第16話 謝罪
執務室の窓際に立っていた王は、息を切らせた従者から 巨大な砂嵐の知らせを聞いた。
王「まさか…! く…うぅ…」
王は壁に手を付き、胃を押さえて そのまま ずりずりとしゃがみ込んだ。
ナザル「王様!」/側近「王様?!」
側近は、急いで執務室を出ていった。
王の顔を見たナザルは、一瞬 干からびたトカゲのような印象を受けた。
ナザル「捜索隊を出しましょう」
王「いや……、今は危険だ。ルカとエイジャが付いておる。もしダメならば…、三人で出した私の…責任だ…」
ナザルは、茫然自失とした小国の王を、その強面に憐れみを浮かべて見た。
ナザル (こういうの、姫が小さい頃にもあったな…。あの時は草馬が襲って来たんだった。どうして あなたはこう、滅多に出ないアタリを引いちゃうんですかね…)
ナザルは王の背をさすりながら、窓の外を見た。
黒い雲が、みるみる空を覆っていった。
・・・・・・・・・
アイラとルカは ザーザーと砂が吹き付ける中、北東の小さな村へ向かっていた。
アイラはルカの前に座って、呆然とラクダに揺られていた。
アイラ「エイ…ジャ〈咳込む〉」
ルカ「……。」
アイラ (エイジャ…! あぁ、私のせいだ。私が、遠乗りに行きたいなんて言ったから…)
アイラは、組み手やラクダの乗り方を教えてくれたエイジャを思い出していた。
それはつい数日前の事で、その彼を置き去りにしてきたのは、つい数十分前の事だった。
アイラ (リワン、あなたは辞めて正解だったわ。私は、自分の腹心さえ見捨てるんだから…)
アイラには泣く気力も残っていなかった。
アイラ (せめて…、ルカだけは無事に返さなくっちゃ。お父さんになるんだもの…)
アイラは、手綱を引くルカの 日に焼けた両腕を見つめた。
・・・・・・・・・
リワン「さすがに見張りも少ないな…」
リワンは数人しか門番のいない西門を通過すると、だだっ広い都の外へ出た。
空まで届く砂煙が、西の視界一帯を飲み込んでいた。
リワンは 妹から借りた布で頭を覆った。
その生成りの布には、微かに甘い花の香が移っていた。
妹が おさげを編む時にいつも使う香油の匂いだった。
リワン (午後だから、太陽は前方。いや、それも砂煙に入ったら分からないか…)
リワンは雲に覆われた空を見上げると、風上へ向かってラクダを走らせ始めた。
・・・
リワン (もうどれ位 進んだだろう…)
リワンは薄暗い熱風の中を、ひたすら風上へ向かって進んでいた。
リワン「〈咳込む〉」(ちゃんと西へ進めているのかな…? 感覚的には、もうすぐ三日月湖へ着く頃だが…)
リワンは荷から水袋を取り出すと、グビグビと喉を鳴らして飲んだ。
リワン (ルカさんが付いてるから、何も無ければ近くの村へ避難しているはず。昼過ぎに立って嵐に巻き込まれたなら この辺だろうが、どの村だろう…)
リワン「ん…?」
見通しの効かない視界に、いきなり座り込んだラクダが現れた。
側まで来ると、ラクダの陰に誰かが倒れているようだった。
しかも、それは既に半分程 砂に埋れていた。
リワンは驚いてラクダを降りると、埋れている人を抱き上げた。
リワン「?!」
リワンは息を飲んだ。
エイジャだった。
強風が、頭に何も被っていないエイジャの頰に 砂を叩きつけた。
リワン (どういうことだ…?! どうしてこいつが…?!)
リワンの脳裏を、最悪の事態がよぎった。
リワン「エイジャ?! おい、エイジャ! しっかりしろ!」
リワンはエイジャの肩を揺さぶったが、ぐったりとして動かなかった。
リワンは エイジャの首の脈に触れ、耳を彼の鼻にくっ付けた。
リワン (生きてる!)
リワンは、自分のラクダへ戻ると、荷を漁った。
リワン「あった!」
彼は、妹が南大路の診療所に持っていく筈だった 小さな壺を見つけた。
包んである布を解き、ペロリと舐めるてみると、蜂蜜にシナモンと幾つかの生薬を混ぜたもののようだった。
リワンは 壺と水袋を持って来ると エイジャの前にしゃがみ込み、その唇を濡らす程度に、慎重に水袋を傾けた。
何度目かで、エイジャは力無く咳き込んだ。
リワン「エイジャ! おい! エイジャ! しっかりしろ!」
エイジャは苦しそうに浅い呼吸をしながら、薄く目を開けた。
リワン「エイジャ! 分かるか?! どうした?! なぜお前がここに居る?!」
リワンは焦って質問をぶつけたが、相手が答えられないと分かると、また慎重に、何度もエイジャの口に水を含ませた。
リワン「姫はどうした?! ルカさんは?!」
リワンは小さな壺から蜂蜜を小指ですくうと、エイジャの口の中へ入れた。
エイジャは蜂蜜を飲み込むと、懸命に声を出そうとした。
エイジャ「はぐ…れ…た」
リワン「えっ?! 何だ?」
リワンは、エイジャの口の近くに耳を近付けた。
エイジャ「チャ…ル…」
リワン「チャル…? 北のチャルム村か?!」
エイジャは微かに頷いた。
リワン「分かった」
リワンは 蜂蜜の壺を包んでいた布でエイジャの顔を覆うと、エイジャのラクダを自分のラクダの後ろに繋ぎ、彼を引きずって 一緒にラクダに乗った。
・・・・・・・
ルカ「すみません! 旅の者ですが、途中で嵐に巻き込まれました。天候が落ち着くまで、こちらに居させてくれませんか?!」
小さな村へ着くと、ルカは早速 近くの家の戸を叩いた。
暫くすると、戸は内側からガタガタといって、薄く開いた。
中から、農民の男がしばらくこちらを窺うと、もう少し広く戸を開けてくれた。
農夫「二人かい」
どこか生気の無い目をした農夫は、玄関先の客をジロジロと見た。
ルカ「はい。こっちは弟です」
農民の男は顔を傾けた。
農夫「弟? 女の子に見えるがな」
ルカはハッとして、アイラがかぶっていた花柄の布を取った。
アイラはゼェゼェと苦しそうに咳き込みながら、会釈をした。
アイラの短髪と 具合の悪そうな様子を見ると、男は
農夫「納屋でえぇかな」
と言って、隣の小屋の戸を開けた。
ルカ「ありがとうございます!」
アイラとルカは、納屋の床へバタンと倒れ込んだ。
天井からは、干しブドウが沢山吊るされていた。
わざと隙間を開けて組まれた日干し煉瓦の壁は 風を通したが、外よりもずっとマシだった。
アイラは苦しそうに胸を押さえ、早々に眠ってしまった。
暫くすると、疲れ切ったような奥さんが 飲み物を持って来てくれた。
奥さん「災難だったね…。〈アイラを見て〉その子、大分 砂にやられてるみたいじゃないか」
奥さんは、眠るアイラの 頭からつま先までを見た。
ルカ「はぁ…」
ルカは肘をついて半身を起こすと、カラカラの喉へ 持って来てくれた水を一気に流し込んだ。
ルカ「?! 何…だ、これは…!」
奥さん「あぁ、よく眠れるように、少し酒を入れといたよ」
ルカ (少しじゃないだろ…?! ク…ソ…、俺としたことが…!)
ルカは、焼け付くような喉で クラクラしながらアイラを抱き寄せると、そのままバタンと眠ってしまった。
奥さん「……。」
奥さんは、眠るアイラを じっと見つめた。
・・・・・
リワン (俺は…、一体どこに居る?)
リワンは、暗くなりかけた砂漠の真ん中で 途方に暮れていた。
吹きつける強風は、日が暮れ始めると、今度は一変して冷たくなってきた。
リワン (そろそろ着く筈なのに…!)
リワンの胸の中では、エイジャが苦しそうに息をしていた。
リワン「エイジャ、しっかりしてくれ。お前みたいのでも、居るだけで恐怖が減るもんだな」
リワンは荷からまた蜂蜜の壺を出すと、小指ですくって 何度かエイジャの口の中に入れてやり、水も飲ませた。
リワン (リファの蜂蜜があって良かった…)
リワンは自分も人差し指で蜂蜜を舐めながら、しみじみと思った。
エイジャ「ハ…、迷っ…た…わ…け?」
突然、胸の中から かすれた声がした。
リワン「まぁ、そう…だな」
エイジャ「ウケる…」
エイジャは力無く笑った。
リワン「恨んでいいぞ。今、俺とお前は一心同体だ。俺が死ねば、お前も死ぬ」
エイジャは また笑った。
エイジャ「俺…、そういう趣味…ねー…から」
リワン「俺もだ」
エイジャは、その金色の瞳を薄く開けた。
エイジャ「月…が…」
エイジャのかすれた声に、リワンはハッとして 彼の視界の先を振り返った。
辺りは益々暗かったが、見えない空の一箇所が、薄ぼんやりと白く光っている気がした。
リワン「そうか…! お前と心中なんて、天地がひっくり返ってもあり得ないよな!」
リワンはラクダの向きを変えた。
・・・・・
アイラ (誰…?)
アイラは風の音に交じって聞こえてくる人の声に、ふと目を覚ました。
ルカの腕と太腿が、アイラの身体の上にあった。
アイラ (重っ…)
アイラはルカの下から這い出した。
もう日が暮れたらしく、納屋の中は真っ暗だった。
アイラ (皆、心配してるだろうな…。父さまなんて、きっと 怒り狂ってる…)
アイラは、隙間の空いた日干し煉瓦の間から、真っ暗な空を見た。
その一部だけがぼんやりと白く光り、真っ黒な雲が速く流れていくのが見えた。
アイラ (ルカ、起きて、ルカ!)
アイラはルカを揺さぶってみたが、彼は死んだように眠ったまま、起きなかった。
風の音で話し声がよく聞こえなかったので、アイラは納屋の戸の近くまで這って行って、聞き耳を立てた。
農夫「違ったらどうする!」
奥さん「いーや、あれは絶対女の子だよ」
農夫「だがなぁ、あの連れの男が起きた時、何て言うんだ。ありゃあ、普通の鍛え方じゃないぞ」
奥さん「ラクダを一頭逃して、居なくなっていたと言えばいいさ」
農夫「嵐の中、女の子が一人でどこへ行くってんだ!」
奥さん「じゃあどうするのさ! うちの娘を出すってのかい?! 嫌だよ! あん時は恐ろしくて「うん」って言っちまったけど、やっぱり嫌だ! 今日 あの娘が飛び込んできたのは、天の恵みだよ!」
農夫「だがなぁ、ありゃあ、ただの旅人じゃない気がする。何か訳ありだ」
奥さん「ウチにあるのは、訳じゃなくて借金だよ! くだくだ言ってないで、早く連れて来て!」
アイラ (嘘でしょ…?)〈咳込む〉(!)
アイラは慌てて口を抑えたが、胸が苦しくて 咳は止まらなかった。
納屋の戸が キィと開いた。
アイラ「!」
アイラは、冷たい風が吹き付ける中、目だけ出るように頭に布を巻いた農民夫妻を見上げた。
農夫「あちゃあ、聞かれちまったかなぁ」
奥さん「話が早いよ。お嬢ちゃん、悪いけど、あんたには今から、草馬人の家に行ってもらうから」
アイラ「えっ?」
奥さん「まぁ…、お酌だよ。踊りでも踊れれば、もっと良いんだけど…」
アイラ「……。借金が返せないから、代わりに娘さんを出せと言われたの?」
アイラは、夫妻の目を 真っ直ぐに見た。
夫妻は、苦しそうに目を伏せた。
アイラ「どこの家も同じね…」
アイラは独り呟いた。
農夫・奥さん「?」
アイラ「草馬人は、いつもこうなの?」
奥さん「別に、何人だって同じさ。草馬人の前は江人だった。碧沿人だったこともある。誰が地主になろうと、変わらないよ」
アイラ「そうなの…」(地主? 借金? 私、世間知らずだわ…)
アイラは視線を落とした。
アイラ「でもそれ、そっちの都合よね。私、助けてもらったけど、そこまでお人好しじゃないわ」
アイラは納屋の隅を見ながら、硬い表情で言った。
奥さんは、戸の近くに立てかけてあった斧を手に取った。
奥さん「連れの脚が、ちょん切れてもいいのかい?」
アイラ「?!」
アイラは 目を見開いて奥さんを見つめた。
農夫「オイお前、それは流石に…」
奥さん「この子を売らなきゃ、うちの子を売るしか無い! そうじゃなきゃあたしらが殺される! もうあの子で最後だ。あの子には…、奴隷の身じゃなく生きてって欲しいんだ…!」
奥さんの声は、びゅうびゅうと吹き付ける風せいか、涙声のように聞こえた。
アイラ (何よそれ! 自分が死にたくないから子供は売って、いよいよ最後になったら、今度は よその子を捕まえて売ろう、って事じゃない! 勝手だわ!)
アイラは不機嫌に奥さんに言った。
アイラ「自分のツケを、子供に払わせるのね」
奥さん「うるさい! 飯食わせてんのは親だ! どうしようと…」
アイラ「子供は親の所有物じゃないわ! 家畜のように売るくらいなら、初めから産まなきゃ良いでしょ!」
奥さん「出来ちまうもんは仕方ないだろうが!」
アイラ「う、瓜やヘチマじゃないんだから! 人は一人一人 心があ…〈激しく咳込む〉」
奥さん「つべこべ言ってると…」
奥さんは斧を持ち上げた。
アイラ (あぁ、どこも同じだ。力に屈して、何かを渡すんだ…)
アイラは、奥さんの握りしめる斧を見つめた。
アイラ (力に対抗できるものって、一体何なんだろう…? お金? 剣? なら、もし地主より、大国より、そう、世界で一番強くてお金持ちになれたら、それで戦いは終わるのかしら…? 皆、幸せになれるの…?)
アイラは、後ろを振り返った。
ルカは依然、起きそうにもなかった。
アイラ (この人は無事に帰さなきゃ…。今は従うしかない…。もう少し時間が経てば、ルカは起きる。そしたら、彼は自力で逃げ出せるわ。私も、逃げる機会をうかがおう…)
アイラは咳き込みながら立ち上がると、納屋の入口に手をついて立った。
アイラ「いいわ。代わりに行ってあげる。但しその前に、娘さんに会わせて」
夫妻は 顔を見合わせた。
・・・・・
アイラは、母屋で 夫妻の娘に会った。
娘は、両親の悪事は知らないようだった。
娘「あなたは誰?」
アイラより更に年下に見える娘は、怯えていた。
アイラ (こんな子を差し出そうなんて…!)
アイラはゼェゼェしながら、憤然として娘を見た。
アイラ「今日 助けて貰った旅人よ。…どうしてそんな顔をしているの?」
娘「…私、今晩から草馬人の家の使用人になる筈だったんだけど、母ちゃんが行かなくて良くなったって…。…まさか、あんたが代わりに行くの…?」
娘は、両親の顔も見た。
両親は目を逸らした。
アイラ「……。」
アイラは質問には答えなかった。
アイラ「いい? あなたはこの村から逃げるのよ」
娘「えっ?!」
夫婦も驚いてアイラを見た。
アイラ「あなたは、奴隷じゃなくて生きていくの。この家に居たら、次こそあなたの番になる」
娘「どうやって…」
アイラ「都に行って、し、仕事? を見つけるのよ。さ、酒場の使用人? とか?」
アイラは、以前リワンに聞いた仕事の他に、思いつく仕事が無かった。
娘「…草馬人の使用人と、酒場の使用人って、どう違うの?」
アイラ「た、例えばよ。とにかく、今 ここに居たらダメ。状況が良くなったら、帰って来たらいいわ」
アイラは、夫妻を睨むように見た。
アイラ「それで、良いんでしょ?」
両親は驚いてアイラを見つめていたが、頷いた。
アイラ「私の連れが起きたら、一緒に都へ連れて行って貰うのよ?」
娘はオドオドと頷いた。
アイラは 娘と服を交換すると、花柄の布を頭に巻き付け、粗末な家を出た。
アイラ (あぁ、一人ぼっちがこんなに心細いなんて…)
アイラは ゴホゴホと咳き込みながら、農民の男について行った。
風は震える程 冷たく、昼間 熱かった砂は、今は冷たくなって アイラ達をザァザァと打ち付けた。
二人は村の奥へ向かって歩いた。
農夫は中庭のある家の前で止まった。
家には灯がともっていた。
アイラは脚がすくんで、敷地へ入れなかった。
農夫が振り返った。
農夫「逃してやりてぇがなぁ…」
アイラ「…私を届けないといけないんでしょ? わ…、分かってるわ」
アイラは、いつか仏塔で 草馬人に襲われたのを思い出した。
アイラ (草馬人なんか…、大嫌い…!)
暗く冷たい砂嵐の中、アイラは目に涙を溜めてガタガタと震えていた。
立っていられず、アイラはしゃがみこんだ。
農夫は、うずくまったアイラを暫く見つめると、口を開いた。
農夫「なぁ…、やっぱり、二人とも逃げろや。後のことは、どうにでもなる」
アイラは顔を上げて 農夫を見上げた。
アイラ「どうにでもって…、おじさん、借金返せなかったら 殺されちゃうんじゃないの?」
農夫「まぁ、仕方ねぇわなぁ。貧乏ってのはいけねぇよ。鬼のするような事に、慣れちまう。死ぬのが怖ぇから子供を売った。自分の代わりに、子供らに死ぬ思いをさせたんだ。あの子ら、今 どこでどうしてるんだか…。今日なんか、人様の子だ」
農夫は、ケケケと苦笑した。
歯が、数本しか無かった。
アイラ「……。おじさん、帰ったら私の連れを起こしてくれない?」
農夫「あぁ。だが あの兄ちゃんがここへ助けに来る頃には、お前さんはもう、けちょんけちょんだわなぁ」
アイラは唇を噛んだ。
一応、けちょんけちょんの意味は、何となく知っているつもりだった。
アイラ「なるべく…、時間を稼ぐから…」
農夫は、濁ったような目でアイラを見た。
農夫 (あぁ、可哀想だよなぁ…)
農夫が闇夜を見上げると、無数の砂粒がチラチラと 二人に降り注いでいだ。
農夫「帰ろう。お前さんを売って来た事にするから、ウチの裏に隠れてろ。連れが起きたら、娘と外に出す。それで、三人で逃げろ。ウチのに見つかるんじゃねーぞ。娘を宜しくな」
アイラ「おじさん…!」
アイラは震える目で農夫を見上げた。
ガタリと戸が開いた。
二人は驚いて玄関の方を見た。
体格の良い草馬人の男が 近付いて来た。
男『何だ、遅いと思ってたら、来てたのか。待ちくたびれたぞ!』
農夫「い、いやぁ、違うんです。こ、この娘は…」
男『何をゴチャゴチャ言ってやがる。娘を置いて早く帰れ!』
男はアイラの腕を乱暴に掴むと、家の中へ引っ張って行った。
農夫「あぁっ!」
アイラ「おじさん!」
二人が家の中へ入ると、戸はまた バタンと閉められた。
・・・・・
リワンは、やっとの事で村に到着した。
リワン「エイジャ? 着いたぞ。生きてるな?」
リワンが 胸に抱いた年下の元同僚を見ると、彼は微かに頷いた。
リワン「さて、どの家に…、…ん?」
リワンは、風がビュンビュンと唸る暗がりで、家の前をウロウロと行ったり来たりしている子供を見つけた。
娘 (どうしよう、いいのかな…? …あの子、どうして私の身代わりになってくれたの…?)
リワンは近付いて、ラクダの上から話しかけた。
リワン「こんな日に何をしてるんだ? 家に入ったらいい。それとも、締め出されたのか?」
子供は顔を上げた。
男の子の服を着ていたが、近付いて見ると、後ろにおさげのある女の子だった。
リワンはパチパチと瞬きをした。
リワン「そうだ、ついでに聞きたいんだが、君より少し上の 髪の短い子と、連れの男が この村に来てないか?」
娘「!」
女の子は、目を見開いてリワンを見上げた。
リワンが目を凝らしてよく見ると、少女の服は、アイラの着ていたシャツとズボンだった。
・・・
リワンは、ラクダを村の奥へ向かって走らせていた。
エイジャの事は、さっきの娘に問答無用で押し付けてきた。
リワンは、向こうから走って来る農夫と すれ違った。
中庭のある家を見つけると、リワンはラクダを降りて入口をうかがった。
嵐のせいか、見張りは居なかった。
家の中からは、こんな天気の中、男達の大きな笑い声が聞こえてきた。
リワン (何人居る? 声の感じからして、四、いや、五人か。誰も殺さずに姫だけ連れ帰りたい。草馬人を殺したら、問題が大きくなってしまう…)
リワンはするりと中庭へ忍び込むと、下の方を少し開けてある 木の戸のついた窓の側へ行き、聞き耳を立てた。
地主『さて、酒はもうこの位か。今日は他にも美味いものがあるからなぁ! ぐはは!』
ゴホゴホと咳込むのが聞こえた。
アイラ「ま…待って!」
リワン (!! この声…!)
アイラ「せっかくだから踊るわ。誰か…、楽器か歌はできないの?」
リワン (間違いない、姫だ! …ルカさんはどうしたんだ?!)
アイラ (どうしよう…?! あぁルカ、早く助けに来て…!)
アイラは恐ろしくて、自分の指先が震えているのが分かった。
草馬人の男達は、碧沿の言葉がある程度分かるようで、上機嫌に どこからか弦楽器を取り出し、歌える者が歌い出した。独特な発声方法で、アイラは初め 目を丸くした。
手拍子がかかり、リズムができたところで、アイラは踊り出した。
酔った男達は、暫くポーッとアイラの踊りを見ていた。
アイラ (そうだ! 灯を消して真っ暗にしたら、この窓から庭に逃げられないかな?)
アイラは音楽に合わせながら、ランプの灯を一つずつ 妖しげに吹き消していった。
リワンは、窓から漏れる光が次第に薄くなっていくのを 訝しんだ。
リワン (何だ? どうなってる?)
アイラが最後の一つを吹き消すと、部屋は真っ暗になった。
音楽が止まった。
アイラは窓の方へ後退りをした。
地主『終わりか? なかなか良かったぞ。自ら灯を消すとは、どういう意味だ?』
地主の男は、暗闇の中 ニヤニヤとアイラに近寄って来た。
アイラは バッと後ろを振り向くと、下の方だけ開けてあった窓の戸を、大きく開けようとした。
リワン (?)
リワンは、ガタガタする窓を見た。
暗闇に、戸を開けようとする華奢な手が見えた。
リワン「!」
その手は すぐに引っ込んだ。
パァンと皮膚を叩く音がして、小さな悲鳴が漏れた。
地主『何だ、逃げ出す気だったのか?』
窓のすぐ向こうで、男の声が聞こえた。
アイラ「いや! 誰かーっ!!」
リワン「!!」
リワンは立ち上がり、窓の戸に手を掛けた。
ガンガンガン! バーン!!
玄関の方から、それ程 頑丈ではない鍵を蹴破る音がした。
リワン (?!)
真っ暗な部屋に居た者達も皆、ハッとしてそちらへ集中した。
リワン (何だ?! 何でもいい! 今だ!)
リワンは窓の戸を力技で開けて部屋へ侵入すると、アイラに乗っかっているだろう男を思い切り蹴り上げた。
地主『ぐあっ!』
アイラ (ルカ?!)
二方向からの侵入者に、今まで上機嫌で酔っ払っていた男達は、いきなり現実に引き戻された。
リワンは アイラの身体を手探りで掴むと、窓から外へ押し出した。
アイラ (イ…タタタ…。もう…走れない…)
アイラは咄嗟に、壁に立てかけてあった箒を手に取った。
アイラがルカだと思っていた男は、向けられる剣をキンキンと防ぎながら出てくると、アイラの手を掴んで入口の方へ走ろうとした。
が、アイラは五、六歩も歩くと、その場に座り込んだ。
リワン「!」
すぐ後から、地主と 男がもう二人追ってきて、アイラとリワンを取り囲んだ。
アイラは箒を杖のようにして、もう一度 立ち上がった。
二人は じりじりと中庭の真ん中へ追い詰められ、背中合わせに立った。
アイラはもう、体力的にも精神的にも、立っているのがやっとだった。
ザァザァと冷たい砂が吹き付け、中庭の植栽を激しく揺らした。
アイラは、箒を握りしめた。
アイラ「ルカ…、来てくれて…ありがとう」
アイラは小さな声で、後ろに居る味方に言った。
リワン「……。」
背を預けた味方は、何も言わなかった。
草馬人「うわっ」/「ぐはっ」
玄関から押し入ったルカは、中の二人をのしてしまうと、窓からヒョイと出て来た。
中庭の真ん中に、頭に何も被っていないアイラと、もう一人、覆面の男が 背中合わせで追い詰められているのを見て、ルカは首を捻った。
ルカ (? 誰だあいつ? まぁ良い、味方らしいな)
アイラ (…?)
暗い上に、頭に布を巻いていてよく見えなかったが、アイラは、今 窓から出て来た男は、その出立ちからルカだと思った。
アイラ (ルカ…? じゃあこの人は…?)
アイラは箒で身体を支えながら、恐る恐る 後ろの覆面男を見た。
リワン「謝ります」
聞き慣れた声が、背中から聞こえた。
アイラは目を見開いた。
取り囲んだ草馬人の内、地主の男が 後ろを向いたアイラの隙へ切り込んできた。
アイラ「!」
アイラは咄嗟に、持っていた箒で剣を受けたが、箒はバキッと切れ、アイラの額とリワンの背を切る筈だった。
キィン!!
後ろの味方が、アイラの目の前で剣を受けた。
アイラは、額の前でギリギリと押し合う剣を前に、呆然と目を見開いた。
アイラ (リワン…?! どうして…?!)
リワンの後ろから、残りの草馬人 二人も切り込んできた。
ルカは、その内の一人の前へ走り出ると 引き受けた。
アイラ「後ろ!」
リワン「!」
リワンは 地主の剣を横に押し出すと、後ろから来た男の剣を受けた。
キィン!!
地主は すかさず体制を整え、目の前のアイラの腕を掴もうとした。
アイラは身をかわしたが、ぐらりと世界が揺れ、そのまま身体の感覚が消えた。
アイラ「ごめ…ん…」
地主は、ガクリと膝をついたアイラの上腕をすかさず掴むと、その項垂れた首に刃を突きつけた。
リワン「!」
地主「動くな! この女がっ?! あ…」
後ろから、ルカが剣の柄で地主のこめかみを打った。
地主『貴様…! 何…者…だ!…』
ルカ『旅の者でね。通りがかりに悲鳴が聞こえたから』
地主『な…にィ?!』
地主は その場にうずくまった。
リワンも相手を倒すと、倒れているアイラを 地主の側から急いで離し、脇へ抱えて入口へ走った。
二人は急いでラクダに乗り、その場を後にした。
・・・・
リワン「姫…、姫、しっかり!」
ルカはその声に驚いて、隣を走るの覆面男を見た。
ルカ「リワン?! お前、この嵐の中を来たのか?!」
リワン「途中、迷子になりましたけどね…」
ルカ「嘘だろ…」
聞き慣れた声に、アイラは目を開けた。
あり得ない事に、アイラはリワンの胸の中に居た。
リワン「大丈夫ですか? とんでもない遠出でしたね。帰りますよ!」
アイラは、信じられないという目でリワンを見つめた。
アイラ「リワン…? どうして…?」
リワン「その…、後で話します。エイジャを連れて、すぐこの村を出ますよ!」
アイラは、また目を見開いた。
アイラ「…エイジャ? エイジャを…見つけたの…?!」
ルカも驚いてリワンを見た。
ルカ「本当か?!」
リワン「来る途中で、倒れてました」
アイラはリワンを抱きしめると、肩を震わせた。
リワンは、どういう訳か 胸がバクバクした。
リワン (動悸? あぁ、リファの蜂蜜に何か入ってたのかな…)
アイラ「ありがとう、リワン。ありがとう…!」
リワン「いえ…。私もあいつを見つけなかったら、あなたがどの村へ行ったのか、分かりませんでした」
・・・
三人が農夫の家の前まで来ると、少女がビュンビュンと真夜中の風が吹きつける中、頭を覆って扉の前に立っていた。
ルカ「乗って!」
リワン「え? どういう…」
ルカ「説明は後だ。そうだ、エイジャは?」
娘は扉を開けて 家の中に叫んだ。
娘「父ちゃん! その男の子…!」
農夫はエイジャを背負って出てくると、ルカのラクダに上げながら言った。
農夫「娘を…頼みますわ」
ルカ「はぁ…。〈娘に〉君、一人で乗れるか?」
娘は頷いた。
娘「と、父ちゃんと母ちゃんは? ここに居たら、どんな目に遭うか…」
ルカとリワンは顔を見合わせた。
アイラ「ラクダが空いていれば…」
胸をゼェゼェさせながら、アイラが言った。
アイラ「一緒に…逃げましょう」
家の中に居た夫妻は、驚いてアイラを見た。
ルカ「ひ、じゃない、アラン! あのババ…、じゃない、奥さんは信用ならないよ! 俺を強い酒で眠らせて…」
アイラ (それだけじゃないわ。ルカ、脚を切られる所だったんだから…)
アイラは、納得できない顔で目を泳がせた後、自信なさそうに口を開いた。
アイラ「そうだけど…、同じ立場なら…、私も…そうかも…しれないし…」
最後の方は消え入りそうだった。
リワン「……。」
リワンは、胸の中のアイラを見つめた。
ルカ「あぁもう! なら急いで! 知りませんからね! 追手が来る前に、夜逃げだ!」
・・・・・・・
着の身着のままの七名を乗せた四頭のラクダは、風の吹く中、月の明かりを頼りに進んだ。
風はまだ強かったが、吹き上げられる砂は少なくなり、時折、真っ黒な雲の切れ間に 煌々と光る月が顔を出した。
ルカ「何か…、来た時より随分 増えたな…」
ルカは、片手でエイジャを胸に抱いて言った。
リワン「ラクダを捨てて来なくて良かったです。なんせ砂漠の船ですからね」
ルカ「全くだな。急ごう。夜の内に都に入らないと。嵐が止めば、警備が厚くなる」
アイラは、ぜぇぜぇと苦しそうに目を瞑り、リワンの胸にもたれていた。
リワン「…姫、大丈夫ですか?」
リワンは"姫"と周りに聞こえないように、小さな声で聞いた。
アイラは小さく頷いた。
リワンは荷から蜂蜜の壺を取り出すと、アイラの頭を覆っている布の下から、小指ですくってアイラの口に入れてやった。
リワンは アイラの舌の感覚に、何故かまた動悸がした。
アイラ「美味しい…」
アイラは目を瞑ったまま呟いた。
リワン「姫、その…、申し訳ございませんでした」
アイラは薄く目を開けた。
リワン「すみません、本当は向き合ってお許しを乞うべきなのですが…。つまり…、謝りに来たんです。あなたに、大変失礼な事を申し上げました。どうか、お許し下さい」
アイラは暫く、リワンの言葉を反芻していた。
アイラ「いいよ…、本当の事だし…」
リワン「……。私は、あなたを敬愛しています」
アイラ「…?」
リワン「一、臣下として。あなたが持っているものが何なのか、よく分かりませんが、私はそれを、すごいと思っているんです」
アイラは力無く笑った。
アイラ「ありがとう…。リワン、私の…傍に…居て…? 辞めないで…よ…」
リワンは目を見開いた。
リワン「…宜しいのですか?」
アイラは頷いた。
リワン「はい…!」
アイラは目を瞑り、その身体に大好きな男の熱を感じていた。
アイラ (リワン、見つかる当てもないのに、探しに来てくれたんだ…。あぁ それが、私が王女だからでもいい。あなたが傍に居てくれるなら…)
アイラは 真夜中の風にビュンビュン吹かれながら、乙女にありがちな事を思った。
アイラ「…っ?!」
突然、アイラは目を開けた。
リワン「? どうしました?」
アイラ「な…、何でもない…」
アイラは 何ヶ月かぶりの、股が緩んで液体が流れ出る感じに、顔面蒼白になった。
リワン「?」
アイラ (どうしよう? どどどうしよう…?! こんな所で…、何で今なの?!)
リワン「…姫?」
アイラ「あの…、あとどれ位で…帰れる?」
リワン「? そうですね、一番鶏よりはずっと早く着きますよ。まだまだ暗い内に…」
リワン (? お父上の事を気にされてるのかな?)
リワンは はてと考えて、次第にハッとすると、さり気なくラクダを一番後ろに付けた。
ルカ (…?)
ルカは怪訝な顔で振り返ったが、また前を向いた。
リワン「姫…、もしやその…、気持ち悪くて結構ですが、その…、体調の波が戻って来たのではありませんか?」
リワンは声をひそめて、なのに興奮気味に聞いた。
アイラ「えっと…、うん、そんな気がするの…」
アイラは俯いて、恥ずかしそうに答えた。
リワン「!! 良かった!」
リワンは小さな声で嬉しそうに言うと、頭に巻いていた妹から借りた布を解いてアイラに差し出した。
リワン「これ、使えますか? 良かったら…」
アイラ「…いいの?」
リワン「もう風も弱まってきましたし」
アイラ「そう。えっと…、どうしよう…、ちょっと目 瞑ってって」
リワン「はい」
アイラは その布を折り畳むと、ガサゴソとそれをどうにかした。
リワン「不思議だなぁ…」
目を瞑ったまま、リワンは楽しそうに独り言を呟いた。
アイラ (?)
リワン「本当に、不思議すぎる…」(今 開いたら、一体どうなっているんだろう? いや、絶対しないけど。どこから? どうやって? どれ位? 血が湧くんだろう? 子宮の内側は、鼻の粘膜が鼻水を分泌するのと同じ感じで、一ヶ月かけて子宮内に血が滲むのかな? 何で溜まった血が下に落ちないんだ? 子宮には心臓にあるような弁膜は無いのに。子宮に血が溜まる感覚って、鼻水が鼻腔に溜まる感覚と似てるのかな? じゃあ、一月ずっとムズムズしてるのかな…。今度リファに聞いてみよう。あぁ、性別の違う兄妹がいて良かった! またドン引きされそうだけど…)「女性って、ホント不思議です…」
アイラ (……。)
アイラは、リワンのこういう目の色が変わった時が、ちょっと怖かった。
いつもはクールなリワンの緑がかった瞳は、臓器や身体の中の話になると、真緑になって爛々(らんらん)と光るようにアイラには見えた。
アイラ「もういいよ」
リワンは目を開けた。
彼の目は確かに、エメラルドのように光っていた。
リワン「具合、悪いですか? もっと楽な体勢に変えます?」
アイラ「えっと…、大丈夫」
アイラは頭と腰がずーんと重くなってきていたが、下のセットがゴモゴモして、今動いたらマズいことになりそうなので やめた。
アイラ (髪を切っても、男の子の格好をしても、私が女の子を辞める事はできないんだ…)
風は今度は追い風となって、ヒュウヒュウとアイラ達の背を押した。
アイラ (恋心も、この身体も、私を女の子であるように仕向けてくる。それって、行き着く先は、子供を産む事だわ。あぁ 女っていうのは、どんな一生に臨めるんだろう…?)
アイラは黒い雲の向こうに たまに顔を出す、白い満月を仰ぎ見た。
アイラ (母さま…)
アイラは 草馬へ行った母に、今夜は無性に会いたかった。
爆風スランプさん 「Runner」
リワンが西門を出た辺りから。二回目のサビでリワンの「謝ります」当てたい感じ…




