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「弟は、大丈夫だろうか……」
フリスク公は自室で一人、部屋の中をウロウロと覚束無い足取りで歩き回りながら、弟であるフランコの帰りを待っていた。
陛下の案は確かに良いものだった。
フリスク公もそれを理解し、覚悟した上でフランコを送り出した。
だが、どうしても不安が纒わり付く。
あの化け物ならば、我々には理解出来ない何かをしてくるのでは無いか?
あの異様な形相を思い出す度に、そう思ってしまう。
フランコは文官だが、戦闘も出来る。
加えて密偵も一人送り、二人には遠距離でも連絡が取れる通信の魔法具を持たせている。
何かあれば即座に連絡する手筈だ。
「密偵は上手く機能するだろうか……」
最も優秀で頼りになっている密偵ならば、マークスを殺せるだろうと暗殺者として送り込んだのは早計だった。
失敗したのだろう、マークスは依然として悠々と仕事をこなしているし、送り込んだ密偵の行方は分かっていない。
結果的に、優秀な人材を失うだけで終わった。
余りにも焦っていて、損失を考慮していなかった。
お陰で少々頼りない実力の密偵を送る羽目になった。
「いや、大丈夫な筈だ……」
頼りないとは言え、無能では無い。
動きがあれば報告するだけの簡単な任務なのだから、しっかりこなしてくれる筈だ。
流石のマークスでも、戦える二名を相手に報告する隙を与えずに、何か動く事は不可能な筈。
「大丈夫、大丈夫……」
バイソン公は自分に言い聞かせるように唱え続ける。
それでも、不安が心の奥底からは消えてくれない。
不安が常に付き纏い、仕事に手が付かない。
そろそろ夜、帰って来てもおかしくない時間帯だ。
早く無事に帰ってきてくれと心の中で祈り続ける。
「兄上、フランコが只今無事に帰宅しましたよ」
扉越しにフランコの声が聞こえてきた。
長年に渡って聞いてきたのだから、聞き間違いは無い。
無事で良かった、フリスク公は思わず安堵する。
「待っていたぞ、入れ」
入ってきたフランコに、やはり外傷は見当たらない。
纏うオーラの色を見れば――
――黒。
「兄上? 呆然としてますが大丈夫ですか?」
「フランコ! マークスに一体何をされた! 言え!」
フリスク公が、フランコの両肩を掴んで声を荒立てる。
フランコは杓変したフリスク公の様子に動揺しつつも、落ち着かせようと降参したように両手を上げて返事をする。
「何もされてませんよ。現にこうして、傷一つ無く兄上とお話が出来ているじゃないですか」
フランコに嘘を言っている様子は見られない。
表情、言動、何を見ても、いつも隣に居てくれた弟だ。
だが何度確認してもフリスク公の目は、弟に艶やかな黒色のオーラを映している。
即座に通信の魔法具を起動する。相手は陛下だ。
「陛下! フランコ公とマークスが顔合わせをした後、フランコ公のオーラが黒に変色しました! 身体に異変があると思われるので、調査をお願いします!」
『フリスク公か、少し落ち着け』
「はっ、申し訳ございません」
『フランコ公の色が変わったんだな? 他に何か異変は見られないのか?』
陛下にそう問われ、チラリと後ろを見ればフランコが困惑した目つきでこちらを見ている。
何処からどう見ても普段の弟だ、異変は見られない。
「いえ……特に見られません。ですが、色は違うのでフランコ公の身に何か起きたのは確かです。どうか調査して頂きたい」
『委細承知した。こちらで詳しく調べさせて貰うとしよう。数日フランコ公を借りるぞ』
「ありがとうございます!」
弟の反応から見るに、何かされた自覚が無いのかもしれない。
ただ色は変わっているので、あの化け物に何かされたのは間違いないのだ。
まさか初日から行動を起こすとは。
鉱脈の件で思い通りの展開にならず、焦ったか?
これでフランコの身体に何かしらの異変が見つかれば、マークスは公爵家の者に手を出した事になる。
公爵家の者に手を出せば重罪だ。
騎士が送られ、マークスらを捕らえて処刑してくれるだろう。
これでようやく安らかに眠れるようになる。
「という訳でフランコ。手間を掛けるが、国王の元へ向かってくれ」
「はい、兄上がそう言うならば私の身に何かあったのでしょうね……。分かりました」
フランコも我が身に何か起きているのか分からず、不安そうに萎縮している。
やはり無自覚なのだろうか。
だが、陛下には優秀な医師や魔法使いが仕えている、身体にある異変を確実に見抜いてくれるだろう。
ようやくだ、ようやくあの化け物が殺せる。
――――――――――――――――――――
数日後、陛下とフリスク公を結ぶ通信の魔法具が突如起動して、穏やかな光を放つ。
……来た。
「陛下! フリスク公です! フランコはどうでしたか!」
『うむ、フランコ公に特に異常は見られなかったな』
「……は?」
フリスク公はそう言ったきり絶句する。
隣に待機させているフランコと共に送った密偵のオーラを見れば、やはり黒色だ。
二人に持たせたの魔法具もちゃんと機能していた。壊れていた訳では無い。
何もせずに色を変えたのか?
過去に送り出した密偵は変わってないのだから、絶対に何か手を加えた筈なんだ。
『心配し過ぎですよ、兄上』
魔法具越しにフランコの声が聞こえてくる。
最近耳にする機会が増えた、宥めるような声だ。
「本当に……本当にちゃんと調べたのですか! 絶対にフランコの身に何かある筈なんです!」
『儂直属の医師や魔法使いに入念に調べさせた。だが、異変は何一つ見つからなかった。フリスク公よ、少々休んだ方が宜しいのでは無いかね?』
「ぁ……」
熱くなり叫ぶように問いかけても、陛下の返事は冷淡で、冷水を掛けられるような心地を味わう。
口から言葉を上手く出せず、掠れた息のようになる。
陛下は話が終わったと判断したのか、フランコ公を送り返すとだけ言い残して、魔法具が停止し光が消えた。
『少々休んだ方が良いのでは無いかね?』
その語調には、心做しか不安と呆れを感じさせた。
「陛下は、私が疲れて幻覚を見てるとでも言いたいのか……!? 有り得ないっ!」
フリスク公は目を剥いで机を叩く。
隣に居た黒色のオーラを放つ密偵が、それに対しビクッと反応をする。
「……おい、出ていけ」
フリスク公が怒気を孕んだ声で退出を命じれば、密偵は飛び出すように部屋から出ていった。
確かに、最近安眠出来ず疲労が蓄積していると感じては居たが、どんなに疲れていても色を見間違える筈が無い。
そもそも色が濁ったり徐々に変色する事例は過去に何度か見てきたが、たったの一日で変色する事例は見たことが無い。身内が殺されでもしない限り無いだろう。
明らかに異常だ。
それに、よりにもよって黒色に変色するとは。
まるであの化け物の配下のようでは無いか。
『黒色だからと言って、敵だと確定した訳では無いのでは?』
鉱脈について話し合った時のバイソン公の言葉が蘇る。
今まで信じて疑わなかった自身の素質が、一体何なのか分からなくなってくる。
黒色のオーラは一体何を示しているんだ。
異常者だと思っていたが、フランコ公は特に異変も無く普通にやり取りが出来ている。
尤も、それは化け物も同じなのだが。
陛下には呆れられ、弟のオーラは黒に変色し、自分自身の素質の効果もよく分からない。
何を信じて、何を頼りにすれば良いのだろうか。
自分を支えてきた足場が、音を立てて崩れて行く錯覚に陥る。
それでもマークスが化け物であり、何かした事実は揺らがない。
「あの化け物は……一体何をしたと言うのだァ!」
部屋にフリスク公の叫びのような嘆きのような、様々な感情が入り交じった声が虚しく響いた。




