第五十二話 見えない敵
公爵領から王都へ戻って、数日が過ぎた。
あの領地で見た光景は、まだ記憶に残っている。
戦争で傷ついた土地。
復興の進まない街。
商人の減少。
不安を抱える領民。
そして、息子を失ったことで以前とは別人のようになっていた公爵。
私は何度も考えていた。
ゲームでは、公爵家は王国に反旗を翻す。
その反乱が内乱へ繋がり、王国は滅びる。
けれど、実際に会った公爵は、まだ王国を憎んではいなかった。
領地を立て直そうとしていた。
残された領民を守ろうとしていた。
ただ、失ったものが大きすぎて、どこへ進めばいいのか分からなくなっているように見えた。
だから私は、今の段階で公爵を敵だと決めつけるつもりはなかった。
むしろ、あの人がどうしてゲームで反乱を起こすまでに変わってしまうのか、その過程を知りたいと思っていた。
私は未来を知っているつもりだった。
けれど、私が知っていたのは結末だけなのかもしれない。
そう考え始めていた。
その日の朝までは。
◇◇◇
「クリス殿」
王国軍本部の廊下を歩いていると、背後から声を掛けられた。
振り返ると、若い兵士が息を切らして立っている。
「どうした?」
「ドレイス殿がお呼びです。会議室へ来てほしいとのことです」
「分かった」
兵士の表情が硬い。
「何かあったのか?」
「公爵領から新しい報告が届いたそうです」
その言葉に、私は足を止めた。
「公爵領?」
(急すぎる……。何が起こっている?)
視察の時は、何も無かったはずだ。
そこには消沈した公爵と、疲れた民しかいなかった。
「はい。ただ、詳しい内容は私も聞かされていません」
「そうか」
私はそれ以上尋ねず、会議室へ向かう。
扉を開けると、ガルドとドレイスが待っていた。
机の上には、公爵領の地図と数枚の報告書が並んでいる。
「来たか」
ガルドが顔を上げる。
「公爵領で何か?」
「新しい報告が入った」
ドレイスが一枚の紙を手に取った。
「複数の村で、武装した集団が確認されています」
「武装集団?」
「最初は盗賊の可能性が考えられました」
ドレイスは報告書へ目を落とす。
「ですが、金品を奪った形跡がほとんどない」
「では、何をしているんですか?」
「村人への接触です」
嫌な予感がした。
「具体的には?」
「公爵家への不満を口にし、領民へ同調するよう呼び掛けています」
ドレイスが報告書を読み上げる。
「公爵様は民を見捨てた」
「戦争で多くを失ったのに、領地を立て直せていない」
「王国も、この領地を助けるつもりがない」
「このままでは領地が滅びる」
聞き覚えのある言葉だった。
公爵領で感じた、あの空気。
もともと存在していた不満を、誰かが拾い上げて広げている。
「人数は?」
「確認できているのは十数名です」
ガルドが腕を組む。
「それだけなら、領兵に捕まえさせれば済むんじゃねぇか?」
「問題は人数ではありません」
ドレイスが地図を広げた。
公爵領の各地に、いくつもの印が付けられている。
「一つの村に留まっていません」
「複数の村を回っているのか」
「はい。それも、無作為ではないようです」
指先が地図上を移動する。
「戦争による被害が大きく、領民の不満が強い地域を選んでいる」
ガルドの表情が引き締まった。
「誰かが狙ってやってるってことか」
「その可能性があります」
私は地図を見つめた。
商人の減少。
税収の低下。
農村同士の争い。
領民の不安。
そこへ、武装した集団による扇動。
一つ一つは別の問題に見える。
けれど、すべてが同じ領地で起きている。
「前に公爵領へ行った時も、領民の不満はかなり強かった」
「ええ」
ドレイスが頷く。
「今回の報告を見る限り、自然に生じた不満だけでは説明しにくくなっています」
「誰かが利用している?」
「否定はできません」
ドレイスは別の報告書を取り出した。
「それから、もう一つ気になる情報があります」
「何ですか?」
「公爵邸に、最近になって出入りするようになった女がいるそうです」
「女?」
私は初めて聞いた。
「公爵家に仕える者ではありません。使用人たちも、どこの誰なのか把握していないようです」
「どんな女だ?」
「黒い衣服を好み、金色の瞳をしているそうです」
私は眉を寄せた。
「何をしている?」
「公爵と頻繁に話をしている。それ以上は分かっていません」
「公爵は、その女をどう扱っている?」
「客人として迎えているようです」
それなら、現時点で不審者と断定することはできない。
公爵が誰かと話している。
それだけなら、何の問題もない。
「もう一つあります」
ドレイスが続けた。
「公爵が最近、黒い剣を手にしているという証言もあります」
「黒い剣?」
「以前から所持していた武器ではないようです」
私は黙り込んだ。
公爵が黒い剣を手にした。
その近くには、身元の分からない女がいる。
さらに領内では、何者かによる扇動が始まっている。
偶然だと片付けるには、気になる材料が増えていた。
だが、それだけだ。
公爵が反乱を企てている証拠にはならない。
「公爵自身については?」
私が尋ねると、ドレイスは首を横に振った。
「現時点で、反乱を企てているという証拠はありません」
その言葉に、私は頷いた。
「なら、公爵を疑うべきではありません」
ガルドも同意する。
「そうだな。今の話だけで公爵を敵扱いするのは早すぎる」
「はい」
ドレイスが報告書をまとめた。
「だからこそ、事実を確認する必要があります」
「誰を送る?」
ガルドが尋ねる。
「今回は大掛かりな調査にはしません」
ドレイスは地図を指した。
「公爵は王国でも高い地位にあります。証拠もない段階で軍を派遣すれば、調査そのものが公爵への圧力と受け取られるでしょう」
「それは避けるべきだな」
「はい」
ドレイスが私を見る。
「クリス殿にお願いしたいと思っています」
「私に?」
「前回、公爵領を訪れています。公爵家との面識もある」
「一人なら、必要以上に警戒させることもありません」
私は頷いた。
「分かりました」
ガルドが私を見る。
「無茶はすんなよ」
「はい」
「何かあったら、調査より自分の命を優先しろ」
「分かっています」
ガルドは少し考えた後、真面目な顔になった。
「それと、忘れるな。今の公爵は容疑者じゃねぇ」
「はい」
「調べるのは公爵じゃない。公爵領で何が起きているのかだ」
「分かっています」
その言葉を胸に刻み、私は会議室を出た。
公爵を疑うためではない。
公爵領で何が起きているのかを確かめるためだ。
そして、報告にあった見知らぬ女が何者なのかを知るために。
◇◇◇
翌日。
私は一人で公爵領へ向かった。
王国軍の大部隊を連れていくことはできない。
最低限の装備だけを整え、馬を走らせる。
街道を進むにつれて、人の姿が少なくなっていった。
以前より商隊が減っている。
宿場町へ立ち寄ると、店主が客の少なさを嘆いていた。
「戦争が終わったのに、前より静かになっちまったよ」
「何かあったんですか?」
「商人が来なくなったんだ。公爵領は危ないって噂が広がってるらしい」
「武装集団の話は?」
「聞いたことはある」
店主は声を落とした。
「村で妙な連中が人を集めてるってな」
「実際に見たことは?」
「ない。噂だけだ」
私は礼を言って店を出た。
まだ噂の段階。
けれど、確実に広がっている。
公爵領へ近づくほど、その傾向は強くなった。
街道沿いの村では、以前より兵士の姿が増えている。
市場の商人は周囲を気にしながら会話をしている。
人々の間には、戦争直後とは別の不安が生まれていた。
やがて領主館が見えてきた。
門番へ身分を明かすと、すぐに門が開かれる。
「王国軍のクリス殿ですね。お待ちしていました」
「私が来ることは伝わっているのか?」
「はい。公爵様から、到着したら中へ通すよう言われています」
私は馬を預け、領主館へ入った。
その瞬間、前回とは違う光景が目に入った。
廊下には以前より兵士が多い。
すれ違う使用人たちは、何かを警戒するように周囲へ目を向けている。
そして、その中に一人だけ見慣れない女がいた。
黒い衣服。
長い髪。
金色の瞳。
報告にあった特徴と一致している。
女も私に気付いた。
「あなたが、クリス様ですね」
「……あなたが公爵邸に出入りしている女性ですか?」
「はい」
女は立ち止まった。
「公爵様の相談役をしております」
「名前は?」
「今は、必要ないでしょう」
「私は必要だと思います」
女は口元だけで笑った。
「そうですか」
「何者ですか?」
「公爵様に相談を受けているだけの者です」
「どこから来た?」
「それも、今はお話しする必要がありません」
妙に落ち着いている。
警戒している様子もない。
「あなたは、私を疑っているのですか?」
「まだ何も判断していません」
「なるほど」
女は私を観察するように見つめた。
「慎重な方ですね」
「公爵領では、武装した集団が動いています」
「ええ」
「あなたは知っている?」
「知っています」
「何をしている集団なのかも?」
「そこまでは」
「本当に?」
「私が嘘をついていると思いますか?」
「分かりません」
女は少し考えるように目を伏せた。
「では、正直に申し上げます」
視線が私へ戻る。
「私は、彼らを動かしてはいません」
「領民への扇動にも?」
「関与していません」
「では、何をしている?」
女は公爵の執務室へ目を向けた。
「公爵様の相談に乗っています」
「黒い剣についても?」
女の表情が初めて変わった。
「ご存じなのですね」
「報告で聞きました」
「そうですか」
女は否定しなかった。
「私が渡しました」
私は女を見据えた。
「なぜ?」
「公爵様が望まれたからです」
「何を望んだ?」
「力を」
短い答えだった。
「領地を守る力。残された者を失わないための力です」
それは、あの時の公爵なら求めても不思議ではないものだった。
「あなたは、その願いを利用した?」
「利用した、と言うこともできます」
「否定しないんですね」
「公爵様自身が選んだことですから」
女は淡々と答えた。
「私は、選択肢を提示しただけです」
「選択肢?」
「力を求めるか。それとも、今の力で耐えるか」
「どちらを選ぶかは、公爵様ご自身が決めました」
「あなたは、その結果を見ているだけ?」
「ええ」
女はそう言った。
その時、廊下の奥から使用人が現れた。
「クリス様、公爵様がお待ちです」
女が一歩横へ退く。
「では、参りましょう」
私は女の背中を警戒しながら、公爵の執務室へ向かった。
まだ分からない。
この女が敵なのか。
武装集団と関係しているのか。
公爵を利用しているのか。
ただ一つ分かっているのは、彼女が公爵の側にいるという事実だけだった。
そして、その事実だけで十分に警戒する理由になっていた。




