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24話 温室づくり

9の月9日目の昼過ぎのこと。俺とフォルカーは先生に呼び出され、医務室に集合した。俺たちは学校の運動着に袖を通している。先生も白衣やいつものカチッとした服装ではなく、つなぎのような灰色の作業服のようなものを着ていた。新しいものではないようで、左膝のところには継ぎ接ぎがしてあった。俺がまじまじと見ていると、昔友人に貸したときにやられたのよ、と先生は言った。


医務室にはイレーネさんの他に、先生が顧問を務める保健委員会に所属するエルマー・ヒルシュさんもいた。暗いグレーの髪と切れ長の黒い瞳を持つキリッとした印象の先輩だ。身長は俺とほぼ変わらないが、彼のほうが若干線が細い。彼は次期保健委員長になるだろうと言われており、噂では先生の"お気に入り"であるらしい。なんか少し嫌だと思っている自分がいた。俺達とエルマーさんは軽く自己紹介を終えた。



「なんで僕たちがおじさんに呼ばれなきゃいけないわけ?温室を使うのは保健委員会なんだからそっちで人を募ればよかったじゃん」

フォルカーは不機嫌そうに先生を睨んだ。

ちなみにフォルカーを招集したらどうかというのは俺からの提案で、彼はそれを知らない。


「おじさんって言わないで。まぁ、硬いこと言わないでよ。まだみんな帰省中で全然人がいなかったんだもの」

お願い、と先生は両手を合わせた。


その仕草に不覚にもキュンとしてしまった自分がおり、心の中で壁に頭を打ち付けるところまでが最近のお決まりのセットである。



「すまない、二人とも。今回は俺の予定に合わせてもらったんだが、それに合う委員が一人もいなかったのが誤算だったんだ。温室の準備が整えば毎回市場に買いに行く手間も省けてとても助かる。よろしくお願いしたい」

エルマーさんは真面目な人のようで、俺たち下級生にも頭を下げられる人らしい。少し、いや、だいぶ好感が持てた。

俺たちはわかりましたと返事した。


「さすがね。期待してるわ、エルマー坊っちゃん」


先生のその口調はいつにも増して"オネエ"な感じだった。こころなしかテンションも高い気がする。

それほどまでにエルマーさんのことを気に入っているのだろうか。


心に無数の小さな棘が刺さっていく気がした。



対してエルマー先輩は小さくため息をついた。

「先生。ほんとに、坊っちゃん呼びはやめてください。貴族じゃないですし。俺が保健委員になったのもあなたの手伝いをしてるのも家業を継ぐための修行ですからね。馴れ馴れしくされるのはうっとおしいです」

エルマーさんは淡々とそう言った。



あれ、俺の予想してた反応と違う。

先輩は先生のことが嫌いなのだろうか。

少し安堵した自分と、先生を嫌うなんてという自分が取っ組み合いの喧嘩をしそうになったところで無理矢理思考を停止させた。


「もう、つれないわね。わかってるわよ。それにしても薬商の家系も大変ね。平民ではあるものの貴族とほぼ同等の権利が認められてるくらいだもの」


そう、先輩は大きな薬商一族の跡取り息子なのだ。先生が言った通り、彼らには貴族と同等程度の地位が認められており、平民でありながらこのダリエに通うことが許されている数少ない家柄なのである。



「間違えた薬草を売れば人々の命に関わりますからね。まぁ、あなたがここまで薬草に詳しいのには正直驚きました。どこでその知識を?」

「師匠からの受け売りですの」

「とんでもない師匠ですね。しかもユキワスレ草の栽培にも詳しいなんて」

「ふふ」

「え、それって」

あの時に頂いたお茶ですよね?と俺が言おうとしたところ、先生がちらりとこちらを見て自分の口元に右手の人差し指を立てた。どうやら秘密ということらしい。

「ラヴィーネ大山脈の一部にしか自生してなくて、うちの実家でも毎回手に入れるのにどれだけ大金を叩いてると思ってるのやら。そんな貴重な薬草の種子と苗まで持ってるとは、貴方は何者なんです?」

エルマーさんの一言に俺の心臓は飛び跳ねた。

そんなに貴重な薬草だったのだ。先生は以前、商業区でも売ってると言っていたけれど、その後出かける度に探してみても見つからなかったのは貴重すぎて出回っていないということだったのかもしれない。

これは何か本格的なお礼をしなければいけないかもしれない。


「ふふ内緒よ。師匠に感謝ね。まぁ、気候が違うからそんなにたくさんは栽培できないでしょうし、期待はしないでね」

「いいんですよ。少量でも栽培できれば勝ちであるほどの万能薬ですから。これが学園の名物になれば学校側からの補助金を別のことに回せますしね。そうすれば新しい種類の薬草の栽培もできるかもしれません」

「ふふ。楽しそうね」

「そりゃそうですよ。学園産の薬草を奉仕活動の一環として市井に安く流通できるようになれば貴族と平民との架け橋になれるかもしれません」

エルマーさんはキラキラと瞳を輝かせながら熱く語っていた。彼は熱く真っ直ぐな人らしい。この人の元で委員会活動に励むのもいいななどと思ってしまうほどだった。

そんなエルマーさんの様子を見た先生は真剣な面持ちで彼に声をかけた。

「ねぇ、エルマー坊っちゃん。年下に興味ない?あなたにぴったりな子を知ってるの。あなたより6つくらい下なんだけど」

その発言はまるで見合い話を持ってきた近所のおばさんのようであった。俺は直接は見たことはないけれど、読み物にはよくそんな人が登場する。

「いや、俺はそういうのは別に。しかも6つ下って今初等部生じゃないですか。犯罪ですよ、犯罪」

エルマーさんはさらっと先生の提案をあしらった。



「やぁね、もっと先の話よ。絶対お似合いだと思うのだけれど」

先生は残念だわーと大げさに落ち込んでみせた。

「それくらいの年の差なんて、18歳と24歳くらいになれば気にならないわね。おばちゃんキュンキュンしちゃうわ!」

イレーネさんはノリノリだった。

エルマーさんはそんな大人たちの反応を見て大きくため息をついたのだった。


「さぁ先生方、無駄口叩かないでどんどんやりますよ」

エルマーさんはそう言うと持参していた厚手の茶色い手袋をはめた。


それに合わせて俺も手袋をはめたが、フォルカーは不服そうに口を尖らせていた。

「先生、僕とリットには利がないじゃない?タダ働きするくらいならトレーニングしたいんですけど」

「土を運んでもらったりするから嫌でもトレーニングになるでしょ?それに、今回は特別に"オリーヴィエのフルーツタルト"をつけるわ。備蓄室で冷やしてるところよ」

「な、なんですって?!」

そう反応したのはもちろんフォルカーだった。

フォルカーは無類の甘党で、そこの店のタルトが大好物なのである。



「この悪魔め。僕の好物を把握しているとは」

フォルカーは恨めしそうに先生を睨んだ。

「最近特に人気者ですからね。耳をふさいでても情報は入ってくるのよ」

先生はニヤリと笑った。


本当は入れ知恵したのは俺なのだけれど。すまない、フォルカー。


「今回は特別ですよ。しょうがないですね」

フォルカーはやる気を出したようで手袋をはめて準備体操まで始めたのだった。

「あとは私オリジナルのハーブティーを」

「やりましょう。さっさと作業してお茶にしましょう」

俺は食い気味に言った。先生のあの美味しいハーブティーが飲めるなんてなんと素晴らしい報酬なのだろうか。



「うわ。完全に手なづけてる」

先輩が若干引き気味にぼそりと何か呟いたけれど、僕らは気づいていなかった。




温室に散らばっていた資材は業者がある程度取っ払ってくれたらしく、少しの掃除と、それぞれのスペースにそれぞれの薬草が育ちやすくなるようにブレンドした土を入れればいい状態になっていた。ちなみにその土の配合も先生が行ったのだという。


先輩は目を輝かせ、その配合割合をメモしていた。



俺と先輩が荷車を使ってやっとの思いで土を運ぶ中、フォルカーは両肩に土嚢を何個も担ぎ、せっせと何往復もしていた。それも、涼しい顔のままで。


先輩はそんなフォルカーの様子を見て青ざめ、俺に耳打ちをしてきた。

「えっと、、彼が怪力だって言うのは噂で知ってたんだが、その、すごいな」

「助っ人としては最高でしょう?」

「あぁ。君が誘ってくれたんだよな、ありがとう」

エルマーさんは柔らかく微笑んだ。この人はそんな表情もできるのかと少し意外だった。


俺たちもフォルカーに負けじとせっせと土を運んだのだった。



作業は予定よりも少しだけ早く終わるに留まった。

土の搬入まではフォルカーの活躍もありかなり順調だったけれど、途中で様々なトラブルがあったのだ。


まず、土をならす作業で問題が発生した。

フォルカーは虫が苦手だったのだ。特に、ウネウネと動く幼虫だのミミズだのといった類が。

土にはたくさんのそういう虫たちがおり、フォルカーはフリーズしてしまった。


彼とは長年友人をしているが、そんなことも知らなかった自分にあきれてしまった。他人に興味がなさすぎたことがこんなところで仇になるとは思ってもいなかった。これは本格的にフォルカーに謝罪をしないといけない。


「さ、さっき担いでた土嚢に、あんなにたくさんいたなんて!!気持ち悪い!」

フォルカーはひどく青ざめていた。

「袋に土入れてるときに気が付かなかったの?それにこの子達はは土を良くしてくれるありがたい存在なのよ」

先生はそういうものは平気らしく、平然と作業をしながら言った。


俺は先生は虫が嫌いだろうと思いこんでいたのでとても意外だった。


結局フォルカーは残っていた資材の撤去と苗を台車で運ぶ仕事をすることになったのだった。



次に、苗の植え替えの時に問題が発生した。俺と先輩が一部の苗の植える位置を間違えたのだ。

「残念だけれど植え直しだわ。ごめんなさい、私の指示が甘かったわね」

「俺としたことが!ナファトスとニールガルンを隣同士に植えてしまうなんて!!」

先輩は頭を抱えていた。

俺は全く意味がわからず首をかしげることしかできなかった。

そもそも2つの植物は酷似しており違いが全くわからなかった。俺はてっきり同じ植物を植えているだけだと思っていた程であった。

「先輩、すみません」

「違うんだ、リットくん。君は悪くない。このナファトスとニールガルンは自然交配可能でね。ただ、そうやって交配してできた種は、成長して花を咲かせても実や種をつけないんだ。それだと繰り返して栽培できなくて」

「そうなのよ。本当はどちらか一種類だけの栽培にしようかと思ったんだけれど、どっちの効能も捨てがたくて。なるべく離したところで栽培して様子を見てみようと思ってたのよ」

先生曰く、ナファトスは火傷や切り傷などの外傷向き、ニールガルンは頭痛や腰痛など内部の痛みに効くものらしい。これらの交配種は両方の効能を持つが再生産はできないので交配させないのが正解らしい。


「そうだったんですね」

「じゃあ、ニールガルンのほうが少ないからあっちに移しましょう」

先生の一声により、俺たちはせっせと苗を植え直したのだった。



各自の作業を終え、俺達は温室の真ん中らへんに集合していた。

「あれ、そのスペースは?」

俺は目の前にある何も植わっていない場所を指差した。

「あぁ。そこは先生のプライベートゾーン。先生、ルロの木の苗を植えるって言ってましたっけ?」

「ええ。自宅の裏で栽培してたのだけれどだいぶ大きくなったから近々こっちに植え替えるのよ」

エルマーさんの言葉に先生は"笑顔"で答えた。

余談ではあるけれど、先生には2種類の笑顔があり、今回のように目があまり笑ってない時があるのだ。俺はこの笑顔を"学校医スマイル"と呼ぶことにしている。

「なんでルロの木?そのへんでたくさん栽培してるでしょうに」

俺は首をかしげながら言った。

ルロの実はシェナヴィーゼの郊外でも盛んに栽培されている。赤くて甘酸っぱい実はデザートだけでなく様々な料理に幅広く使われているポピュラーなものだ。

「特殊な品種なの。ふふ。早く収穫したいわ。あと数年で実をつけるはずだわ」

「そんなにルロの実が好きなんですか?」

「いいえ。これがあれば助かるかもしれない人がいるのよ」

「助かるって、どんなですか。たかがルロの実で」

フォルカーが俺が思ってたことを代弁するかのように言った。

「たかがルロの実、されどルロの実よ」

先生は少しだけ照れながら笑った。


これは学校医スマイルではなく本気のやつである。不覚にも可愛いななどと考えてしまった自分がいた。それと同時に、先生にこんな顔をさせるその人を羨ましいとも憎いとも思ってしまう自分がいた。もちろん心の中で温室のガラスに頭をガンガンとぶつけたのは言うまでもない。



「さぁ、手や顔を洗ってきなさいな。私はお茶とケーキの準備してくるから医務室のテーブルで待ってて」

そういうと先生は医務室の隣にある備蓄室に入っていった。




エルマーさんもイレーネさんも甘党らしく、フォルカーとどこのケーキが美味しいだのと情報交換をして盛り上がっていた。


俺は先生の手伝いでもしようかと備蓄室へ向かった。



外から備蓄室に繋がるドアをノックした。

反応がなかったので俺はそのまま部屋に入った。


備蓄室の奥には小さな給湯スペースがあり、そこに先生の後ろ姿があった。

先生は俺に気づいていないようでお茶の準備をしているようだった。


俺は一瞬固まった。


先生が魔法でお湯をポットに注いでいたのだ。

湯気の出ているお湯らしきものが空中の何もないところ現れては注がれていく。


「す、すみません、ノックしても返事がなかったもので」

先生はポットにお湯を注ぎ終わるまで無言だった。

その時間がとても長く感じられた。


「応用魔法は集中を切らすと魔法が途切れてしまうのよ。もう。見ないでよエッチ」

先生はこちらを振り向くと茶化すように言った。

「人を覗き魔かのような言い方しないでくださいね。ってか、入ってきたのがイレーネさんとかエルマーさんだったらどうするつもりだったんです?!」

「その時はやめてたわ。ノックの仕方で坊やだとわかってたからそのまま続けたのよ」

先生のその些細な言葉に嬉しくなってしまう自分おり、ニヤけそうになる顔を必死に隠そうとした。


「それならよかったです。いつもこんなことを?まさかお湯までも魔法で出していたとは」

「嫌なら飲まなくて結構よ。まぁ、普通は気持ち悪くて飲めないでしょうけど」

でも普通にお湯沸かすのは面倒くさいのよね、と肩をすくめたのだった。

たしかに魔法が使える先生からしてみれば、裏の井戸から汲んできた水を鍋に移して火をおこして調節して、、という作業は面倒だろう。

「気持ち悪くなんてないですね。逆に興味があります。その水はどこから現れてるんですか?」

「さぁ?でも安全性に問題はないわ。自宅で細菌検査とかしてみたけど何もいなかったし。ミネラル分とかは多少含んでるみたいだけど。清潔すぎる湧き水って感じ?」

感じ?と聞かれても困ってしまう。

「自宅で細菌検査って。先生、本当に何者なんですか?」

ツッコむべきはそこであった。

「正確にはうちの下でやらせてもらったのだけれどね。まぁいいわ。私、多趣味なの」

先生はニコリとして答えた。うちの下、もよくわからなかったけれど何からツッコんでいいかわからない。

「多趣味すぎるでしょうが。しかも細菌検査を趣味に入れないでもらいたいものですね」

「あら、大切なのよ?水が汚れてたら私達の体はあっという間に汚染されてしまうもの」

「それはそうですけどね。それにしても相変わらずいい香りのお茶ですね」

俺は話題を変えた。この前と同じカモミールの華やかな香りが備蓄室に広がっている。

「ふふ。カモミールをベースに、リーゲなどを配合したものなの」

「リーゲとは?」

「ハート型の葉をした、水がきれいなところにしか生えない植物よ。独特の風味がカモミールと合うの。まぁ、うちの村の特産品の一つね」

「でましたね、村の特産品。先輩が喜びそうですね」

「あら、嫉妬なの?」

先生はニヤニヤしていた。この人は調子に乗ると少しばかり面倒くさい。

そんなところもまた人間らしくていいなとは思うけれど。


「してません。断じてしてません」

「そう。ふふ。エルマー坊っちゃんがリーゲまで当てられたら本当に彼女を紹介したいくらいだわ。薬草オタクな私の天使。坊やにだけ言うとね、あのルロの木は彼女のためのものなの」

先生は終始照れくさそうにしていた。


俺は心の中で舌打ちをした。

とりあえず男じゃないだけましだとしよう。


「天使、ですか」

「ふふ。それはそれは麗しいのよ」

「先生は、その子が好きなんですか?」

「ええ、もちろん」

先生は満面の笑みを浮かべた。


「先生は、ロリコンでもあったわけですね」

俺は少しだけそっぽを向いた。

胸の中にあるのはあまり心地良い感情ではなかった。

最初にエルマーさんに抱いた感情と酷似している。



俺はまだこの感情の正体を知らなかった。



「あぁ、そっちの好きではないわ。強いて言うなら恩人かしらね」

「恩人ですか。10も違う少女が?」

「機会があれば話すわ」

「そればっかりですね。あ、、」

「何かしら?」

「何でもないです」

本当はエルマーさんに対する口調が自分のと違うことを聞きたかったけれど、どう切り出していいかわからなかったのでやめた。


「そう。あら、そろそろお茶がいい頃合いかしらね。今日は暑いのでアイスティーにしちゃいましょうか」

そういうと先生は戸棚からきれいに磨かれたグラスを取り出した。それはこの前お茶を頂いたときに使った二重構造のグラスだった。


『アイス』

そう先生が唱えると、空中から2センチ大ほどの立方体状の氷がいくつも出てきてはカランコロンと涼し気な音を立ててグラスに入っていった。氷は気泡も入っておらず無色透明でキラキラと輝いていた。


昔はあんなに不気味に思っていた魔法はこんなに美しいものだったのだ。


人族が魔族を排除しようとしたのは、この美しさが決して手に入らないからかもしれない、そんなことを考えてしまった自分がいたのだった。


「すごい」

「日々の訓練も兼ねてるのよ。ちょうど私が使える魔法が水と火と氷なのでお茶を淹れるのが最適なのよね」

ラッキーだわと先生は嬉しそうにして言った。

「さっきの呪文は村で教わったんですか?」

「お湯を出したのはそうね。氷の方は基本呪文っていうのだけれど、これは幼い頃から勝手に言えるものらしい(・・・)わ。イズールの神話では、魔法の適性がある者は、まだ言葉もしゃべれないほどのときに自分に合う属性の妖精(ニュンフェ)から力を授かるのだと言われてるらしいわ。そのときに基本の呪文を教わるんですって」


「なんだかロマンチックですね」

「そうね」

「らしいってことは、その、、」

俺は踏み込むことを躊躇し、中途半端に尋ねてしまった。先生は対して気にする様子もなく返してくれた。

「私は小さいときの記憶がほとんどないから正確にはわからないのよ。でも運良く火の魔法だけは思い出せて、それで屋敷を逃げ出せて王宮で保護してもらえたの」

「そうだったんですね」

この国は非常に大きなことを隠しており、俺はその重大な秘密を知ってしまったのだ。他言などしようものならば、メーヴェとはいえ次男である俺は簡単に消されてしまうかもしれない。


先生はとんでもない秘密を俺に教えてくれたのだ。

なんとしてもこの秘密を守り抜かないといけない。



先生は冷えたグラスに先程のお茶を注いだ。氷はみるみる溶け、お茶は温度を失い湯気が出なくなった。

先生はグラスから一口飲んだが、少し顔をしかめた。

「ぬるいわね。氷を足すわ」

先生はまた氷の呪文を唱えた。ちゃぽんちゃぽんと氷が落ち、グラスの中で涼し気な小気味いい音を立てた。


「こんなもんかしらね。んー、いい感じの疲労感ね。よし」

先生はぐーっと伸びをした。

そんな姿もまた無防備で可愛、、いけない。今日は何度壁に頭をぶつけることになるのだろうか。心臓も変な動きをしている。

「なんか、お疲れさまです」

俺は平然を装いそう言った。

「ありがとう。今の季節だと氷を作るのに魔力がそこそこいるのよ。氷は得意だからそこまで疲れるわけではないんだけれどね」

先生は失礼、というと口元を手で押さえながら小さく欠伸をしたのだった。


俺の心臓は忙しなく仕事をし続けていた。

本当にやめてほしい。


「魔力は底なしってわけではないんですね」

「ええ。外気温や天候などいろんな条件で消費する魔力量が変わるんですって。当然といえば当然なのでしょうけども」

「不思議ですね。すごいな、魔法って」

俺は本心のままそう言った。

自分も魔法が使えればもっと先生といろいろな話ができるのにと思ったのだ。

「ふふ。リット坊やは変わってるわね」

「そうですか?」

「普通なら不気味がるところよ」

「いや、まぁ、先生ですし。別に不気味がる必要はないでしょう」

「嬉しいわ。さぁ、3人のところに行きましょうか。せっかく来たなら運ぶのを手伝ってくださいな」

「そのつもりで来たんですよ」

「坊やは本当に紳士ね。将来有望だこと」

「お褒めいただきありがとうございます」

俺たちはクスクスと笑い合った。


先生は本当に謎の多い人だ。

エルマーさんがお気に入りなのかと思えば、彼に対しては学校医スマイルしか浮かべない。


自分が一番気に入られている、とまでは思っていないけれど、そこそこ良好な関係は築けているはずなのにどうも掴めない。



まぁ、今は先生の淹れてくれたお茶を楽しむとしよう。



こうして俺たちは作業終わりのティータイムを満喫したのだった。




◇◆◇


西に日が傾きはじめた頃、俺達3人は医務室を後にした。



俺とフォルカーは南門まで先輩を送ることになった。

「今日で作業を終わらせられたのは二人のおかげだ。本当にありがとう。二人とも、来年度保健委員会に入らないか?」

先輩は真面目な顔で俺たちに聞いてきた。

それに対して真っ先にフォルカーが口を開いた。

「僕はパスです。害虫から薬草を守ったりしないといけないんですよね?想像しただけで蕁麻疹が出そうです。すみません」

フォルカーはエルマーさんに頭を下げたのだった。

「無理強いはできないからな。残念だ。リットくんはどう?」

「前向きに検討してみます。新しいクラスに他にやりたい人がいるかもしれないので何とも言えませんが」

「えっ?!リット、やるの?!稽古の時間減るんだよ?」

「学生のうちにしか経験できないだろ?」

「ふーん。まぁ、あの人と関われる時間も増えるしね。俺もやっぱりやろうかな」

「リットくん、もしかして保健委員会に誰か気になる人でもいるのかい?」

「いや、そういうわけじゃ」

「そうなんですよ、先輩。この僕という者がいながらリットは他のやつに夢中で!」

フォルカーはシクシクと泣く真似をした。

「そ、そうか。なんか踏み込んではいけない領域があるようだな」

先輩は少し引いていた。それは当然の反応とも言えた。

「先輩、気にしないでください。フォルカーの戯言(ざれごと)ですので」

「戯言?!そんなこと言っていいの?先輩にバラすよ?」

「ふざけんな、フォルカー!」

俺はフォルカーを捕まえようとしたが、ひらりと交わされてしまった。先輩はそんな俺達を見て笑っていた。


門が近づいてきたところで先輩は徐ろに口を開いた。

「ところで、二人は先生と接する機会も多いよな?」

「ええ、まぁ。どうしたんですか?」

俺は内心ドキリとしながらそう返した。

「今日の先生は、すごく自然だったなって。君たちもそう思わなかった?」

「どういうことです?」

「いや、気づかなかったならいいんだ。じゃあ俺はこれで。また新学期に、会えたら会おう」

「「はい、また」」


こうして先輩は自身の家が保有する馬車に乗り込んでいった。商家とはいえ跡取り息子なので馬車を利用するのは当然とも言える。さらにここ最近は誘拐事件も起こっているので間違いのない対応であった。



「なぁ、フォルカー」

「さっきの話でしょ?リットは気づいていなかったんだね」

フォルカーには何でもお見通しだった。さすがはフォルカーである。

「何のことだか全然わからないんだ。先生はエルマーさんと話してる時は少しテンションが高い気がしたけれど」

フォルカーは小さくため息をついた。

「それなんだよ。結論から言うとさ、あの人、普段はもっとチャラチャラしたオネエなんだ。ずっと前フランツも言ってたでしょ?」

「そういえば」

それはフランツのリリーへのプレゼント選びに同行した時のことで、フランツは確かにそんなことを言っていた。


「むしろ僕はそれが普通だと思ってたから、先生からカミングアウトされたときのテンションの違いについていけなかった。あの人、キャラ作ってたんだなってさ。ちなみにあれ以降は俺に対してもテンション低めになったから、リットと接してるときのが彼の普通なんだろうね」

「そうだったんだな。でも、他の生徒の対応してるとき、そんなに違和感はなかったと思うんだよな」

俺が医務室を利用するとき、他の生徒がいることや入ってくることは珍しくはない。その時はそんなに違和感を感じなかったはずである。

「多分、今日みたいな感じだったんじゃない?リットがいるとそっちに引っ張られちゃってたりして。あーぁ、だからこんな話したくなかったんだけどさ、君が嬉しそうにニヤニヤしてるのを見たくてつい話しちゃうんだよね」

「あっ、いや、これは」

俺は無意識のうちにニヤニヤしていたらしい。俺は恥ずかしくて腕で顔を覆った。

それを見てフォルカーもニヤニヤしている。

「そうやって悶えてるといいと思うよ。ったく、リットも人が悪いんだから。フルーツタルトのことを先生に言ったのはリットなんでしょ?」

「バレてたのか?!」

「やっばりそうだったのか」

「あっ!!」

俺はまんまと墓穴を掘ったらしい。フォルカーのニヤニヤは止まらない。

「周りには甘い物が好きだって公言してるけど、あのフルーツタルトのことまでは言ってないもん。でもさ、嬉しかったよ。君がわざわざ僕のことを呼ぼうとしてくれてて。ってか、リットが直接頼んでくれれば二つ返事で引き受けたのに」

「俺が先生の用事を君に頼んだら、その、嫌がるかと思って」

「嫌だけど君と一緒に居られるのは楽しいからね。まぁ、虫は予想外だったけど」

「それは俺も予想外で。まさかあんなに虫がいるとも、フォルカーがあんなに虫が嫌いなのもわかってなくて。ごめん」

俺は両手を合わせてフォルカーに謝った。

「だからさ、今度二人きりでデートしよ?エルマーさんに美味しいチーズケーキの店を教えてもらったんだ」

「これが狙いか!お前って実は腹黒いよな」

俺はジト目でフォルカーを見た。彼はフフッと涼しく笑うだけだった。

「何言ってるの?リットには負けると思うんだけど」

「え?俺、腹黒いか?」

「気づいてないの?まぁいいや。で、返事は?」

「わかった。二人で出かけよう。俺もちょっと買いたいものがあってさ」

ユキワスレ茶や日頃のお礼を形にしたいと思ってたところであった。それをフォルカーと一緒に居るときに買うのは少し気が引けるけれど。


いや、引く必要はないか。

先生への尊敬の気持ちにやましさなどないのだから。


「ったく!そうやって先生のことになるとニヤニヤするのやめてもらえる?」

「ニヤニヤなんかしてないだろ?」

「ほんとに鈍感すぎでしょ?まぁいいや。本当は満月祭の日がよかったけど、レニーとミランと四人で会う約束しちゃってるしね。来週末にしない?」

「そうか、明後日は満月祭だったな。わかった」




こうして俺たちは初めて二人で出かけることになった。



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