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20話 帰郷前のひととき


7の月23日目のこと。

大会で優勝した2日後の今日、俺は午前から医務室を訪れていた。

優勝の報告と、これまでのお礼を言いたかったのだ。


今日は馬車ではなく徒歩で学園に来た。

ブルーノには多分跡をつけられていないはずだ。

まぁ、あいつのことだからどこかに潜んでいるかもしれないけれど、別にやましいことがあるわけでもないので放っておくことにした。



俺は医務室のドアをノックした。

「あら、坊や。いらっしゃい。もう領地に帰ったものだと思っていたわ」


先生は自席で何か読み物をしていたようで、それを切り上げるとぐーっと伸びをした。

イレーネさんは居なかった。



「明日帰るんです。その前に先生に会っておきたくて」

「ふふ、嬉しいわね。私も坊やに会いたかったの」

先生は微笑みながらそう言った。


その言葉に胸が高鳴った。



"って!何ドキドキしてるんだ、俺は!!"

俺は心の中ですぐ隣の壁に頭を打ち付けた。


先生はこちらを見て少し首を傾げていたけれど、とにかく座って、とテーブルのいつもの席に座るように促した。


先生は少し待っててと言うと医務室からつながっている備蓄室のドアから出ていってしまった。


俺は席に着き、テーブルの上に飾られていた赤いサルビアをぼーっと眺めていた。



「お待たせしたわね。今日はコーヒーじゃなくてごめんなさいね」

そう言いながら先生は透明な薄茶色の液体とたくさんの氷が入ったピッチャーと2つの透明なティーグラスを運んできた。


「お茶ですか?」

「ええ、ハーブティーよ。」

「ありがとうございます。なんかすみません」

「暑い中わざわざ来てくれたんだもの。これくらいはね。お口に合うかはわからないけれど」

そう言いながら先生はピッチャーからグラスにお茶を注いでいく。その度に氷がカランコロンと涼し気な音を立てた。グラスに取っ手がついているのは珍しくはなかったけれど、一般的なものより少し分厚い気がした。


どうぞ、と言われ、俺はグラスを持ち上げた。

「この香りはカモミールですか?僕好きなんです」

先生が出してくれたお茶なので基本的には何でも飲む気ではいたけれど、好きなカモミールだったのは素直に嬉しかった。まぁ、例のユキワスレとかいう薬膳茶だったとしても頑張って飲むけれども。

「ベースはね。後は何種類かブレンドしてるわ」

「え、先生がブレンドしたんですか?!」

俺は思わず大きな声を上げてしまった。

先生のブレンドティーを飲めるなんて幸運だ。俺は嬉しくて小躍りしてしまいそうだった。


「そうよ。趣味なの」

「すごいですね。早速頂いてもいいですか?」

「どうぞ」

先生の言葉の後、俺はお茶を口に含んだ。

カモミールの香りと何か別の爽やかな香りが絶妙に合っていた。後味は爽やかで夏のこの時期にはとてもありがたかった。

「とってもおいしいです!」

「そんなに喜んでもらえると嬉しいわ」

先生はいつものようにニコニコと笑っていた。


「あ、、先生?」

俺はハーブティーを半分くらい飲んだ後にあることに気づき、先生に尋ねた。

「何かしら?」

「魔法、使いましたよね?」


一瞬、静かな時間が流れた。


「ごめんなさい、嫌だった、わよね?」

先生は珍しく少しおどおどとしていた。

その様子に俺まで挙動不審になってしまった。

「いいんです!!いや、ほら、氷こんなに使ったらもったいないなって!氷室の氷でも魔法のでも!全然嫌じゃないですから!」

「よかった。ごめんなさいね、気を使わせて。魔法で出した氷なの。汚くはないから安心して」

先生は気まずそうに言った。

「透き通っててすごくきれいです。味は、、普通、ですよね?」

「ええ。そのへんのと対して変わらないとは思うわ」

これ以上これに関して質問すると先生を困らせてしまいそうだったのでこれくらいにすることにした。

俺はちゃっかりとお茶のおかわりまでもらった。



「先生、今日は報告のために来たんです。大会で無事に優勝しました。支えてくださった先生方のおかげです」

「おめでとう。本当に律儀ね。ふふ、一昨日ちゃんと観戦してたから知ってたけれどね」

「えっ?!?!」

俺は思わず椅子から立ち上がってしまった。


救護席に先生はいなかったはずである。というのも、夏の大会は万が一のために備えて本物の医者がつくことになっているのだ。

ということは先生は一般席で見ていたことになる。俺は嬉しさと恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。


「イレーネさんと二人で観に行ったのよ。坊やの決勝戦はとても見応えがあったわ。フォルカー坊っちゃんの決勝戦は、一瞬で決着がついちゃって面白みにはかけたわね」

ふふっと先生は笑った。

剣術の大会の翌日に体術の大会が行われるのだ。

先生たちは2日とも見に来てくれたらしい。

「ありがとうございます!」

俺は嬉しくて思わず思いっきり頭を下げてしまった。

先生はおおげさよ、とりあえず座って、と言った。

俺は少し恥ずかしくなって素直に席についた。

「仇をとってくれてありがとう。すっきりしたわ」

「!!知ってたんですか?!」

やはり先生は俺が稽古場の壁を殴った原因を知っていたらしい。決勝戦の相手はその先輩の一人だったのだ。

「私、悪意には敏感なの。あの子達が私のこと良くも思ってないことも知ってたわ。それで、坊やが壁を殴ったときの話を稽古長から軽く聞いたときにあの子達がそばにいたのを知っちゃって」

「それだけでわかったんですか?」

「それに、坊やは基本的には何でも話してくれるはずなのに、あの時は話してくれなかった。だから私に関することなのかもしれないって思ったのよ。ふふ、自意識過剰ね。違ってたら赤面物だわ」

先生はそう言うとお茶を一口飲んだ。こころなしか頬が赤い気もした。


今日は先生のいろんな表情が見れて嬉しい、そう思っている自分がいた。



「間違ってません。この前も少し言いましたけど、こんなにも俺たち生徒のことを考えてくれてる人なのに、それを正当に評価してもらえていなかったのが悔しかったんです」


女なら抱ける、と言ってたことにも苛ついたのだけれど、それは流石に言いたくなかった。


「ありがとう」

先生はそう言いながら穏やかに笑っていた。



俺は先生の笑顔が好きだ。

隣でずっと見ていたいほどに。



"って、何てことを思っているんだ!"

俺はまた心の中でテーブルに頭をガンガンとぶつけたのだった。



俺は最近おかしい。

いや、正確に言うと、3の月のオッターの事件があってからずっとだ。


時々、先生に対する気持ちが"尊敬"を超えてしまっているような気がするのだ。胸が高鳴ったり、触れてみたいと思ってしまったり、それはまるで、、


「坊や、大丈夫?」

俺は先生の言葉にはっと我に返り、大丈夫ですと答えた。

先生は心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。

俺は恥ずかしさから頬が熱くなるのがわかった。



「ところで、私が話したかったのはね、」

先生は少し声のトーンを下げた。


「ブルーノさんのこと。単刀直入に言うわ。気をつけてほしいの」



「え?」

まさか、先生がそんなことを言うとは思ってもいなかったので驚いた。

先生は基本的に人の悪口の類は言わない。そんな人が気をつけろというのだからよほどのことがあるらしい。


「ごめんなさいね。あなたと従者がずっと一緒に居たのはわかってるし、それに私が口を挟んでいいわけじゃないのもわかってる。それでも、、この長い休みの間に"逆戻り"してほしくなくて」

先生は紺色の瞳を少し伏せた。切れ長な目を覆うまつ毛の長さがより目立っていた。


先生の言葉によってようやく確証が得られた。

やっぱりそうだったのだ。


「俺も同じことを思っていました。俺は、取り戻した感情を手放したくないんです。もう二度とあいつの操り人形に戻る気はありません」

それは俺の決意とも言えるものだった。


「彼もね、そんなつもりはないのかもしれないし、悪意なんてこれっぽっちもないかもしれない。貴族としてはそれが正しいのかもしれない。でも、私は、、」

「ありがとうございます。俺は貴族である前に一人の人間でありたいんです。感情を捨てていいわけがない。ブルーノの意図がどういうものかはわかりませんが、俺はもう従いたくない」


俺のその言葉に、先生はほっと胸をなでおろしていた。


「私、メーヴェに殺されるかしら」

先生は少しだけ茶化すように言った。でも、瞳の奥には不安も見え隠れしているような気がした。

「それはありえません。両親は人徳を大切にしている人たちです。感情のない機械を造り出そうなんて考えているわけがありませんから」

「よかったわ」

「でも、ブルーノには用心してください。先生のことをよく思ってない節があります。何かあればすぐに俺に言ってください。どうにかしますから」

「頼もしいわね」

「俺のことに先生を巻き込んでしまったんですから。この埋め合わせはいつか必ず」

「一丁前のこと言っちゃって。この一年で大人になったわね」

「ちょっと!真面目に言ってるんですからね!」

「はいはい」

先生はニコニコしたままそう返事をしたのだった。




二口分ほど残っていたお茶を飲んでしまおうとした時、俺は違和感を覚えた。



「先生?」

「何?」

「水滴がつかない魔法ってあるんですか?」

そう、グラスには一切水滴がついていなかったのだ。普通であればグラスに冷たいものを注げば結露が着き、コースターやテーブルなどが濡れてしまうはずである。


先生はふふっと軽く笑った。

「それは魔法じゃないの。うちの人たちが開発したのよ。これ、ガラスが二重になってて結露が出にくい構造になってるの」


「すごいですね!こんなの初めて見ました!ん?うちの、人たち?」

「ルームシェアをしてる、それぞれの趣味を極めるための仲間がいるのよ。あ、13の月だったかしら?仲間の一人と一緒に歩いてるところを見られてしまったわよね?」

俺はあのときの黒髪の男の人を思い出した。

半年も前のことだけれど鮮明に覚えていた。


たしか、彼も先生の同郷だと言っていた。ということは、、


「先生、あの男の人も、まさか」

「ええ、コンバーターよ。ってか、趣味仲間は全員そうなの。身を寄せ合って楽しく生きてるわ。みんなそこそこ科学にも詳しいからいろんな開発ができて楽しいのよ。このグラスも手が濡れるのが嫌だわって言ってた仲間の発案で作り始めたんだけど、案外すんなり完成したのよね」

先生はすごく楽しそうに話していた。


全員、ということは他にも数名いるということなのだろう。

コンバーターや魔法といったものは随分と身近にあるらしい。


「世の中は俺の知らないことばかりだったんですね」

「知らないほうがいいことは山程存在するのよ。ふふ、ごめんなさいね、巻き込んでしまって」

「いえ、いいんです。俺が望んだことですから。ってこのグラス、画期的過ぎて大ヒットするんじゃないんですか?」

俺はグラスを手に取りながら言った。

少し重いけれど、水滴がつかないというのは大きな利点である。

ところが先生は首を横に振った。

「あまり量産はできないのよ。というか、今の技術だと魔法を使わないと作るの難しくて。今はここと、研究会と、"お偉いさん"のところに少しあるくらいね」

研究会ってのが趣味仲間の集まりのことね、と先生は付け加えた。

それは量産は難しいだろう。魔力も消費するだろうし、作り方がバレたらとんでもないことになってしまう。それよりも、、

「お偉いさん、とは?」

俺は気になって仕方がなかったので聞いてみた。

「秘密よ。そのうちね」

そう言うと先生は満面の笑みをこぼしたのだった。

「ほんとにそればっかりですね」

俺は少し膨れてみた。先生はこれに弱いらしいからだ。

「その手には乗らないわ。可愛いけれどね」

「ってか、先生は可愛いっていいますけど、先生と同じくらいの背になりましたからね」

俺は少し癪だったのでそう言い返した。

事実、俺の身長は先生とほぼ変わらないくらいになっていた。むしろ俺のほうが数ミリ高いくらいだと思う。


「わかってるわよ。ここに来る度に伸びてる感じがしてたもの。ふふ、成長期っていいわね」

「先生はもっと伸びたかったんですか?」

「いいえ、丁度いいくらいだわ。やっぱり自分より高い人が好きだし、選ぶ幅がこれ以上狭くならなくてよかったわ。って、生徒相手に何言ってるのかしらね」

夏季休業期間だから許してね、と先生は笑ってみせた。


本当はもっと先生の好みについて聞きたがっている自分がいた。

けれど、これ以上考えてはいけないとストップをかける自分もおり、今回は僅差で後者が勝った。


「もっと伸びるように規則正しい生活を心がけます」

「それはいいわね。あら、もうこんな時間なのね。帰らなくて平気?」


医務室の時計は昼どきを指していた。

これはまずい。あまり遅いとブルーノに小言を言われてしまう。


「長居してすみませんでした。お邪魔してしまってすみません。ハーブティー、すごく美味しかったです」

俺はペコリと頭を下げた。

「楽しかったわ。こんなにたくさん話したのは久しぶりね。では、楽しい夏季休暇を」

「はい。先生もお元気で。さようなら」

俺はニヤけそうになるのを必死に堪え、医務室を後にした。


先生に楽しかったなどと言われては平然としてはいられなかったのだ。



俺は本当にどうしてしまったのだろうか。



とりあえず今はブルーノに深入りしないようにしよう、俺はそう自分に言い聞かせた。




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