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砂漠の月(第一部 碧沿)  作者: kohama
第二章 春
56/60

第17話 初恋

アイラ「エイジャ?!〈咳込む〉ねぇリファ、エイジャが…」

アイラは、隣の寝台で寝ていたエイジャの異変に気付くと、側(そば)にいたリファを呼んだ。

リファは足早に来ると、彼の首に触れた。

リファ「! 兄さま、エイジャの脈が落ちてるわ。エイジャ しっかりして! 死んだらダメよ…!」


声は、どこか遠くに響いていた。

エイジャの その意識は、徐々に光の中に一体化しようとしていた。

それは、全ての欠落が、温かく満たされていくような感覚だった。

……………あぁ…、知ってる声だ。

エイジャは、自分が無数の小さな光の粒に分解されていくのを感じていた。

確か……、人形みてーなやつで…、気が弱くて何も言えねぇの。

アホみてーに可愛かった気がする…。


リワン「エイジャ?! しっかりしろ! エイジャ…!」

この声も知ってる…。

可愛いのの兄貴だ。

初めから何もかも恵まれてて、クソ真面目な超うぜえやつ。

そんなに揺さぶんなよ、溶けらんねぇだろが。

ホントうぜえ。


アイラ「うそ…、エイ…ジャ…、〈咳込む〉エイジャ!!〈エイジャの手をギュッと握る〉」

これは…、あぁそうだ、俺を拾ったやつだ。

頭わりーくせに、意味不明に俺を大事にする。

いや、別に俺にだけじゃねーけど。

あぁ、手ぇ、あったけーな…。

めっちゃ気持ち良い…。

手ぇ、離すなよ…



⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎



黒の革ジャンと 細身のレザーパンツの男が、廊下の角を曲がった。

病院にはあまりそぐわない格好のその若い男は、元々浅黒い手に 小さめの花束を持っていた。

背が高く、素晴らしく男前でセクシーなその男を、通りすがる看護師たちは振り向いて見た。

男は癖(くせ)っ毛の黒髪を掻き上げ、手に持ったピンクのガーベラを、色素の薄い瞳で見た。

その可愛い花束もまた、彼の出で立ちには全くそぐわなかった。


彼は ある病室の前で止まると、患者のネームプレートを確認した。

そして、部屋の中を覗き込むと、遠慮なく入っていった。

窓際のベッドに、肌が透けるように白い女性が眠っていた。

すやすやと眠る彼女は、まるで お人形のようだった。

ピンクのパジャマを着た彼女を見て、男はこの花束にして正解だったと思った。


彼は どうしようかと少しの間 立ち尽くしていたが、起こすのも悪いと思って、側(そば)の丸椅子を引いて座った。

ココココ…。

椅子を引いた音で、彼女はふわりと目を開けた。

そして、横に座っている黒ずくめの男を見て、彼女は初め それが誰だか分からず、暫く不思議そうに見つめていた。

エイジ「あの…、大丈夫すか? えっと、俺…、バイクの…」

彼女は、はたと思い当たって身を起こした。

リカ「うぅ…」

リカは癒えていない傷に、顔を歪めてベッドに丸まった。

エイジ「あ…! えっと…、誰か呼びます?」

エイジは椅子から腰を浮かすと、オロオロとナースコールのボタンを探した。

リカ「い…、いいです…!」

リカはシーツを握りしめて痛みを逃しながら、どうにか言った。

エイジ「……。」

エイジは、居心地悪く また丸椅子に腰掛けた。


リカ「すみません、そこに…掛かってるリモコン…取ってくれませんか…?」

エイジ「え? あぁこれ…。えっと、起き上がるボタンでいいすか?」

リカ「はい、すみません」

エイジは、リカの上体が丁度良い位にベッドを起こした。

エイジ「こんくらいで?」

リカ「ありがとうございます…」


リカは、横に座っている革ジャンの若い男を、目を泳がせながらチラチラと見た。

彼はとても野性的な印象で、そして全体的に 驚く程 美しかった。

リカは何だか恥ずかしくなって、そっと目を逸らした。

エイジ「あの…、ホントすいませんでした」

エイジは、持っていたピンクの花束を差し出した。

リカ「い、いえ! 私も、車の影からよく見ないで飛び出しちゃって…。こちらこそ、すみませんでした」

リカは小さな花束を受け取った。

リカ「可愛い…。好きな色なんです。ありがとうございます」

リカは、窓からの白い光の中、ふわりと笑った。

エイジは、その天使のような微笑みから目が離せなくなった。

エイジ「い、いえ…」

彼はやっとそれだけ言うと、ドギマギして目を逸らした。


リカ「あの…、もし宜しければ お名前を聞かせてくれませんか? 私、事故の後の事は分からなくて…。私は薬師寺理花(やくしじりか)と申します」

エイジ「武光衛司(たけみつえいじ)です。…あ、コレ、一応 連絡先…。事故の事で何かあったら、連絡下さい」

リカ「ありがとうございます」

リカは、差し出された 小さなメモ紙にザザッと書かれた名前と電話番号を受け取ると、枕元に置いてあるピンク色の手帳に挟んだ。



看護師「薬師寺さん、回診のお時間ですよ」

年増(としま)の看護師と、二十代後半の 長身の医師が部屋に入ってきた。

エイジは丸椅子を立った。

長めの髪を後ろで束ねた医師は、チラリとエイジを見た。

リカ「あ、えっと…、バイクの…」

医師「あぁ。あなたの方は軽症だったと聞きましたが、その後 大丈夫ですか?」

エイジ「あー、ハイ。ちょっと打った位で…」

医師「そうですか。それは良かった」

医師はその理知的な顔に微笑を浮かべると、丸椅子に座り、軽く問診をして エイジの方を振り返った。

医師「少し傷の具合を診ますので。カーテンを引きますね」

エイジ「あ、いや、俺 もう帰るんで」

エイジはそう言うと、チラリとリカを見て

エイジ「じゃあ…」

と言って病室を出た。


・・・・


女「はっ、あっ、んん! ハッ! ハッ!」

エイジの腕の中の女は、自分を突き上げる逞(たくま)しい体躯に煽(あお)られながら、上り詰めていた。

女は そこら辺に居るスズメのような女で、今 交尾をしている相手は どういう訳か孔雀(くじゃく)だった。

女のボテっとした緩急の無い顔と身体に、汗が流れた。

エイジ「ハッ、…ッ まだ? …ハッ」

女「もう少し…、んっ、あっ!」

エイジは、面倒くさそうに眉間にシワを寄せた。

エイジ「…ッ ハッ ハッ」

女「んんっ! あぁあ! いく! あああああっ!」

女の中が強くエイジを絞り上げると、エイジは何度か腰を強く打ち付け、スズメの中に吐き出した。

女「ハァ…、ハァ…、ハァ…」

くたりとなった女から 自分もゼェゼェしながら引き抜くと、エイジは女の股にティッシュをガサガサっと適当に当てて、ゴロンと仰向けになった。

女の家の、狭い天井が見えた。

廃品回収の「ご町内の皆様〜」と喋るスピーカーの声が、やけに大きく聞こえた。


女「すごくよかった…」

女は うっとりとそう言うと、エイジのお掃除に取りかかった。

別にそんなの、やってもやらなくても良かったが、特段 急いでいる訳でもない時は、エイジはいつもやらせておいた。

若いエイジはそれで、またむくむくと もう一度 快楽を味わえる事が多かったが、この日はそんな訳でもなかった。

女は掃除が終わると、エイジの厚い胸板に自分の頭を幸せそうにのせた。

窓からの夕日が、二人に伸びた。

エイジは 醒めた顔で 狭い天井を見ていた。

すぐ側(そば)を走る電車の音が、ガタンガタンと響いた。


エイジ「なぁ…」

女「ん…?」

エイジ「別れよっか」

女は、天井が落ちてきた位の衝撃で、格上過ぎる恋人を見つめた。

女「どう…して…?」

エイジ「……。好きな女ができた。飽きたし」

女は愕然としてエイジを見つめた。

しばらくそうしていたと思ったら、女は小刻みに震えながら口を開いた。

女「…できたの…」

エイジ「あ?」

女「赤ちゃんが…できたの…」


エイジは、どこからか本当にぶん殴られたと思った。

彼は身体を起こした。

エイジ「……ハ?」

エイジは目の前の 用足し用の女を見つめた。

エイジ「え…?! だってお前、ピル飲んでるって…」

女「欲しかったの!」

エイジ「…何が?」

女「あんたの子供が!」

エイジは、信じられないという目で女を見た。

エイジ「………堕ろせよ」

女の顔色は真っ青になった。

が、彼女はポツリと、しかし頑(がん)として言った。

女「やだ」

エイジは口を開けた。

エイジ「……。いや 俺、責任取れねーし。だし、勝手に子供作るとか、不合意だろ」

女「いい…。あんたが認めなくたって、私、あんたの子供が欲しいの! あんたが…好きなの…!」

女は わっと両手に顔を埋(うず)めた。

エイジは愕然として、素っ裸の冴えない女を見つめた。

廃品回収が、まだ遠くに聞こえていた。


・・・・・


チリンチリーン…、バターン!

マンションのドアに吊るしてあるベルが鳴って、玄関に誰かが倒れる音がした。

もう真夜中だった。

暫くすると、ドス! ドス! ドス! という足音が近付いてきた。

アイ「ちょっと! あんた、今 何時だと思ってんの?!」

黒髪を短めのボブに切っているエイジの姉は、玄関に寝転んだ弟を見ると怒鳴った。

アイ「…っ、くっさ?! 何これ、どんだけ飲んだ訳?! 何、何でそんなに飲んできたの?!」

エイジ「ハハハ、いやー、ミスったわぁ。これは、飲むしかねーっしょ」

エイジは玄関を埋め尽くすように寝転がって、ヘラヘラと笑った。

アイ「…仕事?」

エイジ「違う違う。今日さぁ、超かわいー女 見つけてさぁ。いや、出会ったのはもっと前だったんだけど、話したのは今日が初めてでさ」

アイ「……。」

姉は、弟の口から女と聞くと、眉間に皺を寄せた。

エイジ「んで、その女落としてーから、今の女に別れよう、つったの」

アイ「最っ低…! ちょっと位 ルックスが良くて稼いでるからって、取っ替え引っ替え! この、ヤリチン男! 調子乗ってんじゃないわよ!」

エイジ「その稼いでるヤリチンの家に転がり込んでんのは、どこのどなたですかね?」

エイジは肘をついて頭を乗せると、優越的に姉を見上げた。

アイ「ぐっ…」

エイジ「ま、良いけど? そのお陰で、連れ込めねーから 家バレねーで済んでるし」

アイは唇を噛むと、リビングの方へ踵(きびす)を返した。

エイジ「いや、最後まで聞けって。で 別れようっつったらさ、その女、妊娠してるってんだわぁ」

アイ「……。」

ヤリチンの姉は、お化けでも見るような顔で振り返った。

エイジ「つかさ、そいつピル飲んでる、つってたのよぉ。だから生でやってたのに、知らねー内に飲むのやめてて、訳聞いたら、俺の子供が欲しいとか言ってさ、俺が居なくても産むとか言(ゆ)ってんのよぉ。俺、被害者じゃね? 合意してねーんだけど」

姉はゆらゆらと揺れたかと思うと、呆(ほお)けたように またリビングの方を向いた。

アイ「ちょっと…、一旦…寝る…」


エイジは匍匐(ほふく)前進すると、姉の脚に縋(すが)りついた。

エイジ「待てって! なぁ、どうするよコレ。あー、俺の人生オワタ。あんなのと結婚するとか、ありえねぇ。ヤレるから付き合ってただけなのに…」

アイ「こ…の…、クズ男!!」

姉は、弟の太い腕をガン! と踏みつけた。

エイジ「いって。何でよ? 初めからヤリモクで、つって、付き合ってんじゃん。なのに好きになるとか、ましてや子供とか、約束破ってんの、向こうじゃん。だし、こっちだって、情が移らねーように、ある程度で変えてんのに…」

アイ「何と言おうと、避妊しなかったあんたが悪い!」

エイジ「向こうが ピル飲んでるから生でやりたい、つったんだよ! 付けてると、いきなり突っ込むと いてーとか何とかっつって…」

アイ「お前は…、いきなり突っ込んでんのか!」

エイジ「そらそーでしょ、時間勿体ねーじゃん」

アイ「…あんたさ、そこに多少なりとも愛はあんの?」

エイジ「は? 愛? んなもんある訳ねーだろ。トイレだって」

アイ「…トイ…?」

姉は、中身が怪獣のくせに 外側の皮だけ美しい弟を、愕然として見た。


エイジ「なぁ これって、俺の遺伝子 無断で盗んでるようなもんじゃね?」

アイ「自分から渡してんだろが! そもそも繁殖行為なんだよ!」

エイジ「いや、無い無い、そんなつもり全然ねーから。あー、やめよ、やめた! だってさぁ、騙されたのに責任取るって、ぜってーおかしいって! マジ 家 教えねーで良かった…。俺、消えるわ」

姉は振り返ると、仁王立ちになってギリギリと弟を見下ろした。

アイ「お前は女の敵だ! やるなら真剣に付き合え! 結局こういうことになる! 結婚しても良い人とやれ! タダ乗りしやがって、後を引き受けるのは全部女だ!」


エイジはヨタヨタと立ち上がると、その大きな身体で姉に詰め寄り、壁に腕を付いた。

エイジ「…姉ちゃんさ…」

アイ「な…、何よ…。くっさ! 寄るな!」

エイジ「んな固ぇ事言ってっから、その歳まで処女なんだよ。誰でも良いから適当にやってこいよ。超気持ちいーぜ? こんだけ気持ち良いってのは、天が やれ、つってんだよ。飯だってそうじゃん。超うめーし、食わなきゃ死ぬだろ? つか、よく我慢できるよな。姉ちゃん、飯食わねーで生きてるようなもんだぜ? 自分でやってんの?」

エイジは真顔で、姉のパジャマの中の ノーブラの胸に手を滑らせた。

アイ「?!」

エイジは、ビクリとウブな反応をした姉をニヤニヤと見ると、その色素の薄い瞳で 獣のように姉を見た。

エイジ「何なら俺、やってやろうか? そうだ! この際 やる用は姉ちゃんでいっか! 何かと都合良いわ。勿論付けるからさ」

アイは、酔っているとは言え、血の繋がった弟の 信じ難い言動にワナワナと震えた。

アイ「お前みたいな奴は…」

エイジ「あ?」

アイ「いっぺん死んでこい、この便所虫野郎っっ!!!」

アイは、鍛え上げたグラン・バットマン(高く足を上げるダンスの動き)で、弟の股間を思い切り蹴り上げた。



⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎



エイジャ (ハッ!)

エイジャは目を開けた。

見慣れない天井だった。

知っている顔が、幾つか心配そうにのぞき込んでいた。

エイジャは その中にアイラを見つけると、ビクッとして股間を押さえた。


リファ「良かった…。エイジャ、一時 危なかったのよ? 心臓 止まりかけて…」

医官「いんや? 止まったけんどなぁ?」

丸っこい医官は 首を傾(かし)げた。

エイジャは、リファの顔を穴が開くほど見つめた。

リファ「…何…? 何か…変…?」

リファは兄の後ろへ行くと、そそっと隠れた。


エイジャは、リファの前に居るリワンの事も、目をかっ開いて見た。

リワン「…どうした…? まさか…、目が見えないのか?」

リワンは、エイジャの前でチラチラと手を振った。

エイジャは 呆然と首を振った。

エイジャ (やべぇ、俺…)

エイジャは自分の手のひらを見て、動かしてみた。

エイジャ (あの世に行って来たっぽい…)


次の瞬間、エイジャは抱きしめられた。

エイジャ「!」

アイラ「……。」

エイジャは、自分を抱きながら 口をへの字に曲げて涙を堪(こら)えているアイラを見た。

エイジャ「姉…ちゃん…?」

エイジャのかすれた声に、アイラは はたとして彼を離した。

アイラ「…は…?」


・・・・・


医官「良がったねぇ、目ぇ醒めて。おっがしいなぁ、確っっかに、いっぺん死んだけんどなぁ…?」

丸っこい医官は、エイジャの額やら首やらあちこち触りながら、何度も首を傾(かし)げた。

重い瞼を開けて隣の寝台を見ると、アイラがゼェゼェと苦しそうに眠っていた。

どうやらここは、南大路の診療所のようだった。

確か、小さい頃にもここで目覚めた事があった。

目覚めたら、金髪の人形みたいな女の子がのぞき込んでいたのだった。


リファ「エイジャ、お薬、飲める?」

リファが 緑がかった冷静な瞳で、観察するようにのぞき込んできた。

エイジャは小さく頷いた。

リファは、エイジャの下にクッションを挟み込んで上体を起こすと、匙で何度も彼の口に運んでやった。

エイジャ (コレだコレ。昔もこんな事 あった気ぃする…)

エイジャは力無く咳き込みながら、ぼんやりとリファを見た。

あの頃 小さかったリファは もう大人になりかけていて、これから咲き誇るであろう その美しさへの予感は、空恐ろしい程だった。

エイジャ (昔は気後れして逃げ出したけど、今はそうでもねーな…)

リファは どこかの誰かさんと違って、どこからどう見ても可憐な女の子で、胸の膨らみも大きかった。

エイジャは薬を飲ませて貰いながら、さっきからずっと リファの大きな胸を ぼーっと見ていた。

リファ「えっ…と…」

リファは、エイジャの不躾な視線に、赤くなって手を止めた。

リワン「リファ、俺がやる」

リワンが横から薬湯の器と匙を取ると、リファの座っていた椅子に座り、エイジャを睨んだ。

エイジャ (不味(まず)…)

仏頂面のリワンに"あーん"をすると、エイジャは途端に薬湯の不味さを認識した。



エイジャは部屋の中に目をやった。

リワンは、エイジャの視線を見て口を開いた。

リワン「あぁ、何で診療所(ここ)に居るか? 姫が、ちょっと一旦 色々整えてから城に帰りたい、って言って。今 王様に会うのが しんどいんだろ。状態も悪いしな。ルカさんだけ先に帰って、多分今頃、色々追求されてる。一緒に来た夜逃げ一家は、取り敢えず、街外れの空き家に案内するらしい」

エイジャ「……。」

エイジャは ぼんやりとリワンの話を聞いていたが、重い瞼が勝手に閉じた。

リワンは エイジャの首の脈に手をやると、上体を起こしていたクッションを取り、毛布をかけてやった。


・・・・・


エイジャが次に目が覚めた時には、隣の寝台にアイラの姿は無かった。

リファが気が付いて、エイジャの側(そば)へ寄って来た。

リファ「良かった…。二日眠ってたのよ。また心臓止まったらどうしようかと思った」

リファは、エイジャの首の脈に触れながら観察すると、タライを持って来て彼の顔や腕を拭きにかかった。

リファ「かっ…、身体も拭かせて貰ったわ。砂だらけだったから…。見てないから大丈夫。見慣れてるし…」

リファは顔を赤らめながら支離滅裂な事を言うと、布を一度洗って、今度はエイジャの足を拭き始めた。

エイジャ「……。」(見たんだろが)

エイジャは半目になったが、昔に比べて それもどうでもいい気がした。


エイジャは隣の寝台を指差した。

何だか、声を出すのが億劫だった。

リファ (喉が枯れてるんだっけ…。体調も悪いから、喋りたくないのかな…)

リファ「あぁ。アイちゃんは ついさっき、兄さまとお城に戻ったわ。今日は色々、王様に言われるんじゃないかしら。また喧嘩にならなきゃ良いけど…」

リファは眉尻を下げると、タライを持って出て行った。


・・・・


数日後、奥の診察室から聞こえるリファの声で、エイジャは目を覚ました。

大分 体が軽くなっていた。

リファ「納期、遅れてすみません。研究室に作ってあるので、取って来ます」

医官「そぉう? ほんだら、誰が連れてぎなぁ?」

リファ「はい」

小間使いのヒョロヒョロしたおじいちゃんが、入口近くでにっこりと手を上げた。

エイジャ「……。」(丸腰じゃん)

エイジャは起き上がった。


・・・・


目立つ金色の髪に布を巻き、地味な麻色のジャンパースカートを着て、リファは診療所を出た。

後ろから、昔のいじめっ子が かったるそうに付いて来た。

リファは、少しビクビクしながら歩き始めた。

リファ「具合…、もう大丈夫なの?」

リファが軽く後ろを振り返って聞くと、エイジャはそっぽを向いたまま頷(うなず)いた。

リファ (あれ…? 少し背が伸びたのかな? この前まで同じ位だったのに…)

リファが観察していると、エイジャは「何?」というようにリファを見た。

リファは慌てて前を向いた。


殺伐とした空気の漂う街を抜け、城の裏手の湖畔へ入ると、リファは少しリラックスしたのか、話し始めた。

朝のまだ涼しい風が二人の間を吹き抜けた。

リファ「私ね…、軟膏の発注を貰えるようになったんだけど、手が回ってないの…」

エイジャ「……。」

エイジャは首を捻(ひね)った。

エイジャ (んな忙しいなら、何で診療所(あそこ)に居るんだ?)

リファは エイジャの顔を見ると、察して答えた。

リファ「アイちゃんから、エイジャに付いててほしい、って言われてるの。また心臓止まったら嫌だからって。私が居た所で、何もできないけど…」

リファは俯(うつむ)いて笑った。

エイジャ 「……。」

リファ「ねぇ、誰か手を貸してくれる人、居ないかしら?」

エイジャは少し考えると しゃがんで、湖畔の砂に、指で文字を書いた。

リファ「よ…に…げ…か…ぞ…く? あぁ、ルカさんが街外れの空き家に連れて行ったっていう?」

エイジャはコクコクと頷いた。

リファ「畑作業、やってくれるかしら…?」

エイジャは また砂に書いた。

リファ「の…う…み…ん…? そうなの? じゃあ、一度ルカさんに相談してみるわ。ありがとうエイジャ!」

リファは、エイジャに にっこりと笑った。

エイジャはポリポリと頭を掻くと、またそっぽを見て立ち上がった。


・・・


タァン!

リファの家に着くと、ミーナが木を的にして、矢を射っていた。

ミーナが振り向くと、エイジャは元 剣の先生にペコリと会釈をした。

ミーナ「あれ? エイジャ、あんた砂吸い込みすぎて死んだって聞いたけど?」

エイジャは眉間に皺を寄せた。

リファ「母さま…、弓、始めたの?」

リファは、不安そうに母を見つめた。

ミーナ「使う気は無いよ。ただ、何だか鈍(なま)るのは嫌だと思ってね。性分なのかな、嫌いじゃないんだ…」

リファ「……。」

ミーナ「フッ。あんたは この血が薄くて良かったよ。リヤンに似たんだね。武器は武器を招く。平和が一番」


エイジャが弓に手を伸ばしたので、ミーナは渡してやった。

タァン!

エイジャ (よし!)

矢は、ミーナの矢の近くに刺さっていた。

リファ (すごい…)

リファは、エイジャの顔を見た。

ミーナ「なぁんだ、もう回復してるんじゃない。心臓が止まったとか言っちゃって、どんなガセよ」

ミーナは腕を組み、フンと鼻を鳴らして笑った。


リファが研究室から、大きめの軟膏の壺を 布に包んで持って出て来ると、エイジャはヒョイとそれを持った。

リファ「ありがとう…」

エイジャは またどこかそっぽを向いていた。

リファ (そんなに私の事、見たくないのかしら…。やっぱり、今も嫌われてるのかな…)

リファは俯(うつむ)き加減で考えた。

ミーナ「あんた達、少し休んで行ったら?」

リファ「うん…。でも この後、買い出しもあるの」

ミーナ「そ? 物騒だから、気を付けてよ?」

リファ「うん」


・・・・・・・


アイラ「はぁ……」

アイラは、父の居る執務室までの廊下を歩きながら、重いため息をついた。

リワン「…大丈夫ですよ。少し日が経って、王様も少し落ち着いていらっしゃるはずです」

アイラ「うん…」

リワンも、何ヶ月かぶりに自分の前を歩くアイラの後ろ姿を見ると、どう言う訳か ため息が漏れた。

が、彼はそれを認識しなかった。


二階の広間の王座には、草馬(そうま)の将がどっかと座っていた。

アイラは廊下から横目で、嫌悪感に満ちて広間を見ると、唇と噛んで顔を背けた。

草馬の属国になってから アイラが草馬人に襲われたのは、もう二回目だった。

リワン「……。」

リワンも王座をチラリと見ると、瞳に憐憫の色を含めて アイラのすぐ後ろに立った。

リワン「姫、まだ剣を…、身につけたいと思っているのですか?」

アイラ「……。」

アイラは暫く黙っていたが、コクリと頷(うなず)いた。

リワン「では約束してください。決して自分からは抜かないと」

アイラは驚いて振り返った。

リワン「あなたが抜くのは、身を守る時だけです」

アイラ「リワン…? 駄目だって言ってたのに…」

リワンは暫く黙って、自分の判断が正しいのか まだ迷っているようだったが、口を開いた。

リワン「……。箒(ほうき)では、斬られてしまいますから…」

アイラ「……。」

アイラはリワンの緑がかった瞳を見つめた。

リワンは何故か、アイラと目を合わせているのが苦しくて、目を泳がせた。

リワン「私が交代の時に少しずつやりましょう。王様に、許可を貰って…」

アイラ「…ありがとう」

リワン「いえ…」

リワンの視線は 行く当ても無く そこら辺をさ迷うと、終(しま)いには 顔を背けて俯(うつむ)いた。


・・・・・


王「…………。」

父は、怒鳴らなかった。

後ろに、ナザルと側近も立っていた。

ナザルは、アイラの姿を見ると、ほうっ、と息をついた。

王「身体は、大丈夫なのか?」

長い沈黙の後、王は前に立つ娘を見て言った。


アイラ「はい」

アイラは、部屋の隅の方を見ながら無愛想に答えた。

王「ルカから事情は聞いた。私も天候悪化までは読めなかった」

アイラ「……。」

アイラは床を見つめたまま、反抗期を丸出しにして黙っていた。

王「リワン、礼を言う。あの嵐の中、任も無いのに よくぞ行ってくれた」

リワン「いえ…。姫の居場所が分かったのは偶然でした。途中でエイジャに会えなかったら、見つけられなかったと思います」

王「…エイジャは、具合はどうなのだ?」

リワン「一度 目を覚まして、その後 脈は安定しています」

王「そうか…」


リワン「あの…、王様」

王「?」

リワン「その…、大変勝手を申し上げますが、私を姫様付きに戻して頂けませんでしょうか?」

王は、ナザルと顔を見合わせた。

王「…しかし其方(そなた)…」

王はそう言うと、娘とリワンを交互に見た。

リワン「何がありましても、私は誓って、姫さまに恋愛感情は持ちません。任務に徹します」

グサリ。

もう何度もフラれているのに、リワンの言葉は やっぱりアイラの胸に刺さった。

そして次の瞬間には、彼女はカァッと赤くなった。

アイラ (な…、何それ…! どうしてそんな事、父さまに言うの?! そんな事まで報告してるの?!)

アイラは情けないやら恥ずかしいやらで、涙が出そうになった。

リワン「姫様がお嫁に行かれるまでお守りする事が、私がこの国に貢献できる事だと思うのです」

アイラは真っ赤になりながら、唇を噛んだ。


王「…そうか。お前はどうなのだ、アイラ。リワンに執着していると聞…」

ナザル (おっと? そこまで言わなくても…)

アイラ「誓って!」

アイラは、父の言葉を遮った。

アイラ「恋愛感情は、持ちません!」

アイラは、完全にヤケクソになって言った。

リワン「……。」

リワンは アイラの後ろに跪(ひざまず)きながら、よく分からないショックを受けた。

アイラ (父さまって、やっぱり無神経だわ! 大嫌い)

今回に関しては、無神経なのは父だけではなかったが、思春期のアイラは、父親への嫌悪感で一絡(ひとから)げにした。


王「そうか。問題が無いなら良い」

リワン「…ありがとうございます。それともう一点…」

王「何だ?」

リワン「姫様に剣をお教えする事を、お許し頂けないでしょうか? 勿論、傷などできぬよう、細心の注意を払います」

王「…どういう訳だ?」

リワンは、前に立つアイラをチラリと見た。

アイラ「身を…守りたいの」

王「……。」

王は、俯(うつむ)いた娘の屈辱的な顔を見ると、小さく息をついた。

王「分かった。気を付けてやってくれ」

リワン「はい。ありがとうございます」


・・・・・・


リファとエイジャは また街へ戻って来ると、市場で 診療所のお使いの品々を購入して回った。

エイジャはその度に、黙ってヒョイと荷物を持ってくれた。

リファ「ありがとう。…重くない?」

エイジャはそっぽを向いたまま、何も言わなかった。

リファ (目は合わせてくれないけど、昔みたいに意地悪しなくなったし、…少し優しくなったのかな…)

リファは、エイジャを密かに見つめた。

エイジャが 何?とばかりにこちらを見ると、リファはまた、オドオドして目を逸らした。


二人が人通りの少ない通りへ入ると、二人連れの草馬(そうま)人の男が寄って来た。

男1『女の子じゃん。わー、すっげー可愛い』

リファ「!」

リファが 青くなって大通りの方へ戻ろうとすると、もう一人が道を塞いだ。

リファ「!」

エイジャは面倒臭そうにため息をつくと、持っていた荷物を下ろし、リファの腕を掴んで自分の後ろへやった。

リファ (エイジャ?)

男2『何だ? お前、まだ子供じゃねーか。その娘(こ)貸したら逃してやるよ』

男は エイジャを力ずくで退(ど)かそうとした。

エイジャが男の手を振り払うと、男はエイジャの胸ぐらを掴んだ。

リファ (…!)

後ろにいたリファは、殴られそうなのを見ていられずに、両手で顔を覆った。

エイジャは相手の拳よりも早く、ダン! と男の胸を蹴った。

男2『〈咳き込む〉』

男1『ガキが…!』

もう一人の男が剣を抜いて飛びかかって来ると、エイジャはリファをドンと横に押した。

リファ「キャ」

リファは道端に両手をついた。

エイジャは自分も抜き、二人がかりで飛びかかって来た男達の剣をキン! キン! と受けた。

リファ (エイジャ…!)

リファは、診療所や医務室とは違う形の すぐ側(そば)にある死にガタガタと震えながら、エイジャの背中を見ていた。



チェン『何の騒ぎかしら?』

知っている声と数人の足音が、表通りから近付いて来た。

エイジャの知る限り、それは一番おぞましい声だった。

草馬人の男達は振り返ると、顔を歪めた。

男1『チッ、面倒なのが来やがった』

チェンは、奥に居るリファをチラリと見ると、男達に言った。

チェン『女が欲しいの? 売ってる所に行ったら?』

男2『クソ、邪魔しやがって…』

男二人は剣を収めると、不機嫌に表通りに出て行った。


チェンは、べったりとした目でエイジャを見た。

チェン「今日はお買い物? 死にそうだって聞いたけど、元気そうじゃない」

チェンはそう言いながら エイジャを流し見て通りすぎ、リファの前にしゃがんだ。

チェン「大丈夫? 今時、裏通りなんて歩いたら駄目よ」

リファ「は…い…」

チェンは、物珍しそうにリファの顎を持った。

エイジャ「?!」

チェン「随分と綺麗な顔をしてるのね。これは狙われるわよ。やだ、あたし、綺麗な娘(こ)見ると嫉妬しちゃう。傷の一つでも付いてないと、腹立っちゃうわ…」

チェンはそう言いながら、伸びた小指の爪でリファの頰を撫でた。

リファ「…?!」

リファは、チェンの漆黒の瞳を 震える目で見つめた。

エイジャは チェンの手をパッと払い除けると、リファを身体ごと抱き寄せて、チェンから離した。

リファ (……。)

リファは、期せずしてエイジャに抱きすくめられ、呆然としていた。

チェン「やぁだぁ、冗談よぉ」

チェンはケラケラと笑うと、立ち上がった。

チェン「さ、一件落着。行きましょ」

チェンは仲間の数名と共に、表通りに消えていった。



エイジャは リファを恐る恐る離した。

リファは、足が震えていたが、どうにか一人で立った。

リファ「エイジャ…、あの、ありが…と…」

リファは、まだブルブル震えながら エイジャに礼を言った。

エイジャは背中でそれを聞きながら荷物を持つと、大通りの方へ首をクイと振った。

リファ「うん…。ご…めん、足…が…」

リファはガクガクとすると、その場にペシャンと座り込んだ。


エイジャは面倒臭そうに舌打ちをした。

エイジャ「早くしねーと、また変なのに絡まれるぜ?」

リファ「……?」

リファは、目を丸くしてエイジャを見た。

エイジャの声は、一オクターブ低い声に変わっていた。

リファは その甘いテノールに、全く訳も分からず、赤面した。

ARASHIさん「モンスター」

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