第八話 薬師
食事を終えると、ガルドは椅子から立ち上がった。
「よし。腹も膨れたことだし、行くぞ」
「ああ」
私も椅子から降りる。
久しぶりにしっかり食べたせいか、身体が少し重い。
でもこの重さは嫌な重さではなく、身体の奥に力が戻ってくるような感覚がした。
「団長」
書類へ目を落としていたドレイスが顔を上げる。
「私も同行しましょうか」
「いや。薬師へ行くだけだ」
「承知しました」
それだけだった。
ドレイスは余計なことを聞かない。
先ほど私が毒を盛られていると聞いた時も、驚きはしたものの、事情を根掘り葉掘り聞こうとはしなかった。
それが少しだけありがたかった。
「じゃあ、行ってくる」
「お気をつけて」
ドレイスの声を背に、私はガルドと一緒に建物を出た。
◇◇◇
昼を過ぎた王都は、相変わらず人で溢れていた。
商人が声を張り上げ。
荷車が石畳を進み。
露店からは焼いた肉の香りが漂ってくる。
さっきまで一人で歩いていた時とは、見える景色が少し違っていた。
隣にガルドがいる。
それだけで、周囲の視線が集まっているのが分かる。
「……やっぱり有名なんだな」
私が呟くと、ガルドが振り返った。
「ん?」
「さっきから、みんな団長を見ている」
「俺が?」
「ああ」
ガルドは周囲を見回す。
「そうか?」
「そうだよ」
「気にしたことねぇな」
豪快に笑う。
どうやら本人は、本当に気にしていないらしい。
そうして歩いているうちに、見覚えのある店が見えてきた。
木製の看板。
そこに描かれた薬草の紋章。
馬車の中から見つけた店だった。
「ここだ」
ガルドが扉を開ける。
カラン、と小さな鐘が鳴った。
店内へ入った瞬間。
乾燥させた薬草の独特な香りが鼻を刺激した。
「いらっしゃい」
奥から声がする。
現れたのは、白髪の混じった老人だった。
「あれまぁ」
老人はガルドを見ると、目を細める。
「ガルドじゃないか」
「久しぶりだな、先生」
「また怪我でもしたのか?」
「今日は俺じゃねぇ」
ガルドは私の肩へ手を置いた。
「こいつを診てほしい」
老人の視線が私へ移る。
一瞬。
何も言わなかった。
そして。
「……顔色が悪いな」
「そうなのか?」
ガルドが私を見る。
「自分では分からない」
「まぁ、長く診てきた俺には分かる」
老人は椅子を指差した。
「坊や。そこへ座りなさい」
「分かった」
私は椅子へ腰掛ける。
老人は私の手首を取った。
指先で脈を測る。
次に瞼を軽く持ち上げ、目の色を確認する。
「舌を見せなさい」
「……こう?」
「ああ」
その後も、手のひらや爪、唇の色などを一つずつ確認していく。
何かを考えるように眉を寄せながら。
「いつ頃から、こんな状態だ?」
「分からない」
「身体の調子は?」
「時々、熱が出る」
「他には?」
「吐き気がすることもある」
「食事の後に悪くなることは?」
「ある」
老人はしばらく黙っていた。
そして棚から、小さな瓶を取り出した。
「これを飲んでみなさい」
「何だ?」
「身体に残っているものを確認するための薬だ」
「毒を調べるのか?」
「そうだ」
私は瓶を受け取る。
蓋を開けた瞬間。
強烈な薬草の匂いがした。
(……絶対に美味しくない)
そう思ったが、生きるためなら飲むしかない。
私は一気に口へ流し込んだ。
「……っ」
苦い。
苦いどころではない。
舌の奥まで痺れるような苦さだった。
「うぅ……」
「我慢しなさい」
「……これ、本当に薬?」
「薬だ」
ガルドが横で吹き出した。
「ははっ! すげぇ顔してるぞ、クリス!」
「笑うな……」
「悪い悪い」
しばらくすると。
老人の表情が変わった。
先ほどまでの穏やかな顔が消える。
「……そういうことか」
「先生?」
ガルドが声を掛ける。
老人は瓶を受け取ると、中身を確認した。
「これは毒だ」
短い言葉。
その一言だけで、空気が重くなった。
「やっぱりか」
私は小さく呟く。
驚きはなかった。
これまで何度も同じことを経験している。
毒を飲まされる。
身体が熱くなる。
苦しくなる。
そして王宮から届いた解毒薬を飲んで、何とか生き延びる。
ずっと、その繰り返しだった。
老人は私の顔を見る。
「一度に大量に入った毒ではない」
「……分かるのか?」
「身体の状態を見ればな」
老人は静かに続ける。
「少量を長い期間にわたって摂取したようだ」
ガルドの顔から笑みが消える。
「長い期間って……どれくらいだ」
「数年単位だろう」
「……数年?」
ガルドが私を見る。
私は何も答えなかった。
「こんな小さな身体に……」
老人が苦々しく呟く。
「よく今まで持ったものだ」
「解毒できるのか?」
私が尋ねる。
老人は頷いた。
「できる」
「本当か?」
「ああ。ただし、すぐに全部を取り除けるわけではない」
老人は棚から別の瓶を取り出した。
「まずは身体に残っている毒を少しずつ減らす必要がある」
「どれくらい?」
「今の状態なら、最低でも十本は必要だろう」
「十本……」
私は瓶を見つめる。
「一瓶、金貨一枚だ」
(……高い)
服屋で手に入れた金貨は二枚。
つまり、二本しか買えない。
「二本くれ」
私は懐から金貨を取り出した。
「クリス」
隣からガルドの声がする。
「それじゃ足りねぇだろ」
「分かっている」
私は金貨を老人へ差し出す。
「でも、今はこれしかない」
二本あればいい。
二本飲んで。
また金を稼げばいい。
そうすれば、少しずつでも身体を治せる。
そう考えていた。
「先生」
ガルドが口を開く。
「残りは俺が払う」
「……え?」
私はガルドを見る。
「十本だろ?」
「ああ」
「じゃあ、全部用意してくれ」
老人は驚いたように目を見開いた。
「お前さんが払うのか?」
「俺が連れてきたんだ」
「だが、この子とは今日会ったばかりだろう」
「だから何だ?」
ガルドは不思議そうに首を傾げる。
「今日会った奴が死にそうになってるなら、助けるだろ」
「……」
言葉が出なかった。
老人は少しだけ笑った。
「昔から変わらんな、お前は」
「そうか?」
「ああ」
老人は棚から薬瓶を取り出し始める。
「金は後でいい」
「助かる」
「ただし、薬だけで終わりではないぞ」
「分かってる」
老人は私を見る。
「この子は身体が弱りすぎている」
「食事と休養も必要だ」
「しばらくは無理をさせるな」
「分かった」
ガルドは素直に頷いた。
私は二人の会話を黙って聞いていた。
何だろう。
胸の奥が、妙にざわつく。
嬉しい。
……のだと思う。
そして、それと同時に怖かった。
誰かに助けてもらうことが。
誰かを頼ることが。
これまでの私は、そんなことを考える必要がなかった。
王家から届く薬も。
公爵家で与えられる食事も。
全部、誰かの都合で与えられていただけだった。
だから、誰かが自分の意思で私を助けようとしてくれることが、どういうことなのか分からない。
「……どうして?」
気付けば、口から言葉がこぼれていた。
「ん?」
ガルドが振り返る。
「どうして、そこまでしてくれる?」
ガルドは少し考えた。
そして。
「別に、大した理由じゃねぇよ」
頭を掻く。
「死にたくねぇ奴を見つけた」
「だから助ける」
「それだけだ」
「……それだけ?」
「ああ」
あまりにも簡単に言うものだから。
私は何も返せなかった。
ガルドはそんな私を見て、少し笑う。
「クリス」
「何だ?」
「一人で何とかしようとするな」
「……」
「金がねぇなら、誰かに頼ればいい」
「困ってるなら、助けを求めればいい」
大きな手が、私の頭へ乗る。
「生きるってのはな」
ガルドは穏やかに笑った。
「一人で全部背負うことじゃねぇんだ」
その言葉を。
私はしばらく忘れられなかった。
誰かに頼っていい。
助けを求めてもいい。
そんな当たり前のことを。
私は、この五年間。
一度も教えてもらったことがなかったから。




