第20話 秘密の部屋
一月も経たない内に、アイラ達の潜む貧民街にも 江軍が いよいよ都付近の村を通り過ぎたという噂が囁かれるようになった。
アイラ達四人が 大きな樽を荷車に積んで帰って来ると、近所の奥さん方がオロオロと井戸端会議をしていた。
奥さん1「聞いた? もうすぐ江軍が 碧沿を取り返しに来るって! 草馬は私達の事、守ってくれんのかね」
奥さん2「んな訳ないだろ! 噂じゃあ、碧沿は また江に翻るって話じゃないか。第一王女の行方が分からないから、草馬は あたしら一般市民を盾にして地元の軍に言う事を聞かせようって話だよ?」
奥さん3「えぇっ?! 冗談じゃないよ! なら早くどっかへ逃げないと…」
奥さん1「逃げるっつったって…、都の四つの門は 厳重に閉じられてるって話だし…。あぁ、こんなことなら、隣の国へでも行っとくんだったよ!」
奥さん3「今更 そんなこと言ったって…。 ったく、第一王女はどこ行っちまったんだろうね? こういう時の為の王家なんじゃないか! 王妃様はちゃんと役目を果たしたってのに、その娘は何やってんだか…」
アイラ「……。」
少年の出立ちをしたアイラは荷車の横に付いて 井戸端会議を通り過ぎながら、顔を強張らせた。
奥さん1「あら、今度はお酒ですか? でもそれ、今日の内にでも売り払っちまわないと、明日にはこの都も どうなるか分かんないよ!」
奥さんの一人が、荷車に積まれた四つの樽を見て話しかけてきた。
ルカ「そうですね…。市場で投げ売りしてたので、つい仕入れてしまって…」
奥さん3「捨てるんなら、飲んであげるよ」
奥さん方は、そうよそうよと顔を綻ばせた。
ルカ「ハハ…」
ルカは苦笑いを返し、会釈して通り過ぎた。
奥さん達はコロリと表情を変えると、またお喋りに夢中になった。
奥さん1「だけどさぁ、もしもアイラ王女が草馬に捕まって、碧沿の軍が草馬に味方したらだよ? 江軍を追い返しちゃうかもしれないじゃないか。そりゃ困るんだよ! 野蛮な草馬の統治は、もうまっぴらだ!」
奥さん3「確かに…。なら、どうなったら一番いいのよ?」
奥さん2「そりゃ、あたしらの代わりに 王女様が人質になってくれて、それでも江軍が勝ってくれることだよ!」
奥さん3「えぇっ?! それって、アイラ王女は殺されちゃうって事じゃないの?」
奥さん2「そうかもしんないけど…、要は できるだけ犠牲を少なく、あの野蛮な連中を追い出してくれれば良いんだから。王女様は、碧沿の多くの民の命に代わるだけの立場を持ってるってことさ。何つったって、王様の子供なんだから。子供を見捨てられる親なんているもんかね」
アイラ「……。」
アイラは、やや遠くに聞こえる井戸端会議を横っ面で聞き終えると、玄関の前に立ち尽くした。
アイラ (何よそれ! 都合の良い…。私だって、皆と同じ人間なんですけど!)
仏頂面で突っ立っているアイラをチラチラ見ながら、ルカとリワンは荷台から樽を下ろしにかかった。
ルカ「エイジャ、ちょっとここ持っててくれ。重さで傾いちゃうから」
エイジャ「うーっす」
エイジャは前へ回ると、荷車の持ち手を持った。
その荷車は、荷台の左右に 大きな車輪が一つずつ付き、前に持ち手が付いただけの単純な造りだった。
リワン・ルカ「せーの!」
ルカとリワンは 液体の入った重い樽を、二人がかりで荷台から下ろしていった。
荷台に何も無くなると、エイジャは戸の横に座り、見張り番の暇潰しで すっかり板についてしまった木彫りを再開した。
エイジャ「気にすんなって。江が攻めてくんのは、おめーのせいじゃねーし」
エイジャは ごく小さな声で言った。
アイラ「……。」
家の中から ルカの声がした。
ルカ「アラン、その樽、中身 空だから転がして来れる?」
アイラはハッとすると、玄関前に一つ残っている樽の縁を転がして、家の中へ入って行った。
エイジャはいつも通り、戸を半開きに閉めた。
リワン「あなたが捕まったら、碧沿軍は動けませんからね。困りますよ?」
リワンは小さな台所の前へ樽の縁を転がしながら、念の為 釘を刺した。
アイラ「うん…」
アイラは リワンの置いたすぐ隣に、空の樽を並べた。
部屋の中はもう、アイラの寝る狭い寝台以外、足を伸ばして寝転がれるスペースは無かった。
エイジャ「碧沿軍は動けないって、どの道また、のらくらして動くつもりねーんだろが」
外から、エイジャの低い声がした。
リワン「まぁ、そうだろうけど…」
ルカは腕を組み、アイラを見て言った。
ルカ「そろそろですね…。明日の朝、移動しましょう」
アイラ「うん…」
アイラは不安そうに、樽に乗せた両手に目を落とした。
リワンは、隣に居るアイラを観察した。
リワン (あれ以来、王妃様と同じ発作は起きていない…。王妃様の母君も同じ病を持っていたと聞いた事がある。仮に、王妃様の母君の血を一とすると、王妃様の代は二分の一、姫の代は四分の一の希釈になる。要素は持っているが、三代目にして かなり病を薄める事ができているのなら、交配という繁殖システムには希望がある…。既存の要素は良いのも悪いのも薄め、自分の持っていない要素を新たに相手から取り込んで、より強い次世代を残せるという事だ。あぁそうだ、王様のあの胃痛も、姫は大きなストレスを受けた時だけで、万年体調不良という訳ではないしな…。だが、精神的脆弱性を持った個体同士の掛け合わせか…。できるなら、姫はそうではない相手と交配した方が、次世代はより頑丈な個体が望めるのだろうが…。いや、俺がそんな事を思う事自体、おこがましいか…)
アイラ (リワン…?)
アイラは、じーっと自分を見つめたまま止まっているリワンを前に、どこか勘違いして頰を染め、目を泳がせた。
エイジャが 扉からヒョイと顔を出した。
エイジャ「城に戻るつってもよー、草馬がウヨウヨしてんのに、どこに隠すんすかね?」
ルカ「さぁ…。何日で決着がつくのか、その短い間だけ 隠れておける所があるのかな…。厨房の煙突だったりして」
リワン「北の塔かな。でも、あそこは普通に見つかるか…」
エイジャ「じゃあやっぱ、コイツ一人で籠るんかな」
アイラ「えっ…」
アイラはギョッとして三人を見た。
エイジャ「だって、俺ら居たらバレるやん? それこそ、樽の中とか、甕の中とか、何かそういう ギリギリなノリなんじゃねーの?」
アイラ「樽…」
アイラは、部屋に置かれた四つの樽を見つめた。
ルカ「幸運を祈ります。我々も最善を尽くしますので、どうにか生き延びて下さい」
アイラ「…うん…」
アイラは樽の中に隠れる悲愴さを思い、小さくため息をついた。
子供1「エイジャー! 今度は何作ってるのー?」
すっかりエイジャに慣れた近所の子供達が 玄関先へやって来て、木彫りの動物をキャッキャと手に取った。
子供1「わぁ、これ、鳥さん? 可愛い」
子供2「お魚だ!」
子供3「あ、それ僕が先に見つけたんだよ!」
エイジャ「まだあるから、喧嘩すんな。全部やる」
子供「えー? いいのー?」
子供達は目を輝かせた。
エイジャ「あぁ。そろそろ怖ぇオッサンらが来るみてーだからよ。お前らも、逃げるなり隠れるなり、生き残れよな」
エイジャはクシャクシャと、今生の別れになるかもしれない子供達の頭を撫でた。
子供1「? お兄ちゃん、どっか行くの?」
エイジャ「そ。この懐かしい生活とも、お別れだな」
エイジャは 頭の後ろで手を組み ボロボロの土壁に寄りかかると、そろそろ夕方に差し掛かる空を見上げた。
・・・・・・
ルカ「閉めますよ?」
その晩、ルカは アイラを空の樽に入れて、蓋を閉めてみた。
ルカ「息、できます?」
アイラ「うん…」
男三人は狭い部屋の中で、樽を取り囲んで腕を組んだ。
エイジャ「つか、樽じゃなくても、麻袋で良かったんじゃねっすか? 重くねっすか?」
ルカ「穀物袋は、門番が刺したりするんだよ」
エイジャ「あー、そらまずいわ」
リワン「でも、樽も中身 確認しますよね?」
ルカ「全部はしない。…事の方が多い」
リワン「でも もし全部確認されたら、一貫の終わりじゃないですか?」
ルカ「うーん…、じゃあ 姫も作業員として、四人で荷車を押していくか…」
エイジャ「〈樽の中のアイラに〉お前さ、ぜってー 声出すなよな? タダでさえ細っこくて男じゃねーみてーなのに」
アイラ「…男じゃないもん」
樽の中からアイラの声がした。
エイジャ「男ってことになってんだろが!〈ルカに〉つか、このまま ここにいた方が、まだいーんじゃねっすか?」
ルカ「いや…、街は何がどうなるか分からない。市民を虐殺にかかったら、この密集する建物や人混みの中で、守り切れないだろう」
アイラ (市民を虐殺…?)
アイラは樽の中で目を見開いた。
エイジャ「ならこのまま、この樽をリワン家の裏にでも置いといた方がいーんじゃねっすかね?」
ルカ「言いたい事は分かる」
リワン「城に戻る事自体が、危険だよな…」
エイジャ「前は寺に隠れてろっつってたのに、どうして今回は城に戻るんだろ?」
リワン「前回、寺でも見つかってしまったからかな…。危うかったし…」
エイジャ「いーや、見つかったんじゃない。あれはコイツが自分から出て行ったんだ。〈アイラに〉お前さ、今度は大人しくしとけよな?!」
ゴンゴンゴンゴン! ギ、ギ…。
エイジャが話している途中から樽の蓋が内側から開き、アイラが汗だくで這い出してきた。
アイラ「無理!」
エイジャ「はぁ?!」
アイラ「これ空気無くなる!」
エイジャ「あぁ…。穴 開ければ どーにかなるんじゃねーの?」
アイラ「狭すぎる! 暗すぎる! 死ぬ!」
リワン「樽はダメか…」
ルカ「なら、やっぱ作業員コースだな…」
アイラ「そ、それにする」
エイジャ「お前さ、ぜってー声出すなよな!」
アイラは 自信なさげにエイジャを見ると、コクリと頷いた。
エイジャ「発注書ねーと、業者は入れねーんじゃねーの?」
リワン「今から偽造する。いつも医務室の発注書書いてるから、偽物というか、偽物の本物だな」
エイジャ「うはー、何か怖ぇー。おめーが」
リワン「フン。ルカさん、じゃあ 樽三つで書いておきますね?」
ルカ「頼む。一つは消えるだろうがな」
アイラ (消える…?)
リワン「あと姫、これは万一の為の 護身用です」
リワンは、台所の隅に置いてあった頭陀袋から 青い鞘に入った短剣を取り出すと、アイラに差し出した。
アイラ「こんなの…、いつの間に用意してくれてたの…?」
アイラは、恐々(こわごわ)短剣を受け取った。
リワン「ここへ来る時に持って来ていました。箒のように折れませんが、これであなたが防げるのは、恐らく一撃目だけでしょう。使う状況は無いと思いますが、もしそうなったら、後はとにかく逃げて下さい」
アイラ「はい…」
アイラは 鞘から短めの剣を引き抜くと、刃に指を当ててみた。
ヒヤリとする鋭さを指の腹に感じ、アイラは慌てて 剣を鞘の中にしまった。
アイラ「きっと…使わないわ」
リワン「はい。幸運を祈ります」
アイラは頷き、青い短剣を握りしめた。
・・・・
次の日の朝、城の北門の食糧を届ける業者の列へ、四人は荷車を押して 坂道を登って行った。
アイラは少年の出立ちで、鼻から下、首辺りまでを布で覆っていた。
アイラ (何よこれ…。いくら農家が北大路にあって、食糧庫も北側にあるからって、こんな坂を登らなきゃならないなんて…。しんどすぎるわ! どうにかしないと…)
アイラ達四人は、朝から既に汗だくになっていた。
ルカが先頭で持ち手を引き、荷台には 前に二つ、後ろに一つ酒樽が載せてあった。
前側は、左にアイラ、右にエイジャ、後ろにはリワンが、それぞれ樽がずり落ちないように押さえていた。
流石に、今日明日にでも江が攻めてくるという中で納品をしようなどという者は少なく、検品という名のカツアゲの順番は すぐに回ってきそうだった。
門番『ケチケチすんなや』
アイラは、草馬人の門番が、通過する業者や農民達から 抜け目なくマージンやチップを受け取っているのを、しかと目撃した。
アイラ (消えるって、これね)
アイラは、チラリとルカの背中を見た。
門番『酒か』
二人居る門番の内、ごっつい方が、上機嫌に言った。
彼らにとって、すこぶる嬉しいピンハネに違いなかった。
ルカ『はい。発注書はこちらです』
門番は書類を一瞥すると、樽の蓋を三つとも開けて回り、中身を確認した。
アイラは密かに目を見開いた。
アイラ (こ…、殺される所だった…!)
アイラ達四人は 門番を目で追いながら、全く同じ事を考えていた。
門番『一つ貰おう』
門番は、さも当然の権利というように言った。
ルカ『…はい…』
門番2『おいお前! 早く下ろせ!』
ヒョロ長いもう一人の門番が、すぐ側に居るアイラに言った。
アイラ (?!)
アイラはギョッとして固まった。
アイラ (何?! 何て言ってるんだろう…? これを下ろせって…? む、無理だよ…!)
アイラは目を白黒させ、それでも一応 樽に両腕を伸ばし、指示に従うフリをした。
ルカ「あぁ、やるやる」
やや余裕の無くなっていたルカは、荷車の持ち手を 誰かと代わる事なく、地面に下ろした。
アイラ「っ!」
アイラは、荷台が急に前に傾いた時、ハッと息を飲んで、樽が前に落ちないよう押さえた。
ルカ・リワン・エイジャ「……。」
護衛の三人は、彼女の その、声にはならなかった息に、寧ろ自分の方が息を止め、視界の端で門番の顔を見た。
門番2『…?』
側に居た門番は、首を傾げて訝しげに彼女の背中を見ると、何某か口を開きかけた。
リワン『かっ、彼は少し風邪気味なので、代わります』
後ろの樽を押さえていたリワンが、慌てて配置を交代した。
アイラは後方へ来ると、荷台の後ろが上がっているために、かなり上の方にある樽に 両手を伸ばした。
ルカ「せーの!」
ルカとリワンが、二人がかりで荷台の前側から樽を下ろした、その時、
ガコン!
車輪の位置が やや前寄りに付いていたその荷車は、シーソーのように後ろへ傾いた。
アイラ「ひゃっ!」
アイラは、突然にかかったその重みに、思わず悲鳴を漏らしてしまった。
リワン・エイジャ・ルカ「…!」
アイラ (はわわわ…)
アイラ達四人は 血の気がさーっと引いて、白っぽくなった。
門番達は、今度はそれを聞き逃してはくれなかった。
彼らは 一気に、後方のアイラの方へドスドスと歩いて来た。
ごっつい方の門番が、必死に樽を支える彼女の鼻から下を覆った布を引っ剥がし、その顔を不審に見ると、いきなりアイラの男物のシャツを、首元から 両手でビリリと引き裂いた。
アイラ「?!」
下着は着ていたが、アイラの控えめに膨らんだ胸が露わになった。
リワン・エイジャ・ルカ 「!」
門番『女だ! 短髪の女…、まさか、第一王女ではないか?!』
そこまで言った所で、前側に居たリワンが、ごっつい門番の顔を 横から思い切りぶん殴った。
同時に ルカが荷台に上がり、もう一人のヒョロ長い方に、アイラが押さえていたずり落ちそうな樽を 蹴ってぶっつけた。
門番2『ぐあっ!』
リワンは素早くアイラの手を引いて、坂を駆け上がり始めた。
ヒョロ長い門番にぶっつかった樽は、中身を溢しながら、ゴロゴロと坂道を転がっていった。
辺りに フルーティなアルコール臭が漂った。
後ろに並んでいた数組の業者は、目を丸くして転がっていく樽を見た。
業者「勿体ねぇ…」
トドメに、エイジャは 前へ来て持ち手を持つと、後ろでヨロヨロと起き上がった二人の門番へ、荷車の後部を思い切りぶっつけた。
門番・門番2『がっ?!』
四人は、一目散に城へ向かって坂を駆け上がった。
門番『く…そ…! 居たぞーっ! 第一王女だ!!』
アイラ (最悪…!)
後ろから聞こえる叫び声に、アイラは恐ろしくて振り返る事もできず、悲壮な顔で坂を駆け上がった。
・・・・・
執務室の窓から外を見ていた王は、外の様子が何かザワつき始めたのを見てとった。
ナザルが飛び込んできた。
ナザル「王様! 姫が北門から帰城した模様です。が、草馬に見つかってしまったようで…」
王はガックリと項垂れた。
側近「迎えに行って来ます。例の場所に姫を」
王と同じ年頃の 顎鬚を蓄えた側近は、珍しく自分から口を開いた。
王「頼む」
側近「ナザルさん、少しの間 離れますので」
ナザル「あ、はい…」
主人と、ポカンとするナザルを残し、側近はソロソロと部屋を出て行った。
・・・・
草馬の将『何、第一王女が帰城した?』
兵『はい。ですが取り逃したようで…』
将『フン。炙れば出てくるだろう』
草馬の将は 王座に頬杖をつき、ニヤリと笑った。
・・・
アイラ達四人は、北の倉庫街のシュロの木々へ身を潜め、草馬兵達が一軒一軒 庫内へ入って調べているのを、息を殺して見ていた。
草馬兵『どこへ行った?!』
草馬兵2『近くに居るはずだ!』
四人とも、坂道を駆け上がって 心臓がバクバクしていた。
エイジャはアイラを指差し、凄い形相で、口パクした。
エイジャ「お前、ふざけんなよ?!」
アイラは 破かれた胸元の服を掴んで、バツ悪く目を逸らした。
草馬兵が、碧沿語を叫びながら歩いて来た。
草馬兵3「第一王女 アイラ姫、出て来られよ! 我々 草馬は、あなたを江の攻撃から保護する! 我々にあなたが必要なのは、碧沿軍を動かすためだ。この国の平和と安定の為、共に協力し、侵略者を排除しようではないか!」
アイラは茂みの中で、頰を膨らませた。
アイラ「自分達だって侵略者のくせに…」
草馬兵3「あなたに危害は加えない。約束する! あなたが出てくれば、市民を捕虜にせずに済む!」
アイラ「…!」
アイラは心臓を掴まれたように、固まった。
エイジャが声をひそめて言った。
エイジャ「んな訳あるか! お前、捕まったら切り刻まれるぞ。一般人を盾にする奴らなんか、言ってる事一つも信用ならねぇよ」
ルカ「エイジャの言う通りです。我々は今、王女を取られる訳にはいきませんよ。市民に多少の犠牲は出るかもしれませんが、どうにか江に勝って貰わないと…」
アイラ「そんな…」
アイラは、エイジャの木彫りの動物を嬉しそうに貰って行った子供達の声を思い出した。
リワンは アイラの困惑した顔を横目で見た。
リワン「仮にあなたが出て行ったとしても、だからと言って、市民の人質が解放されるかは甚だ怪しいです。それに、碧沿軍が江軍と戦うことになれば、同胞にも多くの犠牲者が出ます。戦いが長引けば、それこそ市民にも犠牲が広がります。結果的に、人質の人数より ずっと多くの死傷者が出ます」
アイラ「近所の奥さん達が言ってたように、私が人質になっても、リワン達が江と戦わなければいいんじゃない?」
リワン「あなたが嬲り殺されるのを見ながらですか? 王様にそんな事ができるでしょうか? それに、あなたの命が尽きたら、どの道 民間人を一人ずつ見せしめにしますよ」
アイラ「私の事は殺さないんじゃない? 草馬は、母さまの代わりが欲しいんでしょ?」
リワン「王妃様が亡くなったのに、草馬があなたを殺さないと、なぜ言えるのですか? 約束が有効な国でしょうか?」
アイラは俯いた。
エイジャ「約束が有効じゃねーのは、俺らも人のこたぁ言えねーけどな。あっちに転び、こっちに翻り」
リワン「そうしたくてしているんじゃない。無理矢理そうさせられているだけだ」
エイジャ「連中だって、そうかもしんねーよ?」
リワン「だとしても、今々 信頼関係は構築できない。〈アイラに〉今回は大局を見て、多少の犠牲には目を瞑るしかありません」
アイラ「目を瞑る…」(そんなこと、できるのかしら…)
にわかに、草馬兵達がざわめきだした。
草馬兵『江軍が、都の東門を破ったらしいぞ!』
草馬兵2『えぇっ?! もう?! どんだけ大軍で来てんだよ?!』
リワン・エイジャ・ルカ「!」
三人は顔を強張らせた。
アイラ「何て?」
リワン「江軍が都へ入ったようです。これ程 早く都の門を突破したなら、江軍が優勢です。草馬の攻防を破り、じき城へ到達するでしょう」
アイラ「!」
耳を澄ますと、低い地鳴りの音が遠くに聞こえてきた。
北門周辺でアイラを探していた草馬兵の多くは、バタバタと何処かへ駆けて行った。
手薄になった所へ 王の側近が一人、手に袋を下げ、キョロキョロしながら倉庫街を歩いて来た。
アイラ「あれ…? 父さまの…」
側近がアイラ達の側を通ると、ルカは彼の近くへ小石を投げた。
彼はすぐに気付き、建物の陰へ入ると、周囲を確認して小さく手招きした。
アイラは、さっき引っ剥がされた顔の布を、また結び直した。
四人は倉庫の陰から陰をネズミのように渡り、広間のある建物の裏側へ出た。
側近「姫様だけ、こちらへ」
側近はアイラを見て、小声で言った。
アイラは、リワン達を心配そうに見た。
リワン「どこへ…」
側近「見つからない場所があります。決着が着くまで、そこに隠れて頂きます」
護衛三人は目を見合わせた。
リワン「我々の一人だけでも、ご一緒できませんか? 無防備です」
側近は首を振った。
側近「ご心配無く。ご自分で出てこない限り、見つかる事は無いでしょう。さ 早く、こちらへ」
アイラは リワン達を心配そうに振り返りながら、側近に付いていった。
シュロの木が鬱蒼と茂る中に、普段あまり使わない古い道具などが置かれている倉庫があった。
それは、広間のある建物の裏側にくっ付いていた。
側近は辺りを伺うと、薄暗い古道具の倉庫へ入り、そっと扉を閉めた。
倉庫の中は薄暗く、部屋のように幾つかに区分けしてあった。
彼は奥の区画へ入ると、アイラを振り返った。
アイラ (あの物置に隠れるのかしら…?)
アイラがついて行くと、そこには 古いランプや鍋、甲冑、古い剣、巻かれた絨毯、木材などが無造作に置かれていた。
物置の壁は 専用に設計されたのか、五十センチ位ずつの凸凹になっていて、丸めた絨毯や木材などが 便利に立てかけてあった。
側近は、立てかけてある絨毯の一つを退け、手で"どうぞ"と示した。
アイラ「?」
アイラは首を傾げて 彼の側まで行くと、凹んだ側面の一部が 空洞になっていた。
それは、膝の辺りまでは煉瓦が積んであったので、資材が足りなかったのを 目立たない所で帳尻を合わせたな、という体だった。
側近「お入り下さい」
アイラ「…?」
アイラは足元の煉瓦を跨いで、古道具倉庫の壁の中へ入った。
アイラが薄暗い空間に足を進めると、そこは 天井が斜めになった小さな部屋になっていた。
アイラ (…?!)
トントントンと、斜めの天井が音を立て、話し声も聞こえた。
どうやら、二階の広間へ続く階段の下のようだった。
所々 煉瓦に隙間があるのか、辛うじて光も入っていた。
アイラが部屋を見渡すと、そこには異国の物も含めた 馬車や荷車などの車のおもちゃが ピッチリと几帳面に並べられ、隅の方には、車輪が幾つも立てかけてあった。
アイラ「何…これ…」
アイラは目を見張った。
側近「王様ご自身のご趣味です。王様は公では 一切 私事を出されませんので、ここに密かに集めていらっしゃいます」
アイラは、今までチラリとも見せなかった、王ではない父自身を初めて見た気がした。
アイラ「…車? …父さまって、車が好きだったの…?」
側近「そうですね。このお部屋は、代々の王と その側近一人のみが知るお部屋です。ですから、本当は姫様をここにお連れしてはならないのですが、あなたが狙われる今、短期間 匿うには ここが宜しいかと仰られました。この部屋の存在は、誰にも言わないで下さい。あなたの腹心にもですよ?」
アイラは目を見開いたまま頷くと、狭い部屋の中へ恐る恐る足を進めた。
側近「決着が着いたら、お迎えに参ります。この袋の中に、パンとお召し物が入っています。正装しておくようにとの事です。何かと不自由かと思いますが、暫くの間、ご辛抱下さい。では、失礼します」
側近はそれだけ言うと、持っていた袋を近くの棚に置いて、煉瓦を跨いで外へ出た。
そして、凸凹の壁に立てかけてあった 巻かれた絨毯を元通りに置き、その足音はすぐに遠ざかった。
側近が行ってしまうと、アイラは 父の秘密の部屋のコレクションを見て回った。
アイラ (車輪…?! どうしてこんなにいっぱい…? これ、何が違うの??)
アイラは、全く理解できない父のオタクっぷりに眉をひそめた。
ふと、部屋の真ん中の棚に大事そうに置いてある、異国の紋様を施した 金塗りの箱が目に入った。
箱を開けると、舞い手の女性の絵が何十枚も出てきた。
アイラは、また目を見開いた。
アイラ (これって…、もしかして母さま…?)
アイラは その絵の服装や装飾品から、それが草馬で亡くなった母だと分かった。
アイラ (父さま…、母さまのこと、大好きだったんだわ…。母さまが草馬へ行く時、止めも戦いもしなかったくせに…)
アイラは愕然として、また絵を箱にしまった。
アイラ (父さまは、王としてしか生きてはいけないと思ってるんだ…。私もそうあるべきなの? こんな立場に生まれたら、自分の生きたいように生きてはいけないの…?)
アイラは、本来の自分をひた隠しにして、器でもないのに義務に応えるが故に身を削り、万年体調不良のくたびれた父の姿を思った。
アイラ「立派だわ。父さまは立派よ。でも私は…、私は自分の為に生きたい。どんな大国にも、どんな偉い奴にも翻弄されずに、自由に、思った通りに生きてやる…!」
アイラは、立場上 限りなく無謀なその夢を、抑圧された本当の父が詰まったこの場所で、決心した。
ふと、側近が置いて行った袋が目に入った。
アイラ (正装? 江の将が勝ったら、挨拶する為かしら)
彼女は袋から服を取り出すと、着替え始めた。
金糸の刺繍のある生成りのシャツに、この地方の紋様を染め抜いた紺色のズボン、その上に、やはり金糸の刺繍のある透けた青緑色のジャンパースカートを着て、王冠に当たる髪の装飾品も身につけた。
靴も、ジャンパースカートとお揃いの青緑色で、やはり金の刺繍のある新品だった。
アイラ (あれ…? そう言えば、母さまの首飾り、どうしたんだっけ…?)
アイラは首元を触り 記憶を辿ろうとしたが、思い出せなかった。
暫くすると、幾人もの小さな子供や女の 啜り泣く声が近付いて来た。
草馬兵「さっさと歩け! 恨むなら、自分の身の可愛さに雲隠れした碧沿の王女を恨むんだな」
アイラは、足音と声のする 斜めの天井を見上げた。
碧沿兵「卑怯者! その子達を離せ!」
草馬「おっと? それ以上 近付いたらどうなるか…」
子供「うわぁあ、母ちゃん! 怖いよぉ!」
草馬兵「泣くな! よし、うるさいお前からだ!」
母親「?! お前からって何ですか? どういうこ…〈悲鳴〉」
バチンという音の後に、ドサリと斜めの天井が音を立てた。
子供「母ちゃん!」
アイラは目を見開いた。
心臓に、凍るように冷たいものが流れ込んだ。
アイラ (何て…非道な…! あんな小さな子供を殺そうっていうの…?!)
アイラはガタガタと奥歯を震わせ、拳を握りしめた。
アイラ (許せない…! どうしよう、どうしたらいいの?! でもリワンが言う通り、私が出て行ったところで、もっと多くの犠牲者が出るのよ? ここに隠れているべきよ)
アイラは狭い部屋の中を行ったり来たりした。
アイラ (そうよ、早く決着が着くことこそが、一番被害が少なくて済むんじゃない。私が出て行ったら、今度はリワン達が死んでしまうかもしれないのよ? あぁそうだ、ルカはお父さんになったばっかりなのに…! 大局を…、大局を見なくっちゃ! 少しの犠牲は…、目を…瞑って…!)
アイラは、頭ではそう考えていた筈だった。
が いつの間にか、彼女は青い短剣を握りしめ、入口に立て掛けてあった絨毯をずらし、父の秘密の部屋を飛び出していた。
古道具倉庫の外へ出ると、蹄の音と、わーっという男達の叫び声や 剣を交わす金属音が、さっきより ずっと近くに聞こえた。
アイラは、王冠を付けた髪の毛を逆立てた。
アイラ (あってはいけないことは、あっちゃダメよ!!)
彼女は せっかくの正装にも構わず、鬱蒼としたシュロの木々を抜け、子供達の泣き声を追って、爆走していった。
うーん、米津玄師さん キックバック、かな。
インスピレーション貰える曲のストックがほしいです。




