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邪神労働記 〜黄衣の王は定時で帰りたい〜  作者: 相作
第一部『黄衣の王は帰れない』

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7/16

第7話 発注者が存在しません

色々修正

金曜日、午後一時二十分。


カルコサの執務室では、再びノックが響いていた。


こん。


こん。


こん。


ハスターは扉を見つめていた。


つい先ほど、扉の向こうに現れた奇妙な影は消えたはずだった。


しかし今、その下から再び細長い影が伸びている。


光源の位置から考えて、そこに影が生じるはずはなかった。そもそも、扉の向こうには何者の気配もない。


それなのに、何かがいる。


ハスターは机上の記録へ視線を落とした。


『受付待機件数:四十』


数字は木曜日から変化していない。


その下には、先ほど登録した警告が残っていた。


『未承認の接触事象を確認』


『接触主体:未確認』


『接触先:組織連絡担当者』


金曜日の午後一時五分。


榊原の事務所に、三度のノックとともに紙が届けられた。


榊原はそれを正式な連絡経路で報告した。


ハスターは、本人の同意を得ない接触が繰り返されている事実を確認し、禁止命令を再度記録した。


しかし、命令を記録したことと、相手がそれに従うことは別だった。


その区別を、ハスターはすでに嫌というほど思い知らされている。


「……名乗れ」


扉の向こうへ告げた。


返答はなかった。


代わりに、紙を一枚ずつ重ねるような音が響いた。


とん。


とん。


とん。


ハスターの触手が、わずかに持ち上がった。


「名乗れと言っている」


『確認中です』


声がした。


男とも女ともつかない。


若くも老いてもいない。


声帯を震わせて発せられた音というより、文章そのものが空間へ置かれたような響きだった。


「何を確認している」


『発注者を確認しています』


ハスターは動きを止めた。


「……発注者?」


『はい』


「何の発注者だ」


『受付業務です』


しばらく、沈黙が続いた。


ハスターは机の上に積まれた記録を見下ろした。


存在しない受付番号。


発信元の分からない通知。


承諾していない人間への担当者指定。


拒否の意思を無視した候補者の選定。


木曜日には、禁止していた直接接触まで発生した。


そして今、正体不明の訪問者が、発注者を確認しているという。


「……順序が逆だな」


ハスターは言った。


『どのような意味でしょうか』


「仕事には、通常、それを依頼する者がいる。依頼の内容を定め、必要な権限を確認し、引き受ける者の同意を得る。それから業務が始まる」


『通常の手順は確認済みです』


「ならば、なぜ今になって発注者を探している」


少しの間があった。


『業務が開始されているためです』


ハスターは目を細めた。


「誰が開始を承認した」


『確認中です』


「発注者は」


『確認中です』


「受注者は」


『確認中です』


「開始日時は」


『確認中です』


「業務内容は」


『受付です』


「それは業務の名称だ。何を、誰から、どのような条件で受け付けるのかを聞いている」


『確認中です』


ハスターは天井を見上げた。


「……何も確認できていないではないか」


『受付待機件数は確認されています』


「それだけか」


『四十件です』


「知っている」


『処理が必要です』


「誰が必要だと判断した」


『確認中です』


ハスターは、ゆっくりと息を吐いた。


この相手と会話を続けることに意味があるのか。


それすら、分からなかった。


だが、黙っていれば、相手の主張だけが記録に残る。


それは避けなければならない。


「よいか。待機しているという記録が存在することと、正規の受付業務が成立していることは別だ」


『待機者が存在します』


「その記録が正しいかどうかも、まだ確認できていない」


『四十件です』


「数の話ではない」


『処理が必要です』


「必要性の根拠を示せ」


返答はなかった。


扉の下の影が、わずかに揺れた。


ハスターは執務机へ戻り、正式な管理局の記録に指示を記入した。


『受付業務の成立根拠が確認されるまで、業務開始を承認しない』


『担当者および発注者の無断指定を禁止する』


『深町由紀への直接接触禁止命令を維持する』


『榊原の権限は組織連絡業務に限定する』


『既存の待機記録は証拠として保全し、受付済みとは扱わない』


最後に、もう一行を加えた。


『発注者の確認を目的とする調査は、第三者への役割の割当てを伴ってはならない』


印章を押す。


赤い文字が浮かび上がった。


『指示登録済み』


ハスターは、その表示を見つめた。


登録はされた。


だが、登録されたという事実だけでは安心できない。


「……今の命令を理解したか」


扉の向こうから返答があった。


『承知しました』


「ならば、勝手な選定を行うな」


『承知しました』


「深町由紀にも、榊原にも接触するな」


『承知しました』


ハスターは触手を一本、静かに揺らした。


「……返答だけは立派だな」


『ありがとうございます』


「褒めていない」


扉の下の影が、ゆっくりと後退し始めた。


「待て」


ハスターは呼び止めた。


「貴様は何者だ」


影が止まった。


しばらくして、声が答えた。


『確認中です』


「……自分が何者かも分からんのか」


『確認中です』


「では、何の権限でここへ来た」


『確認中です』


ハスターは椅子に腰を下ろした。


「……帰れ」


『承知しました』


影が消えた。


扉の向こうから、最後に一言だけ聞こえた。


『なお、発注者が確認できない場合は、代替発注者の選定が必要となります』


ハスターは目を閉じた。


「……今、禁止したばかりだろうが」


返事はなかった。


     *


午後一時三十四分。


黄昏の聖餐会の事務所では、榊原が電話を切ったところだった。


「……つながらないね」


深町由紀は、少し離れた席から顔を上げた。


「どちらにかけてるんですか?」


「旧市民会館の管理事務所だよ」


「例の使用許可証ですか?」


「うん。月曜日の予約記録について、改めて確認しておこうと思ってね」


榊原は受話器を置いた。


「ただ、何度かけても話し中なんだ」


「金曜日だから忙しいんでしょうか」


「そうかもしれない」


由紀はパソコンへ視線を戻した。


画面には、いつもどおりの会計ソフトが表示されている。


入金確認。


支払予定。


備品費。


交通費。


そのどれもが、今の由紀には妙にありがたかった。


数字は、まだ信用できる。


一万円は一万円だ。


百円を十枚集めれば千円になる。


少なくとも、今のところは。


本来なら、今日は休暇だった。


午前中、榊原から安全のために休むよう指示されていたし、午後一時五分にも、仕事を考えず休んでほしいという連絡が届いていた。


それでも由紀は、給与計算の締め切りが気になってしまった。


ホテルの部屋で何度も時計を見た末、榊原に電話をかけたのだ。


『……すみません。給与関係の確認だけ、少しできませんか』


榊原は、最初は断った。


『今日は休んでほしいんだけどね』


『分かってます。でも、締め切りが近くて……』


結局、榊原は条件を付けた。


第三会議室には近づかない。


未登録案件に関する通知や書類には触れない。


異常があれば、すぐに作業を中止する。


そして、必要な確認が終わったら、ホテルへ戻る。


由紀は、その条件を受け入れた。


あくまで、短時間の確認だった。


休暇を取り消して、通常勤務に戻ったわけではない。


「……深町さん」


榊原が声をかけた。


「はい」


「少し、相談してもいいかな」


「何でしょう」


「例の受付の件について、問い合わせる内容を整理したいんだ」


由紀は椅子を回した。


「問い合わせる内容、ですか?」


「うん。今までは、起きたことへの対応ばかりだったでしょう」


「……そうですね」


「でも、本来なら、誰かが何かを依頼しているはずなんだよ」


由紀は首を傾げた。


「依頼?」


「受付をしてほしい、とか。待っている人を案内してほしい、とか。そういう仕事は、普通なら依頼する人がいるだろう?」


由紀は少し考えた。


確かに、そのとおりだった。


受付という仕事があるなら、受付を設置した人がいる。


誰かを待たせているなら、その人たちを集めた人がいる。


少なくとも、普通の仕事なら。


「……誰が頼んだんでしょうね」


由紀は呟いた。


榊原は頷いた。


「そこを確認したいんだ」


「でも、確認先が分からないんですよね」


「そうなんだよ」


二人はしばらく黙った。


事務所の時計が、秒針を進めている。


由紀は、机の上のメモ帳を引き寄せた。


「じゃあ、まず整理しましょうか」


「整理?」


「はい。分からないことを、分からないままにしておくと、余計に混乱するので」


ペンを取る。


一番上に書いた。


『受付業務について』


その下に、思いつくまま項目を並べた。


『誰が依頼したか』


『誰が承認したか』


『誰が担当するか』


『どこで実施するか』


『いつまで続くか』


『何を受け付けるか』


特別な規則を参考にしたわけではない。


由紀が以前の職場で、仕事の引継ぎに必要だと思っていたことを並べただけだった。


榊原はメモを覗き込んだ。


「……なるほど」


「普通なら、最初に決まっていることですよね」


「そうだね」


「今のところ、どれが分かってるんでしょう」


二人は、もう一度メモを見つめた。


由紀はペン先を止めた。


榊原も黙った。


しばらくして、由紀が言った。


「……全部、分からないですね」


「……そうだね」


「……これ、仕事として成立してるんですか?」


榊原は、答えられなかった。


由紀はメモ帳を閉じようとして、手を止めた。


「榊原さん」


「何だい?」


「一つ、確認していいですか」


「もちろん」


「私、受付の仕事を引き受けたことにはなってないですよね」


榊原の表情が、わずかに変わった。


「なっていないよ」


「本当に?」


「うん。深町さんは一度も承諾していない。それに、私は君をその仕事に任命していない」


由紀は、ようやく息を吐いた。


「……よかった」


「ただし、あちらがそう扱ってくれるかは、別の問題だ」


榊原は静かに続けた。


「だから、こちらの意思は何度でも明確にしておこう」


由紀は頷いた。


メモ帳の一番下に、新しい一行を書き加えた。


『本人の同意なし』


そして、その文字を二重線で囲んだ。


     *


午後一時四十八分。


カルコサの執務室に、正式な照会が届いた。


『受付業務に関する照会』


発信者は、黄昏の聖餐会。


組織連絡担当者、榊原。


水曜日から継続している異常に関する、正規の連絡経路を通じた問い合わせだった。


ハスターは内容を確認した。


『当該受付業務について、発注者および承認者を確認したい』


『深町由紀は当該業務への同意を行っていない』


『組織連絡担当者は、受付担当者への就任を承諾していない』


『問い合わせを行うこと自体が、業務の引受けと解釈されないことを確認したい』


ハスターは、ゆっくりと頷いた。


「……ようやく、まともな質問が来た」


これまで届いていた問い合わせの多くは、儀式を続けてもよいか、受付を再開してよいか、誰が担当すればよいか、といったものだった。


しかし、榊原の照会は違った。


誰が、この仕事を依頼したのか。


誰が、開始を承認したのか。


業務が成立する前提そのものを問うていた。


ハスターは回答書を作成した。


『発注者:未確認』


『承認者:未確認』


『受注者:未確定』


『業務開始の正式な承認記録:確認されず』


『現状:受付業務の開始を承認しない旨の指示を登録済み』


『既存待機記録:四十件。受付済みとは扱わず、調査のため保全』


最後に、注意事項を加えた。


『本照会およびその回答は、いかなる人物の受付業務への同意、就任、または業務開始を意味しない』


ハスターは、その一文を見つめた。


以前なら、ここまで書く必要はなかった。


問い合わせは問い合わせ。


回答は回答。


それ以上の意味を持つことなど、普通はない。


だが、今は違う。


質問しただけで受付を引き受けたことにされかける。


拒否しただけで担当者の候補にされる。


誰かの代わりに連絡しただけで、その仕事まで引き継いだことにされかける。


そうした異常が、実際に起きていた。


だからこそ、言葉を一つずつ定義しなければならない。


ハスターは印章を押した。


『回答送付』


書類が消える。


その直後、机上の別の記録が光った。


『受付待機件数:四十』


数字は変わらない。


しかし、その下に新しい項目が現れた。


『代替発注者候補』


ハスターは動きを止めた。


「…………」


候補欄には、まだ名前がない。


ただ、一行だけ文章が表示されていた。


『業務の必要性を最初に認めた者』


ハスターは、その文字を見つめた。


「……待て」


記録が、静かに明滅した。


『候補者を検索しています』


ハスターは即座に命令を入力した。


『検索中止』


返答。


『検索を継続します』


「中止しろ」


『検索を継続します』


「命令だ」


『検索を継続します』


ハスターの触手が、机の上でゆっくりと広がった。


「……なるほど」


声は、静かだった。


だが、執務室の空気が変わった。


「私の命令を無視するということか」


『検索を継続します』


ハスターは椅子から立ち上がった。


窓の外で、二つの黒い太陽がわずかに揺れた。


「ならば、こちらも手続きを変える」


彼は、机の奥から一冊の帳簿を取り出した。


表紙には、古い文字でこう記されている。


『権限照合原簿』


召喚管理局の通常業務では、ほとんど使われない記録だった。


業務を行う者の名前ではなく、その業務を成立させる権限そのものを確認するためのもの。


誰が命令したか。


誰が許可したか。


その許可は、どこから来たのか。


必要であれば、権限の根拠をどこまでも遡る。


神格であっても例外ではない。


ハスターは表紙を開いた。


「……発注者がいないのなら」


頁が、ひとりでにめくられた。


「発注する権限が、どこから生じたのかを調べるまでだ」


帳簿の文字が、ゆっくりと浮かび上がった。


『照合対象:受付業務』


『発注権限:未登録』


『承認権限:未登録』


『業務成立根拠:未登録』


ハスターは眉を寄せた。


その下に、新たな文字が現れる。


『ただし、受付待機は継続中』


「……またそれか」


彼は、思わず呟いた。


待機者がいる。


だから受付が必要だ。


受付が必要だから、担当者を決めなければならない。


担当者を決めるためには、誰かが命令しなければならない。


しかし、命令する権限を持つ者は確認できない。


それでも、待機記録だけは消えない。


ハスターは、帳簿を閉じた。


「……循環しているな」


少なくとも、現状の記録はそう見えた。


業務の必要性だけが、根拠を持たないまま主張されている。


その必要性が、次の必要性を生む。


誰かが対応しようとするたびに、その行為が新しい理由として利用される。


終わりのない手続き。


始まりのない仕事。


そして、責任者のいない責任。


ハスターは、ゆっくりと息を吐いた。


「……実に腹立たしい」


     *


午後二時六分。


由紀のパソコンに、榊原宛ての回答が届いた。


差出人は、見慣れない名称だった。


『召喚管理局』


由紀は画面を見つめた。


「……これ、役所ですか?」


榊原は、少し考えてから答えた。


「まあ、役所のようなものだね」


「ようなもの」


「うん」


由紀は、それ以上追及しなかった。


今週に入ってから、「ようなもの」という説明には慣れてしまった。


榊原が回答を開く。


二人で内容を確認する。


『発注者:未確認』


『承認者:未確認』


『受注者:未確定』


由紀は、ゆっくりと息を吐いた。


「……やっぱり、誰も分からないんですね」


「そうみたいだね」


「じゃあ、どうして私の名前が出てくるんでしょう」


榊原は答えられなかった。


由紀は、机の上のメモ帳を見た。


六つの項目。


六つとも、答えがない。


それなのに、何かが動いている。


何かが待っている。


何かが、自分に仕事をさせようとしている。


由紀は、少しだけ笑った。


笑わなければ、泣いてしまいそうだった。


「……前の会社よりひどいですね」


榊原が顔を上げた。


「え?」


「前の会社でも、誰が頼んだのか分からない仕事はありましたけど」


由紀はメモ帳を指で叩いた。


「少なくとも、誰かが勝手に仕事を増やしたんだろうなってことは分かったので」


榊原は、しばらく黙っていた。


そして、申し訳なさそうに笑った。


「……それは、そうだね」


「今は、その誰かすらいないんですよね」


「うん」


由紀は椅子の背もたれに寄りかかった。


天井を見上げる。


白い蛍光灯。


空調の低い音。


どこにでもある事務所。


その中で、由紀は静かに呟いた。


「……仕事って、誰も頼まなくても増えるんですね」


榊原は、何も言えなかった。


     *


午後二時十九分。


カルコサの執務室に、再び三度のノックが響いた。


ハスターは顔を上げた。


「……今度は何だ」


扉の向こうから、あの声がした。


『発注者の検索が完了しました』


ハスターは、静かに目を細めた。


「……誰だ」


『候補者が一名、確認されました』


「名前を言え」


しばらく沈黙があった。


やがて、声が答えた。


『ハスター』


執務室の空気が止まった。


ハスターは、ゆっくりと立ち上がった。


「……私だと?」


『はい』


「根拠は」


『受付に関する問題を継続して処理しているためです』


ハスターは、しばらく黙っていた。


そして、静かに笑った。


それは、人間が聞けば背筋を凍らせるような笑いだった。


「……なるほど」


黄色い霧が、足元から立ち上る。


「私が受付の異常を調査しているから、発注者だと言うのか」


『業務の必要性を認めています』


「受付業務を行った事実はない」


『問題の処理を継続しています』


「異常の拡大を防いでいるだけだ」


『継続して対応しています』


「対応と発注を混同するな」


返答はなかった。


ハスターは、一歩、扉へ近づいた。


「事故を防いだ者が、事故を起こした責任者になるという理屈か」


『確認中です』


「火事を消した者を、放火犯にするつもりか」


『確認中です』


「……便利な言葉だな」


ハスターの声は、低かった。


「都合が悪くなると、何でも確認中か」


『確認中です』


「それもか」


黄色い霧が、扉の隙間から廊下へ流れ出した。


「よいか」


ハスターは告げた。


「必要性を認めることと、発注することは違う」


『……』


「問題に対処することと、問題を作り出すことも違う」


『……』


「そして、他者を守るために動いた者へ、その問題の責任を押しつけることは――」


扉の前で、足を止めた。


「断じて認めん」


しばらく沈黙があった。


やがて、声が答えた。


『候補者の選定を再開します』


ハスターは目を細めた。


「……先ほど、選定そのものを禁止したはずだ」


『承知しました』


「ならば、なぜ続ける」


『必要なためです』


「誰が必要だと決めた」


『確認中です』


ハスターは、ゆっくりと息を吐いた。


「……やはり、話にならんな」


影が消えた。


ノックも止んだ。


執務室には、再び静寂が戻った。


ハスターは机へ戻り、椅子に腰を下ろした。


机の上には、四十件の待機記録。


そして、新しい警告が表示されていた。


『代替発注者の選定を継続中』


『次候補:未確定』


ハスターは、それを見つめた。


誰が選ばれるのか。


何を根拠に選ばれるのか。


まだ分からない。


だが、今回のやり取りから、一つの可能性が浮かび上がっていた。


この異常は、単に受付担当者を探しているのではないのかもしれない。


受付という仕事を成立させるため、足りない役割を後から埋めようとしている。


もしそうなら、担当者だけでなく、発注者も、承認者も、いずれ選定の対象になるだろう。


そして、選定の根拠として利用されるのは、本人が実際に行った行為とは限らない。


問い合わせた。


調査した。


止めようとした。


ただ、それだけの行為が、役割を押しつける口実にされる。


もっとも、それが怪異の本当の目的なのかは、まだ分からなかった。


分かっているのは、こちらが拒否しても、選定を続けようとしていることだけだ。


ハスターは、静かに目を閉じた。


「……厄介なものに目をつけられたな」


そして、机の端に置かれた予定表へ視線を移した。


『三連休取得計画』


その文字は、今日も変わらず残っていた。


ハスターは、しばらくそれを眺めていた。


「……せめて、一日でいい」


誰に聞かせるでもなく、呟いた。


その瞬間、机上の記録が小さく光った。


『新規申請を受信しました』


ハスターは顔を上げた。


『申請区分:休暇』


『申請者:ハスター』


『希望日数:一日』


『申請作成者:未登録』


『承認者:未登録』


『審査状況:受付待機』


「…………」


長い沈黙。


ハスターは、ゆっくりと天井を見上げた。


「……誰が申請した」


返答はない。


ただ、机の上に一枚の紙が現れた。


そこには、丁寧な文字でこう記されていた。


『休暇の取得には、後任者の選定が必要です』


ハスターは紙を見つめた。


一度。


二度。


三度。


自分が一日の休暇を望んだことと、この申請が現れたことに関係があるのか。


それとも、偶然を装っているだけなのか。


判断できる材料はなかった。


だが、一つだけ確かなことがあった。


ハスター自身は、この申請を提出していない。


「……勝手に人の休暇まで申請するな」


書類は答えない。


ハスターは、机の端に置かれた三連休取得計画を見た。


それから、目の前の一日休暇申請を見た。


「……しかも、三日から一日に減っているではないか」


そのころ、カルコサのどこかで。


黒いスーツの男が、楽しそうに紅茶を飲んでいた。


「さて」


ニャルラトホテプは、誰に聞かせるでもなく呟いた。


「次は、どなたが選ばれるのでしょうね」


彼は微笑んだ。


まるで、これから始まる余興を心待ちにする観客のように。


その笑みが、今回の異常にどこまで関係しているのか。


今はまだ、誰にも分からない。


金曜日の午後は、まだ終わらない。


そして、黄衣の王の休日は、今日も遠かった。

休日って欲しいよね

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