三章 11 極夜の女王
『終末の極夜』が訪れると、世界は一日中、闇に包まれるようになった。
人々は夜空に響く時報の鐘、そして蝋燭とランプの灯りを頼りに生活している。
常春のように温暖だったハヴィルンド王国の気候は、白夜に異変が起きた頃から少しずつ涼しい風が吹くようになり、近頃は太陽の光が途絶えたことで一段と涼しさを増した。暖炉に火を入れるほどではないが、ドレスの上に羽織るものが欲しくなるような肌寒さだ。
「まあ! 今日お召しの赤いショールは一段と素敵ですわ。陛下の艶やかな黒髪に最上級のカシミアが映えますわね」
「本当に、陛下によくお似合いですわ」
ランプの明かりが煌々と灯る王宮のサロンでは、きらびやかに着飾った貴婦人たちがお茶の時間を過ごしていた。新女王となったアリシアを取り囲み、競い合うように褒めたたえている。
「そう? マルッキ侯爵夫人からの贈り物なの。西の交易エリアの商人から手に入れた希少品らしいわ」
アリシアは適当に返事をしつつ、紅茶のカップを口に運ぶ。
別に彼女たちの言うことが本心だとは思っていない。ただ自分の機嫌を取りたいだけだ。そうすることで、この王宮での地位を築き、少しでも得をしたいのだ。
逆らう者は、誰もいない。望むものもすべて手に入る。
けれど、なんだろう? この、心に巣食う物足りなさは。
「希少品といえば、最近、市場の野菜や果物が少しずつ手に入りにくくなっているそうですのよ」
おべっかばかりのお茶会に飽き飽きしていると、夫人の一人が思い出したように話し始めた。すると別の夫人も同意し、それをきっかけに市井の噂に花が咲く。
「ええ、わたくしも聞きましたわ。庶民たちの間では、このまま極夜が続けば農作物が育たず食糧が尽きるのではないか、と不安が広がっているようですわね」
「あらまあ……白夜の異変以来、有能な宰相様が食糧の備蓄を指示してくださったおかげで、しばらく食べるものに困ることはなさそうですけれど……。新鮮な果物がないのは困りますわ」
「蝋燭やランプオイルの買い占めも起きているとか。常に夜ですから仕方ないのでしょうね。この王宮には影響のないことではございますが」
「ほほ、そうですわね。下々の者は大変ですこと」
夫人たちの上品な笑い声が響く。
太陽がなければ作物が育たぬのは、至極当然のことであった。ゆえに三十年も続く極夜は、この世に終末をもたらすと恐れられ、自分は呪い子として忌み嫌われてきたのだ。
己を聖典にある暗黒神ではないかと思ったこともある。だが、世界の滅亡を望んでいるわけではなかった。それに、食卓からコケモモのジャムが消えようとしているのは見過ごせない。
アリシアはカップをソーサーに戻すと、すっくと立ち上がった。
「皆さん、私はお先に失礼するわ。少し、頭を休めたくなったの」
女王の一言に、夫人たちは弾かれたように立ち上がり淑女の礼を執った。
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サロンを後にしたアリシアは、ランプの灯る明るい廊下を歩き、自身の執務室へと向かう。机の前に腰を下ろして一息ついたところへ、国の政務を担う老宰相イヴァルが分厚い書類を抱えて入室してきた。
「陛下、本日の決済書類でございます。……サロンの方はいかがでしたか?」
「退屈なだけよ。それより、宰相。市場では青果が減り始めていて、ランプのオイルも不足しているって本当?」
アリシアが机の上の書類に手を伸ばしながら尋ねると、イヴァルは面長の顔に刻まれた皺をさらに深めて頷いた。
「……左様にございます。備蓄倉庫にはすでに十分な食糧が蓄えられており、この冬を越す分は問題ございません。ただ、民の間で『このままだと、いつかは底を突くのではないか』という動揺が広がりつつあるのは事実です。そして、もしこれ以上寒くなるようですと、ランプオイルだけでなく、暖を取るための薪が不足する恐れがございます」
ずっと暖かだったから、人々は薪で暖を取ることに慣れていない。当然、備えもしていないのだ。彼の懸念はもっともである。
アリシアは肩のショールを引き寄せるように軽く直した。
「なら、他国との取引を増やせばいいのではないの? 完全に解決とはいかなくとも、食糧やランプ用のオイルを買い付ければ、今よりはいくらかマシになるはずでしょう?」
「しかし陛下……我がハヴィルンド王国は代々、鎖国を貫いております。交易は特定の国とその商人のみ。商品も厳格に決められています。これは初代国王が定められた祖法にございます」
建国時からの基本方針を覆す発想も、その勇気もないのだろう。イヴァルの顔が曇った。
しかし、いくらソルテス神により玉座を託された初代王の聖令といえど、民よりも優先されるべきだとは思えない。
「どうして? 理由はなんなの?」
「それは……」
アリシアの問いにイヴァルは、一瞬、言いよどんだ。
「明確な理由は我らも知らされておりませぬ。ただ、外から邪教――即ち、ソルテス真教以外の教えや異分子が入り込まぬようにするための処置かと、そのように伝わっております」
その弱々しい声音に、アリシアは意を決してきっぱりと命じる。
「だったら宗教の書物や、怪しい異分子の流入だけを取り締まれば済む話でしょう。それ以外の制限は、今すぐ緩めなさい。国境の門を開き、他国との商売を許可するわ」
「……御意にございます。陛下のご聖断、ただちに国境の領主たちへ伝達いたします」
アリシアに洗脳されている老宰相は、女王の決定に異を唱えることはない。早速、踵を返し部屋を出ていこうとしたとき、ノック音が鳴った。
「失礼します。陛下、地方より緊急の軍事報告がございます」
扉が勢いよく開かれ、将軍ブラントが腰に下げた軍刀をカチャカチャと鳴らして入ってきた。早足で歩み寄るとアリシアの前で一礼し、厳しい表情のまま言葉を続ける。
「ヴィグ地方にて、極夜への不安に駆られた民による小さな暴動が頻発しております。これ以上の混乱を防ぐため、我が軍の第三守備部隊を現地へ派遣し収拾に当たらせました。すでに、将兵たちが現地での警備及び鎮圧任務に就いております」
「そう。ご苦労様。……それで、肝心のフェルトの動向は掴めたの?」
アリシアが玉座に就いたあの日から、大神官フェルトは行方不明だ。
王都を去ったらしく、王宮礼拝堂にもエテルナ大聖堂にもいない。彼の実家、レーヴ公爵家も知らぬ存ぜぬである。
反乱を企てていると噂が流れると、地方では民衆の不安を煽るかのような小さな暴動がポツポツと起こるようになった。
ブラントの指揮で対応に当たらせているが、首謀者と目されるフェルトの行方は杳として知れない。
「申し訳ございません。フェルト猊下は巧妙に姿を隠しており、なかなか動きを掴ませない状況にございます。引き続き、潜伏先の捜索に全力を尽くしておりますが……」
そう言って悔しげに眉間を寄せるブラントを、イヴァルがすかさず擁護する。
「筆頭公爵家のレーヴ家が匿っているのなら、そう易々と居所はわかりますまい。レーヴ家当主は王位継承権をお持ちの方……王位を狙い、猊下に力を貸していてもおかしくはありませぬ」
「なかなか手強いわね。まあいいわ、引き続き警戒を怠らないで」
幸いなことに極夜となって以来、アリシアの力は今まで以上に強大になっていた。それは王都の隅々に漆黒の触手を巡らせ、結界を張れるほどだ。王都を覆う黒い茨の結界がある限り、どのような襲撃があろうと対処はできる。
叔父は自分を憎んでいる。焦らずとも、いずれ姿を現すだろう。
それよりも今は……。
二人の有能な臣下を見つめながら、アリシアはふと思いついた疑問を口にした。
「ねえ? 二人は前回の『終末の極夜』について、何か聞いたことはないの? 三百年周期なら、その乗り越え方を記した書物もあるのではなくて?」
唐突に質問を投げかけられた二人は、意表を突かれたように顔を見合わせて首を傾げた。まず、イヴァルが困惑顔で声を絞り出す。
「さあ? そのようなものは、王宮の記録にもございません。地下牢にいる先王のマテウス様ならあるいは、何かご存知かもしれませんが……」
続いて、ブラントも老宰相に賛同するかのように言葉を添えた。
「我が国ができたのは二百年前ですから……。それ以前に、実際に極夜がやって来たのかどうかも定かではありません」
「そう……お父様なら知っているかもしれないのね。わかったわ」
アリシアは小さく息を吐いた。
一通りの報告が終わり二人が退室の礼を執ろうとしたとき、イヴァルが何かを思い出したように手元の書類をめくる。
「陛下。国境の領主が、新王への即位祝いとして貢物を携え、先ほど王宮に到着いたしました。これより、謁見されますか?」
新女王のご機嫌窺いに地方の領主が貢物を持ってくるのは、めずらしいことではない。
またか……。
辟易しつつアリシアは、いつものように答えた。
「……通しなさい」
この貢物が、ほんのわずかでも自分の心の穴を埋めてくれることを願って――。




