32話 ピンチをチャンスに
翌朝、俺の抵抗も虚しく、父さんにいろいろと話が抜けてしまった。
父さんは俺が暴れた原因は学校医にあるとして、その日のうちに書簡にて学園側に先生の解雇を申し出た。もちろん俺は抵抗したけれど、頭に血が登ってしまったあの人には何も通じなかった。
しかし、幸運なことに先生はやめさせられることはなかった。学園からは貴重な人材なのでクビにはできないと返答があったにとどまったらしい。
しかし一つの大きな問題が残った。それは、あの日から一週間もしないうちに父さんが上級貴族の令嬢との仮の婚約を勝手に結んでしまったのだ。これはお互いが成人した段階で本婚約になるものでそれまでに破棄することはできなくはない。が、今後の領地同士の関係もあるので勝手に一方的に破棄するというのは事実上不可能であった。
仮婚約者はドミーエーデル領主の長女ヴィクトーリア・ドロッセル嬢だった。彼女の父、ドミーエーデル卿は昨年度から王国議会長を務めており、御三家に次ぐ名家である。彼女は俺の1つ上であり、もちろん同じ学園に通っている。何度か見かけたことはあったが言葉を交わしたことは一度もなかった。
俺はなんとかして仮婚約を回避できないかと策を考えた。しかし、いい考えなど浮かばずに悶々とした日々を過ごした。フォルカーには相談しようかとも考えたが、彼の傷つく顔を想像すると尻込みしてしまい、結局何も言えなかった。
俺たちは11の月17日目の放課後、初顔合わせということで学園内の食堂の上、上級貴族専用の小ラウンジを一つ貸し切って対面することとなった。当初は休暇日にどこかのレストランを貸し切って両親出席で、などという計画だったそうだがそれは必死に阻止した。そんなことをされたら破棄に持って行きにくくなってしまう。どうにか理由をつけて平日の放課後にこぎつけることができた。それにより親はどちらも議会に出席していることもあり参加しなかったけれど、両者の従者が代わりに同席することとなった。
「初めまして、リット様。ヴィクトーリアでございます」
「はじめまして。ヴィクトーリア様。リットです」
彼女はその容姿の良さから有名であった。オレンジに近い豊かな金髪はしっかりと手入れがされ、空色の透き通る目はぱっちりとしており、凛とした印象の、噂通りの美しい令嬢だった。その噂では性格も穏やかでおっとりとしているらしい。この上なく素晴らしい縁談ではあった。
しかし、心はついていかない。彼女がどうということではなく、脳内にチラつくのは白衣を着たあの人だった。あの日以来俺はまた医務室に行けなくなっていた。先生と顔を合わせるのが怖かったのだ。俺のせいで辞めさせられそうになったことが後ろめたかった。それに、なぜ薬を盛ったのかと悪態をついてしまいそうな自分がおり、押さえられるかわからなかったのもあった。
ヴィクトーリア様の隣に座る従者は年若い青年で、濃灰色の短髪に青い瞳をした聡明そうな人だった。多分彼女より数個年上くらいであろう。彼は俺がヴィクトーリア様にふさわしい人間なのかを観察するかのように凝視しており、表情は読めなかった。
「では、私達はこれで。あとはお二人でお話されるのがよろしいでしょう」
そういうとブルーノが彼女の従者とともに部屋を出ようとした。
俺はそのとき見てしまった。彼女と従者はブルーノに気づかれないようにアイコンタクトをとったのだ。そしてその後従者は先程の無表情とは打って変わって、俺を射殺すかのような視線を送ってきた。
"もしかしたら、これは使えるかもしれない"
俺は心の中でニヤリとほくそ笑んだ。
「すみません、急な話で」
「いえ、こちらこそ。リット様がお相手だなんて、夢のようですわ」
ヴィクトーリア様がそう微笑んだ。俺は揺さぶりをかけてみることにした。
「本当にそうお思いですか?」
「え?」
「ずいぶんと名残惜しそうにされていましたが?」
「そ、それは」
彼女はさっと頬を赤らめた。やはり俺の勘は当たっていたのだ。
「ご、ごめんなさい。リット様。あの、その、そんなつもりでは」
「いいんです。むしろ、好都合かもしれません」
俺のその言葉にヴィクトーリア様は目をまん丸くした。
「え?」
「実は、今回の婚約はうちの父が勝手に推し進めてしまったもので。僕はどうにか回避できないものかと考えていたのです。あ、誤解しないでください。あなたは素敵な方だとは思いますが、望まない結婚はお互いのためになりませんからね」
俺はできる限り彼女を傷つけないように言葉を選んで伝えた。するとヴィクトーリア様はすみません、と頭を下げた。
「リット様、あなたの察する通りです。私は従者のローラントが好きなんです。彼はとても優秀で優しくて時々ちょっとイジワルで。まぁ、彼からしたら私なんてただの小娘なんでしょうけど」
ヴィクトーリア様は頭から湯気が出そうなほど赤くなっていた。俺がもっと女性に興味を持てていたのであればぐっと来たかもしれない、などと冷静に分析していた。
彼女曰く、ローラントさんとは幼馴染のような関係で、ローラントさんが執事養成校を出た3年前から正式に彼女の従者になったのだという。その頃から淡い恋心を抱くようになったのだとか。
上級貴族の令嬢に関しては、家の中での世話は侍女が行うけれど、外を出歩く時は護衛も兼ねて従者が付くことが多い。
余談ではあるけれど、執事養成校とは、執事や従者、家政婦長や侍女を目指す者が高等部を卒業してから2年間通うところである。国立学校であり、ここを卒業できるということは家柄もそこそこ良く、よほど優秀な人であるようだ。というのも、ここを出なくても貴族の家で下積みからであれば働くことはできるのだ。言うなれば、より優秀な将来の執事や家政婦長を効率的に生み出す機関なのである。俺の大嫌いなブルーノもそこの出身である。
「なるほど。僕はあなたの恋を応援したいです」
「リット様も、好きな方がいらっしゃるので?」
ヴィクトーリア様の言葉にたじろいだ。自然と頬に熱が集まってきた気がした。
「いや、好きってわけでは」
俺があたふたしているとヴィクトーリア様はふふっと可愛らしく笑った。
「噂は本当だったのですね」
「えっ?!」
俺はどぎまぎしてしまった。噂とは何なんだろうか。
「フォルカー様でしょうか?リット様のお相手は」
ヴィクトーリア様の空色の瞳がこころなしか輝いているように見えた。
そんなにキラキラした目線を向けないでほしい。
これはあれである。フランツと俺が一緒にいるのを眺めている時のリリー嬢のと同じ輝きだ。
俺は冷静に言葉を紡ぐことにした。
「違います。全力で否定します」
「あら、そうだったのですか。いつも一緒に居られるのでてっきりそうかと」
「彼はただの友人です」
俺のその言葉にヴィクトーリア様は残念がる様子はなく、では、と続けた。
「マグノーリエ先生の方なんですね」
ヴィクトーリア様はニコリと目を細めながらくっと口角を上げた。
俺はまさか先生の名前が出てくるとは思っておらず、驚きのあまり目を見開いてしまった。
「ちょっと待ってください!僕には一体どんな噂があるっていうんですか?!」
「フォルカー様とマグノーリエ先生と禁断の三角関係なんじゃないかって」
何ということだろうか。
いや、そう思われているのでは、と心の奥底で覚悟はしていた。ここに至るまでにも、あの女生徒たちも言っていたのだから。
「そ、そんな。え、そんなに有名な話ですか?!」
俺はすがりつくような目でヴィクトーリア様を見つめてしまった。それでもここで引き下がるわけにはいかない。どこまでどのように話が広まっているのかを知らなくては。
「フォルカー様との関係はずっと前から噂されていましたわ。先生に関しては貴方の取り巻きや一部の女子だけだと思います」
「うわ」
それって結構な人数だよな、と心の中で頭を抱えて机にガンガンと打ち付けた。
別に先生と噂になるのが恥ずかしいとか、そんな感覚は一切ない。
しかし、恋愛感情ではないはずなのに勝手に噂されてしまっているのは嫌だった。それに、そんな噂が先生の耳に入って距離を置かれてしまうのは辛い。今自ら距離を取っているやつの言えることではないが。
「実はですね、そういうのを密かに応援している女子会がありまして。そこの中では今一番熱い話題ですの」
「ヴィクトーリア様は、その会に?」
「はい、恥ずかしながら。非公式なものですしあまり公にするのもはばかれるようなものですのであれなんですけど。とりあえず会長をさせていただいておりますわ」
彼女は両頬を手で押さえ、恥ずかしいですわ本人の前で、ともじもじしていた。そんな会が存在するとは知らなかった。女子の世界は複雑なようだ。
会長様でしたか、と思わず言いかけたけれど、嫌われてしまっては元も子もないのでぐっと言葉を飲み込み、話題を少しそらそうとした。
「そうですか。そのうちそちらに一人知り合いが伺うと思います。まぁ僕たちが卒業してからだと思いますが」
そう言いながら俺は紅茶を喫した。緊張で喉がくっつきそうだったのだ。
ヴィクトーリア様は心当たりがあったのか、ポンと手を打った。
「あ、もしかしてリリー嬢のことかしら?」
「ぶっ」
俺はあやうく飲みかけの紅茶を吹き出しそうになった。
「彼女は中等部のエースですから」
「中等部にもあるんですか?!やっぱりとんでもないお嬢だな、リリーは。」
俺は苦笑いを浮かべた。さすがはリリーである。
「フランツ様の許嫁ですものね。ふふ。フランツ様も大変ですわね。いつもリリー嬢に勝手にカップリングされてしまって」
「ほんとにね。でもあの二人は何だかんだ仲がいいので応援しているんです」
「幸せそうで何よりですわ。で、どうなんですの?その、先生との関係は」
ヴィクトーリア様は目を輝かせ、頬を紅潮させて聞いてきた。
これはどうしようもないお嬢様である。
「な、なにもないですよ。ってかあなたに情報を流したら喜んじゃうじゃないですか」
「えへへ。私達は純愛を愛してるんですの。別に同性同士だからとかそういうわけでなく。貴族の令嬢たるもの、望まぬ相手と結婚するのが今の世の中。せめて学生のうちは純愛でキュンキュンしたいじゃないですか。こんなこと婚約者である貴方に言うのも失礼かと思うのですが」
「失礼ではないです。まぁ、その、気持ちはわかりますけどね。ちなみにローラントさんは貴族の方で?」
「準貴族というところですわ。正確に言うと遠縁に当たる家の三男で、代々うちに仕える者を輩出してる家なんです。仮にローラントと両思いになれたとしても父上を説得はできないでしょう。従者の家に嫁ぐなど聞いたこともないですし」
準貴族と聞いて俺は唸ってしまった。準貴族とは、血筋は貴族であるものの、爵位や領地などは持たない人々のことである。幅が広く、ほとんど平民と同様になっているものから、ローラントさんの家のように本家に仕える貴族寄りのものまで様々である。
ヴィクトーリア様は長女であり、容姿も淡麗。俺のような御三家や上級貴族レベルでないと彼女の父が納得しないのは明らかであった。
でも、道がないわけではない。俺は一つ思いついたことを口にした。
「発想を変えてみてはいかがですか。彼をお婿にもらうんですよ」
ヴィクトーリア様が向こうに嫁ぐのは難しいかもしれないけれど、逆ならばまだ可能性があった。実は俺の遠縁にもその手を使って結婚に至った事例があったのだ。
「え、でも領地を守るのは弟がいますし」
「領地を継ぐのは弟でもいいんです。ローラントさんが優秀な方なのであれば、ドミーエーデル卿が手放したくないと思える人材に成長させるんです。そうすれば可能性が見えてくるかもしれませんよ」
そう、ローラントさんがドミーエーデル卿を唸らせ手放すのは惜しいと感じさせるような人材であれば。ドミーエーデルの地は領土も広大で様々な事業で発展を遂げているので、優秀な人材はいくらいても足りないはずなのだ。
無理をして御三家と繋がりを持たなくとも十分に自立できている領地であるし、気立ての良く美しい娘が領地に残るのは卿にとって嬉しくないわけはないはずである。
「そんな手があったとは。ローラントは贔屓目なしで優秀です。希望が持ててきましたわ」
ヴィクトーリア様は見え始めた希望に陽だまりのような笑みを浮かべた。ローラントさんはきっと、彼女のこの笑顔が好きなんだろうなと勝手に想像した。
「それはよかったです。で、ここからが相談なのですが、ここですぐに婚約を破棄してしまえばまた互いに違う相手を充てがわれるだけだと思うんです。なので、貴女が卒業するまではこのままでいませんか?」
「それはつまり、偽りの婚約者、というわけですか」
なんだか小説のようですわね、と彼女は付け加えた。空色の瞳が一層輝きを増した気がした。
「ええ。最後はお互いにやっぱり合わなかったですとか言いながら同時に破棄を申し出るんです」
俺の言葉に彼女はポンと手を打った。
「それならばお互いの家も痛手を負わずにすみますわね。そして、互いに変な縁談は持ち込まれない。なんと素敵なのでしょう」
ここで聞いたところによると、彼女は半年前にも他の上級貴族と仮婚約手前までの話があったのだという。しかし、相手は10近く年上で、ドミーエーデル側の内偵により愛人と隠し子が居ることが発覚し白紙になったらしい。彼女は笑顔で言っていたけれど、内心は怖かったんじゃないかと思った。もしも事実を知らなければ、愛人と隠し子の存在に悩まされ続けなければいけなかったのだから。
「読み物ではどちらかが本気になってしまうっていうのがお決まりですけど、僕たちにそれは起こらないと思います」
俺のその言葉に、彼女は力強くうなずいた。
「私達は盟友、になるわけですね」
「盟友、それはいい響きですね」
平和な婚約破棄、それを誓い合った友。なんと素晴らしいのだろうか。俺はこの時、ヴィクトーリア様が仮婚約者で本当に良かったと思った。
「定期的にデートという名の作戦会議をするのですわね。お互いの恋の」
「いや、僕は」
恋なんかではないです、と言おうとしたけれど、ヴィクトーリア様の勢いは止まらない。
「ふふ。リット様と先生はとてもお似合いだと思いますわ」
そんなふうに柔らかく笑わないでほしい。お似合いだと言われてほのかに頬に熱が集まる。
「先生は僕になんて興味ないですよ」
「そうでしょうか?ぜったい脈アリだと思いますわ」
そんなにキラキラとした瞳で見つめないでください、と俺はぼそっとつぶやいた。
その後俺たちは少し内容を詰めることとした。
「互いの呼び方はどうしましょうか。あんまり仲良く見せすぎて本当に婚約に進んでしまったら困りますから、様付けがいいでしょうか」
「そうですわね、様付けはしばらく続けましょう」
「はい。あとはこの関係をどこまで話すか、ですね。本当は二人だけの秘密にしたほうがいいかとは思うのですが、多分、あなたのパートナーは嫌がるんじゃないかなと。さっきもすごい目でこっちを見てきましたし」
俺の言葉にヴィクトーリア様はぽっと赤くなった。
「そんな、ローラントは私のことなんて」
これは本気でそう思っていそうである。なんと鈍い方なのだろうか。
「いやいや。もう少し自覚を持ってくださいね。いや、もしくはあえて黙っておいて嫉妬させるのも面白いかもしれないですね」
「リット様?!そんな黒い笑みを浮かべないでくださいませ」
俺は無意識のうちに笑っていたようで、ヴィクトーリア様に軽く引かれてしまった。
「あなたの従者にはそれが効果的かもしれない。そうしましょう。しばらく二人だけの秘密ということで。そして時期が来たらちゃんと話しましょう」
「わかりましたわ。では、次の作戦会議はいつにしましょうか」
「とりあえず月末くらいにしておきましょうか」
「わかりましたわ。ふふ。リット様が相手で良かったですわ。私達、良き盟友になれるといいのですが」
「きっとなれますとも。では、これからしばらくよろしくお願いいたします。ヴィクトーリア様」
俺たちは固く握手を交わした。
こうして俺に盟友ができた。




