第二章 港の倉庫、銀の制裁
第二章 EP.1
――7年がたった。リクは事務所で最も鋭い「刃」になっていた。
1. 硝煙と沈黙の調剤
冷たく湿った空気。
漂う薬品の匂い。
事務所の地下の調剤室。
手元を照らすスタンドライト。
微かに響く息づかい。
椅子に腰を掛ける少年。
手元には、遮光瓶とピペット。
視線の先、
細い硝子の管。
一滴…
また、一滴。
滴り落ちる雫。
雫を追いかける、静かな瞳。
はらりとこぼれたアッシュブロンドの髪と、左耳のピアスが、手元のスタンドライトに青白く煌く。
細い指先は、白く、研ぎ澄まされたメスのような鋭さを宿していた。
(……一……、二……三…。)
深く息を吸い、
ゆっくり吐く。
フラスコの無色透明の液体。
無臭のそれ。
静かに、じっと見つめるフォグ・グレーの瞳。
(…作用速度、改善。)
彼が作るのは、救いではない。
鴉のための、音も苦もなき「死神の鎌」。
背後でドアが開く。
「はいるぞ」
入ってきたのは十七歳の香太だ。
少年から青年へ、しなやかに無駄のない体へ成長していた。
その腰には愛銃とタクティカルナイフ。
静かにリクの側へ行き、手元を覗き込む。
繊細で、丁寧な指先。
自作の特殊噴霧機に、無色透明の液体を流し込む。
「今回の任務、春さん直々の極秘案件だったな。依頼人は秘匿。亡国の遺産を市場に流そうとしている連中。…さっさと終わらせるか。……準備、いいか?」
香太はアッシュブロンドの髪のかかる横顔を見る。
リクは視線に気づき、顔を上げる。
ゆるりとそのまま香太を見上げ
「……うん。ちょうど出来た」
静かな声が静寂に落ちた。
「今回はなんだ?」
手元の噴霧機を見やる。
「……『眠り鼠』の改良版。三秒でさよなら、だ」
「頼もしいねぇ」
リクは『眠り鼠』をポーチにしまった。
「よし。……龍也はもう狙撃地点、茘枝は裏口だ。行くぞ、リク」
「……ん。行こう」
香太の手がリクの細い肩に置かれる。
リクはその熱を、呼吸を整えるための「安全な重み」として受け入れ始めていた。
2.氷の死神と硝煙の牙
任務の対象は、亡国の遺産を横流しする武器商人。
潮風が髪を弄ぶ。
濃紺の夜空。
港の倉庫に2つの影。
「……作戦開始」
一つの影は扉の向こうへ消える。
影が一つ、音もなく通気口へと滑り込んだ。
華奢な鴉だけが通れる『鴉の抜け道』。
倉庫の梁の上。
フードを深く被り、獲物を見下ろす冷たい瞳。
一切の温度が消える。
一瞬、呼吸が止まる。
(それは……君たちが触れていいものじゃない)
音もなく取り出した『眠り鼠』。
「………さよなら」
霧散する小さな声。
……今。
計算されたタイミングで噴霧機を起動する。
無色の霧が風下へ流れる。
――刹那
三人の男が直立不動で凍りつき、人形のように崩れ落ちた。
「?!……侵入者だ!」
気づいた残党。
上がる悲鳴、怒号
銃を向ける。
が、誰もそこにはいない。
「……どこ、見てるの?」
背後からする、柔らかな声。
驚愕に染まる瞳。
着地と同時に、袖口から解き放たれた、極細のメスとナイフ。
彼が振るうのは、精密な「死」。
踊るように、
精密に煌く、白銀の光
一人…また一人。
舞い散る華
―― 慈悲は、ない。
そこへ、部屋へと続く扉を蹴破って香太が突入した。
「……動くなよ?」
軽いのに低い声。
愛銃を水平に構える。
その瞳は、獲物を射貫く。
丁寧なエイムから放たれる速射。
狂いもなく届く音。
弾切れと同時に腰のナイフを逆手に抜く。
背後から迫る敵の喉元を、迷いなく断ち切った。
動きに合わせ、耳前の横髪と低い位置で一つに結んだ黒髪が軽やかに翻る。
二人の間に言葉は必要ない。
リクがメスで姿勢を崩した敵の急所を、香太の銃弾が貫く。
――完璧なシンクロだった。
3. 奪還した誇り
嵐が去った薄暗い倉庫内。
冷えた空気。
血の匂いと、硝煙の香りが混ざり合う。
リクは返り血を一瞥もせず、亡国の紋章が刻まれた木箱の前に立つ。
僅かに震える指先。
そっと、木箱の紋章をなぞる。
(父様、母様、叔父様……。)
チクリと痛む胸。
背後から香太が、血のついたナイフを丁寧に拭いながら歩み寄る。
「お疲れ、リク。……顔が白いぞ、大丈夫か?」
「……大丈夫。……少し、疲れただけ」
フードを深く被りなおす。
「ならいいけど……。無理すんなよ?」
大きな手が肩を叩く。
「帰ったら春さんの具沢山シチューが待ってるぞ。そういえば……さっき、龍也が『今日はリクが頑張ったから、俺の分もリクの皿に盛れ』って言ってた」
「……それ、絶対嫌がらせだよ」
リクはふっと、この七年で覚えた「小さな笑い」を零した。
白銀に煌めく月
撒き散らかされた星屑
濃紺の空
亡国の欠片を抱え、鴉たちは再び闇へ溶けていく。
鴉の夜は、まだ明けない――




