90 *R15
所変わって、里の周辺部。
里の中央に集まるエルフの集団からはぐれて、もぬけの殻となった里の周辺を走る二人の若いエルフが居た。族長に場に居ない老エルフを呼び出すよう命じられた者達だ。
「あぁ……寒い……」
走る中、一人のエルフが白い息を吐きながら呟く。
「煩い、黙って走れ」
隣を走る同族から叱咤の声が飛ぶが、寒いものは寒いのだから仕方ない。それに、
「侵入者が来たとはいえ、所詮は一人だろ? 古老が頼もしいのは分かるけどよ、臆し過ぎじゃないか?」
人間一人に対し我らエルフは何十人も居る。圧倒的な数の優位があるというのに、族長は更に歴戦の強者までも加えようとしている。
人間とエルフでは、それほど個の戦力に差は無いはずだ。何故そこまで過剰に警戒し、用意周到に迎え撃とうとしているのか。未熟なエルフには理解出来なかった。
「何か考えがあるんじゃないか? 族長は来る時に長老殿と対話したと語っていたし、作戦に関わるのかもしれん」
「そうかぁ。まぁ、どの道若手の俺らは素直に従う他無いか」
「違いない。そして、着いたぞ。ここが居なかった古老の家の一つだな」
その同族の声に足を止めて顔を上げれば、真っ暗な一軒家がある。
「……明かりは点いてないな。寝てるのか?」
「どうする、部屋に無理矢理入って叩き起す――」
『おおおぉぉぉーーーっ!!!』
どうしたものかと顔を見合わせていれば、里の中央部から威勢の良い叫び声が轟いて来た。
その声に二人のエルフは目を丸くすると、やがて目付きを鋭いものへと変える。
今のは間違いなく侵入者との開戦を示す声だった。こうなってはこんな所で右往左往しては居られない。
我らは積極的に狩りに赴く狩人では無いとはいえ、エルフ族としての誇りがある。里や自然や矜恃を護る為に、今動かずしていつ動くのか。
両者共にそんな思いを心の内に抱き、頷き合う。
「行こう、扉が開かなければ蹴破ってでも入るぞ」
「分かった」
言って、玄関の扉を開けようと試みる。
意外にも鍵が掛かっておらず、無抵抗で扉は開いた。
家の中はやはり暗い。
そして、嗅いだ覚えの無い妙な臭いが漂っていた。
――ブチュッ。
「わっ!?」
「どうした!」
「いや、何か変なのを踏んだような……気の所為かな」
「驚かせるなよ……。よし、玄関のランプがあったから点けるぞ」
腹を括った所に水を差されたからか、呆れ混じりに事を進める同族。ランプが点くと、その表情が見て取れるようになる。だが予想とは裏腹に、同族の顔色は恐ろしい物を見たかのように血の気を失っていた。
「何だぁその顔は。お前だって驚いてんじゃねぇ……ひぃっ!?」
そして、冗談めかしながら同族の視線の先を見た彼もまた、悲鳴を上げて腰を抜かした。
ランプが照らした先には、凄惨な光景が広がっていた。
先ず、玄関と居間を繋げる廊下に、古老と思わしき者が仰向けで横たわって居た。……身体のそこら中に穴を開けて、首から上が欠けた状態で。
穴から体内を乱雑に抉られたのか、腸のようなピンク色の臓器が床に散らばり、壁から血が垂れ流れている。
死後も弄ばれたのだろう。服装や体格から辛うじて目当ての古老だと判別出来る程度にまで、その遺体は原型を留めていなかった。
次に、血に塗れた廊下の奥の居間にまで視線を送れば、机の上に不気味なオブジェクトがポツンと佇んでいた。
それは、首。古老の生首だ。
その顔は恐怖で歪んだ状態で固まっており、かつてあった歴戦の強者の雰囲気は微塵も感じられない。更には片目がくり抜かれて、虚ろな眼窩を晒していた。
「うっ……」
隣に立つ同族は、胃から込み上げる何かを抑えるように口を覆っている。
彼としても余りの恐怖に烈しい吐気が喉元まで込み上げており、今にも口から吐き出てしまいそうだった。
遺体の凄惨さも恐ろしいものだったが、何よりも恐ろしかったのは、遺体の場所と状態だ。
遺体は寝室では無く廊下にあった。そして、廊下の壁や天井には魔法を使った痕跡が見られた。
これは、古老が寝ている時に不意打ちされた訳では無く、起きて戦闘になった状態で敗れ殺された事を意味する。
そして、遺体は腐敗しておらず新しい状態だった。血も固まっておらず、未だ垂れ流れている。
それは、この戦闘が直近に起きた事を意味していた。
詰まる所、古老よりも強く遺体をここまで弄べるような異常者が、まだ近くに居るかもしれなかった。
それを思うと、息が詰まって呼吸が出来ず、足は竦んで動けなくなる。一歩でも動けば、その瞬間に命が散る心地だった。最早、隣の同族に気を配る余裕など無い。
(待て。じゃあ、さっき俺が踏んだのは……)
ここで、彼の中で一つの疑問が生まれる。
明かりを点ける前に、何か粘り気のある物を踏んずけた感触があった。あれは一体、何だったのだろうか?
疑問の答えへと導くように、視線が徐々に落ちていく。
見ては駄目だ。見てしまったら、精神が限界を迎える。この身に破滅が訪れてしまう。彼はそう感じ取ってるのに、異質な好奇心に囚われて身体が勝手に動いてしまう。
そうして、足元の様子が彼の双眸に飛び込んだ。
そこには――
「うわぁああああああああぁぁぁっっっ!!!」
「おい、戻るぞ! 今すぐ族長にこの事を伝えねえと!」
「む、無理だぁ! どうせ俺達も殺されるんだよぉ!」
一軒家から忙しく転がり出ては、エルフに有るべき慎みを忘れみっともなく喚き散らす二人のエルフ。
一方は顔を蒼ざめさせながらも何とか冷静さを保っていたが、もう一方は完全に錯乱してしまっていた。
「兎に角、この場から離れるぞ!」
「ひっ、一人にしないでぇ!」
冷静なエルフが里の中央に戻ろうとすれば、同族に足を掴まれて阻まれた。怒りと侮蔑が入り交じった視線を向けるが、同族はそれに気付きすらしない。
「これは夢だ……そう、悪い夢だ……」
それ所か、足元で涙を流しながら幽霊のように力無くうわ言を呟いている。
(くそっ、こいつはもう置いて戻るか?)
冷静なエルフの中に、そんな考えが浮かぶ。
想像したくは無いが、他の居なかった古老も同じ様な目に遭っていると思われた。他の家を回ったところで、徒労に終わるだろう。
そして、心が壊れた一人の若いエルフの命と里内に潜む謎の難敵……異常者が潜んでいるという情報。どちらが里にとって重要かは、一目瞭然だ。
(族長に情報を伝えねば。残った古老や長老にまで届けば、何とかしてくれるはず……!)
彼は里一の実力者である長老に一縷の望みを抱き、足にしがみつく同族を振り払って皆の所に戻る判断を下さんとする。
その時、ふと近くの木々が不自然に伸びたのが彼の目に映った。
「長老殿! 来てくれたんですね!」
これは長老だけが使えるとされている、植物を自在に操る能力に違いなかった。長年の鍛錬を積み重ね、自然に身を捧げ尽くしたからこその成せる技だ。
「長老? 長老が居るのか!?」
声のする横を見れば、這い蹲って足にしがみついていたはずのエルフがいつの間にやら立ち上がっており、目を爛々と光らせて祈りの体勢を取っている。
余りの変わり様に、呆れて声も出ない。
ただ同族の態度は兎も角として、ここで長老と合流出来たのが有難いのは確かだった。鉢合わせしたのは偶然かもしれないが、いつ得体の知れぬ異常者に襲われるのかと怯えていた我々にとっては救世主と言っても過言では無い。身の安全が確約されたも同義である。
「長老殿! 何処かに古老を倒した敵が潜んでおります! 私も身命を賭して助力させて頂きますので――」
ここからは長老と行動して、敵を打ち倒す際の支援をしよう。非力な者でもやれる事はあるはずだ。
長老の支えになれて、護るべきモノを護れるのならば、亡き者になったとしても構わない。元より一度は死を覚悟した身、長老に我の全てを託すのだ。
一方ならぬ決意を漲らせて、鼓動を速める胸。
そこを、ズンと重いナニカが突き抜けた。
「――え?」
間の抜けた声を上げながら視線を落とせば、茶色く細長い何かが胸に突き刺さっている。それは、木の枝だ。どういう原理か、木の枝が独りでに胸を貫き通しており、隙間から月光で輝く赤い血を滴らせていた。
「なっ、何を――」
声を荒らげる間も無く、口も冷え固まった枝に貫かれる。枝からは自然の温もりが微塵も感じられなかった。
気が付けば、錯乱した同族も同じ末路を辿っている。
理解が追い付かなかった。森の民と長年共存してきた木々が、どうして我らに仇を為しているのか。
(長老殿……貴方が、何故こんな事を……)
喋ろうとするが、声の代わりに血泡が弾けて叶わない。
身体からは力が抜けていき、二本の枝を引き抜かれてその場に倒れ込む。頭が驚愕で満たされている中で、彼は最期の力を振り絞って顔を上げた。
(違う……アン……ナ?)
そこには長老では無く、その孫娘らしきエルフが居た。
少女は幼気な笑顔を浮かべて、自身の死に逝く様を見届けていた。
呆気ない死を迎え、地に倒れ伏す二人のエルフ。
それを前に一人の少女が死体を嘲笑いながら、蕩けるように内心を吐露する。
「何て良い気分なのかしら。早くこの襲撃を起こした主犯にも会ってみたいわね。どんな人なのかしら? それで、あわよくば……あぁ、楽しみだわ」
――――――――――――――――――――
二人のエルフの他にも、襲撃から免れようと凍える夜の里を必死に走る者達が居た。それも大量に。
族長に避難を言い渡された者達だ。
子供や年老い過ぎた老人、女性や怪我で身体の一部が欠け満足に戦えない者。戦力にならないエルフ達が集まって逃げている。
「後少しじゃな、持ちそうか?」
「舐めるで無い。衰えたとはいえ、この程度で泣き言を言っていれば古老の名が廃るものよ」
「それもそうじゃな」
先頭に立って一団を先導する年老いたエルフ達が囁き合う。
未知の侵入者を迎撃しようとする勇敢な同族を放って、我々だけで逃げ出すのは非常に心苦しい。
だが、下手に巻き込まれたり人質に取られたりする方が宜しくない事も理解していた。それに迎撃する所か抵抗する事すら覚束無い子供達だって居る。次世代を担う彼らを守る事も、里の存続の為に重要な事であった。
故に、共に戦いたい気持ちを押し殺して、争いに巻き込まれぬよう里の中央から離れつつ安全な場所を目指す。
「おじいちゃん、ぼくのお父さんは大丈夫なの……?」
「この階段を登るの……? もう無理だよ……」
子供達は涙を浮かべて泣き言を言う。突然親と離別させられて、不安な状態に置かれてるのだから無理はない。
「うむ、心配は要らぬ。お父さんは強いからの、敵をかっこよく倒してくれるのじゃ! そして、あそこに家が見えるじゃろ? そこまで行けばもう安全なのじゃ」
子供達を安心させるように乱れる息を押し殺して、努めて平静に答える老エルフ。彼が差した指の先には、丘まで続く階段と木々が織り成す神秘的な一軒家があった。
彼らの向かう先は、長老の住まう家だ。
緊急時の避難場所として各地に祠や洞穴が用意されているが、それらは本来魔物が来た時の備えである。屈強な魔物は大抵身体が大きい為に、洞穴のような狭い所に行けば襲われにくいのだ。
ただ、同じ身体の大きさの人間相手では祠や洞穴は少々心許なかった。見つかれば、その地形故に下手に逃げ場を無くしただけになる。
よって、長老を頼る事にした。長老の元に居れば、この里の中で最も強い者が庇護してくれるという、この上ない安全が確保出来るのだ。
無論、長老とてじっと腰を据えて侵入者が来るのを待つ訳では無いので、長老自らが撃退しに赴いたり、現在迎撃している戦士達の援護に向かったりと、出っ払っている可能性はあるだろう。その時は、過去に長老が一軒家とその周りを隠れるのに適した頑丈で複雑な地形にしたと言っていたので、誰もいない家を避難場所に使えば良い。
「もう目的地は見えてるからの。後少し、頑張れるな?」
「……うん、分かった! 頑張って登る!」
言い聞かせるようにして励ましてやれば、子供達は健気に応えてくれる。
二人のエルフは頑張る子供の姿に感動を念を抱くが、今は感傷に浸っている場合では無い。直ぐさま意識を目的の家へと切り替えて、長い階段を駆け上がる。
(頑張れ、皆の衆。もうすぐ着く――)
――ドォォオオン!!
突如、頭上から重々しく響く爆発音と共に、熱風が吹き荒れた。地面からは砂が舞い上がり、上空からは焼け焦げた木片の雨が舞い落ちる。
「何じゃあ! 何が起こった!」
咄嗟に顔を手で覆った老エルフは、焼け焦げた木片の熱に耐えながら老いと疲弊を忘れて元気に叫ぶ。しかし一団の皆も混乱しており、耳に入るのは悲鳴や叫び声のみ。問いに答える者は居ない。
恐る恐る手を退かせば、半壊した長老の家の跡があった。
(まさか、長老も既に襲撃を受けているのか!? 複数犯だったか。……待て、我らの存在を知られたら不味いぞ!)
里の中央で行われている争いの邪魔にならないように逃げて来たのに、今度は長老の争いの邪魔になり掛けている。流石の長老でも、大人数の我ら一団を庇いながら戦うのは難しいだろう。我らを巻き込む事を恐れて、強力な魔法が使えなくなっては困る。
それに複数犯である事が確定した以上、敵がまだどこかに潜んでいる可能性も出てきた。もし潜む敵が、戦えぬ者達が集って逃げ惑う一団を見つけたらどうするだろうか? まず間違いなく、人質や交渉材料に利用としようと捕らえてくるだろう。
(一刻を争う事態になった!)
周りを見れば、砂が舞い上がった影響で女子供が悠長に目を擦り咳き込んでいる。非戦闘民である彼らが咄嗟に対処出来ないのは、仕方無い事であった。
しかし老エルフは、それを理解した上で厳しく怒鳴る。
「ここも危険じゃ! 里外の祠に向かうから着いて来るのじゃ! 呑気にしていると……死ぬぞ!」
死という言葉を使って半ば脅しのような真似はしたくなかったが、背に腹は変えられない。
老エルフは心を鬼にして檄を飛ばす。
幸いにも砂埃が立ち込めているお陰で視界は悪く、我らの存在には気付きにくい。だが、それも今の内だ。
「走れ! 走れ!」
老エルフは声を押し殺しつつ怒鳴るという器用な真似をしてみせる。そのまま一団を強引に率いて里の外へ、闇夜に紛れて森を走り続けた。




