第六十一話 最愛
王城の中は、すでに完全な戦場になっていた。
廊下を兵士たちが駆け抜け、怒号と剣戟が絶え間なく響いている。壁には血が飛び散り、床には倒れた兵士たちが横たわっていた。
味方なのか、反乱軍なのか。
一瞬では判別できないほど、王城は混乱している。
その中で、ガルドは大剣を振り抜いた。
「くそっ……!」
目の前の兵士が倒れる。
間髪入れず、横から別の敵が斬りかかってきた。
ガルドは身体を捻って刃をかわし、そのまま大剣を叩き込む。
さらに一人。
その後ろから、また一人。
倒しても、敵の数は減らない。
「多すぎるだろ……!」
息が荒くなる。
腕が重い。
長時間の戦闘ですでに身体は限界へ近づいていた。
それでも、剣を止めるわけにはいかなかった。
背後には、クリスたちがいる。
王女を連れて、脱出通路へ向かったはずだ。
ならば、自分たちがここで敵を食い止めるしかない。
クリスが王女を安全な場所まで連れていくための時間を稼ぐ。
それが、今の自分たちにできることだった。
「ガルド!」
背後から声が飛んできた。
「分かってる!」
敵を斬り伏せて振り返る。
そこにはドレイスがいた。
普段なら、どれだけ危険な状況でも冷静さを失わない男だ。
だが今は、額に汗が滲み、呼吸も乱れている。
「王女殿下は?」
「クリスが連れて行った!」
「なら、もう少しです」
ドレイスは周囲を確認しながら剣を構え直した。
「ここを維持できれば、脱出通路へ向かう時間を稼げます」
「……ああ」
ガルドは頷いた。
クリスならやれる。
あいつは、今まで何度も無茶をしてきた。
それでも最後には、自分の力で道を切り開いてきた。
今回だって同じだ。
「ドレイス」
「何です?」
「最後まで付き合ってくれるか?」
ほんの一瞬。
ドレイスの動きが止まった。
だが、すぐに口元へ笑みを浮かべる。
「今さら何を言っているんですか」
「私たちは、ずっと一緒に戦ってきたでしょう」
「……そうだったな」
「最後まで付き合いますよ」
ガルドが笑った。
「頼りになるな、お前は」
「今頃気付いたんですか?」
「うるせぇ!」
二人が同時に敵陣へ踏み込む。
大剣が唸り、ドレイスの剣が敵の隙を突く。
一人。
二人。
三人。
次々と敵を倒していく。
それでも、反乱軍の波は途切れない。
「まだ来るのかよ……!」
ガルドが歯を食いしばった。
敵の目的は、王城を制圧すること。
こちらを倒し尽くすまで、攻撃を止めるつもりはない。
その時だった。
「ガルド!」
別の方向から声が響いた。
「下がって!」
ナージャだった。
「ナージャ!?」
ガルドが振り向く。
その瞬間、敵兵が大きく剣を振り上げた。
狙われていたのはガルドだった。
ナージャが迷うことなく飛び込む。
「――っ!」
鈍い音が響いた。
ナージャの身体が大きく揺れる。
「ナージャ!」
ガルドの顔から血の気が引いた。
ナージャはその場に膝をついた。
それでも敵は止まらない。
倒れたナージャへ向けて、次の一撃が振り下ろされる。
「触るんじゃねぇぇぇ!」
ガルドが吠えた。
敵との距離を一気に詰め、大剣を振り抜く。
一人。
さらに一人。
ナージャへ近づこうとした兵士を、片端から叩き伏せていく。
「ガルド……」
「ナージャ!」
ようやく敵を退け、ガルドは彼女のもとへ駆け寄った。
膝をつき、その身体を抱き起こす。
「おい、しっかりしろ!」
「……ガルド」
「喋るな。すぐ治療する」
ガルドは傷口を押さえた。
だが、手に伝わる血の量があまりにも多い。
止まらない。
「ドレイス!」
「……」
呼びかけても、ドレイスは答えなかった。
彼も分かっている。
この傷では、助からない。
それでもガルドは認めようとしなかった。
「誰か治療できる奴を呼べ!」
「ガルド……」
「まだ間に合う!」
「団長……」
「まだ、間に合うだろ!」
声が震えていた。
ナージャはそんなガルドを見上げる。
苦しそうな呼吸を繰り返しながら、それでも笑った。
「……ほんとに」
「何だよ」
「……最後まで、鈍感なんだから」
「は?」
「こんな時まで……分からないんだね」
ガルドは眉を寄せる。
「何の話だ」
ナージャは少しだけ目を細めた。
「ずっと……」
息を整える。
「ずっと、好きだったのに」
「……」
ガルドの表情が固まった。
「……何?」
「ほんとに……気付かなかったんだ」
「ナージャ……」
「酒を飲む時も」
「怪我した時も」
「くだらないことで喧嘩した時も……」
ナージャは、途切れ途切れに言葉を続ける。
「いつも……ガルドの近くにいたでしょう?」
ガルドは何も答えられなかった。
言われてみれば、そうだった。
いつからだったのか。
思い出せないほど昔から、ナージャはそばにいた。
酒場では隣に座っていた。
自分が無茶をすれば怒った。
怪我をすれば真っ先に手当てをしようとした。
くだらない話で笑い、くだらないことで言い争った。
それが当たり前だった。
明日も。
明後日も。
きっと同じように、そこにいる。
そう思っていた。
だから。
気づかなかった。
失うかもしれないなんて、考えたことさえなかった。
「……俺は」
ガルドの声が掠れる。
「俺は……」
続きが出てこない。
ナージャは、そんなガルドを見て小さく笑った。
「ほら」
「……何だよ」
「やっぱり……遅い」
「……悪かった」
やっと出てきた言葉は、それだけだった。
「本当に……悪かった」
ナージャの手が、ガルドの服を掴む。
「……遅いよ」
「ああ」
「もっと早く……気付いてほしかったな」
「……ああ」
「でも……」
ナージャの声が、さらに小さくなる。
「最後に……言えてよかった」
ガルドは、その手を強く握った。
「俺も……」
言葉が詰まる。
何を言えばいい。
好きだった。
大切だった。
ずっとそばにいてほしかった。
伝えたい言葉はいくらでも浮かんだ。
なのに、声にならない。
「……ナージャ」
「……なに?」
「俺は……お前が」
そこで言葉が途切れた。
ナージャは待っている。
けれど、もう時間が残されていないことを、ガルド自身が理解していた。
「……悪かった」
ナージャが、ほんの少し笑う。
「ほんと……バカだね」
「……ああ」
「ガルドらしいけど……」
その手から、少しずつ力が抜けていく。
「ナージャ?」
「……」
「おい」
返事がない。
「ナージャ……?」
肩を揺らす。
それでも。
もう、声は返ってこなかった。
「……嘘だろ」
ガルドは彼女を抱きしめた。
「おい……起きろよ」
返事はない。
「まだ……俺に文句言ってねぇだろ」
声が震える。
「いつもみたいに怒れよ」
「俺が馬鹿だって……笑えよ」
ナージャは動かなかった。
ガルドの手の中で、その身体から力が抜けていく。
「……ナージャ」
もう一度名前を呼ぶ。
答えはなかった。
ガルドは俯いた。
何も考えられない。
これまで何度も仲間を失ってきた。
戦場で人が死ぬことも知っている。
死は、いつだって身近にあった。
それでも。
ナージャがいなくなることだけは、考えたことがなかった。
いつもそこにいたからだ。
当たり前のように笑っていた。
当たり前のように怒っていた。
当たり前のように、自分の隣にいた。
その「当たり前」が、今、消えた。
「……うあああああああああっ!」
ガルドの咆哮が王城に響き渡った。
怒りなのか。
悲しみなのか。
自分でも分からない。
ただ、声にしなければ壊れてしまいそうだった。
敵兵が一瞬だけ動きを止める。
だが、戦場は待ってくれない。
「団長!」
ドレイスの声が飛ぶ。
「敵が来ます!」
ガルドは答えなかった。
ナージャの身体を抱いたまま、しばらく動かなかった。
やがて。
ゆっくりと彼女を床へ横たえる。
乱れた髪を整える。
最後に、その手を握った。
「……悪かった」
今度こそ、返事はなかった。
ガルドは立ち上がる。
目元を拭うこともしなかった。
涙が流れていても、構わなかった。
剣を拾う。
「……行くぞ」
ドレイスがガルドを見る。
「団長……」
「クリスたちが逃げる時間は、まだ足りねぇ」
声は掠れていた。
それでも、足は止まらない。
「ここで止まるわけにはいかねぇ」
ドレイスが頷く。
「分かりました」
ガルドは前を向いた。
その先には、まだ無数の反乱軍がいる。
仲間を奪った敵。
王都を焼いた敵。
そして、クリスたちの行く手を塞ごうとする敵。
大剣を握る手に力が入る。
「……ナージャ」
最後に一度だけ、その名を呟いた。
「お前が作った時間、無駄にはしねぇ」
ガルドは敵へ向かって歩き出した。
もう一度、大剣を構える。
「行くぞ!」
ドレイスたちも続く。
《暁の牙》は、再び敵陣へ突き進んだ。
ただ一人。
欠けた仲間の存在を抱えたまま。




