第五話 赤毛の男
服屋を飛び出した私は、そのまま大通りを歩いていた。
目的地は薬師の店。
先ほど馬車の中から見えた店の位置は、なんとなく覚えている。
服屋も薬師も、大通り沿いにあるらしい。
(たぶん……こっち。)
周囲を見回しながら歩く。
石畳の道。
行き交う人々。
荷物を積んだ荷馬車。
店先に並べられた商品。
どれも見慣れないものばかりだ。
前世なら、スマートフォンで地図を開けば一瞬で現在地が分かった。
目的地までの距離だって表示される。
けれど、この世界にはそんな便利なものはない。
頼れるのは、自分の記憶と目だけ。
(目的地が分かってると近く感じるのに……。
知らない道って、どうしてこんなに遠く感じるんだろう。)
歩いているだけなのに、妙に疲れる。
五歳の身体だからだろう。
前世では何とも思わなかった距離が、今では結構な運動になる。
それでも、足を止めるわけにはいかなかった。
薬師を見つけなければならない。
その時だった。
「おい、そこのガキ」
後ろから声が聞こえた。
私は振り返らなかった。
大通りには人が多い。
自分に向けられた声とは限らない。
「おい!」
今度は、さっきより近い。
それでも私は歩き続けた。
すると。
「お前だよ!」
突然、肩を掴まれた。
「……っ」
強引に身体を回される。
目の前には、大柄な男が立っていた。
酒臭い息。
伸びた髭。
汚れた革鎧。
腰には短剣。
どう見ても、まともな人間には見えない。
「さっきから呼んでんだろうが!」
「……聞こえていた」
「あ?」
「でも、自分に向けられた声だと思わなかった。」
男の眉がぴくりと動いた。
「生意気なガキだな。」
男は私の服へ視線を落とす。
そして、口元を歪めた。
「その服、イイトコの仕立てだろ?」
心臓が一瞬だけ跳ねる。
「さっき服屋から出てきたのも見てたぜ。」
男は周囲を確認する。
「一人で店に入って、何か売ってたよな?」
「……。」
「金、持ってるんだろ?」
嫌な予感がした。
「しかも護衛もいねぇ。」
男が笑う。
「運がいいぜ、坊主。」
「俺たちが安全に預かってやるよ。」
(ああ。)
(そういうことか。)
服屋でベルトを売ったところを見られていたらしい。
金を持った子ども。
しかも一人。
狙われるには十分だった。
「不要だ。」
私は短く答える。
「そこを通してくれ。」
「……あ?」
「薬師の店へ行かなければならない。」
「そんなの後でいいだろ。」
「良くない。」
男の顔から笑みが消えた。
「預かってやるって言ってんだよ。」
「断る。」
数秒。
男は私を睨みつけた。
「……痛い目を見ねぇと分からねぇか。」
その瞬間だった。
周囲にいた数人の男たちが動いた。
一人が前。
二人が左右。
さらに後ろにも二人。
気付けば、私は完全に囲まれていた。
(五人……。)
私は視線だけを動かす。
正面の男は拳。
右には棍棒。
左には短剣。
残りの二人は、逃げ道を塞ぐように立っている。
まともな訓練を受けた兵士には見えない。
けれど、私の身体は五歳だ。
武術を教わっているとはいえ、大人と力比べをして勝てるわけではない。
(正面から戦うのは無理。)
教師から何度も言われている。
力で勝てない相手とは戦うな。
相手の動きを見ろ。
攻撃を受け止めるな。
避けて、隙を作れ。
そして逃げろ。
それが今の私にできることだった。
「金を置いていけ。」
正面の男が言う。
「そうすりゃ怪我はさせねぇ。」
私は黙って相手を見る。
「どうした?」
男が拳を握る。
「怖くて声も出ねぇか?」
私は腰を落とした。
足を少し開く。
視線を相手の肩へ向ける。
拳そのものを見るな。
動き出す前の身体を見る。
教師に教えられた通りに。
「そんな構えで何ができる!」
男が踏み込んだ。
拳が飛んでくる。
私は身体を横へずらした。
拳が頬のすぐ横を通り過ぎる。
風を感じた。
「なっ……!」
私は驚いた男の腕を掴む。
けれど、引っ張ることはしない。
力では敵わない。
だから、相手の勢いを利用する。
身体を横へ捻り、足を払った。
「ぐあっ!」
男の身体が石畳へ転がる。
私はすぐに距離を取った。
次の瞬間。
「このガキ!」
横から棍棒が振り下ろされる。
私は咄嗟に後ろへ跳んだ。
ドンッ!
棍棒が地面を叩く。
石畳に鈍い音が響いた。
(……今のを受けたら危なかった。)
腕一本で受け止められるような攻撃ではない。
棍棒を持った男が再び振りかぶる。
今度は横薙ぎ。
私は腰を落とした。
頭上を棍棒が通り過ぎる。
そのまま懐へ入り、男の手首を蹴った。
「ぐっ!」
棍棒が地面へ落ちる。
でもそこで終わりではなかった。
背後から気配。
(……!)
振り向く。
短剣を持った男が迫っていた。
距離が近い。
避けるには遅い。
短剣が振り上げられる。
私は反射的に身体を捻った。
刃が服の袖を掠める。
布が裂けた。
「っ……!」
その瞬間。
低い声が響いた。
「おいおい。」
空気が変わった。
「大人が寄ってたかって、子ども一人を囲むとは。」
男たちが一斉に振り返る。
「随分と情けねぇな。」
人混みの向こうから、一人の男が歩いてくる。
燃えるような赤い髪。
顎を覆うほどの髭。
鍛え上げられた大きな身体。
背中には、一本の巨大な剣。
ただ歩いているだけなのに。
周囲の空気が、明らかに違った。
「なんだ、てめぇ!」
男の一人が怒鳴る。
「関係ねぇなら引っ込んでろ!」
赤髪の男は足を止めた。
そして、にやりと笑った。
「悪いな。」
背中へ手を伸ばす。
大剣を抜く。
ギィン――。
巨大な刃が陽光を反射した。
男たちの表情が変わる。
「その坊主に手を出すなら。」
赤髪の男は大剣を肩へ担ぐ。
「俺が相手になる。」
「……。」
誰も動かない。
さっきまでの威勢が嘘のように消えている。
一人が震える声で呟いた。
「……赤髪。」
「まさか……。」
別の男が顔を青ざめさせる。
「《暁の牙》の……ガルド……?」
その名前が出た瞬間。
男たちの顔色が変わった。
「逃げろ!」
一人が叫ぶ。
男たちは一斉に走り出した。
先ほどまで私を囲んでいた五人が、あっという間に人混みの向こうへ消えていく。
私は呆然と、その背中を見送った。
赤髪の男は大剣を鞘へ戻す。
「ったく。」
そして、こちらを見る。
「最近のチンピラは根性がねぇな。」
炎のような、男だった。




