第四十四話 近衛騎士選抜(前編)
王国軍へ所属してから、一年ほどが過ぎた。
《暁の牙》が王国軍に加わった当初は、傭兵と正規兵の違いに戸惑うことも多かった。
けれど、今では王国軍の一員として任務をこなすことも、すっかり日常になっている。
魔物討伐。
国境の警備。
街道の治安維持。
騎士団との合同任務。
時には、領地間の揉め事に呼ばれることもあった。
傭兵だった頃とは違い、私たちが動くことで王国全体に影響が出る。
感じたことの無い重圧に戸惑うこともあったが、
少しずつ、王国軍の中で自分たちの居場所を築いていった。
私自身も、以前より王国軍の兵士たちと顔を合わせる機会が増えている。
そんな日々の中で、例に漏れずレオンも大きく変わっていた。
「クリス!」
訓練場に、木剣のぶつかる音が響く。
目の前からレオンが踏み込んできた。
私は身体を半歩ずらし、その一撃を受け流す。
レオンは勢いを殺さず、そのまま身体を回転させた。
反対側から木剣が迫る。
私はそれを受け止め、距離を取った。
「……今の、避けたな?」
「当たり前だろ」
レオンが笑う。
「当たったら痛いからな」
「昔なら、避ける前に転んでいた」
「いつの話だよ」
レオンが苦笑した。
けれど、その動きには以前のような少年らしさは残っていない。
力任せに剣を振るのではなく、相手の動きを見て次の一手を考えている。
私が一歩引けば追い、こちらが攻撃に転じればすぐに守りへ切り替える。
自分の判断で戦うことが、当たり前になっていた。
「強くなったな」
思わず口にすると、レオンが嬉しそうに笑った。
「だろ?」
「ああ。以前とは比べものにならない」
「じゃあ、そろそろ勝てるか?」
「それはまだ早い」
「即答かよ!」
レオンが笑いながら、もう一度木剣を構える。
私もレオンと同じように構え直す。
昔なら、私が守る側で、レオンは守られる側だった。
けれど今のレオンは、自分の足で立ち、自分の意思で剣を振っている。
それが、私は嬉しかった。
「もう一本だ!」
「何本でも付き合う」
再び木剣がぶつかった。
◇◇◇
訓練を終えた頃、訓練場の入口に人影が見えた。
「こんにちは」
王女だった。
王国軍へ所属してからしばらく経つが、王女が《暁の牙》の訓練場へ顔を出すことも珍しくなくなっている。
以前は、真っ先に仮面の騎士である私の元へ来ていた。
だが最近では、レオンと話している時間の方が長い。
「今日も訓練ですか?」
「ああ。クリスに勝てるまで、まだまだ鍛えないとな」
レオンが笑う。
「頑張ってください」
王女も楽しそうに笑った。
私は少し離れた場所から、その二人を眺めていた。
以前なら、胸の奥に小さな寂しさを覚えていたかもしれないが、今ではそれも感じない。
王女がレオンを信頼していることも。
レオンが王女を大切にしていることも。
もう、自然なこととして受け入れられるようになっていた。
妹には妹の世界がある。
私には私の世界がある。
それでいい。
「クリス」
レオンがこちらを見る。
「どうした?」
「何かぼーっとしてないか?」
「少し考え事をしていただけだ」
「またかよ」
レオンが呆れたように笑う。
その隣で王女も笑った。
その光景を見て、私も小さく笑う。
以前とは違う。
けれど、悪くない。
そんなふうに思えるようになっていた。
◇◇◇
その日の午後。
私たちは王城へ呼ばれた。
《暁の牙》全員への召集だった。
「何の用だ?」
ナージャが首を傾げる。
「書状には詳しい内容がありませんね」
ドレイスが答えた。
「王城からの召集だ。行けば分かるだろ」
ガルドが腕を組む。
私たちはそのまま謁見の間へ向かった。
扉が開く。
玉座には国王が座っていた。
その傍らには、王女の姿もある。
十五歳になった王女は、以前よりも大人びて見えた。
幼さの残っていた顔立ちも少しずつ変わり、王族としての落ち着きも身につき始めている。
それでも、笑った時の柔らかな表情は変わらない。
私は無意識に目を細めた。
血を分けた、たった一人の妹。
けれど、その事実を知っているのは私だけだ。
私はこの子の姉として生きることを許されなかった。
今さら、その立場を求めるつもりもない。
この子が幸せに生きられるなら、それでいい。
国王が口を開いた。
「本日、そなたたちを呼んだのには理由がある」
謁見の間が静まる。
「王女の近衛騎士についてだ」
その言葉に、空気が変わった。
「王女も間もなく成人を迎える。それに伴い、専属の近衛騎士を選ぶこととした」
王女の側に立つ騎士。
その役目は、単なる護衛ではない。
常に王女の近くにいて、その命を預かる。
当然、実力だけで務まるものでもなかった。
「選抜は志願制とする。身分は問わぬ」
国王は続ける。
「王国に仕える騎士であれば、誰でも参加を認める」
周囲がざわめいた。
(何てこと……)
王国騎士団。
地方騎士団。
そして、《暁の牙》。
実力さえあれば、誰でも挑戦できるということだ。
レオンもきっと、参加するだろう。
(姫の、近衛騎士が決まってしまう)
(レオンを……、レオンを近衛騎士にする訳には行かない)
私の知っている未来では、レオンは近衛騎士だった。
(それだけは、何としてでも防がなければ!)
未来を変えなくてはならない。
あの悲劇的な話を実現させない為に。
(でも私は……)
王女の傍に侍ることはできない。
何らかの拍子に、顔を見られてしまっては困る。
「後日、武芸大会形式で選抜を行う」
国王が告げた時だった。
「お父様」
王女が口を開いた。
「どうした」
「一人、お願いがございます」
王女は私を見た。
「仮面の騎士様にも、参加していただきたいのです」
謁見の間にいた者たちの視線が、一斉に私へ集まった。
(……弱ったな)
予想していなかった。
王女が私を知っているのは当然だ。
けれど、近衛騎士の選抜に参加してほしいと言われるとは思っていなかった。
「理由は?」
国王が尋ねる。
「以前から、強い騎士だと伺っております」
王女は少し恥ずかしそうに笑った。
「一度、実際に戦うところを見てみたいと思っていました」
私は黙った。
この子は、私を《仮面の騎士》という一人の騎士として見ている。
純粋な、憧れだった。
「恐れながら」
私は一礼し、断る理由を考える。
「……私は《暁の牙》の一員として、これまで通り任務にあたることを望んでおります」
王女の側に立つことだけは避けたかった。
近くにいればいるほど、正体を知られる危険は高くなる。
私は死んだことになっている第一王女なのだから。
もし真実が知られれば、私だけでは済まない。
《暁の牙》まで巻き込むことになる。
「参加するだけでも、いけないでしょうか?」
王女の声が響いた。
私は顔を上げる。
そこにあったのは、王族としての命令ではなかった。
ただ、一人の少女としての願いだった。
「私は、仮面の騎士様がどれほど強いのか知りたいのです」
私はすぐには答えられなかった。
けれど、国王が静かに口を開く。
「参加するかどうかは本人に任せる。近衛になることを強制するつもりもない」
私はしばらく考えた。
そして、ゆっくりと頭を下げる。
「……承知しました」
「参加するということだな?」
「はい。選抜には参加いたします」
王女の表情が明るくなる。
「ありがとうございます」
レオンが決勝までに負けてくれればいい。
もしレオンが勝ち上がったら、私がレオンに勝てばいい)
そして決勝でわざと負ければいい。
私はそんな打算を企んでいた。
何も知らずに嬉しそうに笑う姫。
その姿を見て、私はほんの少しだけ胸が痛んだ。
それでも、今度は目を逸らさなかった。
◇◇◇
王城を出てしばらく歩いたところで、ガルドが口を開いた。
「まさか、お前が王女の近衛候補とはな」
「私も驚いている」
「まあ、参加するだけなら問題ねぇだろ。選ばれるかどうかは別の話だ」
「そうだな」
私が答えると、後ろからレオンの声がした。
「クリス」
「何だ?」
「俺も出る」
「そうか」
レオンは笑った。
「だったら、決勝で会おうぜ」
木剣を肩に担ぎ、挑むようにこちらを見る。
私は思わず笑った。
「ずいぶん自信があるな」
「当然だろ。今度こそ勝つ」
「なら、楽しみにしている」
「手加減するなよ」
「お前こそ」
「負けた時に言い訳するなよ」
「それは、こちらの台詞だ」
二人で笑う。
私は本心を隠して。
少し離れた場所では、王女がその様子を見ていた。
王女は何も言わず、ただ嬉しそうに微笑んでいる。
その表情を見て、私は作った笑みを返した。
◇◇◇
数日後、近衛騎士選抜の参加者が発表された。
王国騎士団。
地方騎士団。
そして、《暁の牙》。
三十名を超える騎士たちが名を連ねていた。
その中でも、特に注目を集めていた名前が二つある。
《仮面の騎士》。
そして、レオン。
「いよいよだな」
レオンが言った。
「ああ」
私は頷く。
周囲では、参加者たちがそれぞれ準備を進めている。
私も剣の柄へ手を添えた。
今回の選抜で、誰が王女の近衛騎士に選ばれるのか。
それは、まだ分からない。
けれど、一つだけ確かなことがある。
レオンとこうして同じ舞台に立ち、正面から剣を交える機会は、これから先もそう多くはないだろう。
私はレオンに勝たなくてはならない。
「クリス」
「何だ?」
「絶対に負けないからな」
レオンが笑う。
「私も負けるつもりはない」
私も笑った。
そして私たちは、並んで選抜会場へ向かった。
王女の近衛騎士を決める戦いが、始まろうとしていた。




