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始まりは、僅かな違和感からだった。
「なぁ、森ってこんなに静かだったか?」
いつものようにアレクが率いる五人の男エルフの集団で、背丈を優に超える木々が連なる森へ赴けば、妙な引っ掛かりを覚える。
「いや、もっと鳥の鳴き声や動物と魔物の足音が聞こえてもおかしくないはずだ」
弓を構えるもう一人の仲間が、辺りを警戒しつつ仲間の疑問に同意する。
アレクもその違和感を感じ取っていた。続けて、四人の男衆が横目でアレクを窺っているのも察知する。
狩りの際には、五人以上から成る集団を円滑に統率する為に、リーダーが事前に決められている。そして、このチームのリーダーはアレクだった。
四人の仲間は、アレクの判断を仰いでいるのだろう。
「……結界には外敵を遠ざける効果があるというし、まだ偶然の可能性もある。警戒しつつ先に進もう」
アレクは一旦、静寂が満ちた森の様子を調べる事にした。
(やはり、おかしい……)
里からある程度離れたのに、未だに森が静かだ。
生い茂る葉が、風によって掠れる音しか聞こえない。
暫く森を巡ってが何とも遭遇せず、まるで我々以外の生命体がこの空間に存在しなくなったような錯覚すら覚える。
これまでに何百年と狩りを続けてきたが、このような異常事態は初めてだった。
違和感が徐々に存在を増していき、やがては確信に変わる。間違いなく、森に何かが起こっていると。
「なぁ、お前らも感じてるんじゃねぇか……?」
そして、再び仲間が問い掛ける。
その仲間の震えた声やぎこちない動作から、怯えている事が察せられた。
出来ればずっと黙っていて欲しかったが、極度の緊張感に包まれる中で森を巡っていたのだから、痺れを切らして喋ってしまうのも無理は無いだろう。寧ろよく我慢した方だ。
では、何を感じているのか? 何に怯えているのか? 何故、これ程までに空気を張り詰めさせているのか?
わざわざ聞くまでも無い。
皆も、薄々ソレを感じ取っていたのだから。
「見られてるな……」
視線だ。
森に踏み込んでから程なくして、何者かに見られていると、狩りで研ぎ澄まされた本能が感じ取っていた。
移動しても、ずっと視線は追って来ている。
視線には気付かず愚直に獲物を探っている振りをしていたが、本能でしか感じ取れない程に巧妙に存在を隠されており、未だ視線を向ける者の正体や居場所は掴めていない。
森の異変には、視線の正体が関わっているのだろうと思われた。
一旦結界内に戻る事も考えたが、そうしては視線の正体にエルフの里の存在を知らせてしまう。
かといってこのまま探索していても、見つからず仲間達の不安が募るだけで、埒が明かなかった。
潮時なのだろう。
アレクはそう判断し、思い切った行動を起こす事にした。
「おい! こちらをずっと観察しているのは分かっている! そろそろ姿を現したらどうだ!?」
アレクは天上に向かって声を張り上げる。
これで視線を向ける者に動きが有れば良し。動きが無ければ、魔法で煙幕を張りつつ里に戻るしかないだろう。
仲間達もアレクの意図を察し、強ばった顔付きで武器を構え、相手の反応を待つ。
アレクの起こした半ば賭けと言える行動は、成功に終わった。
「成程、視線には気付いていましたか……。しかし、位置までは把握出来なかった、と」
頭上から聞こえてきた凛々しい声に、目論見が上手く行ったと一瞬アレクは安堵するが、すぐさま驚愕で塗り潰される。
(待て、頭上だと!?)
弾かれたように顔を見上げれば、眩しい太陽を背に樹上から跳躍する影が一つ。
思えば、探る所は茂みの中や木の陰ばかりで、樹上にいる可能性を完全に失念していた。
アレクは己の偏狭さを恥じながらも、樹上に潜む魔物が居なかったのでこの失敗は仕方ないと即座に割り切り、影の者の警戒に全神経を注ぐ。
十メートルは優に超えるであろう高い木から飛び降りた影は、着地の衝撃を軽やかな動作で殺し、アレク達の前に舞い降りた。
魔法を使った気配は無い。洗練された肉体能力による技巧の成せる技だろう。
そして影の者の姿が顕になれば、アレクらは再び驚愕に包まれた。
「あの短い耳……。もしや、奴は人間か?」
「分からん。しかし、特徴は一致しているぞ」
「いや、あの目を見ろ。二足型の魔物かもしれんぞ」
隣で仲間達が、相手には聞こえぬよう小声で影の者の正体について囁き合う。
そこに降り立った者は、我々エルフと酷似していた。一瞬他の里から来たエルフかと思ったが、明らかにエルフとは異なる特徴が二つあったのだ。
非常に短い耳に、魔物を彷彿とさせるような真っ赤に濁った目。どちらも、エルフの者では前例の無い特徴だ。
(あくまで本と伝聞で手に入れた情報からの推察に過ぎないが、恐らく目の前に居る者は……)
「お前は人間か?」
「ふむ……。生誕の手順は少々異質ですが、生物学的には人間に分類されます」
何やら難しい言い回しをしているが、要は人間で合っているのだろう。
人間。アレクは口の中でその言葉を転がす、
森の外で暮らし、穢れた欲望と底知れぬ悪意に塗れた、先人方の仇敵でもある異種族
そんな醜汚な種族など滅ぼしてやりたいが、それは出来ない。面倒な事に人間は群れる習性を持っており、迂闊に手を出せば数で押し潰されてしまうのだ。たった一人の人間にエルフの里の存在を知られてしまうだけで、後に大量の人間が押し寄せ、欲望のままに里を穢すと言われている。
万が一人間と接触してしまったら、誰一人逃がす事無く殺し尽くせと、里の掟で定められている程だ。
それだけ、エルフにとって人間は脅威であった。
この里に隠れ住むようになってからは人間と接触した事は無いと聞いていたが……今現在、人間が目の前で剣を構えている。
(厄介な事になったな……。どうするのが正解だ?)
両者間に緊迫した空気が漂う中、アレクは意を決して出来る限りの情報を引き抜こうと人間に問い掛ける。
「何の目的があって我々を尾行した?」
「それはお答え出来ません」
「単独でここまで来たのか?」
「それはお答え出来ません」
何も情報を吐き出さない人間に、アレクは内心で舌打ちをする。
目的は正直どうでも良かった。
というよりも、容易に予測出来る。人間界で我々は高価で売買されているそうなので、醜汚な人間種族のことだ。我々を捕らえて金儲けをしたいのだろう。
問題は同行者の存在だ。
強力な魔物が跋扈する森の中で、単独で動くとは考えにくい。どこかに人間の同行者が潜んでいる可能性があった。
いや、人間は短命である代わりに、時に強力な素質の持ち主が現れると聞く。目の前の人間が、そういった怪物の類である可能性もあった。
……だが結局の所、人間に何も情報を吐く気が無いので居るか居ないかは堂々巡りだ。知りたいのならば、力づくで吐かせるしか無いだろう。
アレクの考察を他所に、仲間達も平静を取り戻してか口を開く。
「目的が何だろうと、貴様が何者だろうと、見られたからには逃がす訳にはいかねぇな」
「その通りだ。アレク、ここで仕留めるぞ」
(そうだ、どの道我々のやる事に変わりは無いのだ)
今はそんな事を考えている場合では無かった。人間との遭遇という初の事例に、少なからず動揺していた。
アレクは居るかも分からない存在について考えるのは辞めて、目の前の人間に専心する。仮に人間が怪物の類であった場合には、余計な事に思考を割きながら勝てる相手では無いだろうから。
構える人間の左右の手に握られるは、二本の剣。片方は長く、もう片方は短い。腰には、何本かの予備の剣が提げられている。
(二刀流の剣士か……)
アレクは知識としては知っているが、目にした事は無い。
それも無理はないだろう。ただでさえ弓と魔法を得意とするエルフが剣を扱うのは難しいというのに、二本同時に扱うという器用な真似が出来る筈が無かった。
一人を里への報告に向かわせて増援を呼ぶ事も考えたが、伏兵が存在する可能性を残して下手に戦力を分散させるのは不味い。
(先ずは、五人でこの人間を仕留める)
アレクはそう決心して、僅かに浮き足立つ仲間達の心を引き締める為に、堂々たる態度で指示を出す。
「今から五人でこの人間を仕留める! 近接戦を想定して動け! 相手は一人だが、決して油断はするなよ!」
やる事が明確になった事で、思惑通りに仲間達の心が引き締まり、顔付きが変わる。
勇ましい返事を残して、二名が樹上に登る。
士気は十分、数も優位にある。
何より我々には、長きに渡って強力な魔物を退けて来たチームワークがあるのだ。
「行くぞ! かかれぇ!」
勝ちを見出したアレクは、雄叫びを上げる仲間達と共に、人間を仕留めるべく一斉に襲いかかった。




