第六十六話 決戦(前編)
聖剣から溢れていた光が、次第に弱くなっていった。
白い輝きが少女の身体を包み込み、やがて最後の光が指先から消える。
部屋に残ったのは、冷たい石床と、そこに横たわる王女の身体だけだった。
魔女はしばらく何も言わず、その姿を見つめていた。
「……終わりましたね」
返事はない。
当然だった。
王女はもう、この世にはいない。
魔女は足元へ視線を落とし、床に残された聖剣へ手を伸ばした。
白い刀身に触れる。
聖剣は拒絶することなく、魔女の手の中へ収まった。
「素晴らしい力です」
魔女は満足そうに微笑む。
「これで、準備は整いました」
聖剣を手にしたまま、魔女は部屋を出た。
◇◇◇
中庭へ戻ると、炎に照らされた石畳が目に入った。
壁は崩れ、庭木は燃え、そこかしこに兵士たちが倒れている。
その惨状の中で、黒い剣だけが地面に転がっていた。
魔女の足が止まる。
「……魔剣」
先ほどまで公爵が握っていた剣だった。
持ち主を失ったはずなのに、黒い刀身には不気味な光が残っている。
魔女は聖剣を片手に持ったまま、魔剣へ近づいた。
そのときだった。
「……触るな」
背後から声がした。
魔女が振り返る。
「あら」
崩れた回廊の向こうに、クリスが立っていた。
鎧は傷だらけで、肩から血が流れている。呼吸も乱れ、足取りも決して安定していない。
それでも剣だけは、しっかりと握られていた。
「随分と遅かったですね、クリス」
魔女が微笑む。
「……何をした」
クリスは答えを待つことなく、中庭を見渡した。
倒れた兵士。
燃え上がる庭。
そして、その中央に倒れている人影。
「……レオン」
名前が口から漏れた。
足が止まる。
さっきまで、確かに生きていた。
笑っていた。
王女の手を引いて、逃げろと言っていた。
なのに。
今は石畳の上に倒れたまま、微動だにしない。
「……何をした」
今度は、はっきりと魔女へ問いかけた。
「私ではありませんよ」
魔女は淡々と答える。
「彼が自分で選んだのです」
「……自分で?」
「ええ」
魔女はレオンへ視線を向けた。
「王女を殺すくらいなら、自分の命を絶つ。彼はそう判断したのでしょう」
「……」
クリスの指が剣の柄へ食い込む。
レオンなら、そうする。
王女を守ると決めたなら、最後までその約束を曲げない。
それは分かる。
分かるからこそ、認めたくなかった。
「……ガルドは」
声が掠れる。
「ドレイスはどうした」
魔女は答えない。
「ナージャは?」
やはり返事はない。
クリスは魔女の顔を見た。
その沈黙だけで、嫌でも察してしまう。
「……そうか」
握った剣が震えた。
ルカを失った。
王も、王妃も死んだ。
そして今度は、仲間まで。
私は何のために戦ってきた。
誰かを守るためだったはずだ。
強くなれば、今度こそ大切な人たちを守れると思っていた。
なのに、目の前に残っているのは、燃え落ちていく王都と、倒れた仲間たちだけだった。
「……私は」
言葉が続かない。
魔女が口元を緩める。
「あなたは、何も変わっていませんね」
クリスが顔を上げる。
「公爵領でもそうでした」
「……黙れ」
「あなたは誰かを救おうとして、間に合わなかった」
「黙れ」
「王都でも同じです」
魔女の視線が、倒れているレオンへ向いた。
「そして今も」
「……黙れ!」
クリスが地面を蹴った。
距離が一気に縮まる。
剣が振り抜かれた。
魔女は身体を横へ流し、刃をかわす。
剣先が黒い髪を掠めた。
「おや」
魔女の手が上がる。
次の瞬間、魔力が弾けた。
「――っ!」
衝撃がクリスを吹き飛ばす。
背中が石壁へ叩きつけられ、肺から空気が抜けた。
膝をつく。
それでも剣は離さなかった。
「まだ戦うつもりですか?」
魔女が尋ねる。
クリスは壁に手をつき、身体を起こした。
「……当たり前だ」
「もう十分でしょう」
「十分なわけがない」
血を拭い、クリスは立ち上がる。
「お前を止めていない」
魔女は僅かに目を細めた。
「まだ何かを守れると思っているのですか?」
「思っているんじゃない」
クリスは魔女を睨みつける。
「止めるんだ」
「何のために?」
「これ以上、誰も殺させないために」
魔女が小さく笑った。
「あなたは、本当に不器用な人ですね」
その言葉を無視して、クリスは剣を構えた。
その視界の端に、黒い剣が映る。
レオンが最後に握っていた剣。
今は、誰の手にも握られていない。
魔女がそちらへ向きを変えた。
「さて」
魔女が歩き出す。
「こちらも回収しておきましょう」
「……待て」
クリスの声が低くなる。
「その剣に触るな」
「なぜです?」
「分からない」
正直に答える。
「でも、それは……レオンが握っていた」
魔女が足を止める。
「だから?」
「それをお前に渡すわけにはいかない」
クリスは剣を握り直した。
レオンが何を思ってこの剣を握ったのか。
なぜ最後にこの剣を手にしたのか。
何も分からない。
ただ一つだけ。
あの黒い剣には、嫌な気配がある。
それだけは感じていた。
「……なるほど」
魔女は黒い剣を見つめる。
「あなたも気になりますか」
「何?」
「いえ」
魔女は笑みを浮かべた。
「こちらの話です」
そのまま魔剣へ手を伸ばす。
「やめろ!」
クリスが踏み込む。
魔女の魔力が弾けた。
炎が地面を走る。
クリスは横へ跳び、迫る炎をかわした。
着地した瞬間、魔女へ斬り込む。
「――っ!」
魔女が魔力の壁を展開する。
剣がぶつかり、甲高い音が響いた。
押し返される。
クリスは踏みとどまり、再び剣を振る。
一撃。
二撃。
三撃。
魔女の魔法が次々と襲いかかる。
炎が頬を掠める。
魔力の刃が腕を裂く。
足元の石が砕け、身体が何度も揺さぶられる。
それでも、クリスは退かなかった。
「なぜ……」
魔女が初めて苛立ちを見せる。
「そこまでして戦うのです?」
「……決まっている」
クリスは荒い息を吐きながら答えた。
「私は、みんなに生きろと言われた」
ガルド。
ドレイス。
ナージャ。
ルカ。
そして、レオン。
思い出すだけで、足が震えそうになる。
それでも剣を握る。
「だから、私だけでも生きる」
一歩踏み込む。
「生きて、お前を止める」
魔女の魔法が迫る。
クリスは真正面から受けた。
「――っ!」
衝撃で身体が弾かれる。
それでも倒れない。
剣を地面へ突き立て、身体を支える。
目の前には、魔女。
その向こうには、燃え続ける王都。
足元には、レオンが倒れている。
もう誰も守れない。
そう思う。
それでも。
ここで剣を置くことだけはできなかった。
「私は……」
クリスは剣を抜く。
「もう失いたくない」
魔女が目を細めた。
「哀れですね」
「そうかもしれない」
クリスは構えを取る。
「それでも、私はお前を止める」
魔女の周囲で魔力が膨れ上がった。
「ならば、あなたもここで終わりなさい」
炎が一気に噴き上がる。
クリスはその中へ踏み込んだ。
剣と魔力が激突する。
轟音とともに石畳が砕け、炎が中庭を覆った。
それでもクリスは前へ進む。
一歩。
また一歩。
焼けるような熱に耐えながら、魔女との距離を詰めていく。
「なぜ……!」
魔女の声が響く。
「なぜ、まだ立てるのです!」
クリスは答えなかった。
答える必要などない。
ガルドたちがくれた時間を無駄にしない。
ルカが残したものを捨てない。
レオンが最後まで守ろうとした王女のためにも。
ここで終わるわけにはいかなかった。
「……まだ終わっていない」
クリスは剣を振り上げる。
魔女もまた、魔力を集中させる。
二人の間に、最後の一撃が迫った。
そのとき。
石畳に落ちていた黒い剣が、炎の光を受けて鈍く輝いた。
クリスはそれに気づかない。
ただ目の前の魔女だけを見据え、最後の力を込めて踏み込んだ。




