第六十七話 決戦(後編)
二人は、すでに互いの間合いへ踏み込んでいた。
クリスは剣を握り締め、正面から魔女へ斬りかかる。対する魔女は聖剣を片手に構え、空いた手へ黒い魔力を集めていた。
「――来なさい」
魔女が笑う。
黒い魔力が弾け、無数の刃となって飛んできた。
「――っ!」
クリスは身体を横へ投げ出す。直後、先ほどまで立っていた場所を黒い刃が薙ぎ払い、石畳が砕け散った。
着地したクリスは、その勢いを殺さずに踏み込む。
「はあっ!」
剣を振り下ろす。
魔女は聖剣を掲げて受け止めた。
――ガァンッ!
金属音が中庭に響き、衝撃が腕を痺れさせる。
「……重い」
「それは、あなたの力が落ちているからでしょう」
魔女が聖剣を押し返す。
傷を負い、血を流し続けているクリスには、まともに受け止めるだけの余力が残っていなかった。
身体がよろめいた瞬間、魔女の手が動く。
「――遅い」
至近距離から黒い魔力が叩き込まれた。
「ぐっ……!」
クリスは咄嗟に剣を立てたものの、衝撃を受け止めきれない。身体が吹き飛び、石畳を何度も転がった。
背中を打ちつけ、肺から空気が抜ける。
起き上がろうとしても、腕に力が入らない。
それでもクリスは剣を地面へ突き立て、それを支えに立ち上がった。
「……はぁ……はぁ……」
視界が霞んでいる。
肩から流れた血が腕を伝い、脇腹には焼けるような痛みがあった。
対して魔女は、胸に負った傷こそ深いものの、まだ立っている。
「もう十分でしょう」
「……まだだ」
「あなたは、もうまともに立っていることすら難しい」
「それでも……」
クリスは剣を構え直した。
「私は、止まれない」
魔女は呆れたように首を傾ける。
「そこまでして、何を守るというのです?」
その問いに、クリスは答えなかった。
答えを探す必要などなかった。
中庭の端へ目を向ける。
倒れているレオン。
その姿が視界に入っただけで、足に残っていた力が戻ってくる。
「……行かなきゃ」
魔女が眉を動かす。
「何を?」
「姫のところへ」
レオンの傍へ駆け寄りたい。
今すぐ名前を呼びたい。
けれど、王城の奥にはまだ王女がいる。
父王も、王妃も、もう無事ではない。
ならばせめて、姫だけは。
それだけは守らなければならない。
「私は……姫のところへ行く」
「まだ、そんなことを」
魔女の手に魔力が集まる。
「あなたは本当に愚かですね」
黒い閃光が走った。
クリスは身体を捻って避ける。
そのまま魔女へ踏み込み、剣を振った。
魔女は聖剣で受ける。
弾かれたクリスへ、今度は魔力の刃が迫った。
「――っ!」
身を引く。
だが、完全には避けきれなかった。
脇腹が裂け、血が飛ぶ。
「ぐっ……!」
膝が落ちる。
魔女は追撃せず、クリスの横を通り過ぎた。
向かった先にあるのは、石畳へ落ちた黒い剣だった。
「もう十分です」
魔女が魔剣を見下ろす。
「聖剣は手に入れました。王国も、もう崩れ始めている」
黒い刀身へ手を伸ばす。
「この剣まで手に入れば、私の目的は果たされます」
「……待て」
クリスは立ち上がった。
足は震えていた。
視界も定まらない。
それでも魔剣だけは見失わなかった。
「その剣には……触るな」
「なぜです?」
「それをお前に渡したら、また誰かが傷つく」
魔女は笑う。
「あなたには、もう守るものなど残っていないでしょう?」
「……ある」
「何が?」
クリスは王女の姿を思い浮かべた。
そして、倒れたレオンを見る。
「まだ、いる」
声は掠れていた。
「だから……その剣には触らせない」
クリスは最後に残った力を足へ込めた。
地面を蹴る。
「――っ!」
魔女が振り返った。
クリスの剣が一直線に走る。
魔女は身体を捻った。
だが、完全には避けられない。
刃が胸元を貫いた。
「……!」
魔女の目が見開かれる。
血が白い衣服を染めていく。
クリスもまた、その場に膝をついた。
「……はぁ……」
もう立つことすら難しい。
魔女が胸の傷を押さえながらクリスを見下ろす。
「最後の力を……ここへ使ったのですね」
「……そうだ」
クリスは剣を引き抜く。
魔女の手から聖剣が離れた。
――カラン。
白い剣が石畳へ落ちる。
魔女はそれを拾おうと手を伸ばした。
だが、その前にクリスが動いた。
「……渡さない」
足元がおぼつかない。
倒れそうになりながら、クリスは聖剣へ手を伸ばした。
指先が柄へ触れる。
その瞬間、白い光が溢れ出した。
「――っ!」
光がクリスの身体を包み込む。
傷は消えない。
失った血も戻らない。
ただ、手の中の聖剣だけが淡い光を放っていた。
拒まれていない。
むしろ、初めからそこにあることを待っていたかのように、クリスの手に馴染んでいる。
「……なぜ」
魔女の声が震えた。
「なぜ、あなたがその剣を……」
「……知らない」
クリス自身にも分からない。
ただ、この剣なら戦える。
それだけは理解できた。
魔女は聖剣を失ったことを悟ると、表情を変えた。
「ならば、その剣ごと奪います」
黒い魔力が膨れ上がる。
炎のような魔力が中庭を覆った。
クリスは聖剣を構える。
黒い刃が飛ぶ。
聖剣を振る。
刃が消えた。
「……!」
クリス自身が驚いた。
魔力そのものを断ち切った。
だが、身体が強くなったわけではない。
次の攻撃が肩を裂く。
「ぐっ……!」
血が流れる。
魔女が笑った。
「その剣を手にしたところで、あなた自身が強くなったわけではありません」
「……分かってる」
クリスは荒い呼吸を繰り返す。
「だから、この剣で……お前の魔法を斬る」
魔女が再び魔力を放つ。
クリスは聖剣を振った。
黒い魔力が切り裂かれる。
だが、その隙に魔女が距離を詰めた。
「――っ!」
魔力をまとった拳がクリスの身体へ叩き込まれる。
「ぐあっ!」
石畳へ叩きつけられる。
それでも聖剣だけは手放さなかった。
立ち上がる。
また魔力が飛ぶ。
斬る。
魔女が踏み込む。
受ける。
殴られる。
転がる。
立つ。
何度繰り返したのか、もう分からない。
クリスの肩、腕、脇腹、脚から血が流れ続ける。
魔女も胸の傷から血を流していた。
「なぜ……」
魔女が息を乱す。
「なぜ、まだ動けるのです」
クリスは答えなかった。
頭に浮かぶのは、仲間たちの顔だった。
ガルド。
ドレイス。
ナージャ。
ルカ。
そして、レオン。
みんなが生きろと言った。
だから、生きなければならない。
「……私は」
クリスは聖剣を握り直す。
「みんなに、生きろと言われた」
一歩、踏み出す。
「だから……私も生きる」
魔女が叫ぶ。
「それが何になるのです!」
黒い魔力が一気に膨れ上がった。
クリスは聖剣を構える。
「決まっている」
また一歩、前へ出る。
「みんなが残したものを、私まで捨てるわけにはいかない!」
「死ねぇぇぇぇ!」
魔女が最後の力を放つ。
中庭を埋め尽くす黒い奔流。
クリスは真正面から聖剣を振り下ろした。
「――っ!」
白い光が弾ける。
黒い魔力が左右へ割れ、その中心をクリスが駆け抜けた。
「な……!」
魔女が目を見開く。
もう避けられない。
聖剣が魔女の胸へ深く突き刺さった。
「……私が……」
魔女の口から血が溢れる。
クリスは剣を握ったまま、荒い呼吸を繰り返していた。
「……終わりだ」
魔女は崩れ落ちる。
だが、最後の瞬間に笑った。
「……いいえ」
「……?」
「まだ、終わりません」
魔女の身体から黒い魔力が噴き出した。
「――っ!」
クリスが剣を引こうとする。
魔女の手が、その腕を掴んだ。
「あなたには……死ぬことすら許さない」
黒い魔力がクリスの身体へ流れ込む。
「ぐっ……!」
焼けるような痛みが全身を走る。
魔女の声が遠ざかっていく。
「これからも、大切なものを失い続けなさい」
「誰かを守ろうとして……何度でも苦しみなさい」
「それでも生き残るのです」
黒い魔力が身体を覆う。
「その苦しみから逃げられないように」
魔女は最後に笑った。
「永遠に……」
そこで力尽きた。
身体が崩れ、動かなくなる。
クリスは腕を押さえた。
「……っ」
身体の奥に、異物が残っている。
痛みは消えない。
呼吸をするだけでも苦しい。
これが、魔女の最後に残したものなのだと理解した。
それでも、今は立たなければならない。
「……姫」
王女のことを思い出す。
まだ王城のどこかにいる。
王都は燃えている。
敵兵も近づいている。
ここに留まれば、姫のもとへ辿り着けなくなる。
クリスは聖剣を杖代わりにして身体を起こした。
その時、視界の端に黒い剣が入った。
「……魔剣」
魔女が狙っていた剣。
このまま残していけば、敵の手に渡るかもしれない。
クリスは足を引きずりながら、魔剣へ近づいた。
あと少し。
手を伸ばせば届く。
「……これだけは」
指先を伸ばす。
その時だった。
「――いたぞ!」
遠くから敵兵の声が響いた。
「中庭だ!」
「まだ生存者がいる!」
複数の足音が近づいてくる。
「……くそ」
クリスは魔剣へ手を伸ばした。
だが、足が動かない。
あと一歩が届かない。
敵兵の姿が、通路の向こうに見え始める。
「今は……無理か」
魔剣を持ち上げるだけの力がない。
ここで倒れれば、姫のところへ行けない。
クリスは歯を食いしばった。
「……姫のところへ行かないと」
魔剣を拾うことを諦める。
いつか必ず取り戻す。
そう決めて、クリスは聖剣を握り直した。
その視線が、中庭の先に倒れているレオンへ向く。
「……レオン」
本当なら、駆け寄りたい。
名前を呼びたい。
生きているのか確かめたい。
だが、敵兵の足音はもうすぐそこまで迫っている。
「ごめん……」
クリスは一度だけレオンを見つめた。
「今は……行かないと」
その場を離れる。
魔剣は拾えなかった。
レオンのもとへも行けなかった。
ただ、王女だけは守らなければならない。
それだけを支えに、クリスは王族専用の通路へ向かった。
足を引きずりながら、一歩ずつ進む。
その先に姫がいる。
まだ、生きていると信じていた。
だからクリスは知らなかった。
自分が向かっている場所で、王女がすでに最後の決断を終えていることを。




