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捨てられた第一王女ですが、聖剣を手に伝説の傭兵へ成り上がります!【乙女ゲーム前日譚・滅びゆく国を捨てて自分の人生を生き抜く異世界転生】  作者: 穂波 奏
第一章 前日譚

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第六話 暁の牙

 男たちが逃げ去った後。


 大通りには、少しずつ元の喧騒が戻り始めていた。


 何事もなかったかのように、人々が行き交っている。


 先ほどまで私を囲んでいた男たちも。


 肩を掴んできた男も。


 もうどこにもいない。


 残ったのは、目の前に立つ赤髪の男だけだった。


 男は背負っていた大剣を背中へ戻すと、こちらへ歩いてくる。


 近づくほど、その大きさがよく分かった。


 五歳の私とは比べものにならない。


 肩幅は広く、腕も太い。


 分厚い胸板。


 何度も剣を振ってきたのだろう。


 服の隙間から見える腕には、古い傷がいくつも残っている。


 でもさっきまで男たちを睨みつけていた時とは、雰囲気が少し違っていた。


 怖いというより、豪快で、どこか親しみやすい。


 男は私の前まで来ると、腰を落とし目線を合わせる。


 それでも、まだ私よりずっと大きい。


「坊主」


「怪我はねぇか?」


 私は自分の身体を確認する。


 腕。


 足。


 顔。


 短剣に掠められた袖は破れている。


 けれど、皮膚に傷はない。


「……ない」


「本当にか?」


「ああ」


 男は私の腕や肩を目で確認する。


 それから破れた袖へ視線を落とした。


「服は切られたみてぇだが……身体は無事か」


「問題ない」


「なら良かった」


 男はようやく息を吐いた。


 その言葉が、妙に胸へ引っかかった。


 ――良かった。


 ただ、それだけ。


 私が何者なのか。


 どこの家の子どもなのか。


 なぜ一人で街を歩いているのか。


 そんなことは何も聞かない。


 ただ、怪我をしていないことを確認して。


 安心した。


 それが、少し不思議だった。


「……助かった」


 私は小さく頭を下げる。


 男は一瞬、目を丸くした。


 それから。


「ははっ!」


 豪快に笑った。


「礼なんていらねぇよ」


「でも、助けてもらった」


「なら、それで十分だ」


 男は笑いながら頭を掻いた。


「それに、あんな連中に囲まれてる子どもを見て、黙って通り過ぎるってのも気分が悪ぃからな」


「……そういうものなのか?」


「そういうもんだ」


 即答だった。


 私は少し考える。


 そんな考え方をする人間を、私はあまり知らない。


 王宮では、誰かに助けてもらうには、それなりの理由が必要だった。


 公爵家でも、自分の立場や役割を考えなければならなかった。


 けれど、この男は違う。


 困っている子どもがいた。


 だから助けた。


 それだけらしい。


「俺はガルド」


 男が右手を差し出した。


「《暁の牙》って傭兵団の団長をやってる」


 私は差し出された手を見る。


 大きい。


 ごつごつしている。


 手のひらには、剣を握り続けてきた人間特有の硬い皮膚と、いくつもの古傷があった。


「……クリス」


 私はその手を握った。


 手の大きさが、まるで違う。


 私の手など、ガルドの手の半分にも届かない。


「よろしく」


「おう」


 ガルドは笑った。


「よろしくな、クリス」


 その時だった。


 ぐぅぅぅぅ……。


「…………」


「…………」


 辺りに、小さな腹の音が響いた。


 私は固まった。


 ガルドも固まる。


 数秒。


 沈黙が続く。


「……お前」


「腹減ってんのか?」


「違う」


「いや、今鳴っただろ」


「気のせいだ」


「俺の耳はそこまで悪くねぇぞ」


 ガルドの口元が震える。


「……ぷっ」


「笑うな」


「いや、悪い」


 肩を震わせている。


「でもなぁ……」


 とうとう堪えきれなくなったらしい。


「はっはっはっ!」


「笑うな!」


「悪い悪い!」


 そう言いながらも、ガルドはしばらく笑っていた。


 私は頬が熱くなるのを感じた。


「飯、食ってねぇのか?」


「食べた」


「いつ?」


「……朝」


 ガルドの笑いが止まった。


「今、昼過ぎだぞ」


「……」


「朝から何も食ってねぇのか?」


「少しは食べた」


「少し?」


「……パンを一つ」


 ガルドが頭を抱えた。


「お前なぁ……」


「何だ」


「五歳くらいのガキが、それだけで一日歩き回ったら身体がもたねぇぞ」


「五歳に見える?」


「見える」


 即答だった。


「どう見ても五歳だ」


「……そうか」


「なんだ、その反応」


「もう少し上に見えると思っていた」


「ははっ!」


 ガルドはまた笑った。


「無茶言うな。身体はちゃんと五歳だろ」


「……」


 その言葉に、私は少しだけ黙った。


 そうだ。


 中身まで五歳ではない。


 けれど、この身体は五歳だ。


 どれだけ前世の記憶や、武術の知識があっても。


 大人と比べれば、力も体力も圧倒的に足りない。


 さっきの男たちとの戦いでも、それは嫌というほど分かった。


 動きを読める。


 避けることもできる。


 相手の勢いを利用することもできる。


 それでも。


 まともに一撃を受ければ、私の身体など簡単に壊される。


 五歳という身体の現実からは、逃げられない。


「それで」


 ガルドが私を見る。


「こんなところで何してたんだ?」


 私は一瞬、答えるか迷った。


 薬師を探していることまで話していいのか。


 けれど、隠すほどのことでもない。


「薬師を探している」


「薬師?」


「ああ」


「何か薬が必要なのか?」


「必要な薬がある」


 それ以上は言わなかった。


 毒のことも。


 公爵家のことも。


 自分が何者なのかも。


 初めて会ったばかりの人間に話す必要はない。


 ガルドも、それ以上は聞かなかった。


「薬師なら、俺も何軒か知ってるぞ」


「本当か?」


「ああ」


 思わず声が少し大きくなる。


 ガルドは目を細めた。


「そんなに急いでんのか?」


「……少し」


「なら案内してやる」


「いいのか?」


「別に構わねぇよ」


 あっさりした答えだった。


「どうせ俺たちの拠点も、この近くだ」


「《暁の牙》の拠点?」


「ああ」


 ガルドは親指で後ろを指した。


「一度、そこで飯を食ってけ」


「薬師へ行くのが先だ」


「腹が減ってるだろ」


「……」


「さっきから腹鳴らしてたじゃねぇか」


「……あれは忘れてくれ」


「無理だな」


「ガルド」


「ははっ!」


 私は思わずため息をついた。


「飯を食ってから薬師へ行く」


「それでいいだろ?」


「……分かった」


「よし!」


 ガルドが満足そうに笑う。


「決まりだ」


 歩き出そうとしたところで、ガルドが私の袖を見る。


 短剣に切られた布。


「それにしても、その服……」


「さっき切られた」


「そうか」


 ガルドは少し眉を寄せた。


「だったら、なおさら一人で歩かせるわけにはいかねぇな」


「一人で大丈夫だ」


「大丈夫じゃねぇだろ」


「……」


「ついさっき五人に囲まれてたじゃねぇか」


 反論できない。


 確かに、その通りだった。


「それに、お前みたいな小さい子どもが一人で歩いてりゃ、また目を付けられるかもしれねぇ」


「……それは困る」


「だろ?」


 ガルドは笑う。


「だから、飯を食って、薬師まで一緒に行く」


「そこまでしてもらう理由はない」


「理由ならある」


「何?」


「俺がそうしたいからだ」


「……」


 あまりにも簡単に言われて、返す言葉がなくなった。


「行くぞ、クリス」


 ガルドが歩き出す。


「《暁の牙》の拠点はすぐそこだ」


「飯を食ったら薬師へ案内してやる」


 私はその背中を見つめた。


 赤い髪。


 大きな身体。


 背中に担いだ巨大な剣。


 ついさっきまで、私とは何の関係もなかった男。


 それなのに。


 なぜか、その背中を見ていると少しだけ警戒心が薄れていく。


 もちろん、完全に信用したわけではない。


 傭兵という人種がどんなものなのかも、まだ知らない。


 ただ、少なくとも、今のところ私を利用しようとしているようには見えなかった。


 ガルドは私が何者なのか聞かなかった。


 どこから来たのかも。


 なぜ一人なのかも。


 金を持っているのかも。


 ただ、腹が減っていることを気にして。


 怪我をしていないことを確認して。


 薬師まで案内すると言った。


 そんな人間に出会ったのは、初めてだった。


(……変な人)


 私は小さく息を吐く。


 そして、ガルドの後を追って歩き出した。


 五歳の私には、大人の歩幅は大きい。


 数歩も進めば、すぐに距離が開いてしまう。


 けれどガルドは何も言わずに歩く速度を落とした。


 私が追いつけば、また少し進む。


 遅れれば、また少し待つ。


 まるで私に合わせていることを意識させないように。


 そのことに気付いた時。


 胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなった。


 そして私は、赤い髪の大男の後ろを、小さな歩幅で追いかけたのだった。

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