第15話 かくれんぼ
リファ (これでよし、と…)
リファは一眠りすると 研究室へ入ってきて、南大路の診療所へ持っていく小さな甕に蓋をした。
リワン「リファ、もう起きたのか? もう少し休んだらどうなんだ?」
奥のカーテンから、兄の声がした。
リファ「うん…。あ、あのね 兄さま。今日、街の市場まで付いてきてくれない? あと、南街の診療所にも行きたいの」
カーテンの後ろから、兄が呆れた顔を出した。
リワン「お前、さっき倒れたばかりだろう」
リファ「そ…、それは…、炎天下で作業したから…。今度から、もっと涼しい内に行くわ」
リワン「……。今は、お前は街に行かない方が良い。後で俺が代わりに買ってくるから…」
リワンはそう言うと、またカーテンの向こうに引っ込んだ。
リファ「う、売り切れたら困るの!」
リファは奥へ行くと、カーテンをザッと開けた。
リファ「…っ!」
リファの視界に、二体のネズミの小さな心臓が 膨らんだり萎んだりしているのが入った。
リワンは手が汚れていてカーテンを閉められなかったので、リファの視界を塞ぐ位置に立った。
リファ「み、見たいの! 新しい物が無いかとか…! 情報も欲しいし…。あと、診療所で私の軟膏を使ってくれた患者さんの様子も聞きたい。現場に行くと、何が必要とされているか 一番分かるわ」
リワン「……。」
リワンは折れかかっていた。
リワン「あの壺は?」
リファ「あれも診療所に。喉に良いのよ。また試してみて貰おうと思って…」
リワンは驚いたように、まだ十三の妹を見つめた。
リワン (リファは、作り出せる上に 商才まであるのかもしれないな…。なかなかしぶといし…)
リファ「兄さまお願い! 地味な格好して行くから…!」
リワン「…分かった」
リワンは ため息をつくと また席に座って、開いていたネズミの胸の皮を縫い合わせ始めた。
・・・
街には、曲がった刀をぶら下げた草馬人の男達が、幅を効かせて歩いていた。
リファは目立つ金髪の頭に布を巻き、地味なシャツにズボン姿だったが、どこかの誰かとは違って、顔立ちは どう見ても可憐な女の子だった。
市場の入口で 先に降りた兄にラクダから下ろしてもらうと、リファは兄の陰に隠れるようにして、そそくさと男ばかりの往来をついて行った。
リファ「あ! あのおじさんのお店よ! やっぱりもう来てたんだわ!」
リファは目的の露店を見つけると、兄を追い越して ペンギンのようにのたのたと駆けて行った。
店主は、ちょっと変わった縞々(しましま)の上着を着ていた。
店主『おぉ、嬢ちゃん、やぁやぁ 生きてたかぁ。一人で大丈夫か…、って、んな訳ねーわなぁ』
リワンが後ろから来て、妹の横で 店主に会釈をした。
リファ『おじさんのお店がそろそろ出る頃だと思って…。何か知っていることがあったら教えて下さい。新しい薬が出たとか…』
店主『いやぁ、聞かないねぇ。江は相変わらず あっちもこっちも内戦が続いてて、薬屋も新薬を研究する所じゃあないのさ。嬢ちゃんはどうなんだい? 何か作ったのかい?』
リファ『新しくは作ってないんですが、私の塗り薬、診療所から頼まれるようになったんです。沢山作るから、今はあんまり研究はできなくて…』
店主『へぇ?! その若さで、しかも女の子で、凄いじゃないか! 大したもんだ!』
店主は、心底ぶったまげて言った。
リファ『ありがとうございます。でも私、身体が弱くて、つ…、続けられるか…』
リファは、目当ての仕入れの品を店主に手渡しながら、不安そうに言った。
店主のオヤジは、元々細い目をカッと見開くと、手渡された乾物の束をリファに突きつけて言った。
店主『なぁに 気弱な事 言ってんだよぉ! えぇ?! このご時世に、仕事にありつけたってんだろぉ? お前さんは、好きでもない男と結婚させられて、子供を産むだけの人生じゃないかもしれないんだぜ? どうにかすんだよぉ、どうにか!』
オヤジは興奮して、手に持った商品をもう片方の掌にバッサバッサと打ち付けた。
リファは、仕入れの品がパラパラと微妙に目減りしているのを、目を泳がせながら見ていた。
店主『自分でできなきゃ、気の合う仲間を見つけりゃいいじゃないの! おいらだって、一人でここまで来られる訳じゃあなし。但しだ、子供だからって、金はきちんと支払わねぇとなんねぇよ? 地獄の沙汰も金次第ってなぁ!』
店主は 指を銭の形にすると、商売人よろしくニンマリと笑った。
リファ『が、頑張ります…! ありがとう、おじさん』
リファは その真っ白な手で金を差し出した。
店主『期待してるよ!』
店主は釣を渡すついでに、ちゃっかりと まだあどけない美しいリファの手を、両手でサワサワと握った。
リファ「っ?!」
リファは驚いて手を引っ込めた。
リワンがピクリと眉を動かして店主を睨むと、店主は
店主『毎度ね!』
と リワンとは目を合わせずに、鼻の下を伸ばして二人に手を振った。
リワン (舐められてる…! 俺が!)
リワンは腹が立ってきた。
リファは品をサッと受け取ると ペコリとお辞儀をして、急いで兄の袖を引っ張って次の店へ足を向けた。
リワン「あの店はダメだ!」
聞こえない所まで来ると、リワンは怒りを露わにして言った。
リファ「うん…。でも、あのおじさんの所にしか無い物が沢山あるの…。情報も早いし、いつも具体的なアドバイスをくれるわ。仕事はできるのに いやらしいなんて、勿体無いわね。どうして人って、欠点があるのかしら」
リワン「そりゃ、欠点の無い人間はいないだろうが、致命的なのはダメだ! あの縞々(しましま)、俺が若いからって…! お前もお前だ! 無礼な奴にお辞儀なんかして! 睨みつけて、それでもやめなければ引っ叩け!」
リファ「そ…そんなの、私にできる訳ないじゃない…! …あのおじさんのお会計は、今度から兄さまにお願いするわ」
リワンは、荒い鼻息を吐いた。
日が翳り、空が急に暗くなってきた。
リワン「…?」
リファ「変なお天気ね。今まで晴れてたのに…」
二人は、見る見る曇っていく空を見上げた。
市場の雑踏のどこからか、叫び声が聞こえてきた。
町人「西から砂嵐が来るぞー! とびきり でかいやつだー!」
リファ「えっ?!」/リワン「!!」
兄妹は 驚いて顔を見合わせた。
リファ「兄さま…! ア…、アイちゃん、遠乗りに行ってるん…きゃっ?!」
言っている間に、リファは兄に手を掴まれ、ラクダを繋いできた市場の入口まで走らされた。
リファ「兄…さ…ハッ…ハッ…」
リワンは、はぁはぁと息を上げ 足元の覚束ない妹を、荷物か何かのように 問答無用でラクダに乗せた。
リワン (家に帰るより、南大路の診療所が近い!)
リワンは南街の診療所へラクダを走らせると、妹を診療所の中に押し込み、自分も奥へ入りながら叫んだ。
リワン「暫く妹を頼みます! あと、通行証を一つ貸して下さい!」
リファ「つ、通行証?!」
リファは痺れる唇で言った。
診療所の中の人達も、目を丸くしてリワンを見た。
奥の方から、馴染みの デブでチビでハゲの医官が出てきた。
医官「なーに言ってんだぁ、お前。もうすぐ砂嵐が来るってぇの、聞いてねぇのが?!」
都出身ではない彼の、間の抜けた訛りと出で立ちは、ともすれば この急場を忘れさせてしまいそうだった。
リワン「知ってます」
医官「んなら、どご行くだっぺよぉ?!」
リワン「都の外に出ている人が居るんです! ちょっと迎えに行ってきます!」
医官「ちょっとってなぁ…。そろそろ ごごにも嵐が到達するんでねぇの? 間に合うんがねぇ?」
リワン「すぐ返しますから!!」
リワンは ごにょごにょ言う相手に、畳み掛けるように言った。
医官「ほぇえ?」
医官は訝しげにリワンを見ると、業務用の手形を一つ渡してやった。
リワンはサッと頭を下げると、入口へ駆けて行った。
リファは 兄の後から続いて入口を出ると、そのまだ細い背中に必死で飛びついた。
リファ「アイちゃんを探しに行くんでしょ?! 駄目よ!」
リワン「!」
リファ「知ってるのは行き先だけだけじゃない! そこからもう移動しているかもしれないわ! なら、ただ危険な目に遭いに行くだけじゃない! 兄さまが行かなくたって、ルカさんとエイジャが付いてるから大丈夫よ! 冷静になって!」
リワンは奥歯を噛み締めた。
リワン (確かにその通りだ。冷静になれ…! 今 俺が行った所でどうなる?!)
リワンは、項垂れて ため息をついた。
そして妹を振り返り、その華奢な両肩をぐっと握って身体を離した。
リワン「…謝りたいんだ」
リファ「へっ…?」
リワンは、目を丸くして見つめる妹の、髪を覆っている布を取った。
リワン「ちょっと貸りる。天候が落ち着くまで、ここを出るなよ?」
リワンはそう言うと、ラクダに乗った。
リファ「ま、待ってよ! 帰って来てから謝れば良いじゃない! 兄さまってば!!」
既に走り始めていたので、妹の最後の方の声は 聞こえていなかった。
・・・・・・・・
ルカ「急げ! あれに巻き込まれたら、この砂漠で迷子になるぞ!」
アイラ達三人は、背後に迫る 巨大な茶色い雲のような砂煙から、必死に逃げていた。
アイラが後ろを振り返ると、まるで天まで大地が膨張し、見える限りの景色を飲み込んでいくようだった。
アイラ (何なのよ、あれ!!)
アイラは大いに焦っていたが、ラクダに鞭を打って走らせた事が無かったので、ルカとエイジャから大いに遅れを取っていた。
ルカは速度を落とすと、後ろへ叫んだ。
ルカ「姫! 鞭を使って!」
アイラ「えっ?! ムチ?! ムチ…」
アイラはラクダを小走りに走らせながら、ゴソゴソと荷物の中を探った。
強風が 恐ろしい程に荷物をパタパタとはためかせ、アイラを余計に焦らせた。
ルカは一旦止まって振り返ると、ギリギリと歯を噛み締めた。
ルカ「くそ…! これじゃ 追いつかれる!」
エイジャも ルカの横に止まった。
エイジャ「これまでだって砂嵐あったけど、あれ別に 巻き込まれても死ななくね?」
アイラの後ろに迫る 巨大な砂煙を指差しながら、間の抜けたカエル声でアッケラカンと言うエイジャに、ルカは心底イラっとした。
ルカ「それはお前が城に居たからだろ! クソ…、エイジャ! どうせ乗り方を教えるなら、何で高速で走れるように教えないんだ!」
ルカは、小走りに走ってくるアイラを指差すと、いきなり怒鳴った。
エイジャ「え?! 俺?!」
エイジャは、この土壇場へ来て八つ当たりされた事に驚いたが、声が枯れていて、ルカには聞こえなかった。
エイジャ (ルカの奴、余裕無くなってんじゃん。まだ二十そこそこだもんな)
そんな事を 眉間に皺を寄せて思うエイジャは、まだ十三だった。
アイラ「ム、ムチあったよ!」
アイラの叫ぶ声が聞こえた。
二人が見ると、アイラはびゅうびゅうと風に吹かれながら、松明か何かのように右手に鞭を掲げていた。
ルカ・エイジャ「……。」
そのまま1、2秒が経過したが、アイラは そのポーズを一向にやめる気配は無かった。
砂嵐は、既にアイラのすぐ後ろまで迫っていた。
エイジャ「え何してんの?! 何してんの!?!」
エイジャの かすれた声の上から、ルカが怒鳴った。
ルカ「それ使って!!」
ルカのこめかみには、青筋が浮き出ていた。
アイラは 鞭を握りしめて叫んだ。
アイラ「これ痛いんじゃないのーっ?!」
男子二人は、絶望的な気持ちになった。
エイジャ「痛いから早く走るんだろうが、ボケ!」/ルカ「いいから使えーーっっ!!!」
アイラ「ひゃ?! 何これ?! やば…〈激しく咳込む〉」
敢えなく、アイラは砂煙に飲み込まれた。
エイジャ (アホだ…)
エイジャは口を開けて呆然と見ていた。
ルカ「…っ!!」
ルカは息を飲むと、素早く方向転換して砂煙の中に飛び込んで行った。
エイジャ「あ、ちょっと!」
エイジャは、一足遅れてルカの後に続いた。
・・・
褐色の視界は目の前がやっと見える程度で、奥へ進むにつれて昼間なのに薄暗くなった。
サァアアアという砂が飛ぶ音と、強風が低く唸る音が 辺り一面に響いていた。
ルカ「姫! 姫!!」
ルカはケホケホとむせながら、視界のきかない四方八方へ 必死に叫んだ。
彼は懐から布を取り出すと、素早く目だけ出るように頭を覆って結んだ。
アイラ「ルカ! ル…〈激しくむせる〉」
アイラは近くに居るはずだったが、吹き付ける風の音で、声はやっと聞こえる程度だった。
ルカ「今 行きます!」
ルカは声の方へ、熱い砂がザァザァと吹き荒れる中、ラクダを進めた。
至近距離まで来て ルカの視界にアイラが入った時には、アイラはラクダを座らせて その横に身を伏せていた。ルカは ラクダを降りて駆け寄った。
ルカ「良かった! はぐれたら大変でした!」
アイラ「息が…!〈激しく咳込む〉」
アイラは顔全体を両手で覆って、打ち付ける砂を防いでいた。
ルカ「吸い込んじゃダメです! 肺がやられますよ!」
ルカはそう言いながら、急いで自分に巻いていた布を外すと、アイラに巻いてやった。
<回想>
リワン「あなたは一人では、何もできないじゃありませんか!」
<回想終わり>
アイラは布を巻いてもらいながら、唇を噛んだ。
ルカは手で自分の鼻と口を押さえ、荷にもう一枚布が無いか探し始めた。
アイラ「お、お弁当の布!」
アイラは自分のラクダの荷から、弁当の包みを引っ張り出した。
アイラが布を 吹っ飛ばされないようにしっかりと握って渡すと、ルカは手を顔に当てたまま 怪訝そうな顔をした。
可愛い花柄の刺繍が施されていた為だった。
ルカ「…やっぱり、こっちを姫のにしましょう」
アイラは 開けていられない目をパチパチして、ルカを見上げた。
アイラ (こんなに差し迫った状況でも、花柄が嫌なんだ…)
ルカは アイラの頭に巻いた白い布をもう一度 解くと、咳き込みながら、また先に、アイラに花柄の布を巻いてやろうとした。
アイラ「じ、自分でやる!」
ルカは 驚いたような顔をしたが、言う通りにした。
ルカのやり方を見ながら、アイラは目だけ出るように 花柄の布を自分の頭に巻き付けた。
さっきからずっと険しい表情だったルカが、一瞬 柔らかく笑った。
ルカ「困りましたね。これではあなたが女の子に見えてしまいます」
アイラ「うん…」
アイラは視線を外すと、恥ずかしそうに花柄の布に手を当てた。
アイラ「エイジャは?」
吹き付ける熱砂に目を細めながら、アイラは聞いた。
ルカ「えっ?!」
ルカは驚いて後ろを振り返った。
彼は今になって、エイジャが付いて来ていないことに気が付いた。
ルカ「…嘘だろ?! あいつ、今日は元々静かだったから…!」
アイラは血の気が引く感じがしたが、平静を装って言った。
アイラ「そ、そんなに離れてないでしょ? すぐ見つかるわよ」
そう言ってはみたが、アイラは胸騒ぎがした。
・・・・・
エイジャ (あ…れ…?)
一陣の酷い風を 手で庇って顔を上げたエイジャは、前を行くルカを見失った事に気が付いた。
エイジャ「ルカ?! おーい! ルカ!!」
吹き上げる砂塵と強風は、エイジャのかすれた声も何もかも、吸着してしまうようだった。
<回想>
ルカ「この砂漠で迷子になるぞ!」
<回想終わり>
鼻に腕を当て、エイジャは見えない四方を見渡した。
エイジャ「…もしかして、迷子?」
エイジャは、胸の辺りがヒヤリとする感じがした。
エイジャ (ちょっと待て。落ち着け。まずは、この熱い風と砂を吸い込むのはマズイ)
エイジャは懐から応急処置用の布を取り出すと、ルカと同じように結んだ。
エイジャ (こんなひでぇ嵐、初めてだ。何も見えねーんだけど! 災害級だろ! 目ぇいてーし…。あぁそういや、ラクダの目にはもう一枚膜があって、まつ毛も長くて、鼻も閉じられて、耳にもビッシリ毛ぇ生えてて、砂嵐に耐えられるってリワンが言ってたなぁ。最強じゃん! つか、何であいつ、んな事知ってんの? もしかしてラクダまで解剖した? キモ! あの変態野郎…)
エイジャは平静を保とうと そんな事を考えてみたが、よく分からない不安で エイジャの胸はバクバクと動悸がしてきた。
エイジャは、自分が何処に居るか分からなくなったことに、はたと気が付いた。
エイジャ (落ち着け、距離はそんなに離れてないはずだ。声がダメなら…)
彼は腰の剣を抜くと、鞘を持って、吹っ飛ばされそうになりながらキンキンと打ち付け始めた。
エイジャ (太陽はどっちだ?! うわ、全然分かんねーんだけど?! 今 俺、どっち向いてる?)
エイジャの胸は、更に早鐘を打った。
エイジャ (何コレ、何か怖いんですけど…。落ち着け、落ち着けって! そうだ、風上が西だよな…? うわぁ、風向きが揺らぐの、やめてほしい! でもこっちだよな…)
エイジャはラクダを進めた。
アイラ「エイジャ!」
エイジャ「!」
風の中に、微かにアイラの声が聞こえた気がして、エイジャは止まった。
エイジャ (横? あれ、こっちじゃないのかな…)
エイジャは耳を澄ませたが、辺りは相変わらずザァーっという音と、底気味の悪い風の唸る音がするだけだった。
エイジャ (…空耳? あぁ暑い、これじゃ蒸し焼きだ。早く見つけないと…! 二人ともどこだよ?!)
エイジャはラクダを進めながら、しきりにキンキンと剣を打ち付けた。
こういう感覚は、これが初めてではない気がした。
エイジャは、アイラと出会う前の事は殆ど覚えていなかったが、前にも"迷子"になったことがあるような気がした。
エイジャ (何か、大事な事と この感じが紐付いてる気がする…。……何だっけ…? )
エイジャはふと、剣を打ち付けるのをやめ、おぼろげなその感覚、それが一体何だったか、思い出そうとした。
押し寄せる不安に 小さな胸をドキドキさせながら 大事な誰かを探した事が、幼い頃にもあった気がした。
そして、それが絶望に変わったような…。
エイジャの脳裏に
雑踏が見えた。
人がいっぱい居て、
その沢山の人の中を 泣きべそをかきながら、
探して、探して…、
日が暮れるまで探して……
<回想>
エイジャ〈三歳〉「おかあしゃん! どこなの?! みつからないよ! もうかくれんぼやめる! おかあしゃん!!」
<回想終わり>
エイジャ「あぁっ!! うあぁっ!!」
突然、割れるような頭痛がエイジャを襲った。
エイジャは両手で必死に頭を押さえ、ラクダの上にうずくまった。
とてもラクダに乗っていられる状態ではなかった。
エイジャは 転がるようにラクダから降りると、砂の上に頭を抱えて倒れ込んだ。
苦しくて、エイジャは頭に巻いた布を必死で剥ぎ取ったが、それでも痛みは変わらなかった。
エイジャ「う…ぁあああ!! 何…じゃ…こりゃ…ぁ!」
エイジャは すぐにでも、眠れるものなら眠ってしまいたいと思った。
そしてありがたいことに、あまりの痛みに エイジャの意識は遠のいた。
アイラ「エイジャ! エイ…〈咳込む〉エイジャ!! ねぇ、さっき こっちから音がしなかった?」
遠ざかる意識の中、アイラの声が近付いて来た。
エイジャ (うわ、やっぱ空耳じゃなかった。こっちだ、すぐ側だって!)
エイジャは 砂の上にうずくまったまま、祈るように思った。
アイラ「エイジャ!! エイ…〈咳込む〉」/ルカ「エイジャ!! エイジャ!!」
アイラとルカは、見えない視界で四方八方へ向かって叫んだ。
ルカ「姫、例え返事をしたとしても、あの声じゃ 聞こえませんよ!」
二人は愕然とした後、風の音に負けないよう叫び合った。
アイラ「なら、こっちが声を出せばいいわ!〈咳込む〉 」
ルカ「この状況では、それもそう長くは!」
アイラ「…これ、どれ位 続く?!」
ルカ「さぁ…。何時間の時もあれば、何日の時も!」
アイラ「えぇ?!〈激しく咳込む〉」
ルカは、アイラの様子を注意深く見つめた。
ルカ「姫、私が来るまでに 大分砂を吸い込んでしまったんじゃありませんか? 息が苦しいのでは? 早く屋内に入らないと! ここに居たら いずれ水も尽きて、二人とも蒸し焼きです! その上 砂に埋れて、遺体も上がりませんよ! ……もう…、行きましょう」
熱い砂が全身を叩きつける中、ルカは足元に視線を落とした。
アイラ「…?! どういうこと?! …もしかして、エイジャを置いていこうっていうの?!」
ルカ「仕方ありません。近くの村まで辿り着く力も残しておかないと。エイジャは賢い子です。自力でどうにかするでしょう」
アイラ「ウソ! 置いて行くなんてあり得ないわ!」
アイラは首を振りながら、ルカを信じられないという目で見つめた。
ルカは、アイラを厳しい目で見据えた。
二人を一層 激しい風が打ち付けた。
ルカ「あなたの命とエイジャの命は、重さが違います! 私の命もエイジャの命も、あなたの為にあります。つまりこの国の為です。あなたが生き残れば、我々の役目は果たしたことになります!」
アイラは、耳を疑ってルカを見た。
アイラ「何を言ってるの?! 私の為に犠牲になっていい筈ないじゃない!〈咳込む〉国の為って…、国って誰よ!」
ルカ「多くの命です!」
アイラ「じゃあその中に、〈咳込む〉ルカとエイジャの命だって入ってるじゃない!〈咳込む〉私一人に託されたって、私は皆を幸せになんてできないわ! 自分で幸せになってよ!」
ルカ「一体何を?! …この状況であなたとナゾナゾをやっている暇はありません!」
ルカはアイラの手を取った。
アイラ「!」
アイラは、ルカの手を エイジャに習った組み手を繰り出して払った。
ルカ「?!」
ルカは すかさずまたアイラの手首を掴もうとしたが、アイラは手だけは掴まれまいと、ひょいひょいとかわした。
アイラ「お願い、もう少しだけ…! 傍に居る気がす…る…〈激しく咳込む〉」
ルカは、暑さと息苦しさに 大きく息をしていた。
ルカ「…姫。私の任務は あなたの生命の保証です。これ以上 聞き分けが無いなら…、それに そんな技まで使えるなら、こちらも容赦できませんよ!」
アイラはザーザーと熱砂が吹き付ける中、ルカに懇願した。
アイラ「お願い…! お願いよ…! エイジャを見つけて! ずっと傍に居てくれた子な…〈激しく咳込む〉」 (あぁ、息が…苦しい…!)
ルカは、咳き込んで膝を付いたアイラを険しい表情で見ると、もう一度 四方を見渡した。
ルカ「エイジャ! どこだ、エイジャ!! これから北東のチャルム村へ行く! エイジャ!!!」
地面が空になったような空気中へ声は吸い込まれ、見えるものは何も無かった。
ルカは目を細めると、アイラのラクダを自分のラクダの後ろに繋いだ。
そして、うずくまったアイラを引きずるようにして自分のラクダに乗せた。
ルカの体力も限界に近かった。
ルカ「〈ラクダに〉頼んだぞ!」
ルカは自分のラクダの首をポンポンと叩くと、進め始めた。
アイラ「待って! 嫌…よ…! エイジャ! エイ〈咳込む〉…どこなの?!〈激しく咳込む〉 エイジャーっっ!!」
聞き慣れた主人の声が、遠ざかっていった。
エイジャ (バカな奴。早く行けばいいのに…)
眠りが、エイジャの意識を静かに沈めていった。
彼はやっと、これまで経験した事も無いような痛みから、解放された。
・・・・
母「エイジャ、あなたの名前を言ってごらん?」
エイジャ〈三歳〉「えいじゃ」
母「そうそう、上手よ。あなたの名前はエイジャよ。オムツも取れたし、うんちもできるようになったし、あなたは賢い子だから、きっと大丈夫ね」
エイジャ「? ねぇおかあしゃん、ここどこ? きたことないよ?」
母「そうね。人がいっぱいね。……ねぇエイジャ、かくれんぼしましょ?」
エイジャ「えっ? かくれんぼ?」
エイジャは怪訝そうに母を見つめたが、その瞳が潤んでいる方に 彼の注意は移った。
エイジャ「 …おかあしゃん、どうして泣いてるの?」
母「な、泣いてないわ」
エイジャ「うそだ。おめめがうるるしてる」
母「…あなたがあんまり可愛いくて賢いからよ。あなたなら、いつか王様にだってなれるかもしれない」
エイジャ「〈嬉しそうに〉ほんと? ぼく、おうしゃまになれるの?」
母「そうよ。だってこんなに賢いんですもの」
母は満面の笑みを浮かべ、目に涙を溜めて、可愛い盛りの息子のくせ毛を 愛おしそうに撫でた。
エイジャ「…おかあしゃん、なかないで? きょうは おとうしゃんいないよ? おかあしゃんのこと、ぶったりけったりしないよ? ぼく、おとなになっておうしゃまになったら、おかあしゃんのこと、まもってあげる。それで、おとうしゃんを やっつけてやるんだから!」
母は驚いた顔をして、涙で膨れた瞳で息子を見つめた。
エイジャ「ぼく、おかあしゃんがいれば、なんにもいらないよ! おとうしゃんもいらない! どこにすんでもいいよ!」
母は堪えきれず、わっと小さな息子を抱きしめた。
美しい小麦色の頰に、ポロポロと涙が伝った。
母「あぁエイジャ! 許して…! どうか許して頂戴…!」
エイジャ「? どうしてあやまるの?」
母は息子を抱きしめたまま、黙って何度も首を振った。
母「あなたは賢くて、勇気があって、優しい子。どうか生き抜いて。神様が、あなたを守ってくれるわ」
エイジャ「かみさまより、いつも おかあしゃんが おとうしゃんからまもってくれるよ」
母は、幼いエイジャを抱きしめたまま、ほんの短い間 声を上げて泣いた。
エイジャ「おかあしゃん…? どうしたの? だいじょうぶ?」
母は頰の涙を拭いて 息子を離すと、笑顔を作って 息子の美しい金色の瞳を見つめた。
母「さぁ、数を数えてごらん。二十まで。数えられるでしょう?」
エイジャ「うん…。でも、こんなところでかくれんぼしたら、きっとみつからないよ」
母はギクリとして、そして苦しそうに言った。
母「もし…見つからなかったら…」
エイジャ「みつからなかったら?」
母「そしたら、あなたを…、あなたをとびきり大事にしてくれる人の所に行くのよ。分かったわね? さぁ数えて」
エイジャ「……。」
エイジャは、不安な顔で母を見つめた。
母「さぁ、早く!」
・・・・
短い夢は、そこで途切れた。
エイジャ「!!」
エイジャは脂汗をかいて目を覚ました。
頭の芯に、まださっきの痛みが残っていた。
エイジャは、つい今まで見ていた夢を思い出そうとしたが、はっきりしなかった。
一人取り残されたこの乾いた大地は、いつか、世界で一番大事な誰かを ひとりぼっちで探し回った雑踏と似ている気がした。
エイジャ「あぁ 俺…」
エイジャはもう、空気を吸っているのか、地面を吸っているのか、分からなかった。
エイジャ「どうしてあの時、かくれんぼしないって…、言わなかったんだろ…」
エイジャは再び目を閉じた。
熱い砂は絶え間無くエイジャに降り注ぎ、遠い記憶と共に、彼を飲み込んでいった。




