第六十三話 分断
王族専用の脱出通路を目指し、私たちは王城の廊下を走っていた。
遠くから剣戟の音が響いている。怒号や悲鳴に混じって、壁の向こうから何かが崩れる轟音まで聞こえてくる。王城そのものが戦場へ変わり、いつ崩れてもおかしくないほどの混乱に包まれていた。
「クリス!」
背後からレオンの声が飛んでくる。
「分かってる!」
私は振り返ることなく答えた。
王女の手を引いて走る。すぐ後ろにはレオンがついている。
王と王妃は、もういない。
残された王族は、この子だけだ。
だから、何としても王女を逃がさなければならない。
「もう少しです!」
王女が息を切らしながら言った。
「この先を抜ければ、中庭に出ます。そこから脱出通路へ行けます」
「ああ。そこまで行けば、城の外へ出られる」
私は答えた。
そう信じるしかなかった。
角を曲がる。
その瞬間だった。
「――止まれ!」
廊下の先に敵兵が現れた。
一人や二人ではない。
十人以上。
王族区画へ続く廊下を完全に塞いでいる。
「……多いな」
私は足を止め、剣を抜いた。
「レオン、姫を下がらせろ!」
「分かった!」
レオンが王女の前へ出る。
その直後、背後からも怒号が響いた。
「いたぞ!」
「逃がすな!」
「王女を捕らえろ!」
振り返る。
後ろからも敵兵が迫っていた。
「……挟まれた」
前も後ろも敵。
逃げ道はない。
王女の手が震えている。
それでも、泣いてはいなかった。
私は王女の前へしゃがみ込み、その目を見る。
「姫」
「……はい」
「何があっても、レオンから離れないでください」
「でも、クリスは……?」
「私もすぐに追いつきます」
王女は不安そうに私を見つめる。
「本当に?」
「ああ」
迷いを見せれば、この子はもっと不安になる。
私はできるだけ普段と変わらない声で言った。
「約束します」
王女は唇を噛み、頷いた。
「……分かりました」
私はレオンを見る。
「レオン」
「分かってる」
レオンは剣を構えた。
こんな状況でも、その顔にはいつもの真っ直ぐな強さが残っている。
「俺が姫を守る」
「ああ。頼んだ」
「お前も、絶対に来いよ」
「分かってる」
私は敵へ向き直った。
「行け!」
「クリス!」
「早く!」
レオンは一瞬だけ迷った。
だが、すぐに王女の手を取った。
「行こう、姫!」
「はい!」
二人が走り出す。
私はその背中を一度だけ確認した。
レオンなら大丈夫だ。
そう信じて、前へ踏み込む。
「ここから先へは、行かせない!」
敵兵が一斉に襲いかかってきた。
剣と剣がぶつかり、火花が散る。
最初の一人を斬り伏せる。
二人目の攻撃を受け流し、懐へ入り込んで柄を叩き込む。
三人目が横から迫る。
身を屈めて刃をかわし、そのまま足を払った。
倒れた兵士を踏み越える。
だが、敵は止まらない。
倒れた兵士の後ろから、また別の兵士が現れる。
「多すぎる……!」
剣を振る。
受ける。
弾く。
斬る。
身体が覚えている動きを繰り返しながら、私は少しずつ後退した。
王女たちが逃げる時間を稼がなければならない。
それだけを考えていた。
「クリス!」
遠くからレオンの声が聞こえた。
「姫を連れて先へ行くぞ!」
「分かった!」
私は叫び返す。
その直後、一人の敵兵が私とレオンの間へ割り込んできた。
「くっ……!」
斬り払う。
さらに一人。
また一人。
敵を倒して前を見る。
だが、もうレオンの姿は見えなかった。
「……レオン?」
私は周囲を見回す。
王女の姿もない。
「姫!」
返事はなかった。
廊下は敵兵で埋め尽くされている。
完全にはぐれてしまった。
「……くそっ」
追わなければ。
すぐにでも二人を探さなければならない。
だが、その前に目の前の敵をどうにかしなければならなかった。
私は剣を握り直した。
「必ず戻る」
誰に聞かせるでもなく呟く。
「必ず、二人のところへ戻る」
敵が迫る。
私は再び剣を振った。
何人倒したのか分からない。
腕は重く、呼吸も乱れている。
それでも止まれなかった。
王女を守る。
レオンと合流する。
そして、《暁の牙》のもとへ戻る。
そのために生き残らなければならない。
最後の一人が倒れた。
「……はぁ……」
荒い息を吐く。
身体中が痛んでいた。
それでも、立ち止まっている余裕はない。
廊下の先から、また足音が聞こえてきた。
「……まだ来るのか」
私は周囲を見回した。
近くに小さな扉がある。
咄嗟にそこへ駆け寄り、扉を開けた。
中は使われていない物置だった。
私は身体を滑り込ませ、扉を閉じる。
外を走る足音が近づいてきた。
一人。
二人。
さらに何人か。
息を殺して待つ。
やがて兵士たちは物置の前を通り過ぎ、足音が遠ざかっていった。
私は壁に背を預けた。
「……姫」
目を閉じる。
レオンが一緒なら、大丈夫だ。
あいつは約束した。
俺が守る、と。
なら、きっと王女を連れて脱出通路へ向かっている。
私はそう信じた。
ただ、それでも不安は消えなかった。
ガルド。
ドレイス。
ナージャ。
三人の顔が浮かぶ。
私たちを逃がすため、あの場所に残った。
まだ戦っているはずだ。
「……みんな」
拳を握る。
「無事でいて」
返事はない。
聞こえるのは、遠くで続く剣戟だけだった。
私は立ち上がった。
ここで待っているわけにはいかない。
扉を少し開け、廊下を確認する。
敵の姿はない。
「今だ」
外へ出る。
私は中庭へ向かって走り出した。
王族専用の脱出通路へ行けば、レオンと王女に追いつける。
そこで二人を守りながら城外へ出る。
そして、王城へ戻る。
ガルドたちと合流する。
そうなれば、また全員で戦える。
また皆で笑える。
私は、そうなると信じていた。
だから。
足を止めなかった。
ただ前だけを見て、私は中庭へ続く廊下を駆け抜けていった。




