第6話 神様にも職務記述書は必要です
色々と校正。
金曜日、午後零時二十分。
カルコサの空に、黄色い稲妻が走った。
雷鳴はなかった。
代わりに、遠くの塔から鐘が鳴った。
一回。
二回。
三回。
その音を聞いたカルコサの住人たちは、一斉に窓を閉めた。
黄衣の王が怒っている。
それだけは、誰にでも分かった。
もっとも、何に怒っているのかまでは分からない。
世界の終焉に関わる重大な事件かもしれない。
禁忌を犯した愚かな信徒への裁きかもしれない。
あるいは。
「……辞退理由を入力してください、だと?」
黄衣の王が、書類に腹を立てているだけかもしれなかった。
実際には、三番目だった。
ハスターは、机の上の黒い紙を睨んでいた。
『受付担当者候補一覧』
その最後に、彼自身の名前がある。
『候補者:ハスター』
そして、その下。
『辞退理由を入力してください』
ハスターは、朱筆を握り直した。
「……私が辞退する理由を、お前に説明する義務はない」
黒い紙が震えた。
『辞退理由が未入力です』
「…………」
『入力が完了するまで、候補者情報は保持されます』
ハスターは、ゆっくりと目を閉じた。
候補者情報は保持される。
それ自体は、まだ任命ではない。
承諾でもない。
しかし、この黒い紙は、そこから先へ進むための口実を探し続けている。
代理受付が禁止されれば、代理呼び出し。
受付場所が認められなければ、待機者の所在地。
連絡窓口の変更が承認されれば、担当者変更の申請。
そして今度は、辞退理由の入力。
「……なるほど」
ハスターは、静かに呟いた。
「私に、手続きを始めさせたいわけか」
辞退するために、何かを入力する。
入力したことを、手続きへの参加と扱う。
手続きへの参加を、別の何かに読み替える。
そういう仕組みかもしれない。
もちろん、まだ推測にすぎない。
だが、相手が何を望んでいるか分からないときに、わざわざ相手の用意した欄を埋めてやる必要はない。
ハスターは朱筆を置いた。
そして、黒い紙とは別の用紙を取り出した。
現行の管理局様式。
『未承認案件に関する異議申立書』
彼は、そこへ記入した。
『当方は、当該未登録案件の受付担当者として任命されていない』
『候補者一覧への記載は、任命、承諾または業務開始を意味しない』
『当該案件が提示する入力欄への回答義務は存在しない』
押印。
書類が消えた。
しばらくして、正式な記録簿に受理印が浮かび上がった。
黒い紙は、何も言わなかった。
「……そうだ。それでいい」
ハスターは、わずかに満足した。
その直後。
別の通常書類が机に現れた。
『異議申立てに伴う確認担当者の指定について』
「…………」
ハスターは、書類を見つめた。
『確認担当者候補:ハスター』
「……お前らもか」
これは黒い紙ではない。
正真正銘、管理局の通常業務だった。
ハスターは天井を見上げた。
「……管理局の仕組みも、少しは見直すべきではないか」
返事はなかった。
ただ、次の書類が現れた。
『業務改善提案書』
ハスターは、それを裏返した。
見なかったことにした。
*
午後零時二十七分。
ハスターは、管理局の規程集を開いていた。
黒い紙を相手にするより、よほど有意義な仕事だった。
少なくとも、規程集は勝手に新しい解釈を付け加えたりしない。
通常は。
「……受付担当者の任命要件」
ページをめくる。
「……職務の範囲、責任の所在、任命権者、承諾の記録」
ハスターは、そこで手を止めた。
そして、机の上の黒い紙を見た。
『候補者:ハスター』
「……そもそも」
低い声が、執務室に響いた。
「私は、何の仕事をさせられる予定なのだ?」
黒い紙が震えた。
『受付業務です』
「……それは名称だ」
『待機者への対応です』
「……それは説明になっていない」
『順次、対応をお願いします』
「……だから何にだ!」
カルコサの窓が、一斉に鳴った。
ハスターは、深く息を吐いた。
仕事には、内容がある。
責任がある。
どこからどこまでを引き受けるのか、範囲がある。
その範囲を越えたものについて、誰が判断するのかという問題もある。
それらが何一つ示されていないのに、担当者だけを決めようとしている。
ハスターは、規程集の横から一枚の様式を取り出した。
『職務記述書』
神々の管理局でも、業務の割り振りには書面が必要だった。
むしろ、神々だからこそ必要だった。
担当する領域が曖昧なまま仕事を任せると、海の神が山を沈めたり、夢の神が現実を閉鎖したりする。
その後始末をするのは、だいたいハスターだった。
「……だから、書類があるのだ」
彼は職務記述書を机に広げた。
記載欄は、六つ。
業務の目的。
具体的な業務内容。
権限と責任の範囲。
任命権者。
業務を行う場所と期間。
担当者本人の承諾。
ハスターは、最初の欄に目を落とした。
業務の目的。
不明。
次。
具体的な業務内容。
不明。
次。
権限と責任の範囲。
不明。
任命権者。
不明。
場所と期間。
不明。
承諾。
なし。
「…………」
ハスターは、書類を見つめた。
六つの欄のうち、確定しているものが一つもない。
「……これを仕事と呼ぶのか」
彼は、正式な管理局の調査様式を取り出した。
そして、未登録案件について確認できている事実を記入した。
『業務目的:未提示』
『業務内容:未提示』
『権限および責任範囲:未提示』
『任命権者:未確認』
『業務場所および期間:未確定』
『担当者の承諾:確認されず』
最後に、太い線を引く。
『以上の理由により、当該案件の受付業務を正式な職務として認定できない』
押印。
これは、未登録案件の提示する欄への回答ではない。
管理局の内部調査記録だった。
ハスターは、それを通常の記録簿へ送った。
しばらくして、受理印が浮かんだ。
黒い紙が震えた。
『職務内容について、ご質問がありますか』
ハスターは答えなかった。
黒い紙に新しい文字が現れた。
『担当者決定後にご案内します』
ハスターは、目を閉じた。
「……だから順番が逆だと言っている」
内容を知らない者に、仕事を引き受けさせる。
引き受けた者にだけ、内容を教える。
それは、管理局の手続きではない。
少なくとも、ハスターが認める手続きではなかった。
「……これでは、世界を滅ぼすより先に労務管理が崩壊する」
彼は、職務記述書の未記入欄を眺めた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……いや、もう崩壊しているか」
机の端には、今日だけで処理した書類が積み上がっていた。
*
午後零時三十一分。
深町由紀は、ビジネスホテルのベッドに腰掛けていた。
目の前には、開封したばかりの歯ブラシ。
その横には、コンビニで買った靴下。
さらに、着替え用のシャツが一枚。
昨日からの避難生活で、必要なものが少しずつ増えていた。
宿泊費は職場が負担してくれる。
だが、生活用品まで何でも請求するのは気が引けた。
由紀は、レシートを見つめた。
「……これ、経費になるのかな」
前職なら、まず認められなかった。
そもそも、仕事が原因で自宅に帰れなくなったという状況自体が、前職では想定されていない。
いや。
今の職場でも想定されていないはずだ。
「……普通、想定しないよね」
由紀は、買ってきた靴下を袋から出した。
そのとき、スマートフォンが震えた。
榊原からだった。
『先ほどの確認書について、管理側から正式に連絡がありました』
由紀は、すぐに返信した。
『どうなりましたか?』
『担当者変更は成立していません』
由紀は、胸を撫で下ろした。
『よかったです』
続けて、榊原から文章が届いた。
『ただし、未登録案件そのものは継続中とのことです』
由紀の手が止まった。
『受付番号000もですか?』
『はい。まだ調査中だそうです』
由紀は、スマートフォンを見つめた。
昨日から、画面に表示されている数字。
四十。
その数字は、今も変わっていない。
待っているものが何なのか。
どこにいるのか。
いつから待っているのか。
何も分からない。
それなのに、こちらの名前だけは知っている。
自宅の場所まで。
「……不公平だなあ」
由紀は、ぽつりと呟いた。
こちらは何も知らないのに、向こうは知っている。
しかも、問い合わせても回答予定は未定。
苦情を言おうにも、苦情の受付すらしていない。
由紀は、ふと気づいた。
「……そういえば」
管理担当から届いた回答。
『問い合わせ、拒否、異議申し立ては、業務の承諾に該当しない』
あれは、ありがたかった。
自分が拒否しただけで、受付を引き受けたことにされるのではないか。
その不安を、はっきり否定してくれた。
しかし。
「……じゃあ、何をしたら承諾になるんだろう」
由紀は、ホテルの備え付けのメモ用紙を一枚取った。
そして、五つの項目を書き出した。
依頼者。
業務内容。
責任者。
承諾。
記録。
書いてみると、ひどく普通のことばかりだった。
由紀は、その下に一行を追加した。
『承諾の条件を確認する』
そして、すぐにペンを止めた。
「……いや、違うか」
確認する相手を間違えてはいけない。
黒い紙に直接尋ねても、相手の都合のいい説明が返ってくるかもしれない。
そもそも、黒い紙が提示する規則を信用していいのかも分からない。
由紀は、新しい行を二重線で消した。
その下に書き直す。
『正式な管理担当へ、業務上の義務がないことを確認する』
「……うん」
少なくとも、これなら筋が通る。
由紀は、榊原へメッセージを送った。
『管理側へ確認していただきたいことがあります』
すぐに返事が来た。
『何でしょう?』
由紀は、少し考えてから入力した。
『あの案件に関して、私や榊原さんに何かする義務が残っているのか、確認できますか?』
送信。
しばらくして、返事が届いた。
『確認します』
由紀は、スマートフォンを伏せた。
そして、ベッドへ横になった。
眠かった。
非常に、眠かった。
だが、目を閉じると、昨日聞いた声を思い出す。
『ずっと、待っているんです』
由紀は、目を開けた。
天井を見つめる。
「……待ってるって言われても」
誰が。
何を。
いつまで。
それを説明してくれなければ、何もできない。
由紀は、枕を抱えた。
「……説明責任って、大事だなあ」
こんな形で実感したくはなかった。
*
午後零時四十八分。
カルコサの執務室。
ハスターは、古い台帳を机に広げていた。
昨日、調査のために確認した、題名のない記録簿だった。
表紙には題名がない。
最初の数ページは白紙。
その先には、同じ言葉が何度も並んでいる。
『未登録案件』
記録の日付は欠けていた。
申請者名もない。
受付内容もない。
ただ、未登録という分類だけが繰り返されている。
ハスターは、ページをめくった。
そして、あることに気づいた。
「……妙だな」
昨日、最後のほうのページには、規則らしき文章があった。
受付担当者が決まるまで案件は保留される。
承諾がなければ受付は成立しない。
一方で、業務を行ったことを承諾とみなす場合があるとも書かれていた。
ハスターは、その記載を信用していなかった。
現行の管理規程と照合してもいない文章を、勝手に有効な規則として扱うわけにはいかない。
だからこそ、調査記録に概要を残していた。
しかし、今日の台帳には。
その文章がなかった。
ハスターは、ページを戻した。
もう一度、確認する。
ない。
昨日、確かに読んだ文章が消えている。
「…………」
ハスターは、机の上の調査記録を開いた。
そこには、昨日確認した内容が記されていた。
『受付担当者の承諾に関する記載あり』
『業務遂行を承諾とみなす旨の記載あり』
『規則としての有効性は未確認』
ハスターは、古い台帳を見た。
白紙。
調査記録を見た。
文字が残っている。
「……記載が変わったか」
確認できるのは、そこまでだった。
誰が変えたのか。
何のために変えたのか。
そもそも、昨日の記載が古くから存在していたのか。
そのいずれも、分かっていない。
ハスターは、調査記録に追記した。
『古い台帳の記載内容に変化を確認』
『規則としての有効性は引き続き未確認』
『原本の信頼性に疑義あり』
押印。
そのとき、机の端に置かれた黒い紙が震えた。
『調査記録を確認しました』
ハスターは、顔を上げた。
「……何?」
黒い紙に文字が増える。
『記載内容の変更について、異議がありますか』
ハスターは、しばらく考えた。
異議があるか。
また、こちらに何かを入力させようとしている。
彼は、黒い紙には答えなかった。
代わりに、正式な調査記録へ書き込んだ。
『未登録案件側からの照会には応じない』
『調査記録は管理局の内部資料であり、当該案件への提出物ではない』
押印。
黒い紙は、しばらく沈黙した。
やがて。
『承知しました』
ハスターは、目を細めた。
そして、次の一文を待った。
だが、何も現れなかった。
「…………」
少しだけ、拍子抜けした。
いつもなら、ここで別の解釈を持ち出してくる。
何かが違う。
ハスターは、古い台帳へ目を戻した。
その瞬間。
ページの中央に、小さな文字が現れた。
『閲覧者を確認しました』
ハスターは、手を止めた。
続けて。
『閲覧者:ハスター』
さらに。
『確認済み』
ハスターは、ゆっくりと台帳を閉じた。
「……閲覧しただけだ」
誰に言うでもなく、呟いた。
閲覧。
確認。
承諾。
その三つは、別の行為だ。
少なくとも、管理局の規程では。
しかし、この台帳が同じ区別をしている保証はない。
ハスターは、台帳に封印を施した。
黄色い紋様が表紙を走り、文字のない革を覆う。
「……これ以上、勝手に読ませるな」
封印が閉じた。
その直後。
台帳の内側から、小さな音がした。
ちん。
ハスターの触手が止まった。
もう一度。
ちん。
卓上ベルの音だった。
*
午後一時五分。
黄昏の聖餐会の事務所。
榊原は、管理側から届いた回答を読んでいた。
『未登録案件について、深町由紀および榊原に正式な受付業務上の義務は存在しない』
『当該案件の発行元は引き続き調査中』
『未登録案件側からの直接照会には応じず、通常の連絡経路を使用すること』
榊原は、ゆっくりと頷いた。
「……よかった」
由紀へ、その内容を転送する。
続けて、短い文章を添えた。
『深町さん、今日はもう仕事のことを考えず、休んでください』
送信。
榊原は、椅子にもたれた。
この数日、落ち着いて座る時間がなかった。
月曜日の儀式事故。
火曜日の臨時定例会議。
水曜日の第三会議室。
木曜日の受付番号000。
そして金曜日。
一週間が、妙に長い。
榊原は、机の上の予定表を見た。
安全管理委員会の初回会合は、まだ先だ。
本来なら、儀式用の備品確認や緊急時の避難手順を話し合うはずだった。
だが、議題はすでに増えていた。
『未登録案件への対応』
『受付担当者として指定された者の保護』
『不明物品の取り扱い』
榊原は、ため息をついた。
「……委員会、増やさなくてよかったなあ」
そのとき、事務所の扉がノックされた。
こん。
こん。
こん。
榊原は、顔を上げた。
「はい」
返事はなかった。
もう一度。
こん。
こん。
こん。
榊原は立ち上がった。
扉へ近づく。
「どなたですか?」
返事はない。
榊原は、扉を開けなかった。
代わりに、内線電話を取った。
「廊下に、どなたか来ていますか?」
しばらくして、事務員の声が返ってきた。
『いえ、こちらからは誰も見えません』
「……そうですか」
榊原は、扉を見つめた。
廊下に人がいない。
それなのに、ノックの音がした。
彼は、ゆっくりと受話器を置いた。
そのとき。
扉の下から、一枚の紙が滑り込んできた。
白い紙だった。
榊原は、近づかなかった。
紙は、床の上で止まった。
表面には、短い文章があった。
『受付担当者候補の確認について』
その下。
『次の候補者への連絡を開始します』
榊原は、眉をひそめた。
「……またですか」
紙には、さらに一行があった。
『候補者への事前通知は不要です』
榊原は、しばらく黙っていた。
そして、机へ戻った。
通常の連絡用紙を取り出す。
『未登録案件から、候補者への連絡開始を示す通知が届いた』
『当団体として、当該通知を承認していない』
『新たな接触が発生する可能性があるため、対応方針を照会する』
彼は、書き終えた文章を確認した。
それから、正式な連絡経路で送った。
白い紙には触れなかった。
*
午後一時十七分。
カルコサの執務室。
ハスターの机に、黄昏の聖餐会からの照会が届いた。
彼は内容を読んだ。
「……候補者への事前通知は不要?」
朱筆を取る。
『未登録案件に、候補者を一方的に指定する権限は確認されていない』
押印。
続けて。
『候補者への直接接触を禁止する』
押印。
『候補者として記載されたことを理由に、何らかの義務が生じることはない』
押印。
ハスターは、書類を送った。
そして、調査記録にもう一行を追加した。
『榊原の事務所において、未承認の接触事象が発生』
『接触手段:ノック音および文書』
『発信主体:未確認』
『従前の深町由紀への接触禁止命令との関連:調査中』
押印。
「……命令を出せば済む話ではない、ということか」
禁止命令の対象を増やしても、怪異が消える保証はない。
そもそも、相手がその命令に従う権限関係にあるのかさえ、確認できていない。
ハスターは、朱筆を置いた。
「……ならば、まず相手を特定せねばならん」
そのとき、黒い紙が震えた。
『受付担当者候補一覧』
そこには、まだ彼の名前がある。
『候補者:ハスター』
ハスターは、改めて正式な管理記録に記入した。
『候補者への記載のみをもって、受付担当者の地位は発生しない』
押印。
黒い紙が震えた。
『承知しました』
続けて。
『受付担当者の任命は行われていません』
ハスターは、目を細めた。
「……珍しく、正しいことを言う」
しかし、その次の一文で手が止まった。
『なお、候補者への通知は継続します』
「…………」
任命はしない。
だが、通知は続ける。
相手は、そう言っている。
ハスターは、黒い紙を見つめた。
「……通知だけなら、問題ないとでも?」
返事はなかった。
代わりに、机の上に新しい紙が現れた。
白い紙。
通常の管理局様式ではない。
黒い紙でもない。
その中央には、大きな数字が印字されていた。
『000』
ハスターは、手を止めた。
受付番号。
存在しないはずの番号。
地上では、深町由紀の自宅に現れたものと同じ数字。
その下には、短い文章があった。
『候補者の方へ』
『お待たせしております』
ハスターは、紙を見つめた。
そして、低い声で言った。
「……待たせているのは、私ではない」
白い紙が震えた。
『順番をお守りください』
「…………」
ハスターは、ゆっくりと息を吐いた。
「……順番?」
彼は、黒い紙へ目を戻した。
『待機人数:40』
その数字は、昨日から変わっていない。
待機枠は四十。
だが、候補者の名前は増えている。
深町由紀。
榊原。
そして、ハスター。
いや。
候補者一覧には、もっと多くの名前があった。
黄昏の聖餐会の構成員。
旧市民会館の管理者。
月曜日の儀式に関わった者たち。
ハスターは、一覧を見直した。
「……誰を、どういう基準で選んでいる」
名前の並びに、明確な規則は見当たらなかった。
儀式の参加者。
施設の管理者。
事務職員。
そして、神。
立場も、権限も、所属も違う。
共通しているのは、月曜日の事件に何らかの形で関わったということだけだった。
もっとも、それも候補者の一部に当てはまるというだけで、選定条件だと断定はできない。
ハスターは、一覧を閉じた。
「……選定根拠も不明か」
彼は調査記録へ追記した。
『候補者の選定基準は未確認』
『待機者との対応関係も未確認』
『候補者への記載は、任命または承諾を意味しない』
押印。
白い番号札が震えた。
『000』
その下に、文字が増えた。
『順番が近づいています』
ハスターは、目を細めた。
「……誰の?」
白い紙は答えなかった。
代わりに、最後の一行が現れた。
『次にお呼びする方を、確認してください』
ハスターは、紙を見つめた。
そして、朱筆を置いた。
「……呼ばん」
紙は震えた。
『確認だけでも結構です』
ハスターは、静かに答えた。
「……確認もしない」
その瞬間。
カルコサの執務室で、何かが鳴った。
ちん。
小さな卓上ベルの音。
ハスターは、ゆっくりと顔を上げた。
音は、机の上からではなかった。
扉の向こう。
廊下の奥。
誰もいないはずの場所から聞こえた。
もう一度。
ちん。
ハスターは、立ち上がった。
執務室の扉を見つめる。
扉の下に、細い影が伸びていた。
誰かが、向こう側に立っている。
そんな影だった。
だが。
その影には、足がなかった。
床から伸びているのではない。
扉の隙間から、こちらへ流れ込んでいる。
ハスターは、触手を伸ばした。
黄色い紋様が床に広がる。
執務室全体を覆う封印。
外部からの侵入を防ぐためのものだ。
影は、止まった。
しかし、消えなかった。
扉の向こうで。
誰かが、静かに言った。
『……お待ちしております』
ハスターは、動かなかった。
声は続いた。
『長い間』
『ずっと』
『お待ちしております』
その声は、男とも女とも分からなかった。
若くも、老いてもいなかった。
ただ、ひどく丁寧だった。
ハスターは、扉を見つめた。
「……何を待っている」
沈黙。
そして。
『受付を』
ハスターは、息を止めた。
『まだ』
声は続いた。
『誰にも』
『受け付けていただいておりません』
扉の下の影が、わずかに揺れた。
ハスターは、朱筆を握った。
そして、低い声で言った。
「……ならば、申請内容を示せ」
沈黙。
しばらくして。
声が答えた。
『申請内容は』
一拍。
『受付後に開示されます』
ハスターは、目を閉じた。
「…………」
そして。
心の底から、呟いた。
「……順序が逆だ」
扉の向こうは、静かだった。
ハスターは、朱筆を握り直した。
「内容も分からん申請を、受け付けられるか」
返事はない。
「申請者も不明」
沈黙。
「責任者も不明」
さらに沈黙。
「受付番号も存在しない」
ハスターは、扉を見つめた。
「……そんなものを、どうやって受け付けろというんだ」
長い沈黙があった。
やがて。
声が、小さく答えた。
『……ですから』
ハスターは、動かなかった。
『ずっと』
声は、ひどく静かだった。
『待っているのです』
その瞬間。
扉の向こうで、何かが笑った。
いや。
笑ったように聞こえただけかもしれない。
音は、すぐに消えた。
影も、少しずつ薄くなっていった。
やがて、扉の下には何も残らなくなった。
ハスターは、しばらく動かなかった。
そして、ゆっくりと机へ戻った。
黒い紙を見る。
『待機人数:40』
変化なし。
受付成立、未了。
候補者選定については、停止を指示しているものの、実際に停止したことは確認できていない。
ただ一つ。
ハスターは、扉を見た。
あの声が、ここまで来た。
地上の事務所でもない。
深町由紀の自宅でもない。
カルコサの執務室まで。
ハスターは、調査記録を開いた。
新しい項目を追加する。
『管理局執務室付近に、未登録案件に関連すると思われる異常現象が発生』
『接触方法:音声および影』
『実体:未確認』
『未登録案件との関係:調査中』
『接触禁止命令との関係:調査中』
『受付成立:なし』
押印。
ハスターは、少し考えた。
そして、もう一行を書き加えた。
『未登録案件による接触を防止する手段について、従来の禁止命令だけでは十分でない可能性がある』
押印。
書類が消えた。
ハスターは、椅子に深く腰掛けた。
「……職務記述書もない仕事に、ここまで振り回されるとはな」
机の上には、先ほど作成した調査記録の控えが残っていた。
六つの欄。
六つとも、未確定のまま。
ハスターは、それを見つめた。
「……仕事内容も、責任者も、期限も不明」
しばらく沈黙。
そして。
「……そんな仕事を引き受けるほど、私は暇ではない」
そのとき。
机の上に、通常の申請書が現れた。
『管理局執務室内における異常事象発生報告書』
ハスターは、書類を見つめた。
「…………」
さらに、もう一枚。
『異常事象発生に伴う再発防止策の検討について』
ハスターは、ゆっくりと目を閉じた。
そして。
三枚目が現れた。
『再発防止策検討会議の開催申請』
ハスターは、静かに朱筆を置いた。
「……会議を増やすな」
その声は、ひどく疲れていた。
世界は、今日もまだ終わらない。
ただし。
黄衣の王の仕事は、今日もまた増えた。
そして。
存在しない受付番号000の向こう側では。
四十の待機枠が、まだ順番を待っていた。
なんで仕事って増えるんでしょうね?




