幕間 魔女の目的
礼拝堂を出た魔女は、夜の森を一人で歩いていた。
月明かりが木々の隙間から差し込んでいる。
魔女は空を見上げることもなく、ただ静かに歩き続けていた。
「……さて」
小さく呟く。
「次は、どう動きますかね」
頭に浮かぶのは、公爵の姿。
黒い魔剣を手にした男。
まだ、その力の意味を理解していない。
今はそれでいい。
魔女が必要としているのは、操り人形ではない。
自分の意思で選択する人間だった。
自分で力を求め。
自分で剣を握り。
自分で、その力を使う。
そうでなければ、意味がない。
「人間は面白いですね」
魔女は笑った。
「誰かに命令されたことより」
「自分で選んだことの方を、ずっと大切にする」
だから、急ぐ必要はない。
公爵が何を選ぶのか。
その結果、何が変わるのか。
それを見届ければいい。
◇◇◇
森の奥。
外からはただの古びた屋敷にしか見えない建物があった。
魔女は扉を開ける。
中へ入ると、棚に並べられた大量の書物が目に入った。
王家の歴史。
古代魔法。
失われた魔術。
聖剣。
魔剣。
そして、人間の魂に関する記録。
魔女は机の上へ一冊の古い本を置いた。
表紙には、古代文字で一言だけ記されている。
――聖剣。
ページを開く。
そこには、何百年も前の記録が残されていた。
「王族の血を持つ者」
「高潔な魂を持つ者」
「聖剣に選ばれし者」
魔女は、その一文を指でなぞる。
「高潔な魂……」
小さく笑う。
「曖昧な言葉ですね」
王族の血。
これは分かりやすい。
長い年月をかけて、聖剣に適性を示した者たちを調べれば、おおよその傾向は見えてくる。
けれど魂だけは違う。
同じ血を引いていても、聖剣に認められる者と、認められない者がいる。
ならば聖剣は何を見ているのか。
「善人であればいい?」
魔女は首を傾げる。
「優しい人間ならいい?」
ページをめくる。
「それとも……」
そこに記された古い記録へ目を落とす。
聖剣に選ばれた者の中には。
戦場で多くの敵を殺した者もいた。
己の国のために、容赦なく剣を振るった王もいた。
それでも聖剣は、その者を選んだ。
「単純な善悪ではない」
魔女は呟く。
「では、何を基準にしているのでしょう」
その答えを、魔女は長い間、探していた。
◇◇◇
机の横にはいくつもの資料が積まれている。
王家の系譜。
聖剣に選ばれた者たちの記録。
魔剣に関する研究。
そして、現在の王国に関する報告書。
魔女は、その中から一枚を取り出した。
「王女……」
そこには。
現在の王女についての簡単な記録が書かれている。
王家に生まれた少女。
将来。
この国の中心となる存在。
魔女はしばらく、その名前を眺めていた。
「本当に、あなたなのでしょうか」
聖剣が選ぶ者。
王族の血。
そして、高潔な魂。
もし現在の王女がその条件を満たしているのなら、それを確かめる必要がある。
けれど魔女が興味を持っているのは、王女だけではなかった。
別の報告書を取り出す。
そこに記されていた名前は。
――クリス。
元《暁の牙》。
現在は王国軍に所属。
戦場における判断力。
剣技。
異常な生存能力。
通称仮面の騎士。
魔女は報告書を眺めながら、僅かに目を細めた。
「この人も……妙ですね」
記録が少なすぎる。
王都に現れるまでの経歴。
幼少期。
家族。
出自。
どれを調べても、繋がらない部分が多い。
まるで、どこかに意図的に空白を作っているかのようだった。
「仮面の騎士……」
戦場で見せた動き。
周囲を読む判断。
味方を生かすための選択。
ただ強いだけではない。
魔女は報告書を机へ置いた。
「あなたは、一体何者なのでしょうね」
今はまだ、答えを出す必要はない。
ただ、気になる。
それだけだった。
◇◇◇
魔女は再び聖剣の本へ視線を戻した。
「王女」
「公爵」
「仮面の騎士」
それぞれ。
今は何の関係もないように見える。
けれど、魔女には分かっていた。
人間の運命というものは。
ほんの小さな選択によって繋がっていく。
一人が剣を握る。
一人が誰かを守ろうとする。
一人が力を求める。
その選択が、別の誰かの選択を生む。
「だからこそ……」
魔女は微笑んだ。
「観察する価値がある」
公爵に魔剣を渡したのも、そのためだった。
公爵を反乱へ導くためだけではない。
魔剣を持った人間が、どのように変化するのか。
何を失えば、何を求めるようになるのか。
どこまで力に依存するのか。
それを確かめるため。
そして、その先にあるものを見るため。
「人間の魂は」
魔女は古い本を閉じた。
「一体、どこまで変わるのでしょうね」
◇◇◇
翌朝。
公爵領では、黒い魔剣を手にした公爵が、領内の視察へ向かっていた。
魔女はその報告を受け取ると。
小さく笑った。
「早いですね」
まだ公爵は善人のままだ。
民を守ろうとしている。
領地を立て直そうとしている。
失ったものを取り戻そうとしている。
だからこそ、観察する価値がある。
魔女は報告書を閉じた。
「あなたが、どこまで変わるのか」
それだけを呟く。
そして、もう一冊の本を開いた。
そこに記されているのは。
聖剣についての古い伝承。
魔女の目的は、王国を滅ぼすことではなかった。
聖剣とは何なのか。
なぜ人を選ぶのか。
なぜ魂を条件とするのか。
そして、その力を持つ者が、何を選ぶのか。
それを知りたい。
ただ、それだけだった。
だから、王女も、公爵も、仮面の騎士も。
魔女にとっては、すべて観察対象だった。
◇◇◇
一方。
王都では、クリスが訓練場に立っていた。
剣を振る。
一度。
二度。
三度。
けれど、集中できない。
(……公爵)
頭に浮かぶのは。
あの領主館で見た男の姿だった。
黒い魔剣。
そして、あの女。
(あの魔剣は、一体何なんだ)
ゲームでは、魔剣に囚われた騎士が現れる。
それは知っている。
けれど、その始まりは知らない。
誰が魔剣を手にしたのか。
なぜ手にしたのか。
何を願ったのか。
ゲームでは、そこまで描かれていなかった。
だから今の私は、何も知らない。
ただあの黒い剣が、この先の未来へ繋がっている。
そんな確信だけがあった。
「……クリス?」
声が聞こえる。
顔を上げる。
そこには、仲間の一人が立っていた。
「どうした?」
「いや……さっきから、ずっと同じところにいるから」
「……そうか」
私は剣を握り直した。
「少し考え事をしていただけだ」
「無理するなよ」
「ああ」
そう答えたものの。
胸の奥にある不安は消えなかった。
何かが始まっている。
けれどその全貌は、まだ見えない。
私は、知らない。
魔女が何を求めているのか。
公爵がこれから何を選ぶのか。
そして自分自身が、その未来にどう関わっていくのか。
◇◇◇
森の奥。
魔女は窓から外を眺めていた。
遠くにある王都。
そのさらに先にある公爵領。
そしてその間に生きる無数の人々。
「まだ、始まったばかりです」
誰に聞かせるでもなく呟く。
公爵は魔剣を手にした。
けれど、それだけでは何も起こらない。
人間が選ばなければ、未来は動かない。
だから魔女は待つ。
公爵が次に何を選ぶのか。
王女が何を選ぶのか。
そして仮面の騎士が、何を守ろうとするのか。
「楽しみですね」
魔女は静かに笑った。
まだ誰も知らない。
この国に近づいている破滅の正体を。
まだ誰も知らない。
小さな選択の一つ一つが。
やがて大きな運命へ繋がっていくことを。
そして魔女だけが知っている。
この物語は、もう始まっている。
彼女は古い本へ手を置いた。
「さて……」
金色の瞳が、静かに細められる。
「次は、どんな魂を見せてくれるのでしょうね」
その問いに、答える者はいなかった。




