第七十二話 小さな村で
それから何日が過ぎ、私は東へ向かう街道を一人で歩いていた。
人が減り、見咎められることも少なくなってきたからだ。
野宿を繰り返し、人目を避けて必要な時だけ小さな町へ立ち寄る。
食料を買い、水を補給する。それが終われば、また街道へ戻る。
毎日は、それだけで過ぎていった。
食料は少しずつ減っていく。
夜になれば冷える。
雨が降れば、濡れた服のまま眠らなければならない。
けれど、そんなことは大した問題ではなかった。
本当に辛かったのは、何をしていても隣に誰もいないことだった。
「クリス、今日の飯どうする?」
レオンの声が聞こえた気がする。
「この先に宿があります。少し先まで進めば、夜までには着けるでしょう」
ドレイスの声。
「今日は私が作ってあげるわ。あなたたちに任せたら、また肉だけになるもの」
ナージャの声。
「腹減ったなぁ!」
ガルドの豪快な声。
そんな光景が、昨日まで続いていたように思えてしまう。
けれど、現実には風の音しか聞こえない。
私は足を止めた。
街道の先には誰もいない。
後ろにも誰もいない。
「……行こう」
自分へ言い聞かせるように呟き、再び歩き始める。
東へ。
王国の外へ。
今は、それだけを目指していた。
◇◇◇
その日の夕方、私は一つの小さな村へ辿り着いた。
家は二十軒ほど。
周囲には畑が広がり、村の中央には井戸がある。
決して豊かな村ではない。
それでも畑を耕す者がいて、家の前では子供たちが遊んでいる。
王都を失ってから初めて見る、ごく普通の暮らしだった。
「……すみません」
村の入り口で声をかけると、一人の老人が警戒した様子で近づいてきた。
「旅の方ですか?」
「はい。今夜、泊めてもらえる場所はありませんか」
私は男の声を作って答えた。
老人はしばらく私を見つめてから、村の奥へ目を向ける。
「村長のところへ行きなされ」
「ありがとうございます」
私は教えられた通りに村を進む。
その時、村の様子に違和感を覚えた。
人が少ない。
子供や老人はいる。畑で作業している男たちもいる。
だが、若い女性の姿がほとんど見当たらなかった。
私は足を止め、先ほどの老人へ振り返った。
「……何かあったんですか?」
老人の表情が曇る。
「盗賊だ」
「盗賊?」
「数日前に襲われたんだよ。家を荒らされ、食料も金も奪われた。それだけなら、まだよかった」
老人はそこで言葉を切った。
「若い女たちを連れていかれたのさ」
私の顔から表情が消える。
「何人ですか?」
「二十人ほどです」
「盗賊の拠点は?」
老人が驚いたように顔を上げる。
「まさか、助けに行くつもりか?」
「はい」
「危険だっ!」
「分かっています」
「相手は何十人もいるんだ!」
「それも分かっています」
「その細っこい身体で、何ができる!」
私は遠くに見える森へ目を向けた。
何十人。
たったの、何十人かだ。
「大丈夫ですよ」
戦場で数千、数万の兵を相手にしてきた私にとって、人数だけなら問題ではない。
考えているのは勝てるかどうかではなかった。
王国を守れなかった。
家族も、仲間も、救えなかった。
何も救えない私が、この人達を救うことができるのだろうかという、自問だった。
ただ、どんな理由があろうとも、目の前で助けを求めている人たちまで見捨てる理由にはならない。
「……連れ戻します」
老人はしばらく黙っていた。
やがて深く頭を下げる。
「頼んだ」
私はただ静かに頷いた。
◇◇◇
盗賊たちの拠点は、村から半日ほど離れた森の奥にあった。
廃墟となった砦。
周囲には見張りがいる。
私は森の中から砦を観察し、人数、見張りの位置、建物の構造、侵入できそうな場所を一つずつ確認した。
以前なら、ここでドレイスと相談していただろう。
安全な侵入経路を考え、ナージャが裏口や見張りの死角を探す。
ガルドなら、
『面倒だな。正面からぶっ潰すか!』
などと言い出すかもしれない。
レオンなら、
『俺も行く!』
と当然のように隣へ立つ。
「……」
目を閉じる。
森の中には、自分以外の気配がない。
それでも、ここで立ち止まるつもりはなかった。
「行こう」
夜になるのを待ち、私は砦へ向かった。
◇◇◇
見張りの背後へ回り、声を上げる暇も与えず倒していく。
一人。
二人。
敵の人数を考えれば、正面から戦うより騒ぎを起こさない方がいい。
建物の中へ入り、さらに奥へ進む。
やがて、男たちの笑い声が聞こえてきた。
「今日はどうする?」
「酒だろ!」
「女たちも連れてこい!」
足が止まる。
怒鳴り返す気にはならなかった。
ただ、ここにいる者たちを一刻も早く助けなければならないと思った。
扉へ近づいた、その時だった。
突然、扉が開く。
「……誰だ?」
盗賊の一人が私を見つけた。
「女……?」
「こんなところに一人で来るなんて、運がいいな!」
下卑た笑い声が響く。
「捕まえろ!」
男たちが一斉に襲いかかってきた。
私は剣を抜く。
一人目の剣を受け流し、懐へ入って柄で腹を打つ。
二人目の斧を身を引いてかわし、足を払う。
三人目が背後から迫った瞬間には身体を捻って攻撃を避け、剣の腹で首元を打ち抜いた。
男たちが床へ崩れ落ちる。
「な……」
「何だ、こいつ……!」
動揺が広がる。
クリスは倒れた男たちへ刃を向けなかった。
戦場では、相手が動かなくなるまで斬ることもあった。
けれど今は、必要以上に命を奪う理由などない。
「武器を捨ててください」
静かに告げる。
「今なら、まだ――」
「ふざけるな!」
男が叫び、再び襲いかかる。
私は攻撃をかわし、剣の柄で手を打った。
武器が落ちる。
続けて足を払うと、男は床へ倒れ込んだ。
「……これで終わりです」
盗賊たちは、ようやく理解した。
数の問題ではない。
目の前にいる一人の人物に、自分たちは敵わない。
「金なら返す!」
「女も返す!」
最後に残った男が必死に叫ぶ。
私はその男をじっと見つめた。
「……最初から、返すべきだったでしょう」
それだけ告げ、剣を納めた。
◇◇◇
男たちを縛り、簡易的な重りへと繋ぐ。
意識がある者は面倒なので、気絶してもらった。
(さて……、女性たちはどこかな)
砦内を歩き回り、閉じ込められている人を探す。
すると砦の奥で、牢に入っている人々を見つけた。
「大丈夫ですか?」
怯えていた女性たちは、しばらく動かなかった。
「……助けに来てくれたんですか?」
「はい。村へ戻りましょう」
私は牢の鍵を開けた。
一人、また一人と女性たちが外へ出てくる。
泣いている者もいた。
震えている者もいた。
それでも、誰一人として置いていかなかった。
帰り道、何度も礼を言われた。
「ありがとうございます」
「本当に……ありがとうございます」
「あなたが来てくれなかったら……」
私は、そのたびに頷いた。
「……気にしないでください」
嬉しいという感情を抱くことすら、少し怖かった。
今、ここにいる人たちは生きている。
それだけは確かなことだった。
だからこそ、失った者たちのことを思い出してしまう。
ガルド。
ドレイス。
ナージャ。
ルカ。
レオン。
もし、あの人たちにも誰かが間に合っていたら。
何かが変わっていたのだろうか。
答えは出ない。
ただ、救えた命がここにある。
それだけを受け止めることにした。
◇◇◇
村へ戻ると、村長が涙を浮かべて迎えた。
「本当に……ありがとうございました」
「礼はいりません。
今日捕らえた盗賊たちはどうしますか?
一応、生け捕りにして繋いでいるのですが。」
「ならば、村の門の外へ繋いでおきましょう。」
「手伝いますよ」
「そんな、恩人にそこまでさせる訳には!」
「大丈夫ですから」
私は村長の指示に従い、捕らえた盗賊たちを門の外の木へ繋いだ。
野生動物の餌食になるかもしれないが、自業自得だろう。
「何から何まで、本当にありがとうございます」
「そんな大したことはしてないですよ」
「是非ともお礼をさせてください」
私は少し考えて、当初の目的を告げる。
「なら、今夜泊まるところへ案内して貰えませんか?」
「それならぜひ我が家へ!歓迎しますぞ!」
「そこまでしていただく訳には……」
「何を仰る!この村の恩人ですぞ!
せめて数日、我が家に泊まってください」
私は少し迷った。
東へ急ぐ必要はある。
だが、今夜すぐに出発する理由もなかった。
「では、お言葉に甘えます」
その日から数日、私は村長の家で過ごした。
服が血まみれだったため、新たなものを貰い、身だしなみを整える。
村人たちの前では男装を続けていた。
女ひとりだと、厄介な企みをする者が現れてもおかしくないからだ。
これも、ナージャが教えてくれたことだ。
『クリスは女の子なんだから、気をつけなさいよ!』
いつもこっそり、私のことを気にかけてくれていた。
私は自分を守るため、村人とは深く関わろうとはしなかった。
自分が何者なのか、王都で何が起きたのか。
誰にも話さなかった。
村人たちは、私のことをただ旅をしている若い騎士だと思っている。
それはそのままにして置いた方が、都合が良かった。
◇◇◇
数日後の夜。
私は眠れず、布団の中で天井を見つめていた。
目を閉じれば、いつでもあの夜の光景が蘇る。
燃える王都。
倒れた仲間たち。
そして、レオン。
あの時、私は魔剣を拾おうとした。
レオンが持っていた魔剣。
彼が最後まで手放さなかった剣。
あの剣だけでも持っていこうと、手を伸ばした。
けれど、敵兵の声が聞こえ、足音が迫ってきていた。
何より、姫のところへ行かなければならなかった。
レオンが最後に守ろうとした姫の安否を確かめなければならないかった。
「……ごめん、レオン」
手を伸ばしたまま、追い立てられるように魔剣を置いて逃げた。
そして、辿り着いた先で見たのは、命を失った少女の姿だった。
あの時、魔剣を拾えていれば。
あの剣を持っていれば。
何か変わっていたのだろうか。
「……分からない」
目を開ける。
魔剣は王城に残した。
敵に奪われたのか、誰かが持ち去ったのか、瓦礫の中へ埋もれたのか。
今となっては何も分からない。
それでも、一つだけ確かなことがある。
レオンは、あの魔剣と共に最後まで戦っていた。
ゲームでは、レオンは魔剣に囚われていたはずだ。
今も、囚われているとしたら。
「……いつか」
クリスは布団から身体を起こした。
「必ず、見つける」
今すぐ探しに行くことはできない。
自分には生きるための準備が必要だった。
王国の外へ出る。
身分を隠す。
旅を続ける。
そして、いつか魔剣の行方を探す。
それが、今の自分にできることだった。
◇◇◇
翌朝。
私は旅の準備を整えた。
保存食。
水。
簡単な衣類。
折り畳んだ地図。
そして、布に包んだ聖剣。
「もう行くのかい?」
村長が尋ねる。
「はい。この村には十分に助けてもらいました」
「こちらこそだよ。あんたが来てくれなければ、あの娘たちは戻ってこなかった」
「……」
「どうか、旅の無事を祈っています」
クリスは頭を下げた。
「ありがとうございます」
村を出る。
門のところで、一度だけ振り返った。
小さな村。
畑。
家々。
そこには人々の生活がある。
王都にはもう残っていない、当たり前の朝がある。
自分は、それを守ることができた。
ほんの少しだけだったとしても。
「……まだ、できることはある」
すべてを救うことはできなかった。
未来を変えることもできなかった。
それでも、目の前で助けを求める人を見捨てないことはできる。
それに、まだ終わっていない。
レオンが残した魔剣も、どこかにある。
いつか必ず見つける。
そのためにも、生きなければならない。
私は再び東へ向かって歩き始めた。
背中には聖剣。
手には地図。
心には、失った家族と仲間たちの記憶。
そして、まだ見つけられていない魔剣への想い。
王国へ戻ることはできない。
帰る場所もない。
それでも、生きている限り歩き続ける。
いつか魔剣を見つけるために。
そして、レオンにもう一度会うために。
朝日に照らされた街道を、私は一人で進んでいった。




