牧場
翌朝。俺は身支度を済ませると、再びセーレの部屋を訪れた。
「今日の仕事はこれよ」
セーレから家紋らしき印が押された手紙と、怪しげな瓶が入った袋を手渡される。
「それを友人に届けてほしいの。場所はここ」
彼女が地図上で指差したのは、昨日の工場よりも更に先にある街の片隅だった。今日も歩き通しかと思うと気が滅入るが、こんな状況だ。やれることはやるしかない。
「今日はその仕事だけ済ませてくれればいいから、慎重に頼むわよ。特にその瓶の取り扱いには注意すること」
「これ、中身は?」
「それは言えないわ」
ニヤリと意地悪く言うと、セーレは背伸びをして椅子に腰掛けた。
「ま、頑張りなさいな。ソフィ、コーヒーを入れて頂戴」
「かしこまりました。お疲れのようですが朝食は召し上がりますか?」
「簡単なものでいいわ。スコーンでも持ってきて」
俺は二人の優雅な日常を尻目に、「行って参ります」とだけ言って部屋を出た。
「ここか?」
目当ての場所にはなんとか昼前に到着した。街から離れているため周囲には店もなく、人通りも全くない。そのような立地にありながら、目に入る建物はセーレの屋敷よりも一回り大きなもので、その無駄のない外観は近代の工場を思わせるものであった。
俺はしばらく歩きようやく門らしきものを見つけ、呼び鈴を鳴らした。ふと目をやると、門の横に立派な看板が立っている。
『ファーム・グラーネ』
ファーム……牧場ここが? 確かに周囲の景色はそれらしいが、動物を飼っている様子は見えない。不審に思っていると、中からメイド服の少女が出てきた。
「お待たせしましたぁ~」
気の抜けるような声に見合った、ほんわかとした雰囲気の少女だ。頭から生えた小さなツノと、メイド服を持ち上げるほどの豊かな胸。牛をモチーフとした亜人種だろうか。
「こんにちは、アルテミシアの家よりお届けものです」
「あらぁ~、お待ちしていましたぁ。実はグラーネ様からお返しに渡すものがあるそうなのでぇ、中に入っていただけますかぁ?」
「そういうことなら」
俺は建物の中に入った。接客用と思しき部屋を通り抜け、意外と狭い廊下を進む。居住用ではなく販売所なのだろうか。そのまま牛メイドに案内され、一際大きな扉の前に着いた。
「グラーネ様ぁ~、アルテミシア様の遣いの方がお越しですぅ」
分厚い扉越しにくぐもった女の声が返ってきた。
「あー、悪いけど準備がまだなんだ。しばらく時間を潰しててもらえるかね?」
「わかりましたぁ~。悪いんですけどぉ、お待ちいただいていいですかぁ?」
牛メイドの少女に上目遣いで見つめられ、思わずドキッとしてしまった。
「ええ、そういうことでしたら待たせていただきますよ」
「ありがとうございますぅ。今お茶をお入れしますねぇ~」
そう言うと彼女は廊下を戻り始める。が、しばらく歩くとふと立ち止まった。
「あのぉ、あなたって人間さんですよねぇ?」
「ええ、まあ」
なんとなくだが、彼女の雰囲気が変わった気がした。それも良くない方に。
「ここがどういう場所か分かって来たんですかぁ?」
「いやあ、主人に命じられただけでさっぱり」
警戒しながらも俺が苦笑すると、彼女は嬉しそうに言った。
「それなら、せっかくですしうちの牧場を見てみませんかぁ?」
どうやら時間潰しに中を案内してくれるらしい。俺は一瞬迷ったが、『牧場』という言葉が意味するところが気になり、結局了承した。彼女がニコりと微笑む。
この時の俺は彼女の毒気の無さにあてられていたのだろうか、ここがどういう世界か忘れてしまっていた。
「ここが飼育小屋ですよぉ」
最初に案内された部屋を見て、俺は自分の判断を死ぬほど後悔した。
そうだ、ここは、狂った世界だった――
「ほらぁ、お友達がいっぱいいますねぇ~」
牛メイドの呑気な声が耳を通り抜ける。俺は目の前の衝撃的な光景を受け入れられずにいた。
簡素な板で仕切られただけの広大なフロア。その中には丸々と太った男達が寝転がり、上から垂れ下がった管から一心不乱に何かを吸い込んでいる。
「お、新顔かい?」
近くのベッドにいた一際脂ぎった顔の金髪の男が、管から口を離してこちらを向いた。肥満という言葉では言い表せないほどのその体形では、こちらに歩み寄ることも出来ないだろう。
「違いますよぉ、この人間さんは偉い人からのお遣いで来てくれたんです。ほらアーちゃん、ご挨拶は?」
「へへ、こんちわ!」
「よく言えましたぁ~、アーちゃん偉いですねぇ~」
牛メイドの猫なで声が嬉しくてたまらないのだろう、金髪の男はにやけた顔で体を揺らした。
なるほど、ここが『牧場』か。
「ここでは人間さんを大事にだいじに育ててぇ、大きくなったら街に出荷しているんですぅ」
俺は努めて冷静な声で答える。
「ここにいる人間達は、奴隷として買ってきたのか?」
「そういう人もいますけどぉ、ほとんどはこの牧場で生まれた子たちなんですよぉ。赤ちゃんのときから栄養価の高いものをたっぷりあげてぇ、余計な筋肉がつかないようにお世話してぇ、立派なお肉になるんですぅ」
人肉に立派も何もあるか。俺は自分と同じ人間があまりに悲惨な扱いを受けているのを目にし、やり場の無い憤りをぶつけるかのようにメイドに詰め寄った。
「……やっていることの意義は分かった。だがここをわざわざ俺に見せるなんて、意外といい性格してるじゃないか、アンタ」
すると、声が返ってきたのはメイドではなく先程の男の方だった。
「ミーちゃんに酷いことを言うな!大体俺達は最高に恵まれているんだ、奴隷のお前なんかよりよっぽどな!」
「……なんだと?」
俺が睨み付けると金髪の男は怯んだ様子を見せたが、それでも言葉を続けた。
「お前のような奴隷と違って、俺達はただ寝ているだけでいいんだ! この栄養剤は外のどんな食べ物よりも旨いし、身の回りの世話だってタダでして貰える!」
隣にいた禿頭の男も口を挟む。
「そうだ、俺達は勝ち組だ! ここにいれば危険な目にも遭わず、働かなくてもいい! これ以上の幸せがあるか!?」
そうだそうだ、と周囲の男達も野次を飛ばす。
「だが、最後は無残に殺されて食われるんだぞ。お前ら人間としてそれでいいのか」
「人間なんてそんなもんだろ。他の種族と違って寿命も短いし、病気や怪我をしたらあっという間に死んじまうんだ。ある程度育つまで絶対安全なこの場所は、俺達にとっての楽園なんだぜ」
黙っていた牛メイドが言葉を続ける。
「奴隷として来る子もぉ、毎回抽選で選ばれた子だけなんですよ? うちの牧場は評判がいいから、志願して来る子が多くて大変でぇ……」
これが、この世界の人間達にとっての常識なのか。ショックのあまり黙り込んだ俺に対して追い討ちのように声が掛けられる。
「それにな、無残に殺されるってのも間違いだ」
金髪の男が下卑た笑みを浮かべて言った。
「そりゃあ死ぬのは怖いさ。でも死に方ってもんがあるだろう? ここでの死に方は間違いなく最高なものだからな、俺達は楽しみにしてるんだぜ」
周りの男達もニヤニヤしている。その目線は俺でなく、チラチラと隣にいるメイドに向けられているように見えた。
「そこまで言うならぁ、この先も見ますかぁ? きっとこの子たちの言ってる意味が分かりますよぅ」
牛メイドが微笑みながら俺を見つめる。嫌な予感しかしないが、彼らの言葉の意味が気になるのも事実だ。
「では、こちらにどうぞ~」
俺は牛メイドに続いて、部屋の奥にあった鉄扉を抜けた。脂ぎった男達の粘ついた視線を背中に感じながら――
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