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『眠り鼠と黄金の境界線』

「――次、右。左後方から敵増援……10。あと5秒後にハッチをこじ開けるよ。……三、二、一、……今」


通信機から聞こえる、冷静な声。


衝撃波が地面を這い、内臓を揺らす。

爆音に耳を塞がれるより早く、二つの影が夜の底へ躍り出た。

リクの視界には、網膜に投影される無機質なログだけが、淡々と流れている。


[状況:離脱成功]

[心拍数:110]

[周囲警戒:異常なし]


「…………眠り鼠(スリーピング・マウス)、作用開始。敵沈黙まで……二、一。………、さようなら」


リクが感情を消した声で呟くと、背後の喧騒は嘘のように消えた。

激昂も、悲鳴も、怒号もない。

乾いた音だけが、闇の中に沈んでいく。


彼らが通り過ぎた後には、指紋一つ、熱量一つ残らない。

最初から存在()なかったかのように、

闇へ溶かし、塗り潰す。


ーーーこれが俺たちの日常(しごと)



「あー! 疲れた! 今日もナイスオペレーション! ありがとよ、相棒!」


少し背の高い少年、香太が、屈託のない笑みでリクの背中を叩いた。

リクは深く被ったフードの奥で、わずかに眉をひそめる。


「痛い…。仕事を早く終わらせたかったのと、データをとりたかっただけ」


ぶっきらぼうに応えながらも、香太の歩調に合わせる。


仕事を終えた二人は、深夜の街に溶け込んでいく。

さっきまで死を振りまいていた少年たちだとは、誰も気づかない。


「リク、飯食べてから帰るか?」

「……ん、そうだね。……流石にお腹すいた」


ほんの少しだけリクの声が弾む。


「よし! じゃあ、オムライスでも食べに行くか!」

「いいね」


二人が向かったのは、繁華街の喧騒から隔絶された、細い裏路地にある喫茶店だ。

看板の灯りは心許なく、知る人ぞ知るその場所は、深夜の街でひっそりと息を潜めている。

香太は慣れた足取りで扉を開け、メニューも見ずに声を張った。


「おやじ! オムライス2つ!」

「あいよー! 香太、まーた、こんな時間に夜食かい?」

「まぁね。食べ盛りだからさ!」


カウンターの奥から響く店主の気風のいい声に、香太が屈託なく笑って応える。

香太と店主が軽口を叩きあう横で、リクは隅の使い込まれたボックス席に収まった。

フォグ・グレーの瞳を伏せたまま手元の端末に、今回の「仕事」のログを淡々と入力していく。


「どうだった、新型の『眠り鼠』は」


香太が声を潜めて聞く。


「…もちろん完璧。鼠たちは何も知らずに『さよなら』さ」

「ははっ、やっぱりすげぇな!」


リクは端末内のデータをみながら、無表情に答えたが、その指先はどこか満足げに跳ねた。


(…心停止までのタイムラグ…誤差0.2秒。想定の範囲内。これなら実用レベルだ。)


彼にとって「薬」は、不条理な世界を効率的に制御するための、唯一信頼できる数式だ。


「はいよ、お待ち。特製オムライスだ」


目の前に置かれたのは、完璧な曲線を描く、黄金色のオムライスだった。

リクの口元が少し緩む。


「冷めないうちに食おうぜ!」

「...うん」


香太がたっぷりケチャップをかける横で、リクは慎重にスプーンを入れる。

薄い卵の皮が弾け、中から真っ赤なケチャップライスの香りが立ち上る。

鼻腔をくすぐるバターの優しい香り。


「...おいしい」


一口運ぶと、リクの眉間のシワが、魔法が解けたようにスッと消えた。

喉を通る温かさが、リクの脳内に確かな「生」の感覚を割り込ませる。


「...これで明日も頑張れそう」

「だろ? さあ、食ったら帰って爆睡だ!」


香太が嬉そうに笑い、リクが小さく頷く。


リクにとって、この五感をくすぐる刺激が、血なまぐさい夜と日常を切り分ける、

何よりも鮮やかな「境界線」だった。


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