第五十八話 それぞれの守るもの
城門へ敵の攻撃が叩き込まれるたび、王城全体が揺れていた。
私は剣を握ったまま、王族のいる区画へ向かって走っていた。
ガルドから受けた命令が、頭から離れない。
王族を守れ。
背後からは兵士たちの怒号が聞こえている。
剣戟。
悲鳴。
壁が崩れる音。
敵は、すでに城門だけを攻めているわけではない。
王城の内部へ入り込んでいる。
「……くそっ」
廊下を曲がった直後、一人の兵士が目の前へ吹き飛ばされてきた。
「ぐあっ!」
壁へ叩きつけられた兵士に駆け寄る。
「大丈夫か!」
「……クリス、殿……」
兵士は腹を押さえながら顔を上げた。
「敵が……西側から……」
「どこまで来ている?」
「王族区画の近くまで……」
私は奥へ目を向けた。
遠くから、剣のぶつかる音が聞こえる。
「分かった。ここは私が引き受ける。君は下がって治療を受けろ」
「しかし……」
「立っていても戦えないだろう」
兵士は悔しそうに唇を噛んだ。
それでも、やがて頷く。
「……お願いします」
「ああ」
兵士が去るのを確認してから、私は剣を構えた。
「いたぞ!」
廊下の向こうから敵兵が姿を現す。
「王族区画はこの先だ!」
「逃がすな!」
数人の兵士が一斉に駆けてくる。
私はその場を動かなかった。
先頭の男が剣を振り下ろす。
刃を受け流し、そのまま懐へ入り込む。柄で顎を打つと、男が崩れ落ちた。
横から別の兵士が斬り込んでくる。
身を引いて刃を避け、手首を打ち払う。
剣を落とした男を蹴り飛ばし、続く兵士へ斬りかかった。
狭い廊下では、大人数を相手にするには不利だ。
だが、敵も同じだった。
壁際へ追い込み、一人ずつ倒していく。
それでも敵の数は減らない。
「……多すぎる」
城門が突破されたのは一か所だけではない。
複数の場所から兵士が侵入している。
このままここで足止めを続ければ、王族のいる場所まで敵が押し寄せる。
その時だった。
「クリス!」
聞き慣れた声が響いた。
私は反射的に振り返る。
「レオン!」
廊下の先に、レオンが立っていた。
その隣には王女の姿がある。
護衛の兵士たちも数人いたが、すでに負傷している者が多い。
「どうしてここに?」
「王女を別の場所へ移そうとしてたんだ!」
レオンが剣を構えたまま答える。
「でも途中で敵が入ってきた。護衛の人たちが足止めしてくれて、俺たちはここまで来たんだ」
「そうか……」
王女を見る。
顔は青ざめていた。
それでも、足を止めてはいない。
「クリス……」
「姫」
私は王女の前まで歩いた。
「怪我はありませんか?」
「はい。大丈夫です」
王女は小さく頷く。
その声には震えが混じっていた。
「でも、お父様とお母様は……?」
「私はこれからお二人のもとへ向かいます」
「なら、私も――」
「いけません」
思わず強い口調になった。
王女が目を見開く。
私はすぐに声を落とした。
「この先は敵が入り込んでいます。ここに留まれば、いつ囲まれるか分かりません」
「ですが……」
王女が言い淀む。
その時、背後から剣戟が響いた。
「また来るぞ!」
レオンが叫ぶ。
廊下の奥から、敵兵が駆けてくる。
私は周囲を見回した。
王族区画の奥。
そこに、一つの扉がある。
幼い頃、王城の警備について教えられた際に聞いたことがあった。
王城が制圧された場合に備えた、王族専用の脱出通路。
地下を通り、城外へ繋がっている。
ここからなら、王女を安全な場所へ移せる可能性がある。
「レオン」
「何だ?」
「あの扉が見えるか?」
「ああ」
「あそこから王女を連れて脱出してくれ」
レオンの顔が険しくなる。
「お前は?」
「私は王と王妃のもとへ行く」
「俺も行く」
「駄目だ」
「なんでだよ!」
レオンが声を荒らげる。
「王と王妃のところへ行くなら、俺だって――」
「王女を一人にできないでしょう」
「……」
レオンが王女を見る。
王女は何も言わず、レオンの袖を握っていた。
その手は小さく震えている。
レオンはしばらく黙っていたが、やがて王女の前へ立った。
「……分かった」
王女が顔を上げる。
「俺が守る」
「レオン……」
「絶対に無事に連れていく」
その声に、いつもの無邪気さはなかった。
それでも、私は少し安心した。
この男なら任せられる。
「頼む」
「ああ」
レオンは剣を握り直した。
「だから、お前も絶対に戻ってこいよ」
「分かっている」
「約束だからな」
「ああ。約束する」
王女が私を見る。
「クリスも……」
「はい」
「お父様とお母様をお願いします」
私は頷いた。
「必ず」
その言葉を口にした直後、敵兵が廊下へ雪崩れ込んできた。
「来るぞ!」
レオンが王女の前へ出る。
「姫、こっちだ!」
「はい!」
「クリス!」
「任せろ!」
私は敵兵の前へ踏み込んだ。
振り下ろされた剣を受け止め、そのまま押し返す。
「今だ!」
レオンが王女を連れて走り出した。
「クリス!」
王女の声が響く。
「振り返らないでください!」
私は敵兵を斬り払いながら叫んだ。
「先へ!」
二人の足音が遠ざかっていく。
やがて、脱出通路へ続く扉が閉じられた。
これで王女は任せられる。
私は残った敵兵へ向き直った。
「……次は、王と王妃だ」
剣を握り直す。
王族区画のさらに奥へ向かって走った。
◇◇◇
王城の内部は、完全に混乱していた。
兵士が廊下を駆けていく。
負傷者が運ばれていく。
使用人たちは避難を命じられ、荷物を抱えながら階段を下りていた。
あちこちから怒鳴り声が聞こえる。
味方なのか敵なのか、一瞬では判断できない場所まである。
昨日までなら、ここは王国の中心だった。
多くの人が働き、兵士たちが訓練し、王族が暮らしていた場所だ。
今は違う。
同じ王国の兵士が、ここで互いに剣を向けている。
(これが……内乱)
敵国との戦争なら、敵の旗を見れば分かる。
守るべき場所と、倒すべき相手も明確だった。
だが今は違う。
昨日まで同じ王国のために戦っていた者たちが、別々の旗を掲げている。
その中心にいるのが、公爵だ。
(魔女……)
あの女の姿が頭をよぎる。
公爵が抱えていた悲しみ。
息子を失った苦しみ。
国への不満。
それらを利用し、魔剣を渡した。
公爵自身が力を求めたことも事実だ。
だから、すべてを魔女のせいにすることはできない。
あの女は、公爵の意思を奪ったわけではない。
ただ、彼が選びたくなる道を示した。
『私は何もしていません』
『ただ、公爵様が自分で選ぶところを見届けるだけです』
あの穏やかな声が蘇る。
「……本当に、何もしていないつもりなのか」
呟きは誰にも届かなかった。
魔女が何を考えているのかは分からない。
公爵をどこまで利用するつもりなのかも分からない。
今は、その答えを考えている場合ではなかった。
「急がないと」
私は走る速度を上げた。
王と王妃がいる部屋まで、あと少し。
途中の角から敵兵が現れる。
「止まれ!」
私は足を止めず、そのまま斬り込んだ。
一人目を倒す。
二人目の攻撃を受け流す。
三人目へ踏み込み、剣を弾き飛ばした。
倒れた兵士の横を通り過ぎる。
その先に、王族の居室へ続く大扉が見えた。
扉の前には、王国軍の兵士が数人立っている。
「クリス殿!」
「王と王妃は?」
「この中です!」
「敵は?」
「まだ、この区画までは到達していません!」
私は扉へ近づいた。
だが、そこで足を止める。
扉の向こうには、国王と王妃がいる。
そして、その二人を守るために、ここまで来た。
けれど。
王女はもういない。
レオンと共に脱出した。
なら、私がすべきことは一つだけだ。
「ここは私が守る」
兵士たちへ告げる。
「何があっても、この扉を突破させるな」
「はっ!」
私は剣を構え、廊下の向こうへ目を向けた。
遠くから、再び足音が聞こえてくる。
敵が近づいている。
まだ終わっていない。
むしろ、王城での戦いは始まったばかりだった。
私は一度だけ深く息を吸った。
ガルドたちは城門で戦っている。
ドレイスは防衛線を維持している。
ナージャたちも、仲間たちも、それぞれの場所で戦っている。
レオンは王女を連れて脱出へ向かった。
ならば。
私もここを守る。
剣を握る手に力を込めた。
「来るなら……来い」
廊下の向こうから、敵兵が姿を現す。
私は一歩前へ出た。
王と王妃を守るために。
仲間たちが守っている王城を守るために。
そして、この国で生きてきた人々の命をこれ以上奪わせないために。
私は迫り来る敵へ向かって、剣を振り上げた。




