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「アレク、お帰り! 今日は遅かったね?」
夕暮れ時に家に帰ってきたアレクを、ミーナは笑顔で出迎える。労いの意を込めて、料理は少しだけ豪華にしていた。
「あぁ、ちょっと苦戦してな……。盾は変えないと駄目そうだ。でも、その分沢山狩っておいたぞ。冬も近いしな」
弓や盾を玄関に置きながら返事をするアレク。
緊急時に素早く武器を装備して外に出れるよう、装備品は玄関か寝室に置かれるよう徹底されている。
置かれたアレクの装備を見てみれば、確かに傷が多い。
中でも盾は特に酷く、素人目で見ても手入れではどうにもならない程にボロボロだと分かる。新しく支給する必要があるだろう。
「沢山狩ってくれるのは有難いけど、無理はしないでね?」
「あぁ、そうだな。装備はもっと大事に使わないとな……」
違う。ミーナは心配なのは、装備では無くアレクの事だ。アレクの身体もしっかりと観察してみれば、細かい傷が多く見受けられるのだ。
装備は結界内にある鉱脈から掘った鉱石を加工する事で作れるので、鉱石を掘り尽くさない限りは無限に補充出来る。装備の消耗を気にして傷を負う位ならば、装備を使い潰してくれても全然構わなかった。
(アレクは装備を多用する狩人なんだから、その事は理解しているはずなんだけど……)
話が噛み合わない事に違和感を抱きながらも、ミーナはそれだけ狩りが大変だったのだろうと自身を納得させ、噛み合うよう修正する。
「心配なのは貴方よ。絶対に、無理はしないでね?」
「そうか、そうだな……」
本意を理解した素振りを見せるが、終始アレクの声には力が篭っていない。
普段ならば帰って直ぐに円満夫婦らしく抱き着いて来るのに、そんな気配を一切感じさせずに自室に向かう。これ程までに疲れ果てたアレクを見るのは稀有な事だった。
(まぁ、そんな日もあるのかな? 凄い疲れてそうだし、今日は休んで貰おう。冬が近いのは分かってくれてるし、狩りを頻度を高める事は明日言おうかな……)
ミーナはそんな事を考えながら、覚束無い足取りで自室に向かうアレクを無垢な瞳で見送った。
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あれから一週間が過ぎた。
冬の到来を告げるように、一部の木々は紅葉を散らし始めている。エルフ達も寒さを苦手とする為に、わざわざ外に出て談笑に耽ける機会は少なくなっていった。
今や外に出るのは、里の食料を確保する為に動く一部の狩人だけである。
里の中央にある屋敷の一室で、窓から閑散とした外の景色を眺めながら、ミーナは頭を悩ませていた。
(アレク、どうしちゃったの……)
冬が近付いているというのに、夫が気に掛かって仕事に手が回らない。冬を前にする族長としては、有るまじき怠惰な態度である。
ミーナ自身もこれが良くない事だと自覚はしている。だが、上手く割り切って仕事に励む事が出来なかった。
アレクが相当に疲弊して帰宅してきたあの日以来、様子が変なのだ。
最初の数日、アレクは常に上の空であった。何か思い詰めている問題があるのかと考えて、親身になって話を聞く旨を伝えたが、心在らずと言った様子で受け流されている。
夫婦らしい抱擁も減り、距離を取られているように感じる。アレクはミーナの事を妻では無く、他人として見ているようであった。
娘のアンナも、急速に冷えた夫婦関係に少なからず困惑しているようである。
狩りに行く時は相変わらず嬉しそうで、行く度に態度が徐々に元の明るい状態へと戻って来ている気もする。それでも未だ何かを打ち明けようとする素振りすら見られないのが、どうにも気掛かりで仕方無かった。
浮気の可能性も考えたが、その可能性は低いだろう。
里を覆う結界はそれなりに広く鉱脈や森の一部も含んでいるが、里自体は大して広くない。それに人口も少ない。
当然、この里内に見知らぬ人など居らず、全員が親戚のような近しい距離感である。そうなると、誰と誰が付き合っているのかも里の皆に知られているので、下手に浮気紛いの事をすれば誰かの目に付いて噂が立つに決まっていた。狭い為に、誰にも見つからずに逢い引きするのも難しい、
もしアレクがそんな事をしていれば、族長でもあり夫でもある私の耳には真っ先に入るはずだった。
やはり、悩みを抱いている線が濃厚だろうか?
でもそうなると、中々打ち明けてくれない理由が分からない。幾ら考えてみても、納得の行く答えは出なかった。
(いっその事、問い詰める? でも、素直に答えてくれるかしら。あの目は流石に……)
問い詰めるのが最適解だと頭では分かっている。
ただ、どうしても最初の数日間アレクがミーナに向けていた冷徹な目が、頭から離れずにいた。当人が言いたがらない事を無理矢理問い詰めれば、少なくとも良い気はしないだろう。問い詰めた結果、再びあの目に戻ってしまうのは嫌だった。幸せだった日常が壊れてしまいそうで、想像するだに恐ろしかった。
(どうすれば良いのかな……。家庭内の問題だと、いつも弱気になっちゃう)
里の問題だと族長としての責任感が先行して積極的に動けるのだが、家庭内の問題は別だ。平穏で幸せな日常が崩れるのを恐れて、どうしても消極的になってしまっていた。
だが、何もしないままでは仕事に集中出来ない。家庭内の問題が職務にまで影響を及ぼすのは、流石に族長としての自分が許容出来なかった。
今まで娘の育て方で多少の軋轢はあれど、夫婦の関係は円満なものであった。それがどうして突然、こんな事になってしまったのか。
「アレク……」
夫を想い、力無く独り言つミーナ。
結局その日彼女は、仕事を思い通りに進める事が出来なかった。
比較的温暖な翌日。
今日もミーナはいつも通りに狩りへ行くアレクを見送って屋敷へと向かう。すると道中、温暖な気候のお陰か女性達が外に出ており、集まっているのが見えた。話が盛り上がっているようで、何やら騒がしい。
思い返せば、寒さと仕事の忙しさが相まって近頃彼女らとは中々会話が出来ていない。ミーナは気分転換も兼ねて、会話に混ざる事にした。
「皆、何を話しているの?」
「あ、族長さん! 良い所に!」
「良い所に?」
「実はですね、最近私達の旦那の様子が変なんですよ。族長さんは何か知りませんか?」
「えっ……?」
ミーナはその言葉に、途轍も無く嫌な予感を覚えた。
慌てて詳しく話を聞けば、最近の旦那がどこか余所余所しく何かを隠している様子だと言う。数日前までのアレクの様子と、ほぼほぼ一致していた。
女性達は狩人からの豪勢な肉といったサプライズなのではと盛り上がっている。一部の者は浮気や隠し事なのではと頭を悩ませているが、全体的に楽観視している様子であった。
(そんな……私だけじゃ無かったの!?)
そんな中、ミーナだけは危機感を抱く。
今までは、自分の家庭だけの問題だと思っていた。
だが、他の家庭でも似たような事が起きているとなると、話は変わる。様子が変という言葉で片付けられる程、軽微な事態では無いように思えた。
(あの日のアレクの疲弊具合から考えるに、近辺に強力な魔物が複数体出没して食料収集が難しくなり、焦っているとか? それなら、狩りに行く度に食料が増えるから落ち着いて来るのは分かるけど、私に打ち明けない事の説明が付かないよね……。サプライズも違う。アレクはその程度の理由で私への態度を冷たくするような人じゃないし、私の心労になり得る隠し事をする人でも無い)
騒ぎ立てる女性達に無難な受け答えをしながら密かに思いを巡らせるが、上手く辻褄の合う説明は思い付かない。
何か後ろめたい事があるのか、隠れて動きたい事があるのか。……それとも、里に何らかの異変が起きているのか。
「族長は、何か知りませんか?」
旦那の異変に頭を悩ませるエルフが、不安そうに胸を押さえて問い掛けてくる。
「いや、分からない……。ただ、これから私が調べてみるから、待っていて欲しい」
里の長らしい威厳のある口調で、一旦皆を安心させる。
こうなっては夫の事でうじうじ悩んでは居られない。夫が口に出来ないような大きな異変が里全体で起きていると考えるべきだ。直ちに調査しなければ。
女性達に礼を残してその場から立ち去り、考える。
調べるにしても、仕事を同時並行で進めなければならないし、どのような手段で調べるかを決める必要がある。
話を聞く限りでは狩人のみに異変が見られたので、魔物のような外的要因を重点的に探るべきだろう。
(後は、父さんの力も借りるべきね)
父親は里の外れで隠居しようとしたが、当時は族長であり里一の実力者でもある重要な人物であった。
そんな人を易々と里から隔絶させる訳にはいかず、当時の古老達は隠居を認める代わりにお父さんを長老という職に就かせ、安否の確認も兼ねて定期的に職務と子供達に魔法を教える名目で里に来させていた。
そして、今がそろそろ父親が里に降りて来る時期である。私が冬に備えられているかを確認しに来るのだ。
仕事が進んでいない事にお叱りを受けるだろう。想像するだけで気が重くなるが、それ以上に里一の実力者の協力が得られると思うと頼もしかった。
(よし、先ずは素直に謝って、その次に助けを求めよう)
ミーナは心の中でそう結論を出す。
由々しき事態なのは確かだが、父親と協力して事に当たれば何とかなるに違いない。ミーナは胸中に妙な蟠りを感じならがも、父親の実力を信じる事にした。




