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砂漠の月(第一部 碧沿)  作者: kohama
第一章 幼少
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第2話 妹リファ

リワンとエイジャが 城の裏門を走り出て、湖の水面みなもを見渡すと、主人あるじの姿は既に見当たらなかった。

二人は急いでズボン一丁になると、アイラの部屋のバルコニーの下辺りを目指して、ザブザブと水へ入って行った。


泳ぎながら、二人は目撃者が居ないか 素早く周りに目を走らせた。

湖は城の裏手にあり、湖を迂回して都の北門へ向かって北大路が続いている。

北大路の周辺は のどかな田園風景が永遠と続き、農家がまばらにある程度で、昼下がりの強い日差しの照りつける湖畔には、幸いな事に、王女の身投げを目撃した者は見当たらなかった。



エイジャが その抜群の視力と運動神経で 水中に人影を見つけると、彼はアイラの服をひっ掴んで水面すいめんに引き上げた。

主人あるじはぐったりとして意識は無かったが、まだ頬に赤みが差していた。


エイジャ「リワン! 居たぞ! リワン!!」

エイジャの大声に リワンは水面すいめんに顔を出し、アイラの姿を必死な形相で確認した。

エイジャは岸辺きしべまで泳ぐと、アイラを砂の上へやや乱暴に どさりとほおった。

アイラの青緑色の靴は片方無くなり、裸足の足先は、まだチャプチャプと水際に浸っていた。


先に岸に上がっていたリワンは アイラに駆け寄ると、首の脈に触れながら 顔を近付けて息を確認した。

リワン「呼吸は無いが、脈はまだある。溺れて間もない」

リワンは すぐさまアイラの鼻をつまみあごを上げ、胸が上下するのを確認しながら、繰り返し息を送り込んだ。

エイジャ (ゲッ?!)

腰に手を当て 突っ立っていたエイジャは、面食らった。



息を送るリワンの手は震えていた。

怖かった。

リワン (このまま姫が起きなかったら、死んでしまったらどうなる…?! 困る…、そう、困るんだ)

リワンはいつになく、自分が冷静さを失っていると感じた。


リワン (いや…、待てよ…)

リワンはふと、息を送るのをめた。

エイジャ「? どうした?」

リワン「姫は…、この先 生きて、幸せなんだろうか…」

エイジャ「あぁ?!」

リワン「弟を取られ、妹も取られ、最愛の母も取られ、その母も死に、今度は彼女の番…。属国の姫がどういう扱いを受けるかなど、目に見えている。そんな辛い目に遭うなら、今このまま死んでしまった方が、マシなんじゃないか…」

エイジャ「?! 何言ってんだお前?! 先で何が起こるかなんて、わかんねーだろが!! お前が判断すんな!」

リワン「そう…だよな…」

リワンは、手の中にある命を 自分が審判しようとしたことに、我ながら動揺した。

彼は再び息を送った。



何度目かで、アイラは水を吐き出し、激しく咳き込んだ。

リワンは訳も分からず、涙が出そうになった。

腹心二人は 安堵に大きく息を吐き、うなだれた。


エイジャ「ふざけやがって…!」

エイジャが低く呟いた。

二人は、どうにか安心できるこの状況まで来て やっと、ショックと怒りを感じ始めていた。

それが、自分の主人あるじが自ら人生を手放して、一方的に別れを告げ、自分達を捨てようとしたことに対してだとは、認識できなかった。

ただ、責任をほっぽり出したから腹が立っていると思った。


リワン「姫、姫…」

リワンはショックを胸にしまい、アイラの肩を揺さぶって呼びかけた。

耳に水が入って くぐもって聞こえるが、アイラはその声が、大好きなリワンのものだと分かった。

アイラは薄く目を開けた。ぼんやりとした視界で 誰かが心配そうに、もう一人は服を着ながら不機嫌そうな顔でこちらを見ている。

リワン「良かった、気が付きましたね…」

リワンは安堵の溜息と共に どっと疲れた顔になり、先程 脱ぎ捨てた服を 砂をはたいて着始めた。



エイジャは、ずぶ濡れのアイラの青い顔をしゃがんで のぞきこむと、早速 苦情申し立てを始めた。

エイジャ「お前さぁ! お前…、ふ、ふざけんなよ?!」

アイラは 焦点が定まらないまま、遠くに聞こえるエイジャの声をぼんやり聞いていた。

アイラ (エイジャ…? 怒ってる? あれ…? 何だっけ…?)

エイジャ「何したかわかってんのかよ!? いくらお前がバカだって、ちったぁ後先のこと考えろよ! 今 お前、どんな身の上だよ!」

アイラ (…? あぁそうか、飛び込んだんだっけ…?)

エイジャはアイラを抱き起こすと、背に手を回して 無理矢理立たせようとした。

エイジャ「ホラ立てよ! 大事おおごとになる前に退散しねーと…」


リワン「エイジャ! まだダメだ!」

リワンの声が遠くに聞こえたと思うと、アイラの視界は急に真っ暗になった。

ダランと力の抜けたアイラを、エイジャは慌てて支えた。

エイジャ「っと! おい! んだよもう! グニャグニャすんなや…!」



リワンは、アイラを引き受けながら言った。

リワン「エイジャ、姫の部屋を湖に面していない部屋に移すよう、王様に頼んでくれ。他の者の耳には できるだけ入らないようにしたい。部屋の準備ができるまで、取り急ぎ 姫はうちへ連れて行く」

エイジャは、ダルそうに舌打ちして言った。

エイジャ「あー」

彼は不機嫌に返事をすると、濡れたくせっ毛の頭を 犬のようにぶんぶん振りながら、城の裏口の方へ向かってのそのそ歩いて行った。



リワンはアイラのスカートを軽く絞ると、彼女を背負い、城の裏門とは反対側へ向かって湖畔を歩き出した。

背中から、アイラの力無い声がした。

アイラ「…歩ける…わ」

アイラは強がってそうは言ってみたものの、目をつぶっていても世界がグニャグニャとゆがんでいた。軽い吐き気もあった。

リワンは表情を変えずに言った。

リワン「安静に…」

程なくして、リワンの首の前にあったアイラの両手が、だらりと垂れた。

リワンはいぶかしげに彼女を振り返った。

リワン (また…意識が途切れた…)

リワンは表情を曇らせ、足を早めた。


・・・・・・・・


リワンと その妹リファの家は、城の裏手の棗椰子なつめやしの木々が繁る湖畔こはんにあった。

この、城の北側にある湖畔は、城の敷地内だった。

そこにひっそりと佇む彼らの小さな家は、リワンの父リヤンが西方の留学から帰ってきた時に、水辺で薬草を育てて研究をする彼の為に、王が建ててくれたものだった。

そして今は、リワンとリファが両親から譲り受けて住んでいた。

土壁に、水色の洒落た扉のあるこぢんまりとした平家ひらや二棟ふたむねあり、向かって左側は研究室、右側は居住の為の家になっていた。


右側の家の窓の前には、大きなテーブルと椅子が置いてあった。

リワン達一家は、彼らが小さな頃から よくそこで湖を見ながらお茶を飲んでいたため、その机は"お茶の机"などと呼ばれていた。



リワンは足早に家に帰って来ると、左手の研究室に向かって呼んだ。

リワン「リファ! 少し手伝ってくれ」

研究室からは、薬草を煮出す独特な匂いがしていた。

椅子から立ち上がるような音がして、少しすると、妹のリファが水色の扉を開け、そろそろと顔を出した。

そして 兄がアイラをおぶっているのを見ると、驚いて出て来た。

リファ「アイちゃん?! どうしたの?!」


アイラやエイジャと同い年で十七になるリファは、彼らとは正反対の とても内気な性格をしていた。

兄と同じ美しい金髪を 後ろで一本のおさげにしていて、目も兄と同じく緑がかっていた。

ただ、肌の色は兄とは違い母親似で、西国さいごくの人のように真っ白だった。

ピンクの薄く透けたジャンパースカートが良く似合い、まさに動くお人形のようだった。



リワン「事情は後で話す。すまんが、姫の着替えを頼む」

リファ「え、えぇ」

リファは、向かって右手の 家の扉を開けながら言った。

リワンは家へ入ると、アイラを長椅子に下ろした。

さっきまでびしょ濡れだったのに、暑く乾燥した空気が、彼女を幾分乾かしていた。

リファはあわあわしながら、目を丸くして ぐったりした友人を見た。

リワンは、高く結った髪をほどくと、自分も隅の方で着替え始めた。



リファはアイラを着替えさせ、三つ編みをいて髪をざっと拭くと、兄を呼んだ。

リファ「兄さま、終わったわ」

リワン「あぁ、ありがとう」

アイラは、妹のピンク色の服を着せられて眠っていた。

見慣れないが、それはそれで可愛かった。

彼女の顔色は、先程より悪くなっているようだった。


リファは長椅子に椅子を寄せ、眠るアイラを見て言った。

リファ「兄さま、アイちゃん…どうしたの?」

リワンは アイラの首の脈に触れながら暫く黙っていたが、隠さず話すことにした。

リワン「……。ご自分の部屋のバルコニーから、湖に落ちた」

リファ「えっ?!」

リワン「溺れてすぐだったんだろ、発見時に呼吸は止まっていたが、脈はあった。

蘇生した後、立ち上がった時に一度 意識を失いかけて、ここに運ぶ途中でまた途切れた」

リファは、衝撃を受けながら話を聞いていた。

リファ「アイちゃんの部屋、二階よね…。湖は大分 土地が低くなっているから、高低差がかなりあったはずだわ…」

リワン「あぁ。落ちたのが水だったとは言え、どこか打ち付けているかもしれない…」



リファはハッと思い当たり、兄にいた。

リファ「もしかして…、王様からアイちゃんに、輿入こしいれの話があったの?」

リワン「直前にな。かなり抵抗していた。最後は王様と取っ組み合いだ」

リワンは思い出して軽く笑った。

リファ「まぁ…」

リワン「それと…」

リファ「?」

リワンは言いづらそうに、もごもごと言った。

リワン「その…、俺と…、結婚したい、とも…」


リファ「えっ?!」

リファは目を見開いた。

リファ「…み、みんなの前で、兄さまに求婚したの?」

リワン「あぁ。もうあとが無いと思われたのだろう。度胸の良さが姫らしい」

リファは目をパチパチして、兄と友人を交互に見た。


リファ「……。それで? 兄さまはどうしたの?」

リワン「臣下として、お慕いしていると答えた。それ以上の感情は無い、と」

リファ「…み、みんなの前で振ったってこと?」

リワン「確かに…、軽率だった…」

リファ「そうね、ひどいわ兄様…。ただでさえ追い詰められてるのに…」

リワンは、ぐっ、とバツ悪そうな顔になった。


リワン「その後、姫はエイジャとも口論になって…」

リファ「……。」

二人は暫く無言になった。

リファは驚きが顔に出て、先程からずっと目をパチパチしていた。

窓の白いカーテンが、乾いた風に揺れていた。



リファはふいに、小さく笑った。

リファ「ふっ」

リファ「何だ?」

リファ「だって、やっぱりアイちゃんすごいな、って。私なんて、好きな人に告白するだけでも恥ずかしくて死んでしまいそうなのに、それをみんなの前で言ってのけて、嫌なことを嫌だと言って、お父様と取っ組み合いまでして、その上 身投げまでするなんて…」

リワン「身投げは…、迷っておられた。俺が近付いたら、足を滑らせてしまったんだ…」

リファ「そうなの…」


リファは目を伏せて、少し前の事を思い出しながら言った。

リファ「でも私は…、その一つもできなかったわ…。全て言われるまま、一つの意思も 表す事ができなかった」

リワンは、アイラの首の脈にさりげなく触れながら言った。

リワン「姫は行動力があるから、こういう時 怖いな…」

リファ「そうね…」

兄妹きょうだいの会話は再び途切れた。



リワンは立ち上がって台所へ行くと、水瓶みずがめから器に水を注ぎ、一気に飲んで言った。

リワン「こんな状態だ。半月後の輿入こしいれまで、気が抜けない。お前にも手伝ってもらうことがあるかもしれない」

リファ「私でできることがあれば何でも」

リワン「助かる。じゃあ、一度 城の様子を見てくる。姫の部屋を湖に面していない部屋へ変えてもらうよう エイジャに言っておいた。問題が無ければ、姫を迎えに来る」

リファ「わかったわ」



リワンは一旦 出口の方へ足を向けたが、ふと振り返って聞いた。

リワン「……。お前、好きな男がいるのか?」

リファは途端に顔を真っ赤にしてうつむき、黙り込んだ。

リワン「…エイジャか」

リファは驚いて兄を見た。


リファ「ど…、どうして知ってるの?」

リワンは呆れたように妹を見た。

リワン「…お前を見ていれば、誰だって分かる」

リワンは、窓にヒラヒラと舞うカーテンに目をやった。

リワン「あいつはやめとけ。かなりいい加減だ。苦労する」

リファ「そっ…そんなこと…」

リファは大好きな兄にそう言われると消え入りそうな声になり、唇を噛んだ。



兄が部屋を出て行こうとした時、リファは思い切って口を開いた。

リファ「兄さまは?」

リワンは足を止めた。

リファ「兄さまは アイちゃんの事、本当はどう思っているの?」

リワンは目を見開いた。


リファ「兄さまは…、アイちゃんの気持ちに気付いていたんでしょ? それこそ、アイちゃん分かりやすいから、見ていたらわかるもの。もし…、輿入こしいれの話が無かったら、アイちゃんと結婚する選択肢もあるの? だって身分的には、兄さまも薄いとはいえ王家の血筋だし、遠縁だから、結婚…できるじゃない」

リワン「姫と結婚? …いや、考えたことも無いな。姫と出会った時から、他国へ嫁ぐ立場であることは、分かっていた事だ」


リファ「だから、そういうことが何も無かったら、アイちゃんの事、好き?」

リワン「好き…?」

リワンはリファから視線を外し、少し考えた。

リワン「…分からん。お前と同い年だから、手の焼ける妹が もう一人いる感じで…」


リワンは笑って、軽く首を振った。

リワン「あぁでもリファ、この議論は不毛だよ。もしもって、そのもしもはあり得ない。

姫は姫だから俺がお仕えしている訳で、普通の娘だったら出会っていなかっただろう。

姫の存在は、国にとって重要な存在である他に無い。

大事な身柄だからこそ、お守りしている。俺にとっては、それだけだ」


リファはやや頬を膨らませて、ボソリと呟いた。

リファ「男ってバカね。兄さまの気持ちを聞いてるのに」

リワン「気持ちの前に、立場や状況だろ。どんなに気持ちがあっても、できないことはできない」

リファ「立場や状況の前に、気持ちよ! 気持ちがあるから、立場や状況が動くんじゃない」

リワン「……。」

リワンは議論にならなそうなので、諦めて黙った。

リファは兄が引いてくれたことを悟り、ややしょんぼりして言った。

リファ「アイちゃんの事は私が見てるから、行って大丈夫よ」

リワン「あぁ、助かる」

リワンは解いた美しい金髪をそのままに、部屋を出ていった。



リファは兄を椅子に座ったまま見送り 再びアイラを見ると、彼女の目が開いている事に心底驚いた。

リファ「!! ア…、アイちゃん…! 起きてたの?!」

アイラ「俺にとっては それだけ、か…」

リファ「あ…」

午後の風が、白いカーテンを明るく揺らした。

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