14 隠された扉
翌朝、アリシアがスヴェンを連れて執務室の扉を開けると、書類を抱えて待っていた宰相イヴァルのお小言が飛んできた。
「陛下、あまり部外者を近づけるのは感心いたしません。由緒正しいお家柄ならいざ知らず、素性の知れぬ楽師を立ち入らせるべきではありません」
彼はアリシアに逆らうことはないが、言うべきことははっきりと言う。
すると、定期報告のためにイヴァルの隣に立っていた将軍のブラントも、渋面を作り老宰相に加勢した。
「宰相閣下のおっしゃる通りです。旅の楽師など、フェルト猊下の手先かもしれないではないですか。いくら盲目とはいえ、王の執務室へ入れるなど、警戒心がなさすぎます」
アリシアが父親から王位を奪取したときに忠誠を誓われて以来、初めての苦言である。
この二人に責められるということは、女王として余程非常識な行動なのだろう。
一方、スヴェンは、アリシアの数歩後ろで大人しく控えている。
「いいのよ、二人とも。目が見えないなら、書類を盗み見ることもできないでしょう? 執務中はいつも一人だから、聞かれて困ることもないし」
アリシアが説得を試みると、イヴァルは「……陛下がそうおっしゃるのであれば」と、それ以上追及することはなかった。
だが、納得がいかない様子のブラントは、なおも食い下がろうとする。
「しかし、御身に万が一のことがあれば……」
「ブラント、この王宮のなかでは、私は自分の身を自分で守れるわ。それより、お父様から面白い話を聞いたの。この部屋のどこかに、初代国王が残した隠し扉があるらしいのよ。そこにある禁書庫に、この極夜を乗り越える手掛かりが眠っているかもしれないわ。だから、スヴェンと探したいの」
今日だけだと言うと、ブラントも渋々だが引き下がった。
「……承知いたしました。くれぐれも、お気をつけて」
二人が退室すると、部屋にはアリシアとスヴェンだけが残された。
自分がここへ連れて来たせいで嫌な思いをさせてしまったことに後ろめたさを感じ、アリシアは言葉をかける。
「気を悪くしないでね。彼らに悪気はないのよ」
「アリシア様がフェルト猊下に命を狙われているという噂は存じています。御身を心配しての発言でしょう。気にしていませんよ」
思いのほか、スヴェンはカラッとしている。
「……彼らは本気で心配しているわけではないわよ。イヴァルは私に洗脳されているだけだし、ブラントは……きっと自分の利益のためよ」
「闇の力、でしたっけ。アリシア様から邪悪なものは感じないのですがね。現にこうして、皆が助かる道を模索していらっしゃる」
スヴェンの揶揄うような口調に、アリシアの顔が赤く染まる。
「コ、コケモモのジャムが食べられなくなるのが嫌なだけよ……」
実際に食糧倉庫の備蓄は冬が終わるまで。その間になんとかしなければならない。
アリシアは、パンッと両手で頬を叩き気合を入れた。
「さて。そのためには、まずはその隠し扉を探さないとね。スヴェン、指先の感覚が鋭いあなたなら、壁の不自然な隙間や、扉を開ける仕掛けを見つけられるかもしれないわ」
「まるで童話の宝探しみたいですね。喜んでお手伝いします」
スヴェンは楽しげにゆっくりと歩き、壁を覆う木張りの継ぎ目を指先でそっとなぞり始めた。時折、コンコンと壁を叩く。
アリシアも大きな本棚や、飾られた絵画の裏を見て回る。バラの花を模した丸いロゼットの飾り彫りの凹凸を指で押してみたりもした。
しかし、どれだけ探しても、それらしい仕掛けは一向に見つからない。
「……おかしいわね。お父様、その場しのぎの嘘をついたのかしら?」
家具の配置は至ってシンプルで、部屋の奥に執務机と本棚、中央に来客用の革張りソファがあるほかは、暖炉側の壁に数枚の絵画、扉の近くに大きな姿見があるだけだ。簡単に見つかると思っていたアリシアは、首を傾げた。
ふと足を止めると、少し離れた場所で壁のロゼットを探っているスヴェンの横顔が、壁掛けランプの白く澄んだ明かりに照らし出されている。丸みを帯びた額、スッと鼻筋が通り、頬の上には長いまつ毛が影を落とす。緩やかに弧を描く形のよい唇……。
急にスヴェンが壁に向けていた顔をこちらへ向けた。
「アリシア様、そんなに見つめられたら、手元が狂ってしまいます」
「っ……! な、何言ってるのよ。見つめてなんかいないわよ」
アリシアの心臓が跳ね上がる。慌てて声を荒らげると、スヴェンは可笑しそうに口元をほころばせた。
「おや、違いましたか? 貴女様の衣擦れの音がぴたりと止まって、熱い視線を感じましたから、てっきり」
「そんなの、気のせいよ。ただ、どこに仕掛けがあるか考えてただけだから!」
この男……本当に調子が狂う。
アリシアは胸に手を当て、暴れる心臓を必死に抑え込んだ。
そんな自分の気も知らず、スヴェンは少年のような悪戯っぽい表情のまま疑問を口にする。
「……ですがアリシア様、少々奇妙ですね」
「奇妙?」
「私の耳が正しければ、この部屋の壁には、どこにも裏に空洞があるような音の反響はありません。本当に、ここに隠し扉があるのでしょうか」
やはり父の嘘か、もしくは記憶違いか……。
無駄骨だったかとアリシアが落胆しかけたとき、執務室の扉がノックされた。
入ってきたのは、午前中の決裁書類を回収しに来たイヴァルである。彼は机の上に手つかずのまま積み上げられた書類の山を一瞥した。
「陛下、本日の政務がずいぶんと滞っているようですが……」
「お父様から聞いた隠し扉を探すのに、少し手間取っただけよ。禁書庫の中を確認したのは私のひいおじい様が最後らしいから、お父様も正確な場所を覚えていなかったの。だから時間がかかって、書類を捌ききれなかったのよ」
そそくさと執務机に座り書類に手を伸ばすアリシアの言い訳を、イヴァルは表情一つ変えずに聞いていた。そして、納得したように相槌を打つ。
「左様でございましたか。なれば陛下……この部屋を探しても見つからないのは当然にございます」
「え? どういうこと?」
「陛下の曾祖父――三代前の王の執務室は、現在のこの部屋ではなく南棟にございました。マテウス様の父君に当たる先々代が即位された折にこちらへ移転したため、現在は使われておらず当時のままになっております。お探しの隠し扉は、あちらの旧執務室にあるかと」
新たな情報に、アリシアは床を蹴り上げ勢いよく立ち上がった。
「旧執務室……それよ!」
しかし、コホンとイヴァルに咳払いされて、再び腰を下ろす。
「と、とりあえず急ぎの書類が終わってからにするわ」
「……賢明なご判断でございます」
イヴァルが厳かに答えるその後ろでは、笑いを堪えたスヴェンが身に纏うローブの肩を震わせていた。
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大急ぎで書類を捌き、昼食に燻製ハムと濃厚チーズのサンドイッチを軽く摘まんでから、アリシアはスヴェンを伴い、南棟の旧執務室へと向かった。
主を失ったその部屋は、現在の執務室と部屋のつくりはほとんど変わらないものの、一回りほど狭い。いくつかの家具には埃よけの白い布がかけられたままで、普段は閉め切られているせいか、空気は澱んでいる。
定期的な清掃は行われているというが……。
「うわ……これは手強そうね」
アリシアは顔をしかめながらも、手に持ったランタンを掲げ探索を開始した。古びた暖炉の縁や、埃を被った本棚へと手を伸ばしていく。
スヴェンも壁を叩きながら、木張りの壁の継ぎ目を指でなぞっている。
「スヴェン、そっちはどう?」
「うーん、何もなさそうですね。……それよりもアリシア様、あまり無理をして埃っぽいところばかり触らない方がよろしいですよ」
「どうして?」
スヴェンは壁から手を離すと、アリシアの方へ身体を向けた。
「目が見えない私でもわかります。部屋のあちこちから、パタパタと忙しない音が聞こえていましたから。きっと今のアリシア様は、埃まみれで、真っ黒な子猫のようになっているのではないでしょうか」
「なっ……! 誰が黒い子猫よ!」
アリシアがあたふたと自分の服や腕を確認してみると、袖口が煤で黒くなり、手も埃で白く汚れている。暖炉の中を覗いたから、頭も悲惨なことになっているに違いない。
すると、スヴェンはゆっくりとした足取りでアリシアの元へ歩み寄り、ごく自然な動作で手を伸ばした。彼の指先が、アリシアの髪にそっと触れる。
「じっとしていてくださいね」
大きな手で、アリシアの頭の上の埃を優しく払っていく。
時々、頬に指先がわずかに触れる。この感触は……。
――髪を洗わせてくださいね。
――アリシア様は、本当に美しい髪をされていますね。まるで紡ぎたての極上の絹糸のようです。
ダリ……アン。
なぜ今さら、あの裏切り者の言葉を思い出すのか。
「……っ、もういいわよ! 自分でできるから」
アリシアは咄嗟にスヴェンの手を振り払い、数歩後ずさった。
スヴェンは手を引いて「おや、お節介が過ぎましたね」と困ったように微笑む。
「時間が惜しいわ。さっさと終わらせましょう」
まったく、心臓に悪い。
乱れた呼吸に気づかれないように、アリシアはあえてスヴェンから大きく距離を取って、再び隠し扉の探索へ戻った。
しばらくして、部屋の隅の壁を指先でなぞっていたスヴェンが、ふと動きを止めた。
「アリシア様。ここだけ、風の通り方が違います」
「え?」
スヴェンが指し示したのは、執務机から数歩先にある、大きな本棚のすぐ脇の壁だ。ロゼットの丸い花飾りの一つを押し込むと、カチッ、と何かが嵌ったような硬い音がした。
「どうやら、これのようですね。――下がっていてください」
スヴェンが軽く手を添えて壁を手前に引くと、周囲と同化していた木張りの継ぎ目が擦れた音を立てながら、扉がゆっくりと開いていく。
現れたのは、隠し部屋というよりは、壁の厚みを利用してつくられた窪みのような空間である。
その奥に、鈍い黒光りを放つ鉄製の金庫がひっそりと鎮座していた。正面には太陽の意匠が深く彫り込まれ、その下に鍵穴がぽっかりと口を開けている。
これが、禁書庫――。
「本当に、あったわ……」
アリシアは呆然と呟いた。




