を巡っている。

 自分を殺そうとしておきながら、十分な養育費を用意していた父親のことも……なんだか矛盾だらけなような気がして、何を信じていいのかわからない。

 アリシアは、混乱する思考を振り切るように頭を振る。そして、ダリアンが離宮の引き出しに置き忘れていった、あの銀の懐中時計を取り出した。

 蓋に太陽の意匠が彫られていて、細かな傷がついている古い時計だ。黙って去っていった彼が、間違いなくあの離宮にいたという、唯一の痕跡……。

 ゆっくりと指でなぞると、ひんやりとした金属の感触が伝わってきた。しばらくそうしているうちに、段々と冷静になっていく。


「バカね……もう誰も信じないって決めたんじゃない」


 なのに今さら何を……いや、誰を信じたいというのか……?

 アリシアは自嘲して、懐中時計を置く。再び羽根ペンを手に決裁書類へ向き合うと、扉がノックされ、ブラントが姿を現した。


「陛下、急報です。レーヴ公爵領にて、大規模な暴動が発生しました。これまで各地で起きた小競り合いで兵が分散しており、呼び戻している時間はありません」


 緊張感のある声が、事態の切迫さを物語っていた。

 レーヴ家にも私兵はいる。領地の治安を守るために配置されているはずなのだが、それでも対処しきれず援軍を求めてきたということだ。

 これまでポツポツと頻発する小規模な暴動は、フェルトに協力的な一部の教区の信徒たちが扇動したものだった。

「呪い子のせいで夜は明けないのだ。このままでは皆が飢え死にしてしまう」

「呪い子は不当に王座に就いている。猊下はお認めになっていない」

 これがアリシアの排除を掲げる彼らの主張である。

 しかしなぜ、フェルトは実家の本拠地たる場所で大きな暴動を起こしたのだろう。もしかして、レーヴ家は加担していないのだろうか……。

 いずれにせよ、さらなる暴動に発展する前に、早急に鎮めなければならない。


「それで、どうするつもり?」


「事態を速やかに収拾するため、王都防衛のための近衛を残し、残存する守備隊を私自ら率いて現地へ赴きます。陛下、どうか出陣のご許可を」


 厳粛な表情で淀みなく発する言葉に、忠誠心の揺らぎは感じられない。けれど、それを信じて送り出してもよいものか。それとも、今この場でこの男を洗脳して裏切りの憂いを断つべきか、アリシアの心に迷いが生じていた。


「……陛下?」


 即答できずにいるアリシアを訝しむようにブラントから、声が掛かる。

 アリシアは、赤い瞳を真っすぐにブラントへ向けた。


「なぜおまえは、呪い子である私に従うの?」


 その問いが意外だったのか、ブラントの厳つい顔が一瞬、呆気に取られたように緩んだ。すぐに表情を引き締め、迷いのない言葉を紡ぐ。


「我がブラント家は代々王家に忠誠を誓ってまいりました。貴女様もまたギルデンローゼンです。先王陛下が『決して殺してはならぬ』と厳命を下された以上、命をかけて従う以外の選択肢がありましょうか?」


「つまり、この忌まわしい黒髪と赤い瞳とは関係なく、私が王家の名を持つ者だから忠誠を誓うというのね?」


 アリシアの肩から力が抜けた。女王個人に忠誠を誓われるよりも、ずっと安心できる。決して殺してはならぬ……この王命がある限り、ブラントは自分を危険にさらすことはしないはずだ。

 忠誠はギルデンローゼンに――。

 その立場を肯定するように彼は言葉を重ねる。


「はい。正直に申し上げますと、あの場で貴女様に敵う者は誰一人おりませんでした。なので、せめて折を見て、先王陛下とヨアキム殿下の助命を乞うつもりだったのです。ですが、先日、陛下はお二方の処遇を決められたので……」


「あの二人も、ギルデンローゼンというわけね」


「その通りです。私にレーヴへの忠義はございません」


「……わかったわ。ブラント将軍、出陣を許可する。事態の収拾を任せるわ」


「は……、必ずや」


 ブラントは胸に拳を当てて敬意を示してから、退室しようと踵を返した。

 アリシアがやりかけの書類に視線を落としたところで、扉のノブに手をかけた彼は、ふと足を止める。


「……あの楽師が宮廷に来てから、陛下は年相応の笑顔を見せられるようになりましたな」


 独り言のようにぼそりと呟いたあと、静かに扉が閉まった。


「笑顔? 私が? 勘違いじゃないかしら」


 アリシアは驚いて顔を上げたが、すでにブラントはおらず、彼女の声だけが部屋の中に響いた。


 **


 午後。王宮の庭では、今日もスヴェンが奏でるリュートの音色が澄み渡る。

 アリシアは彼の隣で黙って耳を傾けていた。

 政務の合間のこのひとときは、もう習慣のようなものだ。ランタンを持たず星のわずかな明かりだけを頼りに、スヴェンの後ろをついて歩くのも。

 日々、少なくなっていく食糧庫の備蓄の心配も、フェルトたちが扇動する暴動も頭の隅に追いやって、甘い旋律に身をゆだねる唯一の癒しの時間だった。


「……今日は、また一段と甘く切ない曲ね」

 

「哀しいすれ違いの悲恋の曲ですよ。まあ、アリシア様に恋歌は、まだ早いのですがね」


「なっ……! 子ども扱いしないでっ」


 まったく、一言多い。

 自分を揶揄うスヴェンの横顔を見つめながら、アリシアはふとブラントが残していった言葉を思い出していた。

 ――年相応の笑顔を見せられるようになりましたな。

 笑顔? 怒りっぽくなったの間違いじゃないだろうか。


「次はどんな曲を弾きましょうか?」


 アリシアの抗議を気にも留めず、スヴェンは穏やかな声で尋ねてきた。その声色に気が削がれ、アリシアは素直にリクエスト曲を思案し始める。


「そうねぇ」


 そう言いながら、ベンチの背に寄りかかり天を仰いだ時だった。

 空に淡い赤と緑の混ざり合った光の幕が、揺らめきながら広がっていく。まるで、夜の闇に虹が架かったかのように。

 見たこともない壮観な光景に、アリシアは思わずスヴェンのローブを引っ張った。


「スヴェン、空が……! 夜空一面に大きな虹のカーテンがなびいているみたい……」


「夜空の虹……ですか」

 

 スヴェンは抱えていたリュートを脇に置く。それから空を見上げるが、その瞼は閉じられたままだ。


「綺麗……」


 アリシアは神秘的な光の美しさに目を奪われ、無意識に立ち上がる。見上げながら一歩足を踏み出した瞬間、体勢を大きく崩した。


「きゃっ!」


 倒れそうになりぎゅっと目を閉じると、強い力で腰を抱き寄せられる。

 ぽすんと顔に柔らかな布の感触が当たり、目を開ければ、アリシアはスヴェンの胸の中にいた。


「大丈夫ですか?」


「あ、ありがとう。平気よ」


 ドクンと心臓が跳ねるのは、抱き留めてくれたスヴェンの腕が温かいからなのか。もしくは……ゆったりとしたローブ越しに伝わってくる彼の肉体が、鍛え抜かれた兵士のようにたくましいからなのか……?


「スヴェン……」

 

 咄嗟に差し出された腕の力強さ。厚い胸板。

 ただの楽師のものではない。

 こんな絶好の機会に手を下さないのだから、刺客ではないのだろう。でも、味方という保障もない。

 フェルトの手先でないのなら、楽師のふりをして自分に近づいてきた理由は何?

 スヴェン、あなたは一体……誰なの……?

 訊きたい。でも、訊けない。本当のことを知ってしまったら、もう一緒にはいられないような気がして。


「どうかしましたか?」 


 スヴェンが微笑む。

 いつもと変わらぬ笑みなのに、今日はやけにダリアンを思い起こさせる。あり得ない。きっと彼の懐中時計に触ったからだ。

 

「……いえ、なんでもないわ。そろそろ行きましょう」


 アリシアはスヴェンから離れ、少し先を歩く。今度は転ばないように、注意深く足元に目を配りながら。

 不思議な虹の光に薄っすらと照らし出される地面は、頭上の美しさとは対照的に花一つなく寂寞としていた。

 かつて一年中、王宮の庭に自生していたコケモモとブルーベリーの果実も、極夜となってからは一粒も見当たらない。

 昼の時間に吹く夜風は、元気をなくした生け垣のコニファーをカサリと揺らすばかりだった。




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