第21話 奪還
アイラは広間へ走り出ると、今 自分が隠れていた階段を駆け上がった。
一階の広間には草馬兵も碧沿の兵も居たが、アイラが一段飛ばしで階段を登って行くのを、彼らは右から左へ 口を開けて見ていた。
・・・
子供「うわぁああああ!!」
草馬兵「うるさい! 泣くな!」
執務室に居た碧沿人達は、捕虜が連れて行かれる声を聞きつけ、部屋から飛び出した。
一時的に 王の近衛兵として配備されていたリワンとエイジャは拳を握った。
リワン「ナザルさん…」
ナザル「……。」
エイジャは、背に背負った弓に そっと手を伸ばした。
草馬兵「そこ! 動いたら一人減るぞ?」
三十名程の捕虜を取り囲む草馬兵の一人が、すかさずエイジャを睨みつけて言った。
エイジャは 背に伸ばした手を、ギュッと拳を握って戻した。
王「……。」
側近と二人 執務室に残った王は、椅子に座ったまま、連れて行かれる子供や女達の声を聞き、目を瞑って震える息を吐いた。
人質達は二階の広間を抜け、バルコニーへと追い立てられた。
城の正面門を臨む 南向きのバルコニーには、蹄の音と咆哮が、もう ほんのすぐ近くに聞こえていた。
バルコニーの下には、市民の男達を含む 碧沿の兵が集まっていた。
騎馬で配備されていたルカは、人質がバルコニーへ連れて来られるのを下から見ていた。
ルカ「卑劣な…!」
ルカは 自分の妻や子供を思い、吐き捨てるように言った。
草馬兵の一人が、バルコニーの先へ 癇癪を起こして泣きじゃくる子供を連れてくると、下の碧沿兵達に向かって叫んだ。
草馬兵「碧沿の兵よ、侵略者 江を向かい撃て! でなければ、お前達の民はこうなる!」
執務室の王は、椅子からガバッと立ち上がった。
側近は、震える拳を握って諫言した。
側近「王様、捕虜は三十名程です…!」
王は 片手を机に付いて身体を支え、もう片方の手で頭を抱えると、奥歯を噛み締めて唸った。
エイジャ「クソ…!」
エイジャはチラチラと周りを見ながら、背の弓に そっとまた手を伸ばした。
その時、後ろの広間の方から 誰かが駆けて来る足音が聞こえた。
リワン達が振り返ると、久々に見る青緑色のジャンパースカートが、草馬の将が座る広間を突っ切って、全速力でバルコニーへ駆けて来るのが見えた。
リワン「姫?!」
エイジャ「あいつ、隠れたんじゃ…」
バルコニーの先の草馬兵は、無慈悲にも、ギャーギャー泣く幼子へ剣を振り下ろした。
子供の母親が咄嗟に前へ飛び出して、我が子にしがみついた。
ギン!!
青い鞘に入ったままの短剣が 残響の無い音を立てて、振り下ろされた剣を受けた。
アイラは母子をバルコニーの柵へ尻で押し付け、その致命的な一撃を防いだ。
ルカ「姫?!」
下のルカは、柵から落ちそうな体制で剣を受けているアイラを、驚いて見上げた。
アイラは痺れる両手のまま、自分よりずっと体格の大きな相手の胸ぐらを短剣と一緒に掴むと、その頰に思い切り平手を喰らわせた。
執務室前に居たエイジャ達は口を開けた。
エイジャ「…俺、あんな事 教えてねーぞ?」
リワン「…俺かもしれない。半分位…」
リワンが渋い顔で言った。
アイラ「人でなし! 命令されたら、こんな小さな子供でも殺せるっていうの?!」
部屋の外から娘の声を聞き、王は執務室の中に立ち尽くした。
王「あの…、バカ娘が…」
側近「……。」
側近も 無言で唇を噛んだ。
平手を喰らった兵は一瞬 真顔になったが、すぐにアイラを捕まえようと手を伸ばした。
草馬兵「お前だって同じだ!」
アイラは横へひょいと身をかわし、濁ったような彼の目を見た。
草馬兵「人は役割を超えることなどできない!」
アイラ「?! 何よ それ?!」
アイラは、手が伸びる度にひょいひょいと後ろへ下った。
草馬兵「お前は人間である前に王女であり、俺は人間である前に兵士だということだ! 権力と命令の前に、人の良心など無力だ!」
アイラ「それって、思考停止してるじゃない!」
アイラは、リワン達の居る 執務室に近いバルコニーの左側へ向かって、必死で後退りした。
ナザル「エイジャ、打てるか?」
一気に注意がアイラへ集中する中、ナザルが囁いた。
エイジャ「アイラに当たるかも…」
エイジャは執務室の前で弓を引いたが、ほんの一、二秒、動き回る目標に打ちきれずにいた。
リワン「!」
リワンが後ろに居た重臣を背で押しのけ、ナザルがエイジャの袖を掴んで自分の方へ寄せた。
ドスッ!
その僅かに空いた執務室の壁へ、矢が刺さった。
飛んで来た方を見ると、広間に居る草馬の将の側に立つ精鋭 二、三名が、矢を構えていた。
ナザル「伏せろ!」
ドスッ! ドスドスドスッ!!
執務室の壁は、練習用の的のようになった。
重臣「ぐっ…!」
リワンは運悪く刺さった二人に、身を低くしたまま素早く駆け寄った。
エイジャは ナザルの腕の下で伏せながら、ギリギリと歯を噛みしめた。
エイジャ「クッソ…!」
アイラは、バルコニー左の外階段のすぐ近くまで来ていた。
アイラ「立場が上だからって、あなたが変だと思えば、そっちが本当の事じゃない!」
草馬兵「お前は自分が上に居て、自分や家族の生殺与奪を握られていないから、そんな事が言えるんだ!」
アイラ「…!」
男は、すばしっこく身をかわすアイラに足を引っ掛けた。
アイラ「〈悲鳴〉」
アイラは尻餅をついた。
男の手が伸びた。
アイラは短剣を青い鞘から引き抜いて、自らの胸に当てた。
リワン・エイジャ「!」
アイラ「近寄らないで!」
アイラはバルコニーの柵を背に、震える脚で急いで立ち上がった。
アイラ「母さまの代わりに私が欲しいんでしょ? なら、今すぐに人質を解放して!」
短剣を持つアイラの手は、ブルブルと震えていた。
草馬の将「いいだろう」
二階の広間の方から声がして、精鋭達と共に草馬の将が近付いて来た。
将「解放してやれ」
人質を取り囲んでいた草馬兵達は、捕虜の女や子供達を アイラとは逆側の 右側の外階段から下へ逃した。
皆 悲壮な顔で、キャアキャア言いながら我先にと外階段を降りて行った。
将「第一王女よ、要求は飲んだぞ。剣を捨てろ」
アイラ「ま、まだよ! ちゃんと全員 逃げるのを見届けてから…」
アイラは、まだ階段を降りられずにいる残り十名程の親子を見た。
リワン「姫! 後ろの階段から逃げろ!」
アイラ「え…」
突如 飛んで来た大好きな人の声に、アイラはリワンの方を見た。
草馬の将は、アイラの前に居る兵に 首をクイと曲げた。
兵は、そっぽを向いているアイラから難なく短剣を奪うと、後ろ手に拘束した。
アイラ「あっ?! いっ…た…! 離して!」
リワンは額に手を当てて 目を瞑った。
将「逃した人質を連れ戻せ!」
まだ階段を降りていない数名が、金切り声と共にバルコニーに連れ戻された。
アイラ「?! 約束が違うわ!」
将「フン。ここの第一王女は大分頭が悪いようだな。こんな危なっかしい王女を閉じ込めておかない方も、また然りだ」
将は執務室の前のナザル達を、嘲るように見た。
その時、街の咆哮と騎馬の足音が一層大きく聞こえたかと思うと、城の正面門の左側から 江軍が雪崩れ込んで来た。
江軍は、攻防する草馬軍を圧倒的な数で なぎ倒しながら、城の緩い坂を登って来た。
草馬の将は、バルコニーから苦々し気にそれを見ると、足早にアイラの側へ来た。
そして、彼女を拘束している兵から青い短剣をもぎ取ると、いきなりアイラの腿に突き立てた。
アイラ「〈悲鳴〉」
ナザル・ルカ「!!」
リワン・エイジャ「!!」
鮮血が、青緑色のジャンパースカートをみるみる間に染めた。
草馬の将は、アイラの首に血のついた短剣を突きつけると、執務室の前の碧沿人と、階下の碧沿兵達を見て叫んだ。
将「次は右足だ! 王女の命が尽きる前に、江軍を追い返す事だな!」
碧沿人達は目を見開いた。
執務室に居た王は、江に居る二人の子供を思った。
王 (ゼダ、キュン…。其方らは どのような仕打ちを受けるのであろうな…)
王はまた、敵国で亡くなった妻を思った。
王 (ユエ、お前を殺した国など、断じて味方したくはない…! だが…!)
王は ひたひたと執務室の出口へ向かった。
側近「王様…!」
王「すまない…。私は王である前に、唯の父親のようだ…。王失格だな」
彼は疲れ切った背中でそう言うと、執務室を出て行った。
王が扉を開けて外に出ると、バルコニーの先で、亡くなった妻とよく似た娘が、足を真っ赤に染めて拘束されているのが目に入った。
王は、バルコニーの方へ数歩前へ出ると、口を開いた。
王「分かった、従おう」
一同は王を振り返った。
草馬の将は、満足げに口角を上げた。
ナザルは 既に失神しているアイラを遠目に見ながら、目を細めて確認した。
ナザル「……。宜しいの…ですか?」
王「仕方あるまい」
ナザル「…はい」
ナザルはバルコニー中央の縁まで来ると、苦し気に 下の同胞へ号令を出した。
ナザル「江を迎え撃て!!」
下の同胞達は どよめいた。
ナザルはもう一度 叫んだ。
ナザル「江を、迎え撃つんだ!!」
・・・・
坂を登って来る江兵の矢が、バルコニーにもヒュンヒュンと届き始めた。
草馬兵『危険です! お下がり下さい!』
将を取り囲んでいた草馬の精鋭が 鋭く言った。
バルコニーの先に居た草馬の将や精鋭、アイラを拘束した兵、ナザル、逃げ遅れた人質達が 広間の方へ下がり始めた、その時、
ドスッ!
アイラを拘束していた草馬兵の背に、至近距離から矢が刺さった。
将『?!』
すぐ側に居た草馬の将は驚いて、矢の飛んできた右側の外階段を見た、その瞬間、彼は反射的に身を引いた。
ズサッ!
間髪入れずに再び至近距離から放たれた矢は、辛うじてではあるが 将の右肩に刺さった。
将『ぐっ…!』
将が顔を歪めた時には、矢の放たれた外階段から 蠍の尻尾のような黒い影が飛び出し、倒れつつある兵を蹴って片手でアイラをもぎ取ると、また出て来た階段へ逃走した。
エイジャ (?!)
リワン (チェンさん?!)
バルコニーに居た一同は、あまりに一瞬の事で 何があったか分からなかった。
すぐに 取り囲んでいた草馬の精鋭達は将を後ろへ隠し、一部はチェンの後を追って行った。
将は後ろへ下がりながら、苦々し気に肩に刺さった矢を引き抜いた。
将『くっ…! おのれ…!』
将は肩で息をした。
バルコニーの中央に居たナザルは、江の矢が飛んで来る中、柵に身を乗り出して下へ叫んだ。
ナザル「どこへ行く!」
チェンはアイラを肩に担ぎ、既に大きな黒い馬に乗っていた。
チェン「任せられない! 決着がついたら連れて来る!」
彼? 彼女? は不機嫌にそう叫ぶと、追って来た草馬の精鋭を尻目に、手綱を引いた。
チェンを追って来た草馬の精鋭達は、バルコニーの下まで到達した江軍と衝突した。
リワンとエイジャも、チェンを追った草馬の精鋭の後に続いて 左の外階段へ走った。
リワン (早く止血しないと…! あぁ、味方とは言え王女を取られるなんて…!)
リワンは急いで階段を駆け降りた。
エイジャは、バルコニーの上からチェンの黒い馬の脚 目掛けて、弓を引いた。
エイジャ「チェン! 止まれ!!」
チェンは一瞬エイジャの方を振り返ると、射られた矢を巧みに避けて駆けて行った。
階段を途中まで降りたリワンは、下から上ってきた江軍の剣を受けながら、再びバルコニーへ戻る羽目になった。
キィン! キン! キン!
一階も二階も混戦状態となり、城の中心部は混乱を極めた。
リワン (チェンさんは、味方…だよな? 大丈夫だよな…?)
リワンは必死に剣を受けながら 階下を見たが、もうチェンの黒い馬は見えなかった。
・・・
ルカ「どこに連れて行く気だ!」
栗毛の馬に乗ったルカが、城の東門へ走るチェンについて来た。
チェンはチラリとルカを見ると、ポーカーフェイスのまま言った。
チェン「ヘマばっかりするから、教えてあげない」
ルカは走りながら、洗濯物のように馬に乗せられたアイラの真っ赤な左脚を見た。
ルカ「手当しないと、死ぬぞ!」
チェン「分かった、やっとく」
チェンは走りながらそう言うと、わざと混み合っている所へ突っ込み、矢が幾つか飛んで来た隙にルカを撒いた。
ルカ「あっ! オイ、待て!」
ルカは追おうとしたが、迫ってきた江の騎馬隊に巻き込まれた。
・・・
二階のバルコニーは、三つ巴で混乱を極めていた。
江兵『居たぞーっ!! 草馬の将軍だ!! 首を取れーっ!!』
バルコニーに上がって来た江兵が、精鋭達に囲まれて広間の方へ下がっていく将を見て叫んだ。
ナザルや碧沿の近衛隊員達は、草馬兵が再び、連れ戻した人質をつまみ上げた所へ、駆逐に入った。
リワンとエイジャも、悲鳴を上げる女や子供らを背に庇って加勢した。
王「ひとまずここへ!」
執務室の前で、近衛隊員に囲まれた王が叫んだ。
ナザル達は バルコニーの大混乱の中、逃げ惑う人質達を執務室へ引っ張り込んだ。
ナザルはゼェゼェしながら、目を血走らせて王に訊いた。
ナザル「中止ですよね?!」
王「中止だ!」
ナザルは 再びバルコニーへ出ながら叫んだ。
ナザル「碧沿兵! 戦闘中止! 碧沿兵は戦闘中止だ!!」
混戦状態となっていた一階も二階も、またどよめいた。
ナザル「我々はこの戦にこれ以上 関与しない! 城の防衛以外の者は、街へ出て市民の防衛へ回れ!」
草馬の将『おのれ、尻軽どもめ…!』
草馬の将は、アテにしていた地元の戦力の離脱に、青鬼のような顔になった。
・・・・・・・・・・・
アイラ「っ…!」
アイラは、太腿をきつく縛られる痛みで目を覚ました。
水の音がして、ひんやりとした風が通っていた。
チェン「気が付いた?」
チェンは チラリとアイラを見ると、スカートをたくし上げたアイラの太腿に、またギュッと布を絞めた。
アイラ「あうぅっ…!」
チェンは その悲鳴と滲む鮮血に構わず、一巻きごとに圧迫して アイラの腿に布を巻いていった。
チェン「止まるかしら。ま、生きるか死ぬかは、あなたの自由だけどね」
彼女? は他人事のように言った。
アイラが痛みに喘ぎながら辺りを見ると、そこは薄暗い空間で、地上への階段らしき所と、塔のような天井から、光が届いていた。
地下水を利用した冷却施設の、地下部分のようだった。
アイラ (チェン…? 私…、草馬の将に刺されて、その後は…?)
アイラ「どう…し…て…」
アイラは唇が痺れて、それだけしか言えなかった。
チェンは、漆黒の瞳を冷たくアイラに向けた。
チェン「ねぇえ? 今回は捕まったら困る案件だったわよね? あたし、バカは嫌いよ? あなたがノコノコ出て来たお陰で、危うく風向きが変わりそうだったじゃないの!」
アイラ「……。」
アイラは言いたい事があったが、意識を保つのがやっとで、ハァハァと喘ぎながら目を伏せた。
チェン「何をしでかすか分からないあなたを、一人にした方もした方だけど…。王様も王様よ! 自分の子供って、そんなに可愛いものかしら? 江に付くって話だったのに、呆気なくひっくり返っちゃって…! ま、あなたが"有効な"人質だってことは証明されたけどね」
チェンは不機嫌にそう言いながらアイラの腿に布を巻き終えると、壁に持たれて座った。
チェン「決着が付くまで、暫くここに居ます」
アイラは激しい悪寒に襲われ始めた。
彼女は横向きになり丸くなると、ガチガチと歯を鳴らした。
アイラ「寒…い…」
チェン「はぁ?!」
チェンは、くそ面倒臭そうに顔を歪めた。
チェン「防寒着は無いわ。今 ここから出るつもりもない。我慢することね」
アイラは震えながら、更に身を丸めた。
チェンは舌打ちすると、たくし上げていた血で染まったスカートを伸ばしてやり、自分の着ていた黒い上着を掛けてやった。
チェン『ったく世話の焼ける…』
アイラは再び意識を手放し、チェンが口の中で呟いた外国語を聞かなかった。
・・・・・・・・・
お昼頃になって、地上から一際大きな歓声がした。
チェン「決着がついたようね」
チェンは 自分が寄りかかっていた壁のすぐ横の、光が入る地上への階段を見た。
チェン「姫、起きて下さい」
チェンはアイラを揺さぶってみたが、反応は無かった。
彼女はアイラの首の脈に触れるとチッチッと小さく舌打ちし、掛けていた黒い上着でアイラを包むと、地上への階段を登って行った。
・・・・・・
アイラを前に抱えて馬に乗ると、チェンは建物の陰から 東大路を見た。
丁度、江の自称 解放軍の将が、ゴロゴロと死体の転がる東大路を 馬で悠々と練り歩いて来る所だった。
チェンは、上機嫌な江の将の顔をチラリと見た。
将の後ろには取り巻き達と、草馬の属国になる前まで 城の常駐役人だったリュウが従っていた。
リュウは荒廃した大路を見回し、ふと、建物の影にチェンが居るのを見つけた。
リュウは僅かの間 チェンを見ると、また前を向いた。
チェンは影のように再び裏通りへ戻ると、リュウ達を追い抜いて 城へ馬を走らせた。
碧沿城には、草馬のエンジ色の旗の代わりに、江の 川を模した柄の青い旗がはためいていた。
チェンはアイラを抱え、草馬兵の死骸を避けて、負傷者の溢れかえる城の一階の医務室前の広間を通った。
母のミーナに付き添われて 医務室の加勢に来たばかりのリファは、黒い上着に包まれたアイラを目ざとく見つけると、驚いて側へ寄って来た。
リファ「アイちゃん?! 顔が真っ青だわ! 腿を刺されたって聞きましたけど…」
チェンは、リファの後ろで 壁に背を持たれている 西方の人形のように美しいミーナを見た。
彼女はグラマラスではあるが身長は男並で、エプロンなど付けて家庭人っぽく化けてはいたが、その下に細い剣を下げている事が、チェンにはすぐに分かった。
ミーナの方も、その美しい緑色の瞳で、瞬きの合間にチェンを見た。
チェンは すぐに目を逸らした。
チェン「……。血は止まってるわ」
リファ「そ、そうですけど…」
チェンは、リファに構わず階段を上がって行った。
リファはごった返す医務室へ入ると、包帯と軟膏を手に、ノロノロと階段を上がって行った。
二階の広間は、トドメを刺されて間もない草馬の将や、その取り巻きらが転がっていて、血生臭かった。
チェンは広間を流し見て、奥の執務室の戸を叩いた。
チェン「姫様をお連れしました」
入口近くに立っていたルカが戸を開けると、執務室の一同は、青い顔をしたアイラを見て息を飲んだ。
チェン「あらやだ、ちゃんと生きてるわよ?」
チェンはそう言って部屋に入ると、彼女を部屋の隅へ下ろし、黒い上着に包んだまま 壁にもたれさせた。
リワンとエイジャは、混乱の中 不覚にも連れ去られてしまった主人の元へ駆け寄った。
奥に座っていた王は、たった一人残った娘が無事に? 帰った事に、心底 安堵した。
彼は 体調が限界に近かった為か、王のくせに、それ以外の事は もはやどうでも良いとすら感じた。
リファ「し、失礼します。リファです」
外からリファの小さな声がすると、ルカはまた戸を開けた。
リファは部屋の隅にアイラを見つけると、早速、黒い上着ごとたくし上げ、血を吸い上げた包帯を替え始めた。
リワンは妹の隣にしゃがみ込むと、アイラの首の脈に触れた。
リワン「脈が落ちている…!」
エイジャ「こいつ、長生きしねーな…」
エイジャがリワンの後ろから言った。
リファ「エイジャ! 何てこと言うの?!」
リファは悲しそうな顔で、傷口に軟膏を塗りながら言った。
エイジャ「だってよぉ、ガキの頃から こんな目にばっか遭ってんじゃん。ぜってー 寿命削ってるって」
リファ「…!」
リワン「体温が低い…。今までどこに?」
チェンは肩をすくめて、何も言わなかった。
ナザル「チェン! 勝手が過ぎるぞ!」
チェン「ヘマばっかりするからでしょ? あたしが居なかったら、今頃 姫もあなた達も 生きてたのかしら? 草馬に付いて、向こうが勝ってたんじゃないの?」
ナザル「…!」
王「そうかもしれん…」
奥から、王の低い声がした。
王「今回は其方の機転のお陰だった。礼を言う」
チェン「……。」
チェンは表情を変えずに聞いていた。
王「だが、行方が分からないのは、少々不安であった」
チェン「……。」
チェンは暫く部屋の隅を見ると、いつものポーカーフェイスで口を開いた。
チェン「申し訳ございませんでした」
碧沿の兵が 息を切らせて部屋に入って来た。
碧沿兵「江の将が到着しました!」
王「分かった。リワン、アイラに気つけ薬を」
リワンは驚いて王を見た。
リワン「このような状態で、挨拶どころではありません!」
王「飲ませてみてくれ。自信が無いのだ…」
一同「?」
白い顔で言った王の言葉の意味が、執務室の面々には分からなかった。
・・・・・・
二階の広間に現れた江の将軍に、臣下が言った。
江の兵『まだ草馬人の遺体が片付いておりません。しばしお待ち下さい』
王座のある広間の床は血で汚れていて、亡くなった敵国の怨霊に取り殺されてしまいそうだった。
江の将『構わん。寧ろ 申し分ない結果ではないか!』
江の将は満足げに豪快に笑うと、さっきまで草馬の将が座っていた王座にドッカと座った。
王座の周りの取り巻きも、総入れ替えで江人になっていた。
王は執務室から側近に掴まるようにして出て来ると、江の将の前に跪いた。
ナザルと側近は 王の後ろに跪いた。
江の将『一人残っている貴殿の娘はどうされた? まさか草馬に取られたのではあるまいな?』
リワン『第一王女は、こちらに』
リワンとエイジャに両腕を支えられ、アイラは左脚を引きずりながら将の前へ跪いた。
江の将は苦笑した。
江の将『これはまた、親子して満身創痍ではありませんか! お二人ともよくぞご無事で。おっと、碧沿の王女は外国語ができないのだったな』
将は鼻で笑った。
将「一年ぶりに碧沿を奪還できたのは、実にめでたい事だ。やっとまた商売ができる。今宵は宴だ!」
王「……。」
将は、目の前に跪いている碧沿王を、怪訝そうに見た。
将「返事が無いようだが…?」
ドサッ。
アイラの横で、父が床に崩れた。
側近「王様!」/ナザル「!」
側近が王の傍に寄った。
アイラ (…!)
アイラは朦朧とする意識の中、父の 無防備で疲れ切った背中を見つめた。
アイラ (あぁ、父さまは、本当はどんな人生を歩みたかったのかしら…)
アイラは跪いたまま、焦点の合わない目で江の将を見据えた。
アイラ「宴でも何でも…やったら良いわ。この国を…守って…くれるなら…!」
江の将は、アイラを優越的に見下ろして笑った。
将「勿論だ。我々はこの地を、"解放"しに来たのだからな」
アイラは痺れた唇を開けたまま、幼い頃 父が江に屈服した姿を思い出しながら、王冠を頂いた頭を下げた。
後ろの碧沿人達も、悔しさを噛み締め、同じように頭を下げた。
碧沿は三度、屈服した。
正確には、アイラの生まれる前を数えるならば、それはもうずっと古から繰り返されて来たことだった。
そもそも碧沿人を碧沿人たらしめているのは、言語とアイデンティティー、教育が敷設されていない中でも育まれた 国際都市としての その考え方、敬虔な人によっては宗教というソフト面であり、ハード面の血を上げるならば、陸続きの地理上、長い間にそれは様々な異民族と混じり合っていた。
寧ろ、同民族の中でも内戦を繰り広げる各国の事案を考えるならば、争いの種は何人 云々(うんぬん)の話では無いに違いなかった。
アイラが我慢ならないのは、人が人の上に君臨し、自分の事を他人に決められるという、その点に於いてであった。
彼女は、血の気の引いた真っ青な顔で、床を見つめながら思った。
アイラ (あぁ、力が欲しい。誰にも、どんな大国にも屈服しないで済むだけの、自分の事を自分で決められるだけの力が…! 誰一人の血も流さずに、それが手に入れられたのなら、どんなに…! あぁ それはどんなに、素晴らしい世界だろう…!!)
エイジャ(ク…ソ…! こんなんで…、こんなんで良いのかよ!!)
エイジャの金色の瞳は、敗北の悔しさと、こんな時に 一体どこから湧いて出たのか分からない闘志に震えた。
リワンは、醒めた目で床を見つめていた。
リワン(一年でひっくり返った…。きっとまた同じ事が起こる。姫も…、この国の代々の王族が辿ったように、時代の中へ消費されていくのだろうか…。そうあるべき立場だ。だが もし…、もしもこの人が自由に生きられたら…、この人の傍で、あの踊りをずっと…、そうだ、互いに腰が曲がるまで見ていられたなら、それはどんなに…、幸せだろう)
江の将は、借り物の王座から 我が世とばかりに高らかに笑った。
後方に立つチェンの口元が ほんの僅かに上がったのを、同胞の誰一人として、知る者は居なかった。
(第一部「碧沿」第二章「春」終わり)
友成 空さん「咆哮」




