12 見つめ合えない瞳
謁見の間。玉座に座るアリシアの前で、国境近くの領地を治める壮年の男が、恭しく頭を下げていた。
彼の背後には、即位祝いの品々が所狭しと並べられている。最上級の絹やベルベット、きらめくエメラルドの首飾りやルビーのイヤリング、銀食器の数々。
正直、食指が動きそうなものはなかった。一通り見たあとは、宝物庫へ入れてしまおう。
そんなアリシアの心を見透かすように、領主は浅黒い顔を上げ、にっこりと愛想笑いを浮かべた。
「陛下、我が領地は東の交易エリアに近いゆえ、まずはそちらから買い付けましためずらしいガラス細工の器を……とはいえ、このような贅沢品は王宮に溢れており、陛下もお見飽きのことかと存じます。そこで――」
後ろを振り向き、パンパンと手を叩く。
すると、扉がゆっくりと開き、一人の青年が案内人に伴われて入ってきた。
艶やかな金髪に穏やかな表情、幾重にもドレープを描くゆったりとした仕立てのローブを身に纏っており、リュートを抱えている。背が高く、足取りはどこか慎重で両目は閉じたままであった。
「この者は行き倒れていたところを保護いたしました、盲目の美しい楽師にございます。目が見えぬながらも、リュートの腕前は目を見張るものがあり、市井に埋もれさせるには惜しい逸材。楽師として側に置かれるもよし、身の回りの世話をさせるもよし。盲目ゆえ、陛下の私生活のお邪魔にはなりますまい」
案内人に促され、楽師の青年はアリシアの前で静かに片膝を突いた。
「……ハヴィルンド王国の新たなる光、アリシア陛下に御挨拶申し上げます。このリュートの音色が、陛下の御心の慰めとなれば幸いにございます」
よく通る美しい声だった。
「ダ……」
なぜだか、懐かしい名前がアリシアの口から零れそうになる。
いや、違う。
落ち着きのある、大人の男の声だ。背もうんと高い。
似ているのは、柔らかそうな金髪と端正で穏やかな顔の雰囲気だけ……。
それに彼が楽器を嗜んでいるなど、見たことも聞いたこともないではないか。
「おまえ、名は?」
コホンと咳払いをして居丈高に尋ねると、楽師は目を閉じたまま端的に答えた。
「スヴェンと申します」
どうしたものか……。
アリシアは玉座の肘掛けに頬杖をつき、スヴェンを見つめた。
大神官フェルトが昔の世話係と似た男を送り込んできた、という可能性もある。だがしかし、この場で領主の申し出を断るには惜しい……。
「……お気に召しませんか?」
値踏みするような視線が心配になったのか、領主が遠慮がちに問いかけてきた。
「――いえ、気に入ったわ。今日から専属の楽師として側に置くことにする」
咄嗟に答えると、領主はパッと顔を輝かせる。
アリシアは自分の下した決断に、苦笑いを浮かべるしかなかった。
まあ、いいわ。
誰が近くに侍ろうと、大差はない。仮にフェルトの手先だったとしても、逆に彼を引きずり出すのに利用すればいいだけだ。
領主が満面の笑みを浮かべながら謁見の間を辞していくと、アリシアと片膝を突いたままのスヴェンだけが取り残された。やけに部屋が広く感じられ、なんとなく気まずい。
アリシアは自身の動揺を悟られないよう息を止めて、そっと玉座の背もたれに寄りかかった。その間、スヴェンは微動だにしない。
「ふうん。私の邪魔にならない、ね。……スヴェン、こちらを向きなさい」
「はい、陛下」
場を取り繕うように命じると、スヴェンは素直に顔を上げた。肩にかかる金髪がわずかに揺れる。
やはり、少し似ている。だから彼の瞼の奥にある色に期待したのかもしれない。
気づけば、口に出していた。
「瞳を開けてみせてちょうだい」
「恐れながら――」
スヴェンの温顔が陰る。
「……お目汚しになるかと存じますので、どうかご容赦を。光を失った瞳は濁り、見る者を不快にさせてしまいます」
そう言われてアリシアは、羞恥で顔が真っ赤になった。あまりに配慮に欠いた要求である。いかに己の身分が高くとも、相手の尊厳を傷つけていいはずがない。
今まで蔑ろにされていた自分が、よくわかっているはずではないか。しかもスヴェンは、今初めて会ったばかりで、自分を殺そうとした父や兄とは違い、危害を加えるようなことは何もしていないというのに。
「……その……悪かったわ」
ばつの悪さに目を背けるが、盲目のスヴェンには見えず「お気になさらないでください」と落ち着いた声が返ってきた。
「その目は、いつからなの?」
「生まれたときからにございます。ですので、見えぬ世界が私にとっての日常であり、普段の生活やリュートを奏でることに、支障はございません」
生まれたときから――。
なのに、あの裏切り者と面影を重ねるなんて。
アリシアの肩から力が抜ける。玉座を立ち、壇上の階段を数段下りていくと、そこに敷かれた赤い絨毯の上へ無造作に腰掛けた。
「……そう。なら、早速その腕前を披露してもらいましょうか。私の退屈を紛らわせるだけの価値が、おまえにあるのかどうか」
「仰せのままに」
スヴェンは張りのある声で応じると、片膝を突いていた姿勢を崩し、その場に座り直した。
腕に抱えたのは、洋梨の果実を縦半分に割ったような形をした木製の弦楽器だ。彼が指先で弦を優しく弾くと、ポロロン……と伸びやかな音が広がっていった。
アリシアは赤い絨毯の上に座ったまま瞳を閉じ、リュートの調べに耳を傾ける。明るいながらもどこか切なく甘い音色が、胸の奥に染み渡っていく。
やがて、ひとしきり美しい旋律が奏でられ、最後の一音が余韻を残して消えていった。
「――いい音ね」
「ありがとうございます。陛下のお気に召したなら光栄です」
緊張が解けたのか、安堵したようにスヴェンの唇が弧を描いた。
その朗らかな笑みに、早くも気を許しそうになっている自分に驚く。
なんだか調子が狂う。
いや、これはきっと音楽のせいだ。リュートの音色の……。
この演奏が毎日聴けるのなら、思わぬ拾い物だったのかもしれない。
ふと思いついた気まぐれが、口を衝いて出た。
「スヴェン。今日から私を呼ぶときは、陛下ではなくアリシアでいいわ」
「ですが、それはあまりに恐れ多い――」
「ただの退屈しのぎよ。王宮では、誰もが私を陛下と呼ぶの。貴族たちは私を恐れているか、取り入って楽をしようとするかのどちらかよ。だけど、一人くらい気軽に名前を呼ぶ人がいてもいいじゃない? その代わり私が呼んだら、いつでも、すぐに駆けつけるのよ。いいわね?」
スヴェンは困ったように眉を下げ、それから、ふっと声音を緩めた。
「……承りました。では、アリシア様、貴女様を退屈から救うのが私の役目というわけですね。いつでも、すぐにお側に駆けつけましょう」
面白そうだ。アリシアは久しぶりに明るい気分になる。
「もう一曲、弾いて」
「喜んで」
スヴェンが再びリュートを抱え直そうと、わずかに体を動かした。
ピーン、ピーン、ピーン……。
突然、彼の衣服の奥からバネを弾いたような、ひときわ高く澄んだ金属音が鳴りだした。
「今の音は?」
アリシアが不思議そうに目を向けると、スヴェンは少し慌てた様子で、申し訳なさそうに身をすくめた。
「失礼いたしました。リュートの重みで、衣服のポケットを圧迫してしまったようです。これはリピーターと呼ばれる時計でして、レバーを押し込むと、音の数で時刻を知ることができるのですよ。今は、ちょうど十八時ですね」
スヴェンはローブの奥から、銀の懐中時計をそっと覗かせた。丸い蓋には太陽の紋様が彫り込まれており、その側面には小さなスライド式のレバーがついている。
「そう。目が見えなくても、そんな便利な道具があるのね」
アリシアが感心したように呟くと、スヴェンはリピーターをポケットに戻し、再びリュートを構える。
「では、気を取り直して一曲……」
スヴェンの長い指から、先ほどまでの甘やかな調べとは違い、今度はどこか素朴な聴き覚えのある旋律が紡がれていった。
ポロン、ポロン、ポロロン……。
あの離宮でミントグリーンの壁布を貼りながら、時折、口ずさまれていた鼻歌。
「ねえ、スヴェン。これは、なんていう曲なの?」
「これですか? これはハヴィルンド王国に昔から伝わる子守歌ですよ。市井の者なら、誰でも一度は耳にしたことがあるような、ありふれた曲です」
「……そうなんだ。昔、よく聴いた歌だから気になって」
すると、スヴェンは手を休めることなく問いかけてきた。ポロン、ポロンと、のどかで単調なリズムが繰り返される。
「その歌を歌っていた方は、アリシア様の大切な人ですか?」
「いいえ? ――ただの、裏切り者よ」
その言葉のあと、ビィンと弦の切れた音とともに、リュートの音色が途切れた。
「だから、ね。この曲はもう二度と弾かないでちょうだい。さあ、そろそろ夕食の時間だわ。一緒に食べましょう。その前に部屋へ案内させるわね」
アリシアはスヴェンの返事を待たずに一気に話し終えると、衛兵を呼んで必要な指示を与え、そのまま謁見の間を出ていった。




