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 陽が沈んで辺りに闇が立ち込める、ある日の夜中。


 布団に潜り込んでいたミーナは、静かに身体を起こす。横目の視線の先には、健やかな寝顔を浮かべて眠る夫の姿があった。

 ミーナは物憂げに夫を一瞥すると、夫や隣の部屋で眠る娘を起こさぬよう、足音を忍ばせて家から抜け出す。


 外に出れば、皆既に寝ているようで里全体に静寂が広がっていた。有るのは冷たい夜風が吹く微かな音のみで、鳥の囀りはおろか虫の音すら聞こえやしない。

 しかしながら、深夜にしてはやけに里が明るい。光源を辿るように顔を見上げれば、明るい満月が空から里を照らしていた。


 そんな薄暗い静寂の中で、ミーナは独り寒さに身体を震わせながら月明かりを頼りに歩む。彼女の向かう先は、里の外れにある長老の家だった。



 そこには、神秘的な光景が広がっていた。


 里の外れの丘の上まで続く階段。階段の先には、父親が隠居している所であろう家が見える。

 その階段や家は、全てが自然木で出来ていた。木を伐採する事で得られる木材などでは無い。木の幹や枝、蔓に根が、摩訶不思議な力で捻じ曲げられて、一つの巨大な建造物を形作っていたのだ。

 周辺の樹木に調和し、自然の一部に溶け込んでいる。建造物を照らす仄かな月明かりが、神々しさに磨きをかけていた。


 人間が見れば、奇異に映りつつも風情を感じずには居られないだろう。自然を慈しむエルフからすれば、それは神秘以外の何物でも無かった。


「これがお父さんの家……凄い……」


 ミーナの口から感嘆の声が漏れ出る。


 実は彼女は、ここに来るのは初めてであった。

 定期的に里に降りて来るので安否の確認は出来るし、わざわざ赴くまでの用事が過去に一度も無かった。父親から出来るだけ来ないようにと言い付けられたのもある。


 では何故、こうして夜中に忍び込むようにここへ来たのか? それは他でも無いこの家の主から、夜中に誰にも悟られぬようにここに来るよう命じられた為だ。


 あの後やはり父親が里に降りて来たので、身の回りに起きた異変や現状に関して話した。お叱りを受けるであろうというミーナの予想に反して、父親は一切咎める事をしなかった。それ所か、思い詰めた表情を浮かべるだけで長らく何も言葉を発さなかった。

 長い無言の果てに父親は真剣な眼差しで、深夜に一人でここに来るようにだけ告げたのだった。


 この異変に関して、二人だけで話したいのだろう。


 流石にそれ位は察せる。父親も里の異変に気付いており、異変に関しての密談を試みたいのだと思われた。

 ただ、何でわざわざ深夜に抜け出してまで誰にも聞かれないようにするのか、ミーナには分からなかった。


 神秘的な光景に見惚れながら、答えを求めて階段を上る。



――――――――――――――――――――



「入り給え」


 入口の前に立って何か声を発するよりも早く、端的な指令が扉越しにミーナの耳朶を打った。


 扉を開けると木の幹が織り成す部屋があり、その奥では囲炉裏の炎によって焔色に照らし出される一人の男が座っている。

 男は瞑想しているようで、目を閉じ呼吸を整え、精神を研ぎ澄まさせている。男の年寄りじみた外見からは想像出来ない、異様なまでの存在感が発せられていた。


 先程までの精神を和らげてくれる神秘的な空間から空気が一転して、ミーナは圧倒される。生命の危機さえも感じてしまい、思わず固唾を呑む。背筋には冷汗が伝っているのを感じた。

 同時に、加齢による衰えを感じさせない逞しさに、脱帽もするのだが。


 幾ら親子の関係とはいえ、この重々しい空間で睦まじく話し掛けることなど出来ない。ミーナは覚悟を決めて、緊張を孕んだ硬い声で話し掛ける。

 

「族長のミーナです。招致に応じて、参上致しました」


「うむ。そこに座り給え」


 言葉に反応して父親は目を見開き、娘を視認するが、依然として発せられる存在感は強く、辺りの空気は重いままである。

 放たれる威圧感といい、堅苦しい言葉遣いといい、明らかに普段の優しい父親では無かった。


 ミーナは言葉に従って、父親に向き合う形で正座する。


「儂は長老として接する。この言葉の意味が分かるな?」


「……はい」


 父親が就いている職、長老。

 父親の為に作られた職ではなく、族長の失態を補う為に前々から用意されていた職だ。前任の族長のような年配で知識豊富なエルフがその座に就いている。

 里が平和で族長が何か失態を犯さない限りは特段やる事は無いが、ミーナとしては、何か困った際に長老が助けてくれると思える事で平常心と安心感がもたらされるので、有意義な職だと考えている。


 父親は、その長老の立場として話し掛けると言った。

 それはつまり、親子での談笑の範疇には収まらない程に、里に関する重大な話をするという事。

 現に父親の顔は険しく、只者ならざる貫禄がある。終始ミーナは圧倒されたままだった。


 長老は、真剣な面持ちで返事をした族長に一つ頷いて、本題へと踏み込む。


「さて、里で一部のエルフの様子が変だと言ったな。先ずはその件をより詳しく語って貰おうか」


「分かりました。とぅ……長老殿」


 詳しく語るといってもミーナが直接知るのはアレクの事だけなので、我が家での夫の様子を伝えるだけだ。家庭内の様子を赤裸々に語るのは小恥ずかしいが、変に躊躇っても事態は好転しない。正直に全部話し、似たような事例が他の家庭でも起きている旨も伝える。


「――という状況です。外的要因を考えて書庫で調べましたが、心当たりのある情報は見つからず、当人に問い詰めるか悩んでいる次第です」


 何とも難儀な話である。

 この里という閉鎖空間で同族同士で争えば、人手不足に陥るだろう。食料収集等の生活するの必須な事にすら手が回らなくなり、里の規模の縮小を余儀なくされる。全滅してしまう未来だってあった。

 対立してしまう可能性を考慮すると、問い詰めるのは余り良い選択肢では無い。アレク個人だけなら問題無かったのだが、狩人の大半ともなると慎重に動かざるを得ないだろう。


 長老は、以前から異変を感じ取っている様子であったので、何か知っている可能性が高い。解決の道筋を見つける為に、是非とも情報が欲しい所であった。


「ふむ……。では、儂からも情報を出そう。近頃、男衆が近辺を嗅ぎ回っておるのじゃ」


「嗅ぎ回ってる、ですか?」


 思いがけない言葉に、鸚鵡返しに尋ねる。

 長老の周りでも異変が起きている可能性は考えていたが、内容が余りにも予想外であった。


「数日前の真夜中に何人かのエルフが、密かに近辺を探索しておった。忍び足の練達さから見て、狩人じゃろうな」


 そう言って、顔を顰める長老。

 同族の奇行に困惑し、どう対処すべきか悩ましいのだろう。その同族の中にはアレクも居ると思われた。


 ……そう、奇行だ。

 長老の家の周りを捜索する事で、何か得られる物があるのだろうか? 宝が埋まってるなんて話は聞いた事が無い。族長でも知らない事を、彼らが知っているとは思えない。

 ミーナには、男衆の目的に皆目見当が付かなかった。

 なので、素直に聞く。


「それは……何がしたいんでしょうか?」


「これはあくまでも儂の推測じゃが、地形の下見かのう。儂との戦闘に備えての、な」


 成程。長老との戦闘に備えて周辺の地形を把握しようとしているとすれば、奇行の説明は付く。


 ……いや、付かないじゃないか。

 長老と戦闘をするだなんて、そんな状況は、


「長老殿! 狩人らが反逆を企ててるとでも言うのですか!」


 革命でも起こそうとしない限りは、来ないのだから。


「落ち着け」


 ミーナは激昂し掛けるが、長老に気圧されて冷水を浴びた心地を味わい、一旦冷静になる。


「……何故、長老殿と争おうとするのですか? 倒した所で、得られる物は何も無いはずです」


「エルフの身柄を確保する際に、儂が邪魔なんじゃろう」


 ミーナの疑問に、長老はさも当然かのように即答した。


 強い力を持つ長老のような面倒な存在は倒して、残ったその他のエルフの身柄は確保する。要は誘拐だ。

 それはまるで、


「……この異変の裏に、人間の思惑があると?」


 エルフを奴隷として捕らえ私利私欲の為に使い潰す、下賎な人間共の行いであった。


 果たして、長老はミーナの問いに頷いた。


「長老殿。男衆が我らを裏切って人間の側に付いている。そう言いたいのですか?」


 ミーナの声に若干の怒りが混じる。


 裏に人間の思惑があるとすれば、それに従って動いている男衆は、夫であるアレクは、我々を裏切った事になる。

 他の者は分からないが、少なくともアレクはそんな事をするような人では無い。断言出来る。賢いので騙されているとも思えないし、脅しに屈して大人しく従うような玉でも無い。

 確かに夫は怪しい動きをしているが、だからといって裏切り者だと疑われるのは、甚だ心外であった。


 長老は首を横に振る。


「いや、そうなのだが、そうでは無い。儂は、彼らが何者かに操られていると睨んでおるのじゃ」


「操る? サキュバスの持つ魅了の力に近しい能力でしょうか?」

 

 他者を思うがままに操る力と聞いて、真っ先に思い浮かぶのはサキュバスだ。


 男性を魅了し虜にして、人目に付かない所まで連れ帰る。その後虜にした男性が死ぬまで生命力を絞り取るという、変わった習性を持つ魔物。里の近辺にも時折出没するらしい。


 狩人の大半が男性であるこの里にとって、サキュバスの存在は脅威と思われるかもしれないが、実は大した事が無い。

 何せ、単純に素の力が弱く知能も低い。魅了の力にさえ気を付ければ、難なく対処できるのだ。

 仮に誰かが虜にされて攫われたとしても、足跡を残しているので、それを辿るだけで救助出来てしまう。それ程にサキュバスは賢くない……ハッキリ言って間抜けである。


 伝承で語り継がれ恐れられているヴァンパイアに比べれば、何ら考慮に値しない脆弱な魔物だった。


 が、その魅了の力を知能ある何者かが有しているとなると、話は大きく変わってくる。

 一度魅了した後に解放させて里の様子を探られるといった、あくどい使い方が出来てしまうのだ。面倒な事この上無い。アレクの異変も納得出来るものがあった。


「うむ。他者を操る能力を持つ者がおると考えて良いじゃろう。被害者が里の外に出る男性だけで、魔法を掛けられている様子が無いのを考慮すると、魅了が一番有り得そうじゃ」


「成程! では人間が本格的に動く前に、先んじて魅了の力を持つ者を倒せば良いのですね」


「そうじゃ。ただ、一つ懸念事項があってのぉ……。魅了の能力を持つ者がのぉ……」


(……?)


 徐々に異変の全貌が見えてくる中で、突然長老が口篭ってしまった。


 長老は推測と言っているが、確信を抱いているようである。ならば、魅了の能力を持つ者も調べがついているのでは無いか。

 何故、先程から誤魔化すような曖昧な言い回しをするのだろうか。


(話の流れから察するに人間だよね。でも、それが違うとしたら? ……里の中に居る誰か?)


 一つの考えが、ミーナの脳裏を過る。

 有り得ない話だった。他者を操れる能力――魔法や素質は、過去に一度たりとも確認されていない。

 増してや、その能力を同族に使うなど言語道断。下賎な人間を模したような卑劣な行いを、高貴なエルフがするはずが無かった。


 しかし、長老が里内の誰かだと考えているとすれば、こうして密談をしている事にも声に出すのが憚られて口篭る事にも、説明が付いてしまった。


 どうか思い違いであって欲しいと内心で願いながら、ミーナは答えを促す。


「して、その何者かの見当は付いているのでしょうか?」


「……儂の孫。そして、貴殿の娘でもある、アンナじゃ」

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