第五十六話 内乱
更新遅れまして申し訳ありません…。
夜が明けた。
東の空が白み始めても、王都にいつもの朝は戻ってこなかった。
昨夜の騒ぎで焼け落ちた建物からは、まだ煙が上がっている。石畳には戦いの痕跡が残り、倒れた人々を運ぶ兵士たちの姿があちこちに見えた。
夜通し警戒に当たった兵士たちは、誰もが疲れ切っている。
それでも、持ち場を離れる者はいなかった。
「……妙に静かだな」
城壁の上に立つ兵士が呟く。
昨夜まで王都を覆っていた怒号や悲鳴は、今はほとんど聞こえない。
その静けさが、かえって不気味だった。
兵士は城壁の外へ目を向ける。
朝靄の向こうに広がる街道。
何もない。
そう思った、その時だった。
遠くから、低い音が響いた。
最初は気のせいかと思った。
だが、すぐに分かる。
地面を踏み鳴らす音だ。
一つではない。
二つ、三つと重なり、次第に数え切れないほどの足音へ変わっていく。
「……何だ?」
兵士が身を乗り出す。
朝靄の向こうから、黒い影が現れた。
旗が揺れている。
鎧が朝日に照らされる。
槍を手にした兵士たちが、隊列を崩すことなく街道を進んでいた。
「敵襲!」
城壁の上から叫び声が上がった。
「敵軍が接近している!」
鐘が鳴り響く。
一度、二度、三度。
王城中へ警報が伝わっていく。
私は兵舎の一室で飛び起きた。
「何だ!」
扉を開けると、廊下を兵士たちが駆けている。
その向こうから、ガルドが現れた。
「クリス、起きたか!」
「何があったんです?」
「外を見ろ!」
私たちは急いで城壁へ向かった。
ドレイスとナージャも、すでに動き始めている。
城壁へ上がったところで、一人の兵士が駆け寄ってきた。
「報告します!」
「言え!」
ガルドが促す。
「王都北側より、大軍が接近しています!」
「規模は?」
「正確には確認できていません!」
兵士は息を整えながら続けた。
「北側だけではありません。東側と西側にも部隊が確認されています。王都を囲むように展開しているものと思われます!」
私は城壁の向こうを見た。
朝靄が晴れるにつれて、敵軍の姿がはっきりしていく。
見覚えのある旗。
公爵家の紋章。
「……公爵軍」
口から言葉が漏れた。
ガルドがこちらを見る。
「公爵だと?」
「間違いありません」
公爵領で見た光景が蘇る。
領民の不満を煽っていた武装集団。
王国軍の介入を拒んだ公爵軍。
そして、あの女から渡された黒い魔剣。
すべてが一本の線で繋がったような気がした。
(あの文書は、本物だった?)
「公爵が来たんです」
ドレイスも敵軍を見つめていた。
「昨夜の暴動が偶然ではなかった可能性が高くなりましたね」
「どういうことだ?」
ガルドが尋ねる。
「昨夜の騒ぎによって、王都の兵力は各所へ分散しました。警備の再配置も必要になり、兵士たちはほとんど休めていません」
ドレイスの指が地図の上を動く。
「その直後に公爵軍が現れた。最初から王都を攻めるつもりだったのなら、昨夜の暴動は防衛力を削るための前段階だった可能性があります」
「つまり……」
ナージャが呟く。
「昨日の騒ぎは、本命じゃなかった?」
「そう考えるのが自然です」
ガルドが舌打ちする。
「最初から王都を狙ってやがったのかよ」
私は答えなかった。
公爵領で会った女の姿が頭から離れない。
あの女が、どこまで関わっているのか。
まだ分からない。
ただ、公爵は軍を動かす意志を持っていた。
(私が公爵を救いたいと、そうであって欲しくないと、縋っていたのを逆手に取られた!)
その時だった。
「王国軍へ告ぐ!」
城壁の外から声が響いた。
よく通る、低い声だった。
私は城壁から身を乗り出す。
敵軍の中央に、一人の男が立っている。
見間違えるはずがない。
「……公爵」
公爵は鎧を身につけ、その手には黒い魔剣を握っていた。
昨日、領主館で見た姿とはまるで違う。
疲れ果て、何かに縋るようにしていた男の面影は薄れている。
今の公爵の目には、強い確信が宿っていた。
「私は、この国の罪を正すために来た!」
公爵の声が王都へ響く。
「今の王国を見よ!」
「日和見を続ける王!」
「現実から目を背ける王妃!」
兵士たちがざわつく。
「そして、何も知らぬまま城の中で守られている姫!」
私は眉を寄せた。
「国が苦しんでいるにもかかわらず、王は決断しない!」
「民が苦しんでいるにもかかわらず、王妃は何も変えようとしない!」
「ならば、誰かが変えなければならない!」
公爵が黒い魔剣を掲げる。
「私は、そのためにここへ来た!」
敵兵たちが一斉に武器を掲げた。
「王族を引き渡せ!」
「そうすれば、これ以上の血は流さない!」
城壁の上に緊張が走る。
私は公爵を見つめた。
昨夜、王都では多くの人が傷ついた。
その原因がすべて公爵にあるとは、まだ断言できない。
それでも、公爵が自ら軍を率いて王都へ現れたことは事実だった。
「大人しく王族を引き渡せ!」
公爵が再び叫ぶ。
「拒むなら、王城を落とす!」
ガルドが一歩前へ出た。
「断る」
短い言葉だった。
公爵が目を細める。
「何?」
「聞こえなかったか?」
ガルドは剣を抜いた。
「王族は渡さねぇ」
「なぜだ」
「俺たちは、この国を守ると決めたからだ」
その言葉を聞いて、私は以前のことを思い出した。
《暁の牙》が王国軍へ加わるか迷っていた時、ガルドは自分たちが選んだ場所を守ると話した。
あの時に選んだ道が、今ここへ繋がっている。
公爵はガルドを睨みつけた。
「この国を守るだと?」
「ならば、昨夜の惨状を見てみろ!」
「お前たちが守った王都は、どうなった!」
ガルドの表情が険しくなる。
「それをやったのは誰だ?」
「王か?」
「王妃か?」
「姫か?」
公爵は答えない。
「違うだろ」
ガルドが城壁から公爵を見下ろす。
「民を巻き込んだのは、お前の軍だ」
「違う!」
公爵が声を荒らげる。
「私は民を傷つけるつもりなどなかった!」
「なら、兵を止めろ」
「……」
「今すぐ止めろ」
公爵の手が、黒い魔剣を強く握る。
「私は……」
視線が剣へ落ちた。
「この力があれば、国を変えられる」
その声は、先ほどまでの激しさを失っていた。
「間違っていたものを正せる」
「失ったものを取り戻せる」
私はその言葉を聞き、黙って公爵を見つめた。
息子を失った。
領地も荒れた。
自分自身も追い詰められていた。
そこへ、魔剣が現れた。
力を与えると言われれば、縋りたくなるのも無理はない。
だからこそ、あの魔女は公爵を選んだのだろう。
公爵が力を求めることを知っていたから。
「公爵様」
私は城壁の前へ進み出た。
「クリス……」
ガルドが振り返る。
私は構わず、公爵を見つめた。
「あなたは、本当にそれが正しいと思っているのですか?」
公爵の目が私へ向く。
「……お前も、私を止めるのか」
「止めます」
「なぜだ」
「このままでは、これ以上の人が死ぬからです」
「綺麗事だ」
公爵は吐き捨てるように言った。
「何も失っていない者には分からない」
「私は失った!」
声が王都へ響く。
「息子を失った!」
私は何も言えなかった。
ルカ。
その名前が脳裏に浮かぶ。
公爵にとって、息子の死はまだ終わっていない。
「家族も失った!」
「領地も、名誉も、何もかもだ!」
公爵の言葉を聞きながら、私は剣の柄を握った。
「だからこそ、これ以上失わないでください」
公爵の表情がわずかに揺れた。
ほんの一瞬だった。
「……もう遅い」
黒い魔剣を握り直す。
「私は、もう戻れない」
その言葉には、昨日までの迷いがなかった。
私は悟った。
言葉だけで止めることは、もうできない。
「最後の警告だ!」
公爵が魔剣を掲げる。
「王族を引き渡せ!」
「拒むなら、この城を落とす!」
敵兵が一斉に武器を構えた。
「弓兵、配置につけ!」
ドレイスの声が飛ぶ。
「正門の防御を固めろ! 第二隊は王族のいる区画を守れ!」
兵士たちが一斉に動き始める。
ガルドが私の隣に立った。
「クリス」
「はい」
「怖ぇか?」
「……怖いです」
正直に答える。
ガルドは少しだけ笑った。
「俺もだ」
それから敵軍へ視線を戻す。
「だが、守るぞ」
「はい」
私も剣を抜いた。
城壁の向こうで、公爵軍が動き始める。
盾を構えた歩兵が前へ出る。
その後ろから槍兵が続く。
さらに弓兵が隊列を整えていく。
公爵は黒い魔剣を高く掲げた。
「進め!」
大地を揺らすような足音が響く。
公爵軍が王城へ向かって一斉に駆け出した。
「放て!」
ドレイスの号令とともに、城壁から矢が放たれる。
朝の空を無数の矢が横切った。
盾が上がる。
兵士たちが叫ぶ。
城門の前へ、敵軍が迫ってくる。
私は剣を握り直した。
もう、話し合いだけでは終わらない。
公爵が選んだ道を止めるために、私たちも剣を取るしかなかった。
こうして、王国の内乱が始まった。




