第三話 街へ
王女誕生の祝いを終え、私は王宮の長い廊下を歩いていた。
磨き上げられた白い床に、小さな足音が響く。
つい先ほどまで、王宮は多くの人で賑わっていた。
王女の誕生を祝う声。
楽器の音。
貴族たちの笑い声。
けれど、少し離れたこの廊下には、ほとんど人の姿がない。
私は一人だった。
(……まあ、いつものことか。)
公爵は先に帰ったらしい。
私を待っている理由などないのだろう。
今の公爵家には、私よりも大切な存在がいる。
実の息子、私の弟。
そう考えると、胸の奥が少しだけ痛んだ。
けれど、私はその感情に蓋をする。
(今は、それどころじゃない。)
今日、王家に正式な王女が生まれた。
私が生かされていた理由は、王家の血を残すためだった。
もし王家にあのまま子供がいなければ、いつか私を王家へ戻す可能性もあったのだろう。
だから、毒を盛られても、密かに解毒薬が届けられていた。
けれど、もうその必要はない。
王家には、私の代わりになる王女が生まれた。
(……次に毒を飲まされたら、私は死ぬかもしれない。)
そう考えた時。
怖かった。
王女になりたいわけじゃない。
王家に戻りたいわけでもない。
公爵家を奪いたいわけでもない。
ただ。
(死にたくない。)
それだけだった。
前世で一度死んだ。
そして、この世界でも、五年間生きてきた。
せっかく与えられた二度目の人生だ。
誰かの都合で終わらせられるなんて、絶対に嫌だった。
(だったら、自分で解毒薬を探すしかない。)
薬師。
薬草。
毒に詳しい人間。
王家から届いていた薬と同じものが手に入らなくてもいい。
毒について調べる方法が分かれば、それだけでも違う。
問題は、どうやって探すか。
私はまだ五歳だ。
自由に街を歩いた経験などない。
お金もない。
それでも、何もしなければ、何も変わらない。
◇◇◇
王宮の正門を出ると。
公爵家の馬車が止まっていた。
御者が私に気付くと、慌てて馬車から降りる。
「クリス様、お帰りでございます。」
「ああ。」
私は馬車へ乗り込む。
そして、少し考えてから口を開いた。
「街へ寄ってほしい。」
「……街、でございますか?」
「ああ。」
御者が困ったような顔をする。
「ですが、公爵様からは寄り道をせず屋敷へ戻るようにと……。」
「そう。」
私は窓の外を見る。
「じゃあ、私が寄り道をしたいと言ったことにして。」
「しかし……。」
「責任は私が取る。」
自分で言ってから。
(五歳児が言う台詞じゃないな。)
と思った。
けれど、御者はしばらく悩んだあと、頭を下げた。
「……承知いたしました。」
「ありがとう。」
馬車が動き出す。
王宮を離れ。
大きな門を抜ける。
すると、目の前に今まで見たことのない景色が広がった。
「……わぁ。」
思わず声が漏れる。
王都。
ゲームの中では何度も見た場所だった。
けれど、実際に見るのは初めてだ。
大通りには、多くの人が行き交っている。
焼きたてのパンを売る店。
色とりどりの果物を並べた露店。
布を積み上げた商店。
鍛冶屋から聞こえる金属音。
子供たちの笑い声。
馬車が通るたび、道の端にいる人々が少しだけ身を避ける。
商人たちは大きな声で客を呼び。
店先では値段を巡って言い合う声も聞こえる。
王宮とは、まるで別の世界だった。
(こんなに人がいるんだ。)
ゲームの画面では、ただの背景だった。
けれど、ここにいる人たちは。
誰もが生きている。
今日の夕飯を考えて。
明日の仕事を考えて。
家族のことを考えて。
笑ったり。
怒ったり。
泣いたりしている。
(この国が……滅びるんだよね。)
ふと。
そんなことを思った。
私が知っているゲームの歴史では。
この国は、後に滅びる。
でも、今目の前にある王都には、そんな未来を感じさせるものなど何もない。
人々は普通に暮らしている。
だからこそ、少しだけ不思議な気持ちになった。
(……滅びるって、どういうことなんだろう。)
前世の私は、ゲームの設定として知っていただけだった。
けれど、今は違う。
ここには、私が知っている名前のない人たちがいる。
この人たちにも、それぞれの人生がある。
もし本当に国が滅びるのなら、この人たちも巻き込まれる。
そんなことを考えて、私は小さく首を振った。
(今は自分のこと。)
国の未来を心配する前に、まず自分が生き残らなければならない。
馬車の窓から街を眺めながら、私は薬師の店を探した。
けれど、馬車の中からでは、なかなか見つからない。
薬草を扱っていそうな店を見つけるたびに、目を凝らす。
すると、少し先に、薬草を描いた看板が見えた。
(あれ……?)
私は身を乗り出す。
店先には、束ねられた薬草が吊るされている。
薬師の店かもしれない。
「止めて。」
御者が驚いて手綱を引く。
「ここでいい。」
「ですが……。」
「一人で行く。」
「クリス様、お一人では危険です。」
「すぐ戻る。」
御者は困った顔をした。
それも当然だ。
五歳の子供が一人で街を歩くなど、普通なら許されることではない。
それでも。
私は馬車を降りた。
地面へ足をつける。
たったそれだけなのに。
少しだけ胸が高鳴った。
今まで私は公爵家と王宮の中でしか生きてこなかった。
いつも誰かに連れられて。
誰かに決められて。
誰かに守られているようで。
実際には、誰かの都合で生かされていた。
それも今は違う。
自分の足で立っている。
自分で行き先を決めた。
それだけのことなのに。
不思議と嬉しかった。
「一時間後に迎えに来て。」
「……承知いたしました。」
馬車が走り去っていく。
私はその後ろ姿を見送った。
そして改めて街を見る。
(さて。、薬師を探そう。)
私は歩き出した。
◇◇◇
しばらく歩くと。
薬草の匂いが強くなってきた。
けれど。
薬師の店は思ったより遠かった。
(……あれ?)
(馬車から見た時は、すぐそこに見えたのに。)
歩いてみると。
なかなか辿り着かない。
五歳の身体では、大人と同じ距離を歩くのも大変だ。
少しずつ足が疲れてくる。
(目的地が分かっていると近く感じるのに、歩いてみると、意外と遠いな……。)
そんなことを考えながら。
私は大通りを進んでいく。
すると目の前に一軒の店が見えた。
衣料品店だった。
店先には布や革製品が並んでいる。
私は立ち止まった。
(……そういえば。)
薬を買うには。
お金が必要だ。
懐へ手を入れる。
当然、何も入っていない。
「……どうしよう。」
思わず呟く。
公爵家の嫡男とはいえ。
自由に使えるお金など、持っていない。
かといって、薬師に事情を話して、ただで薬を分けてもらえる保証もない。
(何か売れるもの……。)
私は自分の服や身につけているものを見下ろす。
そして、腰に巻いていた革のベルトへ目を止めた。
公爵家から与えられたもの。
作りは悪くない。
これならもしかしたら。
(売れるかも。)
私は衣料品店の扉へ手を伸ばした。
小さな身体で。
初めて、自分の力で生きるための一歩を踏み出す。
そして。
扉を開けた。
「いらっしゃい――」
店の奥から。
店主らしき男の声が響いた。
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