18話 師匠の受け売り
5の月も半ばになった。
爽やかだった風は段々と夏特有の暑さを含むカラリとしたものに変わってきた。
一年生でいられるのも半年を切った。
この7ヶ月は本当に有意義なものだった。
今までになく刺激的で、なんと言っても生きている心地がした。
それもこれも全て先生に出会えたことが大きい。
彼には感謝してもしきれない。いつかこの恩を返したいと思っている。
俺の心は少しずつ色々な感情を取り戻している気がした。
先生がたまに魔法や故郷の話をしてくれると楽しいし、医務室を利用した生徒が先生の技術を褒めているのを聞くと嬉しくなる。先生がフォルカーと言い合いをしていると仲が良さそうで羨ましく感じるし、他の生徒が先生の悪口を言っているのを聞くとムカつくのだ。
先生に関することばかりなのは気のせいだろうか。まぁ、尊敬する人を崇める気持ちは宗教のそれに似ているのだからしょうがない。俺は女神教信者ではあるけれど、昔から形式的なものだと割り切っていた。そこに現れた先生は、実在しない女神さまよりも確実にいい影響を与えてくれているのだ。縋る、というと少し重い気もするけれど、もっと先生からはたくさんのことを学びたい。
そんな先生がしてくれたありがたい話があるので紹介したいと思う。
◇◆◇
それは2週間ほど前のことである。
俺は稽古場での怪我で医務室を訪れており、処置後にテーブル席に腰掛けていた。
「坊や、どうしてこんなことしたのよ」
向かいに座っていた先生は大きくため息をついた。
「それは」
俺はテーブルの下で、先生が処置してくれた左手の甲をガーゼ越しに撫でた。先生曰く、殴ったときに中手骨という骨にヒビが入ったかもしれないそうだ。痛みはあるけれどそこまでの腫れはないので多分大丈夫だろう。
「言いたくありません」
俺は答えなかった。
理由が理由であったし、これは俺の中で大きな"失敗"でありそこから目を背けたかったのだ。
今日の剣術の稽古の休憩中、三年生の先輩達が先生の悪口を言っているのを聞いてしまったのだ。気持ち悪いだの触られたくないだの、挙句の果てには女だったら抱けるだのと散々なことを言っていた。
俺は怒りを抑えられず稽古を切り上げ、稽古場の分厚い壁を思いっきり殴ってしまったのだ。
それを稽古長に見られ、医務室送りになった。
治療後は稽古長と担任、学年主任などに事情を説明するために職員室に行かなければならないので気が重い。
そこに、イレーネさんがコーヒーを淹れてきてくれた。
彼女は俺と先生が話し込んでいるとそっと気遣ってくれるのだ。そんな姿を見ていると領地にいる母さんを思い出すのだった。
俺と先生はイレーネさんにお礼を言った。彼女はどういたしましてと言うと自席に戻り、何やら薬草らしきものをすりつぶし始めたのだった。
俺たちはコーヒーを飲んだ。
深い香りとほんのりとした酸味が口いっぱいに広がる。イレーネさんの特別ブレンドらしく毎回少しずつ味が違うのもまた嬉しかった。
そんなに医務室に入り浸っているのかって?1、2週に一度くらいのペースである。ちゃんと常識の範囲内で収めている。
「でも、安心したわ。こんなこと言うのは少し違うのかもしれないけどね」
先生はコーヒーカップをテーブルに置きながらそう言った。
「安心した?」
「何か嫌なことがあったのよね。顔に書いてあるわ」
先生には何でもお見通しなようだ。
「はい」
「暴力は褒められるもんじゃないわ。でも、心の動きとしては悪くない。その衝動を抑える方法は覚えないといけないけれどね」
先生は穏やかな顔つきで言った。
俺はそれに違和感を覚え、思わず尋ねてしまった。
「先生は怒らないんですか?頭に血がのぼるなんて、ましてや暴力で解決しようなんて理性的でないって」
俺はその言葉を自分で言っておきながら暗く沈んでいった。
「それは誰に言われたの?なんとなく想像はついてるのだけれど」
先生は少し困ったような顔をした。
「ブルーノです」
「やっぱり。ねぇ、それはいつ頃の話?」
「ずっと昔です。初等部の頃ですかね?最近はなんの問題も起こしてないので久しく言われてないですけどね」
先生が、一瞬とても冷たい顔をしたように見えた。
俺は突然のことに驚き何度か瞬きをした。すると先生の表情は先程のものに戻っていた。
多分気のせいだろう。
先生は一呼吸置くと、徐ろに口を開いた。
「私の師匠からの受け売りなんだけど、話してもいい?」
俺はその言葉に心を踊らせた。何かいい話が聞けるに違いない。そう直感したのだった。
「ええ」
「失敗しても許されるのは学生の特権だって。彼女は何度も私にそう言ってくれたわ」
俺はその言葉の中でどうしても気になったことを聞いてしまった。
「え、師匠って、女の人だったんですか?!」
「そうよ?言ってなかったかしら?」
60代に差し掛かったおばあちゃん先生よ、と付け加えた。
「てっきり男の人なのかと。医者といえば男の人というイメージがあって」
俺はずっと師匠にモヤモヤとした気持ちを抱いていたのだ。先生は師匠に恋愛感情を持っていたから弟子入りしたのではないかと。
「そうね、女医はまだまだ少ないものね。まぁ、性格は男みたいなもんだわ。ただのサバサバってもんじゃないのよ」
先生は遠い目をした。
先生は師匠の話になると時々こうなる。よほど修行が辛かったらしく、それを思い出す度に少しフリーズしてしまうらしい。
「すみません、話が逸れてしまって。失敗しても許されるのは学生の特権、ですか」
「そう。私ね、昔自分の性別のことで悩んでたの。それで色々あって周りと心を通わすことを諦めてしまった時期があったのよ」
俺は先生の言葉に驚きを隠せなかった。
「先生にもそんな時期が?」
「ええ。そんな時、師匠と話す機会があって彼女にたしなめられたわ。学生のうちにたくさん失敗してたくさん経験を積んで、大人になったときに誇れる自分でいれたら素敵だろうって。そこから考えを改めていろいろやってみようとしたの。周りとも頑張って関わろうとした。もちろんうまくいかなかったこともたくさんあったけれど、最終的にはよかったと思ってる」
先生の紡ぐその言葉たちは宝石のように輝いている気がした。それは先生がそれらを大切にしていたからかもしれない。
「誇れる自分」
俺はそう復唱した。
「だからね、私は生徒たちに一生懸命にいろんなことに挑戦してほしいし、たくさん失敗してほしいの。そうやって私は前を向いて生きていこうって思えるようになったから」
先生の瞳はいつもより輝いている気がした。
俺は気になっていたことを口にした。
「先生、失敗は惨めなものではないのですか?」
「違うわ。人は失敗から多くのことを得るのよ。もちろんわざと失敗しなさいと言ってるわけではないけれどね。一時的には惨めに感じることもあるかもしれない、けれど大切なのは失敗してしまった後どう立ち直ってどう今後に活かすかなのよ」
「あまり失敗したことがないので、いまいちわからない感覚です」
「坊やが言うと嫌味に聞こえないのがすごいわね。普通の人は躓いてそこから起き上がるのを繰り返して強くなっていくのよ。ふふ、私も未だに失敗ばかりしてるしね」
「先生が?!え?!」
俺は思わず大きな声を出してしまった。
「この前も大きな失敗をしたでしょう?」
先生は少しうつむき恥ずかしそうにしていた。
それはオッターとのことだと一瞬でわかった。たしかに、最初に彼の脅しに乗ってしまったことが先生の大きな失敗かもしれない。
先生でも失敗するんだ。
そう思ったらすっと気が楽になった気がした。
あれ、今まで失敗を恐れたことはなかったはずだ。何で気が楽になったんだろう。
いや、違う。
全くの逆だ。
それに気が付き体が少し震え始めた。
「先生、俺。あ、じゃなくて、僕、、」
俺はとっさのことに一人称を間違えた。それほどに動揺していたらしい。
「どうしたの?」
「僕は、失敗することが怖かったのかもしれません。だから何事にも本気になれなかったんです。本気でやって失敗したら、逃げ道がないから。本気でなければ失敗しても言い訳ができるから。偶然にも失敗することはあまりなかったけれど」
「そう」
先生は他にも何か言いたそうにしていたように見えた。
俺の中には心の奥を伝える怖さと、誰かに聞いほしいという気持ちが入り乱れていた。
きっとこの感覚こそが、俺が抱える一番の問題だと直感していた。
「人間関係もそうです。誰にも寄り添おうとしなかったのは、拒否されるのが怖かったから。拒否されることは失敗だから。どうでもいいと思うようになったのは、失敗を認めるのが怖かったから。心が動かなくなったのも、、」
「坊や、一旦落ち着いて」
先生の言葉で我に返った。
「すみません。なんだかいきなり色々溢れて来てしまって」
「これは予想以上に手強いわね」
先生は真顔で何かをボソッと言ったけれど俺にはうまく聞き取れなかった。俺が聞き返すもなんでもないと言われてしまった。
「私もまだ成長途中よ。成人して3年が経つけれど、誇れる自分になれたかはわからないわね」
「先生は、十分に誇れると思います。カッコいいです」
「キレイ、のほうが嬉しいわ」
先生は冗談交じりに笑いながらそう言った。
「もちろんキレイだとも思います。いや、見た目って言うよりも、中身が。先生は自分の間違いを素直に認めるし、何と言ってもいつも俺たち生徒のことを考えてくれてます」
そう思っているのは俺だけではない。よく先生にお世話になっている稽古場の生徒たちや、先生が顧問を務める保健委員会の生徒たちも先生を信頼しているようでそういう話がよく俺の耳にも入ってきていた。
今回の先輩たちはそこそこの実力者で先生と接する機会が少ないので好き勝手に言っているようだった。
あいつらのことを思い出したらまた腹が立ってきた。
「それは買いかぶりすぎよ。高いお給料をいただいてるから、その分きっちりと仕事しているだけ」
先生はニコニコしながら言った。
「ちょっと切ない!」
まさかお金の話が真っ先に出るとは思わず、俺は思わずツッコミをいれてしまった。
「ふふ。大丈夫、ちゃんと生徒たちは好きよ。あ、変な意味じゃなくてね。でもここの生徒たちは失敗を恐れすぎて無難に過ごしがちなのよね。もちろん坊やも含めてだけれど」
「そうかもしれません。幼い頃から失敗は失脚につながると習ってきましたから」
それは授業でというよりも、後継者教育の中で口うるさく言われたことだった。失敗は惨めで許されない、完璧にこなせないのであればなるべく避けるべきだとブルーノから教わっていた。授業や学校生活の中ではそこまでは言われないけれど、やはり貴族たるもの失敗は恥ずべきものという価値観は生徒や教員たちの中で根強く残っていた。
「本当に貴族様は頭が固いわ。そんな教育してるからいざ社会に出た時に躓いて立ち上がれなくなる生徒が多いのよ。学生のうちに立ち上がり方を身に着けられないんだからしょうがないわよね。まるでゼリーメンタルの量産工場だわ。」
先生はふふっと笑ったのだった。
「言い方が!!イレーネさん、先生を止めてくれませんか?!調子に乗ってしまいます!」
俺は慌てて自席にいるイレーネさんに助けを求めた。
彼女は薬草をすりつぶすのをやめこっちを向いた。
満面の笑みを浮かべながら。
「私も先生の味方だわ。ゼリーメンタルの量産工場は最高の表現ですね」
二人はくつくつと笑っていた。
「医務室が反逆者の巣窟になってる!!」
俺はツッコミを入れずにはいられなかった。
イレーネさんもまた平民出身なのでそのへんの価値観は先生と合うらしい。
「真面目な話に戻るけれど、私はね、坊やが心配だったの」
「え?」
俺は目を見開いた。
「失敗になれてなさすぎて、卒業してから潰れてしまうのではないかってね。この前フォルカーの坊っちゃんと話してた王国騎士団なんて揃いも揃ってエリート集団よ。いくら優秀な貴方でも壁にぶち当たるんじゃないかって」
「先生。そんなふうに考えててくれたんですね」
「余計なお世話だったら聞き流してくれて構わないわ」
「余計なお世話だなんて。すごく、嬉しいです」
「そもそも、16になったばかりの子に失敗するなだの、感情を完璧に制御しろってほうが異常よ。しかも幼い頃から言われてたのよね?ブルーノさんは変態だわ、きっと」
「さらっとうちの従者を変態扱いしないでくださいね。あ、イレーネさんも笑わないでくださいよ!」
イレーネさんは腹を抱えて笑っていた。
「だって先生の口から変態だなんて単語が聞ける日が来るなんて思ってなかったものですから」
イレーネさんはそう言いながらもクスクスと笑い続けていた。
先生はコホンと小さく咳払いをした。
「あらやだ失礼。まぁ、ともかく。失敗することも、感情を取り戻すことも悪じゃない。でも、今回のことはけじめはつけて来なさいな。そして過ちを繰り返さないように工夫するのも大切な経験だわ」
「はい。ありがとうございました。行ってきます」
俺はコーヒーを飲み終え、イレーネさんにもお礼を言うと医務室を出た。
先生は珍しく医務室を出てすぐのところまで見送ってくれた。
「坊や、ありがとね」
先生はそう言うと申し訳無さそうな顔をした。
"先生は俺がキレた理由を知っていたのか"
俺は目を見張ることしかできなかった。
稽古長にも理由は話していなかったから彼から聞いたというのもありえない。
本当に俺の顔に何かが書かれていたのかもしれない。
どちらにせよ、けじめをつけに西校舎にある職員室へ向かうことにした。
◇◆◇
結局、俺は壁を殴ったのは"むしゃくしゃしていたから"と話し、本当の理由を告げなかった。先生にいらない火の粉が降りかかるのを避けたかったのだ。先輩たちはなぜ俺がいきなり壁を殴ったのか知りもしないと思う。でも先輩たちには違う形で仕返しすることにした。大丈夫、合法なやり方である。
壁も少々ヒビが入った程度だったので、罰は一週間の稽古場の掃除で済んだ。
今回のことは書簡で父親の元に届くこととなった。
大げさだと思われるかもしれないけれど、貴族の子どもたちの身を預かっている学園はそういうことに敏感で、ちょっとしたことでもすぐに親元に書簡を送るのだ。
父さんは議会でこっちに来ているので明後日には書簡が届いてしまうはずだ。その前に自分から謝っておこうと思った。
もちろん父さんやブルーノには先生の話は一切しない。前回のこと(オッターの件)もあるのでなるべく先生のことを話さないようにしようと決めているのだ。
俺はこの日を境に、色んなことに本気で取り組むことにした。
失敗しても死ぬことはないし、たくさんの経験は将来誇れる自分につながるはずだと信じて。
こうして俺は自分の殻を破り始めた。




