第四十九話 行方不明事件
数週間後。
私は今日も酒場に来ていた。
男たちの声に、耳を傾ける。
「最近、国境近くの街道で商人が戻ってこないらしい」
酒場の隅で、誰かがそんな話をしていた。
「珍しいことじゃないだろ」
「盗賊でも出たんじゃないか?」
「いや、護衛付きだったらしいぞ」
「なら魔物か?」
「それも違うみたいだ」
人々は酒を飲みながら、思いつくままに言葉を交わしている。
「カミさんのの知り合いも唐突に居なくなったらしい。あいつも嘆いていたよ」
そんな話があちこちで聞こえてくる。
(行方不明が続いている?)
戦争が終わってから、まだそれほど時間は経っていない。
街道には盗賊もいる。
魔物もいる。
商人が事故に遭うことだってある。
一件だけならよくあることだろう。
少しずつ、人が消えている。
私は、その噂が妙に引っ掛かった。
(調べてみるか)
私は代金を置いて店を出た。
◇◇◇
「クリス」
翌日、王国軍の執務室で、ドレイスが数枚の書類を机へ置いた。
「少し気になる報告があります」
「何だ?」
私は書類を手に取る。
そこには、ここ数週間で起きた小さな事件がまとめられていた。
国境付近。
商人の失踪。
旅人の行方不明。
護衛を雇った商隊の消息不明。
場所はそれぞれ違っている。
「最初は盗賊の仕業だと考えられていました」
ドレイスが説明する。
「ですが、いくつか妙な点があります」
一枚の報告書を指差した。
「こちらの商隊です」
「荷馬車だけが発見されています」
「中身は?」
「ほとんど残っています」
「護衛の装備は?」
「それも残されています」
私は眉を寄せた。
「争った跡は?」
「ありません」
「血痕は?」
「なし」
「魔物の痕跡は?」
「確認されていません」
静かに書類へ目を落とす。
盗賊なら金品を奪う。
魔物なら襲撃の痕跡が残る。
事故なら、事故が起きた場所に何らかの形跡がある。
なのに、人だけが消えている。
「別の事件は?」
「こちらも同じです」
ドレイスが別の書類を示す。
「街道を歩いていた旅人が三人、消息を絶っています」
「目撃者は?」
「最後に確認された場所は分かっています」
「その後は?」
「何も」
ドレイスは一度、言葉を切った。
「まるで、途中から存在そのものが消えたようだと」
「……」
嫌な感じがした。
でもまだ、それだけだった。
「敵国の関与は?」
「調査中です」
ドレイスが地図を広げる。
「ただ、現時点では証拠がありません」
指先が国境沿いをなぞる。
「失踪した者たちの進路も一致していません」
「つまり、共通点がないというわけですね」
「はい」
私は地図を見つめた。
一つ一つなら、偶然で片付けられる。
けれど。
「私が現地を見てきます」
「私も同行します」
「いや、まずは私だけで向かいます。」
「危険では?」
「何が起きているのか分からないからこそ、人数を増やしてしまうと、帰って動きずらくなる可能性もあります。」
ドレイスは少し考えた。
「……そうですね」
「何か分かったら報告しますね」
「お願いします」
書類をまとめる。
その時だった。
「そういや、最近こういう話が増えたな」
別の騎士が呟いた。
「国境の小競り合いも、少し多い」
「……」
私は顔を上げた。
以前から、国境付近では小さな衝突が起きていた。
それも今までは、大きな問題として扱われていなかった。
私はそのことを頭の片隅へ残した。
◇◇◇
その日の夕方、食堂へ戻ると、いつものように仲間たちが集まっていた。
「お、帰ってきたか」
ガルドが手を上げる。
「飯が冷めるぞ」
「悪い」
「仕事熱心なのはいいが、飯まで忘れるなよ」
ガルドが笑う。
ナージャは私の席に料理を取り分けていた。
「クリスの分、取っておいたわよ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
ナージャは笑う。
その視線が、ほんの一瞬だけ私の顔へ向いた。
「……どうした?」
「え?」
「いや」
「何でもないわよ」
そう答えながら、ナージャは私の皿を確認する。
「ちゃんと食べてね」
「分かっている」
「本当に?」
「ああ」
すると。
「ナージャ、酒!」
ガルドの声が飛んできた。
「はいはい」
ナージャはすぐに酒瓶を手に取る。
「自分で取ればいいでしょう」
「仲間なんだからいいじゃねぇか」
「そういうところが鈍いのよ」
「何が?」
「何でもない」
ナージャは酒を注ぐ。
ガルドが嬉しそうに杯を受け取った。
「ありがとな」
「……どういたしまして」
その瞬間、ナージャの表情が少しだけ柔らかくなる。
私は何も言わなかった。
もう、彼女の気持ちは分かっている。
ガルドが怪我をすれば、誰よりも心配する。
任務から帰れば、真っ先に無事を確かめる。
何気ない会話でも、いつもガルドの言葉をよく聞いている。
なのに、本人には、決して言わない。
好きだから。
ただ、それだけで近くにいる。
そんな関係も、悪くないのかもしれない。
「クリス?」
「何だ?」
「さっきから笑ってない?」
「そうか?」
「何かあった?」
「いや」
私は首を振る。
「いつも通りだ」
ナージャは少しだけ不思議そうな顔をした。
その横で。
「おい、クリス。明日の任務なんだが――」
ガルドが話しかけてくる。
「今度は何だ?」
「いや、酒の追加を――」
「仕事の話じゃないのか」
「それも大事だろ」
食堂に笑い声が広がった。
私はその声を聞きながら、先ほどの報告書を思い出していた。
だけど、今は考えるのをやめた。
せっかく仲間と食事をしているのだ。
この時間まで仕事にする必要はない。
◇◇◇
数日後。
私は数名の兵士と共に、国境近くの村を訪れていた。
村は一見すると、何も変わっていない。
畑がある。
家がある。
子供たちが走っている。
なのにどこか静かだった。
人々が必要以上に周囲を気にしている。
夕暮れが近づくにつれ、家へ戻る者が増えていく。
「王国軍の方ですか?」
村長が近づいてきた。
「はい」
「何かありましたか?」
「最近、この周辺で起きている行方不明について確認したい」
そう告げた瞬間。
村長の表情が強張った。
「……やはり、王都にも届いているのですね」
「何か知っていますか?」
村長はしばらく黙っていた。
やがて、周囲を気にしながら声を落とす。
「最初は商人でした」
「この村を通った商人が、帰ってこなかったのです」
「その後、探しに向かった護衛も消えました」
「盗賊では?」
村長は首を横に振る。
「それなら、まだよかったのですが」
「……」
「盗賊なら、何か残ります」
「荷物を奪った跡も」
「争った跡も」
「ですが……何もないのです」
その言葉が妙に引っ掛かった。
「最後に見つかった場所は?」
「街道です」
「案内してください」
「分かりました」
◇◇◇
街道には、荷馬車の轍が残っていた。
草むら。
土。
街道脇の木々。
何もおかしくない。
私は周囲を歩きながら、注意深く地面を確認する。
血痕はない。
争った跡もない。
魔物の足跡もない。
馬車が襲われた形跡すらない。
「……本当に何もない」
思わず呟く。
まるで最初から、そこで事件など起きていなかったようだった。
私はしばらく周囲を調べた。
けれど結局、何も見つからなかった。
◇◇◇
王都へ戻った夜。
私は一人、部屋で報告書を読み返していた。
商人の失踪。
護衛の失踪。
残された荷馬車。
何もない現場。
考えられる可能性を一つずつ並べていく。
盗賊。
魔物。
敵国。
どれも可能性としては否定できない。
だがどれもしっくりこなかった。
私は椅子へ背を預ける。
そしてふと、前世の記憶を思い出した。
乙女ゲーム。
『ナエラ王国物語~戦場に舞う乙女~』
私は、このゲームを何度もプレイした。
物語の流れも、攻略対象の設定も、
ゲーム本編で起こる出来事も、
何度も見てきた。
だからこそ、私はこの世界で何が起こるのか知っているはずだった。
けれど。
「……こんな話、あったか?」
国境で起きる失踪。
何も残さず消える商人。
増え始めた小さな衝突。
記憶を探る。
ゲームのシナリオを思い出す。
それでも、該当する場面が出てこない。
「……ない」
ゲームには、こんな事件は存在しなかった。
もちろん、ゲームに描かれなかった出来事が存在すること自体は、当然なのかもしれない。
数年前の戦争だってそうだ。
この世界で暮らしている以上、
すべての出来事がゲームに描かれるわけではない。
それでも胸の奥に、妙な感覚が残った。
戦争の時は、そもそもそんな話はなかった。
でも今回のことは、ゲームで出てきた話に繋がってしまうかもしれない。
王都で何か起こることは確かだった。
私は何が起こるか知っているから、
悲劇は避けられる、そう思っていた。
けれど、もし、私の知っている物語は、この世界のほんの一部でしかないのだとしたら。
ゲームに描かれなかった出来事が。
すでに始まっているのだとしたら。
私は、何も知らない。
その事実に気付いた瞬間。
胸の奥に、今までとは違う不安が生まれた。
窓の外を見る。
王都は静かだった。
街には明かりが灯っている。
人々は、いつものように暮らしている。
食堂では今頃、ガルドたちがくだらない話をしているかもしれない。
ナージャは、またガルドの世話を焼いているだろう。
王城では、王女が明日の予定を確認している。
その側にはレオンがいる。
今日も、何も変わらない一日だった。
私は窓から視線を外す。
「……知らないことが、増えてきたな」
それだけを呟いた。
そして机の上に置かれた報告書へ、もう一度目を落とした。
今までとは違う。
そんな感覚だけが、静かに残っていた。




