第四話 値踏み
衣料品店の扉を開けると。
からん、と小さな鈴が鳴った。
「いらっしゃい――」
店の奥から声が聞こえる。
カウンターに座っていた店主は、私の姿を見るなり言葉を止めた。
「……坊主?」
中年くらいの男だった。
少し伸びた髭。
丸みを帯びた身体。
その前には帳簿と、いくつかの布見本が置かれている。
私は店内を見回した。
壁には色とりどりの布が並び、奥には仕立てられた服が掛けられている。
革袋や手袋。
そして、私が探していたベルトも何本か並んでいた。
「一人で来たのか?」
「ああ。」
「親は?」
「いない。」
嘘ではない。
正確には、いる。
でも私を守ってくれる親ではない。
店主は怪しむように私を見る。
五歳の子供。
しかも一人。
普通なら、迷子か家出でもしたと思うだろう。
「それで、何の用だ?」
「売りたい物がある。」
「売る?」
「ああ。」
私は腰へ手を伸ばした。
革のベルトを外し、カウンターへ置いた。
「これを買い取ってほしい。」
店主は眉を上げた。
「ベルトか。」
「そうだ。」
「お前のか?」
「ああ。」
「……本当に?」
「何か問題でも?」
店主は答えず。
ベルトを手に取った。
まず革の表面を指で撫でる。
次に留め具を確認する。
裏返して、縫い目を眺める。
最後に革を軽く曲げた。
「ふむ……。」
しばらく考えたあと。
「銀貨六枚。」
即答だった。
「……六枚?」
「ああ。」
私はベルトを見る。
正直、この世界の金銭感覚は、まだよく分からない。
だが店主の態度を見る限り、どう考えても最初から買うつもりの値段ではない。
「安い。」
「そうか?」
「その値段なら売らない。」
私はベルトを取り返そうと手を伸ばした。
すると。
「待て待て。」
店主がベルトを持ったまま手を引く。
「商売はこれからだろ。」
「最初に値段を出したのはそっちだ。」
「お前、本当に五歳か?」
「五歳だ。」
「……そうは見えねぇな。」
店主が苦笑する。
私は少しだけ肩をすくめた。
前世では、買い物をすることも、中古品を売ることも、それほど珍しいことではなかった。
もちろん私はこの世界の相場など知らない。
それでも相手の表情や声から、最初に提示した金額が「探り」なのは分かる。
「革は悪くない。」
「そうだな。」
「金具も壊れていない。」
「まあな。」
「縫い目もしっかりしている。」
私はベルトを指差す。
「少なくとも、銀貨六枚で売るような物には見えない。」
店主は黙り込んだ。
「……銀貨十枚。」
「まだ安い。」
「おい。」
「他の店に持っていく。」
「待てって。」
店主がため息をついた。
「じゃあ銀貨十五枚。」
「金貨一枚。」
「……。」
店主が目を細める。
「いきなり上げたな。」
「そっちも上げた。」
「坊主。」
「何だ?」
「商売ってのは、そんなに簡単じゃねぇぞ。」
「知ってる。」
本当は知らない。
でも知らないからこそ、相手の言葉をそのまま信じるつもりもなかった。
私はベルトを指で示す。
「これ、ベルトとして売る必要はないだろ。」
「何?」
「革は革製品に使える。」
「……。」
「金具は別に使える。」
店主の顔から、わずかに笑みが消える。
「それに、この店には似たような商品がある。」
私は店内を見回す。
「売り物にするなら、私から買うより新品を仕入れた方がいい。」
「だったら、なんで売りに来た?」
「お金が必要だから。」
即答した。
店主は一瞬だけ目を丸くする。
私はそのまま続けた。
「でも、必要だからといって安く売るつもりはない。」
「……。」
しばらく、店主は私を見つめていた。
やがて。
「分かった。」
小さく息を吐く。
「金貨二枚。」
「二枚?」
「ああ。」
「それが限界だ。」
私は考える。
薬師で解毒薬を買う。
薬の値段は分からない。
けれど、金貨二枚あれば、少なくとも交渉することはできるだろう。
「分かった。」
「よし。」
店主は満足そうに頷いた。
金貨を二枚取り出し、カウンターへ置く。
私はそれを受け取った。
ずしり。
小さな手のひらに、金属の重みが伝わってくる。
(……重い。)
前世では。
財布の中にお金が入っていることなど当たり前だった。
けれど、この世界で、自分の意思で手に入れたお金は、これが初めてだった。
私は金貨を服の内側へしまう。
「これでいいな。」
「ああ。」
店主はベルトを手元へ引き寄せる。
その時。
「あれ?」
店主が声を漏らした。
「どうした?」
「いや。」
店主はベルトを裏返した。
「これ、刺繍が入ってるな。」
「刺繍?」
「ああ。ここだ。」
指差された場所を見る。
革の裏側。
表からはほとんど見えない場所に、小さな花の模様が縫い込まれていた。
同じ色の糸を使っているため、今まで気付かなかった。
「……花?」
「そうだ。」
店主は目を細める。
「珍しいな。」
「何が?」
「こういう刺繍は、王家や王家に近い家で使われることがある。」
「王家……?」
その言葉に。
胸が小さく跳ねた。
「昔からの習慣だ。」
店主は刺繍を指先でなぞる。
「身近な者へ贈る品に、こういう目立たない刺繍を入れることがあるらしい。」
「そうなのか。」
「ああ。」
「誰が入れたか分かる?」
「そこまでは知らねぇ。」
店主は肩をすくめた。
「昔の物かもしれねぇし、単なる飾りかもしれねぇ。」
「……そう。」
私は刺繍を見つめた。
見覚えはない。
でも、なぜだろうか。
胸の奥が、少しだけざわつく。
このベルトは、公爵家へ引き取られた時から身につけていた。
誰が用意したものなのか、私は知らない。
ただ、公爵家で与えられた物だと思っていた。
(王家……。)
その言葉から。
生まれた日の記憶が蘇る。
『女はいらない。』
『その子は連れて行きなさい。』
『王女として存在しなかったことにする。』
冷たい声。
冷たい視線。
私は目を伏せた。
(……何を考えてるんだ。ただの刺繍なのに。)
それ以上でも、それ以下でもない。
今の私にとって大切なのは、こんな刺繍ではない。
解毒薬、生きるための薬だ。
「じゃあ、私は行く。」
「ああ。」
店主はベルトを持ったまま頷いた。
私は扉へ向かう。
「坊主。」
背後から呼ばれた。
振り返る。
「薬師を探してるんだったな?」
「そうだ。」
「この通りを真っ直ぐ行けば、薬草を扱ってる店がある。」
「本当か?」
「ああ。」
店主は通りの先を指差す。
「大きな木の看板が出てる。薬草の絵が描いてあるから、すぐ分かる。」
「ありがとう。」
「気を付けて行けよ。」
私は小さく頷いた。
「分かった。」
扉を開ける。
からん、と鈴が鳴った。
外へ出ると、王都の喧騒が再び耳へ飛び込んできた。
人の話し声。
馬車の音。
商人の呼び込み。
子供たちの笑い声。
私は服の上から、金貨の入った場所を確かめる。
(これで、薬を買える。)
まだ何も解決していない。
次に毒を盛られた時。
本当に薬で助かるのかも分からない。
そもそも、どんな毒を使われているのかすら分からない。
それでも、何も持っていなかった時とは違う。
少なくとも、自分で動くための手段を一つ手に入れた。
(……よし。)
私は大通りを歩き始めた。
薬師の店を目指して。
小さな足で。
一歩ずつ。
けれどその途中、私はふと立ち止まった。
(……あれ?)
後ろから、誰かに見られているような気がした。
振り返る。
人。
馬車。
店。
行き交う商人。
特に変わった様子はない。
(気のせいかな。)
私は首を傾げ、再び歩き出す。
薬師の店までは、もう少し。
気持ち早足で、歩を進めた。




