10 暗い夜の始まり
冬の初めに、極夜はやって来た。
玉座の間。父王マテウスを前にアリシアは、良く通る声で平然と言い放つ。
「――もう昼の光は、役目を終えたわ」
丸みを帯びた大柄なマテウスの隣には、すっかり大人になった王太子のヨアキムもいる。
雑然とした広間では、朝になっても昼になっても、一向に太陽が昇らないことに慌てふためいた貴族たちが詰めかけていた。
突然の呪い子の登場に、その場は水を打ったようにピタリと静まり返る。目を覆う者、怯え震える者、ヒステリーを起こしそうになっている夫人……。
アリシアの後ろには、彼女に洗脳された料理長やメイド、王宮を警護する兵士たちが付き従うように続く。玉座の間の扉を護っていたはずの衛兵も、すでに赤い瞳に魅入られアリシアの側に控えていた。
「これからは、夜の闇がこの世を支配する。だから、その玉座を私にちょうだい?」
コツコツと靴音を鳴らし、玉座に近づいていく。
アリシアは、あの鮮やかな深紅のドレスを纏っていた。裾に刺繍された蔓薔薇の金糸が、歩調に合わせてキラキラときらめく。
王の前に立ちはだかる護衛たちは、アリシアを警戒して剣に手を掛けるが、漆黒の触手に自由を奪われ、誰一人として抜くことができなかった。
そんな護衛の有様に驚き、マテウスは玉座から腰を浮かしている。
「な……アリシアか? その格好は、それに、後ろの者たちは、一体……」
「これ? 素敵でしょう。誕生日だから奮発したの」
折しも、今日はアリシアの十六歳の誕生日だ。
しかし、マテウスは娘へ祝いの言葉をかけることなく激昂した。
「金糸は国王にしか許されぬのだぞ!」
「そうなんですってね。でも、私がこの国の王になれば解決するわ」
アリシアは父親の怒りなど意も介さず真顔で応じる。
実際、アリシアは大真面目だ。
数日前まで玉座に興味などなく、離宮で勝手気ままに暮らせればそれでよかったのに、急に気持ちが変わったのは見廻り兵の言葉を聞いたからだった。
『離宮へ戻りましょう。もうすぐヨアキム殿下がこの庭園を通るはずです。遭遇すれば、王女殿下だけでなく、侍女やお針子が罰せられます。金糸の衣装は王のみに許されたものですから……』
本宮近くの庭園を散策しようと向かっていたところ、洗脳したばかりの兵士にそう言われたのである。
その日アリシアは、胸元に金糸の刺繍の入った薄紅のドレスを着ていた。小鳥の意匠の刺繍は、彼女のお気に入りだった。
アリシアの脳裏に、ヨアキムに首を絞められたときのことが甦る。
会っただけで逆上し、有無を言わさずに殺されかけた。この場で出くわせば、兄はまた自分を殺そうとするだろう。いや、彼は自身が王になったら必ず処刑してやると言っていた。
このままでは、好きなときに好きな場所で散歩もできず、お気に入りの服さえ着られない。仕立てたばかりのベルベットのドレスを着る機会もやって来ないだろう。何より、再び命の危険にさらされないためには、あの古びた離宮を手中に収めるだけでは足りないのだ。
逃げるように踵を返しながら、アリシアの心は決まった。
次こそは、無様に引き返したりなんかしない。目指すは、本宮の玉座――。
そして、とうとう極夜となり、これが三十年間の闇――聖典にある『終末の極夜』の到来であるなら、もう毎日洗脳をかけ直す必要はない。絶好のチャンスとばかりに本宮へ乗り込んだのである。
「お、おい、 衛兵! 何をしている、早くその不届き者を捕らえろ! 」
ヨアキムが引きつった声で命じるが、広間の左右の壁際に並ぶ衛兵たちは、ぼんやりとして動こうとしない。
その異常さに気づいたのか、マテウスとヨアキムは、空色の瞳をキョロキョロと動かし辺りを見回す。
貴族たちは呪い子を前に委縮するばかり。いつの間にか、黒い触手に動きを封じられていた護衛たちも抗うことはやめて、放心したようにアリシアを見つめていた。
この場に自分の命令を聞く衛兵がいないという事実に焦ったのだろう。ヨアキムは、急にアリシアの機嫌を取り始めた。
「ア、アリシア? 冗談が過ぎるぞ。おまえの誕生日を祝ってやろうと、父上も僕も、ちょうど話をしていたところなんだ。そ、その……ドレスはよく似合っている。だから、そんな物騒な連中は下がらせるんだ……」
「嫌よ」
アリシアは即座に言い切り、兄に冷ややかな視線を向ける。
「私を殺そうとしたあなたたちが? どの口でお祝いの言葉を口にするのかしら」
「ひっ……!」
ヨアキムは悲鳴を上げて数歩後ずさると国王の豪奢な王外套に縋りついた。息子に服を引かれたマテウスの顔が、みるみる青ざめていく。
「これでは世界が、我が国が滅びてしまうではないか……。フェルト猊下…… 誰か、大神官を呼んでくるのだ!」
マテウスは、早くこの娘をどうにかせねば……などと、頭を掻きむしりながらブツブツと呟く。
取り乱すその情けない姿を見て、貴族たちはどう感じただろう。
ただ一人、老齢の宰相だけが王へ駆け寄り「陛下、しっかりなさってください!」と肩を揺さぶるが、アリシアと目が合うと急に大人しくなった。彼女の前まで歩を進め、臣下の礼を執る。
「とっとと連れていって」
アリシアが顎をしゃくると、洗脳された衛兵たちが素早く国王と王太子を取り押さえた。
「な、何を、何をするっ、 離せ! 私は王だぞ!」
「アリシア! おまえ、正気か!?」
抵抗する父と兄を、アリシアは一瞥もせずに命令を下す。
「そうね、とりあえず王宮の地下牢へ。一日三回、冷めたスープとカチコチの黒パン。それから麻の服とお風呂の代わりにバケツの水を与えることを許すわ」
「な、スープに黒パンだと! それでは死んでしまうではないかっ」
「アリシアっ! あ、謝る。首を絞めたことは謝るから、助けてくれっ」
引きずられていく二人を背中で見送り、アリシアは柔らかな赤い絨毯を踏みしめて、玉座の最上段へと上る。その一歩ごとに、深紅のベルベットが波打ち、艶やかな黒髪がなびく。
皆の注目を浴びるなか、アリシアはゆっくりとした所作でドレスの裾を整え、玉座へと腰を下ろした。貴族たちを見据え、スッと息を吸い込む。
「今から、私、アリシア・カレド・ギルデンローゼンがこのハヴィルンド王国の王よ。異論のある者は、前へ出なさい」
気高く張りのある声。
誰も、一歩も、前へは出られなかった。
アリシアの背後に控える料理長やメイド、そして広間の衛兵たちまでもが、次々とその場に跪き、平伏したからだ。
貴族たちは互いに顔を見合わせ、どうしたものかと態度を決めかねている。
――カチャリ。
硬質な音とともに人の動く気配がした。
王家の白鷹親衛連隊を率いる将軍ブラントが、その場に深く膝を突き、頭を垂れたのだ。肩から銀の飾緒を垂らした青い軍服の胸元で、数々の武勲を示す金銀の勲章がかすかに揺れて音を立てる。国で最強の武力を誇る男が、新たな王へ恭順の意を示したのだった。
彼の態度が呼び水となって、日和見だった周囲の貴族たちが次々と追随し始める。波が広がるように、居並ぶ全員がアリシアに向けて臣従の礼を尽くしていく。
アリシアが満悦の表情で彼らを見下ろした直後、玉座の間の正面扉が乱暴に押し開けられた。
「これは、何事だ!」
異変を聞きつけ、王宮礼拝堂から血相を変えた十数人の神官たちが駆け込んできたのだ。彼らは、初代ギルデンローゼンが神より与えられた玉座に座る、黒髪赤眼の少女を見て絶叫する。
「呪い子が玉座に……!? 」
「なんたる不敬、なんたる冒涜か!」
「 聖なる玉座を穢す不浄なる者よ、神罰を恐れぬか。 直ちにそこから降りよ!」
神官たちの怒号を、アリシアは眉をひそめ、退屈そうに聞いている。
「騒がしいわね」
チラリと視線を向けると、ほんの一瞬、彼らの目が赤い眼光と交錯する。その直後、神官たちから憤怒の形相が消え、感情を失くした虚ろなものへと変わった。
「失礼……しました、我が主よ」
「……御心のままに」
誰もがアリシアに跪く異様な光景を、開きっぱなしの扉の影から見ている男がいた。
大神官フェルトである。彼は神官たちのあとからやって来て、広間の様子をそっと窺っていたのだ。
自分の部下たちが呪い子に忠誠を誓っている姿を目の当たりにし、フェルトは即座に銀糸の祭服の裾をひるがえした。青ざめ、額の汗もそのままに逃げ去っていく。
遠ざかっていく気配に、アリシアがふと扉の方へ目をやったのは、彼の姿が闇に紛れたあとのことであった。




